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ボディ・リメイカー

作者: 雅樂 多祢

私は身体を新調した。

肉厚なお腹に図太い足、薬でもやっていたのか注射痕だらけの腕。これが私の新たな肉体。

覚悟を決めてきたはずだったが、鏡を見た途端どうにもやるせない気持ちでいっぱいになった。


身体と魂の分離が実現して、二百年。身体の取引が政府に公認されて、五十年。我々の価値観は一新された。若さも運動神経も美貌も、全てがお金で解決出来る時代。大富豪達は金に物を言わせ、自らの身体を更新するようになった。その需要に目をつけて広がったのがボディ・リメイカーという仕事。つまるところ、私の仕事だった。


手術後のリハビリを受けながら私は、深い溜息をついた。

想像以上に重い肉体、手術前のそれとのギャップに苦しくなる。この手術はこれで四度目だが、何度やってもこれは、慣れる気がしなかった。姿見に映る疲れ切った顔。どこをどうすればここまで身体を酷使できるのか、この身体の前の所有者に問い詰めたかった。


リハビリを終わらせ、病院を後にする。自動ドアを抜けた先に広がるのは新市街地。建物も道路も、全てが白一色に統一されたこの都市は、私にはあまりにも潔癖すぎた。

半ば逃げ出すように私はバイクを走らせる。横目に映った歩行者達は、誰も彼も、気持ち悪いほどに整った顔をしていた。

路地を抜けて、幹線道路に出る。周囲には白い卵形の自動運転車。彼らにとって旧型車両は珍しいのか、ガラス越しに視線を感じる。私はそれを避けように、バイクを加速させた。


新市街地を出てから二時間後、私はようやく家に辿り着いた。

「ただいま」 

いつもの玄関に響く、いつもとは違う私の声。身体が横に大きくなったせいか、室内がとても窮屈に感じた。

「お帰り」

奥から聞こえたのはノリの声。何気ない言葉だったが、その言葉の端々から、彼の不安な感情が読み取れた。

 

狭い部屋に安っぽいダブルベッド。小さなテーブルを挟むように座るノリと私。テーブルの上には、日頃、滅多に飲むことがない酒がズラリと並んでいた。

「また、ブサイクになったな」

ノリは私から目を逸らしながら言った。

「仕事だから」

私は言葉が震えないように注意して、機械的に返した。

「お前まですることはなかった。こんな仕事、させたくなかった」

そう、吐き捨てるように言ったノリは、グラスの酒を一気に飲み干した。

「こんなクソみたいな仕事、やるのは俺だけで良かった。お前はもとのお前のままでいてくれれば、それだけで俺は、幸せだったんだ」

今まで何度も聞いてきたノリの言葉。今となってはただ、私の虚しさを倍増させるだけだった。

「そんなの、勝手過ぎる。ノリばかり辛い思いするのを見過ごせるわけない」

私はノリを睨み付けた。

「俺はいいんだよ」

諦めたように言うノリ。そんな彼の姿に、私は無性に腹が立った。

「いいわけないじゃない」

テーブルを叩き付け怒鳴る。そんな私の姿を見て何を想ったのか、ノリはもう何も言わなかった。

横たわる沈黙。ノリはもう目すら合わせようとしない。

酔えない夜。憂鬱な空気が重たかった。

背中合わせで横になる二人。パートナーの昔の姿に想いを馳せながら、彼らは静かに眠りについた。



私達の仕事はボディ・リメイカー。主な業務内容は、安く身体を仕入れ、身体を再調整し、高い金で出荷すること。そのため、私達の生活は誰よりも健康的であることが求められる。身体こそ資本なのだ。

 

トントントン。

朝七時の部屋に響く、軽やかな包丁の音。

ノリはいつも通り、早朝からランニングに出かけた。私はノリの帰宅に合わせて朝食を作っている。この後一緒に食べたら、皿洗いをノリに任せて、私は身体慣らしのためのウォーキングに出かけることになるだろう。適度な運動とバランス良い食事、それが質の高い身体を作る為の基礎なのだ。

だが、なぜか今日はいつもと違った。ノリの帰りがいつもより遅いのだ。家から出てもう既に二時間は経っている。冷めてしまった味噌汁。とっくに食べ終えた自分の分の食器を水につけると、私は外に出た。 


ノリはいつも勝手だ。どんな重大なことも私に相談することはなく、さっさと決断して、突っ走っていく。例えば、ノリが初めて身体を売ってきた時、あの時の私の感情を言葉にすることは難しい。怒りだとか悲しみだとか、そんな無数の感情が暴れ回って、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、もう泣きわめくことしか出来なかった。

そんな風に全てを自分独りで抱え込んで解決しようとするのが、ノリの悪い癖。ほんと、危なっかしくて放っておけなかった。


『今どこにいるの?』

『いつ帰るの?』

メッセージを送るが、未だに返事はない。それどころか、既読すらつかない。ノリはいったいどこで何をしているのだろうか。

ぷるるるるる、ぷるるるる。

もう三度目になる通話の試み。しかし、電話は一向に繋がる気配がなかった。

空を覆う分厚い雲。道路脇に積まれたゴミ袋を漁っていた黒猫が、私を威嚇する。

何かが起こっている、というハッキリしない焦りが、私の心を支配した。


旧市街地は治安が悪い、それが現代の常識。

新市街地の人々から課される重税によって経済的に苦しんでいる住民達が多く、生きるために仕方なく強盗事件や殺傷事件に手に染めた、なんて話もここでは珍しくなかった。皆、生きる事で必死だった。


いつまで経っても連絡がないノリ。何かしらの事件に巻き込まれた、そんな予感が頭をよぎった。

送信履歴に並ぶノリの名前。不安材料ばかりに目が行き、頭が痛くなった。


いや、きっと大丈夫。変なこと考えてどうするの。

最近は新市街地から治安維持部隊が派遣されて、少しは旧市街地も安全になった。だから安心、ノリは大丈夫。その筈。

そう自分に言い聞かせ続けることしか、今の私に出来ることはなかった。


ぷるるるるる、ぷるるるるる。

もう何度かけたか、私にも分からなくなってきた。貯まっていく着信履歴。不安に押しつぶされそうになったその時、唐突に通話が繋がった。

「――――」

「え?」

聞こえてきたのはノリではない誰かの声。

しかし、なぜか私は、その声を聞いたことがある気がした。



通話相手は私に居場所だけを告げると、すぐに通話を切った。

明らかな異常事態。居ても経ってもいられなかった。

私は不慣れな身体のせいで何度もこけそうになりながら、その言われた場所へ走った。

 

着いたのは旧市街地の裏通り。いつものランニングコースから大きく外れたこの場所こそ、通話相手が告げた場所だった。

「はあ、はあ……」

私は息を整えながら、周囲を見渡す。

滅多に日の光が入ってこない、薄気味悪い路地。道の両側には空調機が無造作に置かれ、五月蠅い音と独特な匂いで満ちていた。

私は当てもなく、ふらふらと路地の奥へと入っていく。すると、路地の突き当たりのところに一人の女がいるのを発見した。

「あ~、やっと来た来た」

こちらに気づいたのか、妙に親しげな感じで手を振る女。薄暗く、更には帽子もかぶっていたので顔がよく見えないが、服装からして治安維持部隊の人だと分かった。

「ねえ、ノリは? ノリはどこなの?」

焦って私は女に詰め寄った。しかしその時、私は足下に転がる何かに足を取られ、躓いた。

「痛っ」

勢いよく水溜まりに突っ込んだ私は顔をしかめる。

地面を着いた手には、どこか生ぬるく、気持ち悪い感触があった。

「あらあら、大丈夫?」

一連の様子を見ていた女は手を差し伸べてくる。私はその手を払いのけると、自分で立ち上がった。

女は静かに笑っていた。

「貴方、それの知り合いでしょ?」

女はつま先で、私が躓いたそれを指し示した。

それの知り合い? ――――え?

女が何を言っているのか、私にはよく分からなかった。

視線をゆっくりと、足下に転がるそれに向ける。

徐々に暗がりに慣れてくる目。明らかになってくる全貌。

路上に転がる何かの、その正体が、少しずつ、見え始めていた。

見知った服。見慣れた身体。さっきまで想っていた姿。

明確になっていく、ノリ。明後日の方向を向いた生気のない眼球。腹辺りからあふれ出した内臓。水溜まりのように広がった、血。血。血。血血血血血血血血。

堪えられるものではなかった。

あまりのことに、催した吐き気。胃の中の物全て、空になるまで出し尽くした。

ノリの遺体と自分の紅く染まった手を見比べながら、私は固まる。そんな姿を見てもなんとも感じていないのか、女は不気味なほどに親しげに、とても気軽な調子で、話しかけてきた。

「いや、こいつを殺したはいいけど、こんな所に放置すると邪魔でしょ? ほら、汚いし、臭いし。だけどワタシの部下達は今、別の仕事が忙しくて後片付け頼めないんだ~。だから貴方を呼んだのよ~」

「そんな……」

「あれ? 知り合いじゃなかった? けどそいつの携帯で設定された貴方の名前は――」

「なんで。なんで、なんで、なんで、ノリがこんな目に遭うのよ」

私は吠えた。怒りのあまり、話を遮って、私は女の胸ぐらに掴みかかった。しかしその寸前で、私のこめかみに冷たい何かがぶつかった。

「落ち着いてよ。貴方も殺すよ」

目にも止まらぬ早さで、彼女から突きつけられた銃。

さっきまでは微塵も感じなかった、女の本物の殺気に、私は恐怖した。

足腰に力が入らなくなって、崩れ落ちる。身体中がガタガタと震えていた。

女を下からのぞき見る。先ほどまでは帽子の影になっていて見えなかった女の顔が、ようやく露わになった。

「今回のこれは正当防衛だよ~。こいつがずっとワタシの後ろをつけてきてさ。裏通りに入った途端、掴みかかってきたから、ついつい反射的にやっちゃった~」

悪戯が親にばれた子どもみたいに、喋り出す女。その顔でこれ以上話して欲しくなかった。

「なんでなんて、ワタシのほうが聞きたいよね。本当、怖~い」

あり得ないほどに陽気なテンションで話す女。話し方も、声も、何もかもが私の心を揺さぶった。

「うん? そんなにワタシの顔を凝視して、どうしたの? お~い、聞いてる~?」

私はこの女の身体を知っていた。

 

二重のまぶた。

大きい瞳。

口元のほくろ。

艶やかな黒髪。

全てに見覚えがあった。

細身の身体に控えめな胸、長い足。

そこにいたのは間違いなく、ワタシだった。


「あれ~? ショックで壊れちゃったかな。まあ、後処理頼んだよ~」

そう言って、颯爽と立ち去る女。

私はもう追いかける気力すらなかった。

横たわるノリだったもの。

私はその傍らに座って、ただただ虚空を見つめるしかなかった。



ノリは何を想って、あの女を襲ったのだろうか?

昔の私の身体を取り戻そうとでも、考えたのだろうか?

今となってはもう、分からなかった。


冷たくなったノリを荷台に載せて、私はバイクを走らせる。

身体が壊れても魂さえ移し替えられれば、ノリは生きていけるはず。

そう考えた私は、新市街地の病院へと急行した。


「ノリを、ノリを助けてください。お願いします」

そう私は受付の人に頼み込んだ。しかし、彼らの対応はどこまでも事務的だった。

「金は?」

「は?」

「だから、金は払えるの?」

彼らはゴミを見るかの目をしていた。

「いい? 確かに、身体と魂の分離を行なえば、この世の全ての命を救えるかもしれないわ。だけどね、だからこそ私達医者は、救う命を選ぶようになったの。その基準が金。旧市街地民の貴方に、それが、払えるの?」

完全に馬鹿にするような物言いだった。

だけど私は、何も言い返せなかった。

私は無力だった。

 

あれから全ての病院を回った。しかしどこもダメだった。

旧市街地の知り合いに助けを求めた。しかし誰も彼も、他人にかまっていられるような余裕は一切なかった。

結局は金、金、金。

ノリが身体を売ったのも、私がこの身体になったのも、ノリが助からないのも、全ては金が無いから。もう、どうしようもなかった。

 



魂は身体という器を失うと、四十九日後にどこかへと旅立っていく。

その後の魂をつなぎ止めることは現代の技術力でも不可能。

これが今の常識。


私はベッドに横たわるノリの身体を眺めた。

腐敗し、虫が湧き、見るに堪えない姿になっていた。鼻につく異臭。もう、どうにもならないことを自覚した。

時計の針の音が、静かに部屋に響く。

ポケットから取り出したのは、治安維持部隊長官着任式のチラシ。

私はとても冷静だった。

キッチンの棚から包丁を取り出す。

私は何時になく冴えていた。



久々に外に出た。足取りは何時になく軽やか。るんるんるんなんて調子に乗るくらいにはハイテンションだった。

旧市街地の寂れた商店街も今日は着任式があるからか、珍しく活気づいていた。

バックを片手に、街を満喫する。歩く所々で思い出す、ノリとの出来事。出会い、協力、絆、涙、別れ。様々な記憶が、しけた街並みを色づかせた。

遠くから聞こえてくる、あの女の演説。私はサヨナラと、小さく呟いた。



旧商店街の中心、小さなステージの上であの女は話していた。

女が語るのは、旧市街地の明るい未来。

周囲に居る旧市街地の人々は誰一人として、女の掲げる政策を疑ってなどいなかった。

平和、安全、幸せを、ワタシの姿で説く女。聞く度に頭を過ぎる、血まみれのノリの姿。

ステージ上に立っているあいつがいかに狂った存在か、知らしめたいとすら思えた。

バックの中に手を入れる。私の覚悟はもう、決まっていた。



ステージと観衆との間に柵などは無い。そのため、ステージに向かって飛び出した私を遮る物など、ここには何も無かった。

寂れた街に響く、観衆の悲鳴。

包丁を構えて、私は駆け出した。

女と目が合う。女は私の予想に反して、とてもつまらなさそう顔をしていた。

 

直後、背後から聞こえた複数の銃声。

ひっくり返る私の視界。

反射的に出る、私のものとは思えない獣のような絶叫。

気づけば私の特攻は、群衆に紛れ込んでいた治安維持部隊に簡単に阻止されていた。

アドレナリンのせいか、私に痛みは無い。ただ燃えたぎるように熱いだけで、感覚は無かった。

私は動けと、そしてあの女を殺せと、脳から命じる。だが、一向に身体はその命令に答えようとはしなかった。

静まり返った会場。

女の足音が近づいてきた。

「返して……。ノリを、返して……」

なんとか出た声に力は無く、子どもの寝息のようにか細い。

「ふ~ん、貴方もあいつと同じ事を言うんだ」

そう呟いた女は、構えた銃で私の脳天をぶち抜いた。




ぷかぷかとした浮遊感があった。

温かな何かに包まれている気がした。

夢の中のような充足感。

このまま空へと連れて行ってくれるような安心感。

私はこの感覚を知っていた。


きっとこれは、身体と魂が切り離された状態だ。

それも手術の時とは違って、完全な分離。

どこまでも飛んでいけるような、そんな気がした。


空が綺麗だった。

どこまでも澄んでいて、美しかった。


もうこれでいいやとすら、思えた。



なのにどうしてだろう。

私は足掻く。醜く潜る。世界の流れに逆らった。

地上はあんなにもどうしようもない世界で、戻っても救いは無くて、それでも私は潜り続けた。自らの死は確定していて、それでも復讐を望むなんて馬鹿げているかも知れない。あの女を殺したところでノリは喜ばないかも知れない。この行為に意味は無いのかも知れない。それでも、私はワタシを許せなかった。


潜る潜る潜る。

地上に倒れ伏した私が見えてくる。

その身体の中へ、勢いよく私は突っ込んだ。

 

世界が一気に元に戻った。

四肢は打ち抜かれていた。だけど動いた。

頭は貫かれていた。だけどワタシだけは判断できた。

この時、この瞬間だけは、魂が身体を突き動かした。

落としていた包丁を拾い上げ、立ち上がる。

ワタシの顔が初めて歪んだ。

直後、周囲から放たれる無数の弾丸。

それら全てを無視して懐に入ると、私はその包丁をワタシの胸に突き刺した。

旧市街地に響くワタシのうなり声。

ぐちゃぐちゃな表情をして叫びながら地面を転がるワタシの姿。

私はとてもブサイクだと、そう思った。






ワタシは身体を新調した。

引き締ったお腹に細身の足、鍛えられた腕。これがワタシの新たな肉体。

しかし、あるはずのない心臓を貫かれた感触が、今もなお胸に残っている。


身体と魂の分離が実現して、二百年。悠久の時をワタシは生きてきた。若さも運動神経も美貌も、全てがお金で解決出来る時代。それにワタシは飽きかけていたのかも知れない。何もかもがつまらなかった。あの日までは。


死に直面した。

恐怖を知った。

あの瞬間だけは生を実感できた。


ワタシは笑う。この先に広がる旧市街地を見て。

治安維持部隊長官としてのお仕事、再開だよ~ん。

そしてワタシは、歩き出すのだった。


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