監禁させてくれと見合いの席で言われた令嬢の話
ここは王都にあるクラウス伯爵邸。
その庭園に建てられた四阿の中で、わたくしことクラウス伯爵家の末娘であるクリスティアーネは、一人の若い男性とお茶をしていた。
雲一つない好天ながらも暑くはなく、吹く風はとても優しい。
屋外でお茶をするには絶好の日よりと言える。
わたくしは侍女が入れてくれたお茶に口をつけた。
ああ、たまらなく美味しい。
ホッと心が休まる。
今この四阿にいるのがわたくし一人であればよかったのに。
そうだったなら、もっともっと心休まる癒しの時間になっていただろうに。
そんなことを心密かに考えながら、テーブルを挟んだ正面に座る男性に、わたくしはチラリと視線を向けた。
彼の名はギュンター・リーベルス。王族との繋がりも深い名門中の名門、リーベルス侯爵家のご当主様だ。
十九才のわたくしより七才年上という若さでありながら、既に爵位を継いでいるその理由は、数年前にご両親が楽隠居することを希望したからだという。
父親である前侯爵曰く、息子の方が当主として有能だから、であるとのこと。
事実、ギュンターが継いでからの侯爵領は、破竹の勢いで発展を続けている
やれ銀山を発見しただとか、新しい特産物の販売ルートを確立させただとか、寒さに強い麦の開発に成功しただとか、冒険者ギルドを積極的に支援したことで希少な素材が手に入りやすくなっただとか。
他にも色々あって、リーベルス家の資産は右肩上がりに増え続けているらしい。
またギュンターは当主としての才能に溢れているだけでなく、見た目もとんでもなく麗しい。
艶やかな黒髪と薄紫の瞳を持つギュンターは誰もが認める美男であり、数多の貴族令嬢たちからの思慕を一身に集める存在でもある。
さて。
そんな人気者のギュンターが、なぜ我がクラウス伯爵邸にいて、しかも庭の四阿でわたくしをお茶などしているのか。
その理由は、わたくしたちが只今お見合い真っ最中だから。
ちなみに、わたくしがギュンターに会ったのは今日が初めてのこと。
ついさっきまでは客間で両親も一緒に歓談していたのだけれど、母からの「少し二人だけでお話してみてはいかが?」という鶴の一声で、わたしくたちは庭に出ることになった。それでこうやって二人だけでお茶をしているというわけだ。
それにしても、どうしてギュンターはわたしとお見合いすることを希望したのだろう。いくら考えても理由が分からない。
クラウス家とリーベルス家が縁づくことで、政治的になにかが有利に働くということは皆無だ。両家の領地は遠く離れているし、事業で共同展開できそうなものもない。
とはいえクラウス家側にとってだけで言うと、王家にも顔が利く名門リーベルス家と縁戚になれることは利点しかない。
しかし、リーベルス家側にとっては、クラウス家と縁ができることに一切の得がないはずなのだ。
それなのに今回のお見合いはリーベルス側からの打診あってものだというから、わたくしの頭の中がクエスチョンマークで溢れたのも当然だと思う。
だってこんなこと、あり得ないもの。
政略的な意図がなく、それでもお見合いを打診してきたということは、それはつまり、ギュンターがわたくしを伴侶として望んでくれているということに他ならないのだから。
そんなこと、あり得ると思えて?
正直、喜ぶよりも警戒してしまう。
なぜわたくしなの?!
これまで話したこともなければ、会ったことさえなかったのに!
だってわたくし、生まれてからこれまでずっと領地にいたし。
今回のお見合いのために、初めて王都に来たくらいだし。
そりゃあわたくし、見た目だけは超一級品だと言われたりもするけれど。でも他には取り柄なんてまったくないし。
わたくしのなにがギュンターの琴線に触れたのか、皆目見当がつかない。
そんなことを考えながら、わたくしが手元のティーカップを見つめていると、それまで無言だったギュンターが淡々とこんなことを言い出した。
「わたしは昔から愛がかなり重いタイプでね。愛する人には他の男と一切話をして欲しくないし、その人が他の男を視界に入れるだけでも嫌なんだ」
…………は?
なに言い出した、この人。
とは思ったけれど、わたくしは小さく「そうですか」と相槌を打つにとどめた。
ギュンターの話が続く。
「どうしても嫉妬してしまう。愛する人の瞳がわたし以外の男を映すだけで嫌な気分になるし、怒りがこみ上げる。もちろん束縛も激しい。愛する人とはいつだってどこでだって一緒にいたいし、できれば一秒たりとも離れたくない。永遠にわたしの手の内にだけいて欲しい」
「…………」
「この気持ちが愛する人に不自由を強いることは分かっている。けれどその代わり、他のなによりも大切にするし、持てるすべての力を使ってあらゆる脅威から守るつもりでいる、いや、守ってみせる。わたしの命をかけて愛するつもりだ。もちろん、死が二人を別つまで。いや、別たれてさえも」
「…………」
「そんなわたしが、クリスティアーネ嬢、あなたに伝えたい言葉はこれだけだ。どうかわたしと結婚して欲しい。あなたのことを生涯監禁させてくれないか」
「…………」
くれるわけあるか!
嫌に決まってんでしょうが!
なに言ってんの、この変態野郎!!
どんなプロポーズしてくれてんのよ!!!!!
顔がいいからってなに言っても許されるわけではありませんのよーっ!!!
そんな心の叫びを押しとどめ、わたくしは表情を変えないまま――淑女教育万歳! ――ギュンターを見た。
その表情をからは、彼に嘘や冗談を言った様子は見受けられない。
ということは、さっきのプロポーズは彼の本気の言葉ということになる。
とても残念だ、できれば冗談であって欲しかった。
「あの、 リーベルス侯爵様。侯爵様はわたくしのことが好きなのですか? だから結婚して監禁したいと、そうおっしゃっているのですか? でもだとすると、わたくしたちは今日初めてお会いしたのに、いつどこでわたくしを見初めて下さったのですか?」
「ああそうか。クリスティアーネ嬢は知らないのだな」
意味深なことを言った後、ギュンターがなにかを思い出すような表情をした。
うっ、なにやらすごく嫌な感じがする。
本当は嫌だが、勇気を出して訊いてみることにした。
「あの、わたくしがなにを知らないとおっしゃっいますの?」
「二ヵ月ほど前のことだ。あなたのご両親と夜会で一緒になったことがあってね。その時に、あなたのお父上がご友人に話していた内容が、偶然近くにいたわたしの耳に入ってきた」
その内容とは、末娘であるクリスティアーネはこの世のものとは思えないほど美しいが縁談はもう諦めた、という内容ものだったという。
本人に結婚願望がないものの、親としてはやはり結婚して幸せな家庭を築いてもらいたいと思い、婚約者がいない年頃の令息がいる貴族家に、片っ端からクリスティアーネの釣書と絵姿を送りまくった。
すると、クリスティアーネの美貌に魅せられた令息やその親から、婚約を希望する手紙が山のように届いた。
そのすべてに伯爵は返事を送った。そこにはこんなことが書いてあった。
クリスティアーネは内気で消極的な性格をしている。なので婚約以後永遠に社交を強いることを禁止とする。
また結婚するなら正妻として以外は認めない。婚姻後に第二夫人や愛人を持つことも禁止。生涯クリスティアーネだけを愛すること。
この約束を守ると誓えない者にクリスティアーネを嫁がせることはできない。
結婚後に約束が反故にされた場合、慰謝料の支払いとクリスティアーネとの即刻離婚を受け入れることを契約してもらう。それができないのなら婚約も結婚も認めない。
すると、すべての貴族家から婚約を諦めるとの返事が届いたらしい。
「それで伯爵はあなたの結婚相手探しを諦めることにしたそうだ。あんな条件を出すとは、あなたはお父上にとても愛されているのだな」
「…………」
お父様ったらわたくしの知らないところで、なにしてくれてやがりますの?!
「その話を聞いて思ったのだ。社交が苦手で家に閉じこもりたいとは、わたしにとってなんと都合のいい令嬢だろうかと。とりあえず、伯爵がばらまいたというあなたの絵姿を部下に命じて手に入れさせた」
いくら溺愛しているとはいえ、さすがのお父様も下位貴族だけにしかわたくしの釣書を送らなかったらしい。最低限の常識があってなによりだ。
「なんとか手に入れた絵姿のクリスティアーネ嬢を見た瞬間、あまりの美しさにわたしは一目で魅せられた。それで一度会ってみたいと思い、今回の見合いの席を設けてもらったのだ」
そ、そうだったんだ……。
「わたしはあなたを気に入った。だから先ほどプロポーズしたのだが……返事をもらう前に、ひとつ質問に答えて欲しいことがある」
「どういったことでしょう」
「こうして会って話をしてみて、わたしにはあなたがそれほど内気で消極的とは思えない。現にこうしてわたしとの会話が普通に成り立っている。それなのに、なぜかたくなに社交を嫌がる? わたしとしては都合がいいが、なにか理由があるのだろうか。若い令嬢でありながら結婚願望がないのはなぜだ」
「それは……」
問われたわたくしは、幼い日の嫌な出来事を心に思い浮かべたのだった。
あれはわたくしが六才になったばかりのことだ。
第一王子殿下の婚約者選定のためのお茶会に、光栄にもご招待いただいたのだ。
初めて王子様にお会いできる喜びと城に入れる嬉しさで、無邪気に胸をワクワクさせながら幼いわたくしはお茶会に参加した。
するとその席で、わたくしは殿下にいたく気に入られてしまった。
「うわぁ、君、すごくかわいいね」
「ありがとうございます、殿下。とても嬉しいです」
わたくしがにっこりと笑うと、殿下はかわいらしく頬を赤く染めていた。
周囲の令嬢たちは、殿下のわたくしへの好意にすぐに気付いた。そして、皆で結託してわたくしをイジメ始めたのだ。
大人の目が届かないところで、わたくしは髪を引っ張られたり足を踏まれたり転ばされたりした。ドレスをお茶で汚されもしたし、最終的には噴水に突き落とされてしまった。
気が付けば、わたくしは全身びしょ濡れで髪はボサボサ。とても惨めで汚らしい姿になっていた。
そんなわたくしの姿を見て、殿下は眉をひそめた。
「君ってここにいる令嬢たちの中で一番かわいいのに、信じられないくらいドジなんだね。ちょっと呆れたよ。未来の王妃になるのは無理そうだ。悪いけど、僕の婚約者になるのはあきらめてね」
手の平を返したように冷たい態度をとる殿下に、わたくしは唖然とした。
その後の発表により、殿下の婚約者にはわたくしを噴水に突き落とした令嬢が選ばれたと知った。
それ以来のことだ。わたくしが社交嫌いになり、同時に結婚願望をも失ったのは。
令嬢たちと二度と関わりたくなくて領地に引き籠るようになったのも、あの茶会がきっかけだ。平気で人を傷つけることのできる人たちとは、二度と会いたくなかった。
だから王都の貴族学院にも入学しなかった。勉強はすべて優秀な家庭教師たちに領地で教えてもらった。
「なるほどな……」
わたくしの話に黙って耳を傾けていたギュンターが、痛ましそうにわたくしを見つめる。
「そんなことがあったのか」
「本当はわたくし、特別内気なわけでも消極的なわけでもありません。ただ、あの茶会で貴族の恐ろしさを知りました。なので社交は絶対にしたくありませんし、できれば生涯屋敷の中に閉じこもっていたいのです」
そう、わたくしは内気で消極的な性格をしているのではない。貴族社会に対して内気で消極的な姿勢をとっているだけなのだ。それをこれからも続けるつもりでいる。
けれど、そんなわたくしは。
「貴族の令嬢としては欠陥品ですわ」
「幼い時にそんな酷いトラウマを植え付けられたのだ。あなたが人間不信になるのも無理はない」
そう言うと、ギュンターは自らの手をわたくしの手の上にそっと重ねた。
その手から伝わる温もりに、わたくしの胸が小さく波打つ。
「わたくしは結婚をせず、一生領地から出ないつもりでおりました。社交もできない女など、嫁にもらっていただいても相手にご迷惑をおかけするだけですから」
自虐的なことを言いながら悲し気に笑うと、そんなわたくしをみつめながらギュンターがゆっくりと首を振った。
「迷惑などかからない。それどころか、やはりあなたはわたしの理想の人だ。ドレスやアクセサリーや夜会のことしか考えられず、多くの男たちに媚びを売ってばかりの身持ちの悪い令嬢たちとはわけが違う」
ギュンターは椅子から立ち上がると、その長い足を動かしてわたくしの傍までやってきた。そこで片膝を床につき、わたくしに向かって右手を差し出す。
「クリスティアーネ・クラウス嬢、やはりあなたしかいない。どうかわたしと結婚してくれないか」
わたくしを見るギュンターの薄紫の瞳には、紛 うこと無き情愛が浮かんでいる。美しい彼のプロポーズするその姿は、さながら恋愛小説のワンシーンのようにわたくしの目に映った。
ドキドキと胸が高鳴る。
思わず「はい」と即答しそうになったところで、ハッと平静を取り戻した。
いやいやいや、危ない危ない危ない!
危うく場の空気に流されてしまうところだった。
ギュンターからの求婚を受けるということは、すなわち監禁を承諾するということ。しかも生涯ずっと、だ。
死ぬまで監禁され続けるなんて、そんなの絶対にイヤ―――ッ!!!!!
と心の中で叫んだところで、ふと考える。
わたくしの希望は屋敷内での引き籠り生活。
趣味は読書と刺繍であり、社交嫌いで人間不信気味だから、外に出ることなく屋敷の中で静かに暮らしたいと、これまでずっと思ってきた。
それを踏まえて考えると、ギュンターとの結婚生活はわたくしの理想そのものなのではないだろうか。
なによりギュンターは顔が良い。
わたくしの理想そのものと言えるほどの美男子だ。
更には名門リーベルス侯爵家の現当主であり、賢く有能で、お金だって掃いて捨てるほど持っている。
これほどまでに最高級の男に愛され、大切にされ、守られる生涯を送れるだなんて、実はそれこそが最高の幸せと言えるのではないだろうか。
執着されて束縛されることは、そんなに嫌なことだろうか。
いやむしろ幸せなことのようにわたくしには思えてしまう。
こんなに素敵な男性から、好きだ愛していると言葉でも態度でも常に示されるなんて、それは女として最高の喜びと言えるのではないだろうか。
よそ見する隙も与えないほど愛してもらえるなんて、どう考えても至福だ。
そう考えると……あら?
もしかしてギュンターとわたくし、とってもお似合いの夫婦になれるのではなくて?
と思いつつも、確認したいことが一つだけある。
「侯爵様、返事の前に教えて下さいませ」
「なんだろうか」
「監禁とおっしゃいますが、それは部屋に閉じ込められベッドの上で身動きとれないように鎖で繋がれるとか、そういったことをされてしまうのでしょうか。だとしたら、それはさすがに……」
困った顔のわたくしを見て、ギュンターが目を細めた。
「大袈裟に監禁といったが、実際には軟禁のようなものだ。屋敷の敷地内から出ないでくれればそれでいい。外に出て男たちの邪な目にあなたが映らないでくれれば、それでかまわない。あなたの瞳にわたし以外の男の姿が映らなければ、それでわたしは満足できるのだ」
欲しい物があれば外商を呼びつけ、いくらでも買っていい。外に出ること以外で不自由をさせるつもりは一切ない。そうギュンターは言ってくれた。
「わたしがあなたに求めるものは二つだけ。わたしだけを愛し、わたしからだけ愛されること。それだけだ」
「でしたら」
ギュンターの差し出した手に、わたくしはそっと自分の手を乗せた。
「どうか、わたくしをあなた様の花嫁にして下さいませ」
目元をわずかに赤らめたギュンターが、わたくしの手の甲に口付けた。
「必ず幸せにすると約束する」
「はい、わたくしも侯爵様を幸せにすると誓いますわ」
わたくしとギュンターは微笑みながら見つめ合った。
こうしてわたくしはギュンターの婚約者になった。
一年後には二人だけの結婚式を挙げて、リーベルス侯爵夫人となったのである。
ギュンターは約束通り、わたくしを社交界には一切出そうとしなかった。本来わたくしがするべき社交は、すべてギュンターがしてくれた。
だからその代わりに、わたくしは領地運営の手伝いをすることにした。といっても、屋敷内でできる書類の作成や確認、帳簿のチェックくらいなものだけれど、それでも忙しいギュンターはとても喜んでくれる。
「昔わたくしをイジメた令嬢たちと会うのが嫌で貴族学院には入学しませんでしたが、これでも勉強は得意としておりました。家庭教師をして下さった先生方からは、もし貴族学院に入学していたら間違いなく主席卒業できたはずだと、お墨付きをいただいたほどです」
「そうか、さすがわたしのクリスティアーネだ」
そう褒めながら、ギュンターがわたくしの頬にキスしてくれた。
とても誇らしい気持ちになれる。
「結婚せずに領地で父や兄の手伝いをして生きていくつもりでしたから、領地の運営についての知識も学んでおります。ですからどうか安心してわたくしにお仕事を手伝わせて下さいませ。旦那様の助けになれれば、それこそがわたくしの喜びですもの」
「ああ、クリスティアーネ」
ギュンターがわたくしを強く抱きしめる。その胸の広さと温かさに、幸せと安らぎを感じずにはいられない。
わたくしが上を向くと、すぐにギュンターが口付けてくれた。
甘い甘い口づけを、何度も何度もしてくれる。
「旦那様、わたくし、とっても幸せです」
「わたしもだ。あなたが共にいてくれれば、それだけでわたしは生涯幸せでいられるだろう。愛している、心から」
「わたくしも同じ気持ちですわ」
初めてお会いした見合いの席で生涯監禁させろなんて言われた時には、とんだ変態野郎が現れたと戦々恐々したものだ。
けれど、ギュンターがわたしを求めてくれたから、見合いを望んでくれたから、わたくしたちは出会い、その後本物の愛を育むことができたのだ。
ありがとうございます、旦那様。
あの時の約束通り、これからもわたくしはあなただけを愛し、あなたからだけ愛されることを誓います。
執着と束縛、されるのが好きな性格で本当に良かった。
おかげでこんなにも幸せになれたのだから。
きっとこの幸せは永遠に続くだろうと思いながら、愛する夫の腕の中でわたくしはそっと目を閉じたのだった。
End
読んで下さって感謝します。
ありがとうございました!!
 




