第2話 力の渇望
腹が減りすぎて意識が朦朧とする中、ゆっくりとした足取りで路地裏から出る。
視線の先には何処か高そうな服を纏った、羽振りの良さそうな金髪で色白な子供が居た。
服は真っ白な汚れ一つないローブに、裾に金の獣の刺繍が施されていて、周りには沢山の買い物をしたであろう箱が置いてあった。
「じゃあそれとそれ! それも貰おうか!!」
骨董店で何にでも指を差しては買っている。
どれだけの金を持っているのだろうか。
恐らく彼の着ている服は、自分の全部を売り払っても足りないだろうと直ぐに想像がついた。
あんなに幸せそうに買い物をしている。年も変わらないであろう者が。
それが次第にエデンの不満を募らせた。
(俺が今までどれだけ必死にっ…!!!)
自然と強く拳を握る。
服など小さくならなければ変えずに、雨水で水洗いして使い回す。
今まで1度に2つの商品を買った事などない。
骨董店なんて生きる為に必要じゃない物、買う必要なんてない。
それを買った所で誰か生き返るとでも言うのか。
「それも貰うぞ!!」
エデンはその言葉を聞き、一気に子供との距離を詰める。
「むっ? 何だ?」
その子供が振り向いた瞬間、首に掛かっていた金のネックレスを引きちぎる。
「むっ!」
直ぐに踵を返し路地裏へ向かって走る。
背後から驚いた様な声が聞こえた。
しかし、止まれば何もかも終わる。
そう思って走ったが、エデンの顔がいとも簡単に地面へと着けさせられた。
「ルドルフ様。この者どの様に致しましょう」
その付き人だろうか。
メイド服をひらつかせた、赤髪ショートの20歳も届いていないであろう、気が強そうな女性に、素早く両腕を掴み足を払って地面に伏せられた。
「……離してやれ」
「し、しかし…」
「…」
金髪の子供が膝を突き、近づく。
「私ので良ければ持って行ってくれ」
子供は憐れむ様に眉を八の字に歪めて肩に手を置くと、笑って離れて行った。
トン
エデンは女性の手から逃れると、ネックレスを持った手で地面を叩いた。
とても弱々しい音だった。
身体を痛めている所為か、力が無い所為か、それとも見ず知らずの地位の高そうな子供に憐れみの表情で同情された所為か。
答えは明白だった。
(何て…何て無様なんだ俺は…あんな小さな子供にまで同情されて…)
エデンの正確な年齢はわからない。
しかし、自分で年齢を数え始めて10年。あの子供よりは歳上だった気がした。
自分よりも歳下の子供にあんな顔をされたのは初めて、しかも憤怒する訳ではなく、冷静に対応された。
「おい、あの子供アレだろ? あのお荷物冒険者」
「そうそう。あの子、遂に犯罪にまで…しかも相手の外見から貴族じゃない。許してくれたから良かったものの…」
「いや、良かねぇだろ。犯罪は犯罪だ」
「それにしても情けねぇ、あんな小さな子供から盗もうとするかね? しかも捕まって許されるって、俺なら死にたくなるね!」
騒ぎを聞きつけ集まった人々が、距離を縮める事なく此方を見る。
ヒソヒソと笑いながら話をする人々に、自分がどれだけ情けない状態なのか再認識させられる。
(……俺だって…やりたくてやった訳じゃ…)
心の中で否定するが、それはもう遅かった。
やったのと、やらなかったのでは大きな違いがある。
(……此処にいても話の的、まずは此処から離れないと)
四つん這いから、立ち上がろうとする。
すると。
「よぉ、お荷物! 何かお前やらかしたらしぃなぁ?」
ニヤニヤと悪い表情を浮かべながら、買い物途中だったのか、大きなカバンを持ったロランが近づく。
それにエデンは反射的に俯く。
「…別に」
「嘘つけよ!! 聞いたぜ!! 貴族の子供からスリしたんだってなぁ!?」
分かっていながらも聞いてきていたのだ。性格がひん曲がっている。
「俺も見たかったぜ!! お前が使用人に捕まってる姿をよ!?」
…うるさい。
「その次は奪った本人から情けでスリを許される!? カァーッ!! 情けねぇ!!」
ロランは空を見上げて、顔を手で覆う。
「うるせぇっ!!!」
エデンは顔を上げ、ロランを睨む。
「何だ逆ギレかぁ? 本当に情けねぇなお前は?」
「っ!!」
耐えられなかったエデンはロランへと飛び掛かった。
その日の夜。
ディンバラのある路地裏。路地裏一杯にゴミが散らかっていた。
その一角。ゴミが大量にある、その山から一本の足が突き出されていた。
「うっ…」
ゴミの山が崩れて、中から顔を腫らした赤髪の少年が出てくる。
「くそ…」
エデンは痛む身体を動かして、立ち上がる。
あれからロランに盛大にボコボコにされ、警備が近くに来ると、わざわざ路地裏までエデンを連れ去り、またボコボコにされた。
手の中にあった金のネックレスは殴られている内に奪われていた。
エデンはゆっくりと空を見上げる。
(結局は爺さんの言う通り、か)
爺さんが毎日の様に言ってた言葉が改めて胸に刻まれた1日だった。
悪い事をしたら自分に返る。それ以上返ってくるのなら言って欲しい。
エデンは大きく息を吐いた。
そして、それと同時にエデンの胸には火が付いていた。
「1人で…生きていける力が欲しい…」
痛む身体の中、呟く。
誰にも頼らず、1人でお金が稼げる様になりたい。誰にも縋らずに幸せな生活を送れる様に強くなりたい。
(……強くなりたい…!!)
そう思ったエデンは痛む身体、お腹の減った腹を無視し、自分の唯一の武器である果物ナイフを携えてダンジョンへと向かった。
夜のダンジョンは、太古の英雄達の敵であった悪魔が魔物を手助けする為に魔力を魔物に補給していると言われている。
だから夜と言うのは魔物の動きが活発になり、誰もが近づかない。
1人でダンジョン前に来ていたエデンは、自然と足がすくんだ。
「こ、此処はフロートダンジョンだ!! 夜の魔物だとしても大丈夫! 大丈夫だ!!」
すくむ足を叩き、自分を励ます様に言い聞かせる。
エデンは果物ナイフを片手に、ダンジョンへと警戒しながら入る。
夜と言ってもダンジョンの中は不思議と壁が光り、辺りを薄暗く照らしていた。
そしてゴツゴツとした岩肌が露わになっているダンジョンの中は、いつもと何ら変わりない。
「何だ、変わらないじゃないか」
少し警戒を解きながらも10秒程進むと、目の前に緑色で液体状の魔物、スライムが奥の通路から出て来る。
スライムはどのダンジョンでも出て来る、最弱の魔物。エデンは果物ナイフを前に構えて、スライムと対峙する。
「よ、よし!」
最初の頃、パーティーを探している時に1人でスライムと戦った時は、3時間もの接戦の上倒した。
だが、今日の俺は気合いが違う! 何より成長している筈! とスライムに飛びつき、錆びた果物ナイフを突き出す。
「ぐはっ!?」
しかし、スライムの伸ばした触手が胴体に突き刺さる。
エデンは知らなかった。
初心者ダンジョンと言えど、夜の、しかもダンジョンの魔物となると、レベルが段違いに上がる事を。
エデンの胴体に凄まじい鈍痛が襲う。
(こ、こんなに強くなるのか!?)
冒険者をやってる者にとって"夜、そしてダンジョンの魔物"と戦うのは相当な実力、準備が常識。しかし、何故エデンが知らなかったか。
Gランク冒険者が1人でダンジョンに潜る事等考えられていないからであった。
「く、くそっ!!」
エデンは気持ちを奮い立たせ、果物ナイフを構える。
しかし先程の痛みが尾を引き、足が前に出ない。
(に、逃げるか!? いや!! 逃げたらまた毎日あんな思いをする…俺は1人で生きて行くんだ!!)
次は安易にナイフを飛びつかず、スライムの様子をよく見る。
スライムも様子見なのか、ジリジリと近づいて来る。
「ーーっ! はぁっ!!」
しかし、身体からの痛みがスライムを強大な魔物と認識し、その重圧に堪え切れずに大きく果物ナイフを振り下ろす。
それと同時に、果物ナイフがスライムの触手によって払われ、その流れでまた腹に触手が突き刺さる。
先程よりも近距離で受けた攻撃は、身体をダンジョンの入り口まで飛ばした。
「ゲホ…」
うつ伏せで、ドロっと口から血と胃液が出る。
(やば…)
エデンはゆっくりと目を開ける。
逃げなければ。
その一言に尽きた。
幸いにもスライムの移動速度は遅い。
這ってでも逃げれれば…。
すると幸いにも近くに自分の武器、錆びた果物ナイフが落ちていた事に気づく。
それにゆっくり手を伸ばし、手に取る。
(これ使えば、もっと早く出れる…)
果物ナイフを地面に突き立て、その持ち手を引き、自分の身体を引き摺る様にして地面を這う。
(早く! 早く!!)
激痛を伴うが、命を落とす事と比べたら我慢出来た。
果物ナイフを突き刺しては、身体を引き摺り、抜いて、また突き刺すを繰り返す。
後ろ目で見ると、スライムが近くまで迫ってきていた。
もう少しで攻撃される! そう思いスピードを早める。
カチャ
その時、不意に果物ナイフを地面に突き刺すと何かの切れ込みにハマった。
しかし、今のエデンはそれを気にしている余裕は無かった。
急いで身体を引き摺る為、力を入れると、
ガチャッ
大きく何処か金属めいた音が鳴り響いた。
そして、
[ーーーダスド山、フロートダンジョンの鍵、果物ナイフが差し込まれました]
[これによりフロートダンジョン、隠し試練が達成されました]
[最奥の部屋へと転移します]
「…は?」
何処からともなく声が響き、エデンの周りのダンジョンの床が光る。
そして光が一層増すと、エデンはダンジョンの入り口付近から消えた。
そこに残ったのはスライムのみだった。