4. 違う世界
どれくらいそうしていただろうか。
至近距離の美丈夫の白目は俄に血走り始めている、きっと私もそうなっているんだろう。
乾いて少々ツンと痛くなってきたけれど、負けたくなくてさらに目に力を込めた。
沈黙とお互いの圧がその場の空気を支配している。
やがて、ジガルド様の眉尻が下がった。
「……負けた」
それはとても小さく、口にこもって私の耳には届かなかった。
「何ですか?」
私は顔を離して相手の表情を注視する。
彼はため息をつきながら、もう一度仕方なさそうに口を開いた。
「わかったと言った。確かに私の手落ち部分もあったかもしれないしな。……この部屋でしばらく待て、先の二つは用意してやる」
相変わらず、物言いが不遜だ。
だけど今は気にしていられない。
「ありがとうございます!」
喜色満面のまま、私は丁寧に見えるよう、ゆっくりと頭を下げ感謝の気持ちを表した。
ジガルド様は面食らったようで、呆けた顔をした。
そしてそっぽを向くと、次いですぐさま背を向ける。
「お前は変だな」
「なっ!」
大きく通るような声でそう言うとカツカツと靴底を鳴らしながら、彼は部屋を出て行ったのだった。
「失礼なヤツ! 傲慢親父ー!!」
私のこの叫び声が、届いたのかはわからなかった。
改めて周りを見回してみた。
ベッドが私がさっきまで寝てたとこ以外にも、二つほど、衝立の向こう側だけれど置いてあった。
人の気配がする方を見ると、元の世界でもみた事のある白衣に似た服の、おじいさんがいる。
何やら書きながら棚を漁っているけれど、お医者さんかな?
ゴソゴソしてるとこは、薬棚?かもしれない。
ここは、学校でいうところの保健室なんだろう。
私はそうアタリをつけて、元いたベッドに腰掛けた。
「そういえば、お城の中の仕事、って条件つけ忘れたぁ……」
そう、仕事くださいって言ったのにはそういうワケもあったのだ。
聖女となった先輩なら、帰るルートもあるのではと考えた。
勿論、もしこれが物語とかならって可能性に限るけど。
その時を見計らって、くっついて帰れるかもって。
あっ!そういえば「小説だぜ!」でこんな小説読んでない……?!
……ないか。
美少女ゲーム、ドキ胸くらいしかやったことないからなぁ。
乙女ゲームも、カラ恋だけだし……。
ちなみに「小説だぜ!」というのは、プロからアマチュアまで小説を投稿しているサイトだ。
ドキ胸というのは、『ドキっと胸が苦しくて』といういわゆるハーレムものの恋愛シミュレーションゲーム。
カラ恋は『カラフルに恋しCiao☆』という、美男子からイケオジまで恋愛攻略でき、裏ルートで攻略対象者同士のBL展開まで楽しめちゃう同人ゲーム。
私はそこそこ色々楽しんでるタイプで、それこそ「小説だぜ!」では色々読んできた。
だけど、さっきのジガルド様とやらも似た話の始まりも、記憶の中に一欠片もない。
「せっかく飛ばされるなら、知ってる話の中が良かったなぁ……」
わくときしたヒーローも尊みが過ぎるヒロインも、ここにはいないんだろう。
ううん、いるかもしれないけれど、私が知らないキャラクター達だ。
もしかしたら、物語でさえなくてこれはSFでいうところの平行世界?とかかもしれない。
実在かもしれない。
物語だとしても、その生は作り物じゃないかもしれない……。
作り物だとしたら、私死んでることになるし。
――あ、だめだ、頭ぐるぐるしてきた。
私は天井を見やった。
煌びやかな、天使みたいな、神様みたいな絵画がたくさん描かれている。
そのどれもが、私には見たことのないものだった。
「こんなの、教科書にも載ってなかったじゃん……」
違う世界に来た。
そのことを、嫌でもわかるしかなかった。
頼み込んでジガルド様からもらうことができた仕事は、運良く城内の雑用係だった。
使用人っていうのかな?そういうやつ。
その中でも洗濯だのなんだのっていう、洗い場の仕事だった。
身振り手振りで、まず基本らしい、洗濯の仕方を教わった。
言葉がわからないから、実に簡単な手順の仕事に回されたらしい。
だけど重労働。
この世界には地球で言うとこの、機械というものは存在していないっぽい。
手仕事の極み。
固形石鹸を桶の中で泡立て、服を入れ、足で踏んだり手でもんだりして汚れを取る。
仕事場に張り巡らされた用水路で、それを濯ぐ。
野菜洗い用の水路と、洗濯する用の水路は分かれていて、一度間違えた日には頬を思い切り引っ叩かれた。
罵られる中、覚えたての単語でわかったのは[高貴な]とか[王族]とかで。
身分、というやつをまざまざと思い知らされた。
元より、転移前だって身分がないのに勝手に身分をつけられてはいたけれど。
それでいくと、ここは生まれでキッパリ分かれている。
平等だって言いながら、ヘーキで不平等になっていくより、幾分か気が楽かもしれない。
と少し思った。