第7話 盗人
「はぁ…一先ずは此処で休むしかないな」
エデンは大通りとは違う、裏道の近く、その横を流れる真っ黒で毒々しい下水道が通る橋の下、壁に寄りかかりながら呟いた。
右肩に出来た大きく切り傷を、服を裂いて包帯代わりにして不格好に巻き、項垂れる。背中はロランの血で汚れている。
エデンの利き手は右。ロランと戦ってる時は夢中で気にならなかったが、後になって痛みが増して来た気がする。
(傷を気にしてたら痛みが増すだけだ…他の事…他の事を考えろ…)
エデンは顔を上げ、橋の下の黒ずんだ汚れを数え始める。
(ーーー19、20……はぁ、やめたやめた)
20の次の数字が分からなく、汚れを数えるのを止めて、また他の事を考え始める。
(そう言えば……あの本はダンジョンの奥地に置いたままなのか?)
結局ロランは本を持っていなかった。持っていたとしてもロランが率先して持っているだろうから、ロラン達以外のパーティーが持って行ったか、もはや地上にはない。
つまり、もう手に入るというのは諦めた方が良いと言う事だ。折角ダンジョンの最悪まで行って、あの本を手に入れたが仕方ない。
「でも…思い出せる様な気も…する」
戦闘中、突然、一瞬だけ思い浮かぶのだ。
本のある一部が。
「何がどうしてあんな事が起きるんだ…?」
もしかしてピンチの時、それとも攻撃を受ける時か?
色々な事が思い浮かぶが、今1人ではどうする事も出来ない。
エデンは肩を抑えながら、目を瞑った。
数時間後。
「ん?」
エデンはある違和感を覚え、目を覚ます。
夜になったのか、辺りは真っ暗で何も見えない。しかし、誰かが自分の身体中を弄っている様な感じがした。
「おい!」
「っ!」
ザッ
一言大きな声で怒鳴る様に叫ぶと息を呑む様な声が聞こえ、何かが身体から離れた気がした。
タタタタタタッ
軽快な足音が聞こえると、その音はドンドンと距離が離れる。
「くそっ!」
目を擦りながら身体を起こす。
つい油断していた。いつも以上に身体を痛めていた所為か、注意力が散漫になっていた。
こんな所で何か弄られていたという事は、路地裏で暮らしている者からしたら、答えは1つだった。
エデンは素早く足を動かす。
「袋返せ!!」
盗みだ。
ダンジョンの小屋で貰って来た、腰につけていた小袋がない。
アレには何にも入っていない筈だが、あの袋は凄い物だ。どれくらい入るか分からないが、大量の食糧が入っていたのだ。しかも食糧を出した時重さを感じなかった。
そんな袋聞いた事もない。
(絶対に逃すか!!)
エデンは痛む身体に鞭を打ちながら、全力で走る。
前を走る者の背は、大きな布を被っていて容姿は分からないが、背はあまり大きく無い。
その者は下水道から梯子を登る。
その姿はまるで、獣。
「くっ!!」
エデンもそれを追いかけて梯子を登るが、肩が痛んでもたつく。
上に行くと、盗みを働いた者の背中は小さくなっていた。
自分よりも年上の者なら、自分よりも意地汚く、貪欲だろう。
それに知識も違う。
しかし。
(……自分よりも年下の奴に舐められるのは耐えきれねぇっ!!)
そのエデンの気持ちが痛む身体を奮い立たせた。
「はぁ、はぁ、はぁ…撒いた、だぜ?」
「舐めるんじゃねぇっ!!」
ドコッ
大通りとは違う裏道。
所謂、闇市が多くある、犯罪が跋扈する通り。
大きな布を被った奇妙な語尾をした者が、後ろを振り返った瞬間、エデンは息を切らしながらその者を殴る。
「っ!?」
「はっ! 俺のを盗むからこうなるんだよ!!」
その者は大きく尻餅を着き、痛そうに腰をさする。
エデンはその隙に、その者に馬乗りになって胸倉を掴む。
「早く俺の! って…何だ、まだ全然ガキじゃねぇか?」
「っ!」
胸倉を掴み上げた時、その者の布が大きくずれ顔を露わにする。
真っ白な髪が少し煤け、澄んだ空の様な蒼い輝く大きな目、整った高い鼻。唇はプルプルと震えている男。
孤児にしてはあまりにも綺麗な顔立ち。しかし、それとは正反対な汚れた格好。
「邪魔です、だぜ!!」
その顔をじっと見ると、幸か不幸か、その者が振るった拳が包帯を巻いていた腕に当たる。
エデンがそれに身体を強ばらせた瞬間に、上手く股を抜けられる。
「なっ! 待て!!」
そしてその去り際、相手の大きな布を掴む。
するとそれが脱げ、その者の全容が露わになる。
「は?」
その者の布の下は、言動とは裏腹と言った様な、装飾が凝った赤いドレスが着せられていた。孤児では絶対に着ない様なドレスを。
しかし所々汚れているし、貴族のような振る舞いではない事から、それも貴族から盗んできたのかと言う想像がついた。
男がドレスを着てる事もどうでもいい。
エデンはーーー此処で見逃したらもう一生捕まえられないかもしれない! と布を投げ捨て、決死のタックルを仕掛ける。
「おらぁぁぁっ!!」
「ぶふぅ、だぜ!?」
その者の腰に上手くタックルを決めたエデン。相手は、顔を地面に擦りさせながら倒れ込む。
「もう逃がさねぇぞ!」
エデンはもう一度、その者に馬乗りながら叫んだ。
「早く俺の小袋を返しやがれ!」
「…はぁ。何をこんな小袋に必死になってんだぜ」
そう言うと、呆れた様にして小袋を出す。
そして。
「こんな小袋いらない、だぜっ!」
その小袋を下水道の上へと投げられる。
下水道に落ちたら探すのはほぼ不可能と見て、エデンは咄嗟に落ちる前に掴もうと飛びつく。
空中で華麗なキャッチをするエデン。
しかし。
「って!? これ普通の!?」
「じゃ! これはいただいて行きます、ぜ?」
それはただの小袋。
似ている焦茶で白い紐が付いているが、まるっきり違う物で、そこら辺に落ちている様な袋だった。
エデンは下水道へと落ちて行く中、その者が笑顔で走って行く姿を見て、無念さに唇を噛み締めるのだった。
*
「これは……」
「だから本当だって言ったじゃないですか!?」
「アイツがロランを殺したのよ!! アイツが不意打ちで襲い掛かって来て!!」
スイはガルードとユーナに連れられ、路地裏へと来ていた。
そこには、血まみれで倒れているロランの姿があった。
(まさか本当に…)
うつ伏せで倒れているロランさんの生死を確認して、仰向けにすると、腹部に小さな刺し傷があった。ちょうどエデン君が使っている果物ナイフぐらいの大きさの…。
「…本当に不意打ちだったんですか?」
「そ、そうよ!」
ガルードもそれに頷く。
(…怪しい……けど、今はそれを信用するしか…)
スイは暫く目を瞑り考えると、顔を上げる。
「…分かりました。Gランク冒険者、エデンを殺人の容疑で捜査させて貰います」
そう言った瞬間、2人が小さくガッツポーズをする。気付かれていないとでも思っているのか、しかし、この2人を追い詰めても本当の事は言わないだろう。
(エデン君を探して事情を聞かないと…)
スイは2人を訝しげに見ながら、そこを後にし、街の警備へと連絡をするのだった。
*
「え、売れない?」
闇市のある店の前。小汚いドレスを着たその者は、小さな袋を片手に若い男の店主と向かい合っていた。
「あぁ。マジックアイテムなら兎も角、こんなのただの袋じゃねぇか」
「はぁ!? この装飾の良い真っ白な紐が見えないの、だぜ!?」
「あぁ? 真っ白? こんな何処にでも落ちてそうな物買い取れる訳ねぇだろ? それよりもお前が着ているそれ、売る気はねぇか?」
「もういい!!」
下卑た笑みを浮かべながら見る店主に私はそう言って、小袋を腰に付けそこから離れた。