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モラトリアム

 私は追い詰められた気持ちで、一歩後退りをした。背後の扉は既に閉まっている。


「なあ、どうなんだ?」


 アントニオはすごく真面目な顔で問いかけてきた。


 なぜアントニオは9歳も歳上で、婚約者もいる私にこんなことを言うのか、その真意がさっぱりわからなかった。


 アントニオの母親と父親は揃って謀反を起こし、捨て置かれるようにこちらに渡された。きっと傷ついているだろうと、必要以上に甘やかした自覚はある。


 でも、アントニオと話すときはほとんどこの部屋だった。魔力を吸い取る装置がある。だから私は無意識にでも『魅了の瞳』を使っていない。


 私がアントニオに好きだと言われても、ではルカルディオ陛下と婚約破棄をして国外に行きましょうなんて答えないと賢いアントニオなら予想がつくに決まっている。


 こんな負け勝負をしかけてくるとは、相変わらず破滅主義が過ぎる。ある種の自傷かもしれない。


 いい加減、自分を大事にしなさいとアントニオに言って聞かせなきゃ。息を吸った私を牽制するように、先にアントニオが口を開く。


「その顔。私が本気じゃないと思ってるな?」

「えっ……ええ」

「前も言ったが本気だぞ。子供の幼い感情ではないし、あいつを挑発しようと言ってる訳じゃない。お前が言ったんだろう。私に意思がある、と。私の意思で好きだと言ってるのに何で信じてくれないんだ」

「それは……」


 そう言われるとまともに答えられないまま胸の鼓動ばかりが速まり、背中に汗まで感じた。過去の自分に殴られるとは思ってもみなかった。


 本気で言ってくれてるとしても、私はアントニオの好意に応じられない。こうなると年齢がどうとかではなく私にはルカルディオ陛下がいるからだ。


 アントニオを悲しませたりしたくないけど、どっちつかずの態度で、陛下を嫌な気持ちにもさせたくない。


「なんて、な」


 アントニオはくすっと笑った。


「か、からかってたの?」

「すまない、サーラを困らせて。本気だが、言っておきたかっただけだ。これで私の楽しい猶予期間が終幕という訳だ。この部屋で立ってるのは疲れるから座ろうか」


 いつの間にか固く握りしめていた私の手をアントニオはそっと取り、指を一本ずつほどいた。まだ身長は私より低いのにアントニオの手の大きさは私とあまり変わらないと気付かされる。


 そして、部屋の奥にあるテーブルセットまで私をエスコートしてくれる。ちゃんと紳士みたいなこともできるんだなと感心してしまう。すぐ近くに設置された、魔力吸収の装置に繋がる管がぽこぽこ鳴っていた。アントニオが深いため息をつく。


「私は離島にでも追放かと思っていたが……皇帝陛下の恩賜によって養子となれるのは有り難いことだ。私は父母の罪を贖い、名誉を挽回させる機会を得た。民や臣からどのような謗りを受けようと、私は身を粉にして国に尽くそう。もし戦えと命令があれば散る覚悟で……」

「待って待って」


 大人状態になってしまって難しい言い回しをするアントニオの肩を私は揺さぶる。


「そんな難しく考えなくてもいいの。ゆっくり大人になっていいから。アントニオに振りかかる悪口とか嫌なやつからは私と陛下が守るから。その為の縁組と思って」


 アントニオを陛下の養子とするのは、政治的な目論見があると説明されずとも何となくわかっている。アントニオを遠くにやればいつの日か、反体制に担ぎ出されるかもしれない。あるいは本人が敵意を成長させるかもしれない。


 それなら、手元で育てるのが一番危険がない。私と陛下の間に後継者が生まれなかった場合の保険にもなる。


 そういう打算はあるけれど、言わなくていいことだった。そんなの、アントニオ本人だってわかっている。


「私は単純にこれからもアントニオに関われるのが嬉しい。私は結構アントニオが好きよ」

「本当か?」

「ええ、これからアントニオは私が守るから」


 アントニオは泣き笑いのように表情を歪める。


「やっぱりサーラはかっこいいな……私は自分で言うのもなんだが本当に頭が良い。その上でお前なら信じられると思う」

「それはどうも」

「ちょっと耳を貸せ」


 手招きするので、私は体を傾けてアントニオの口元に耳を寄せる。


「私とサーラが最初に会ったのは大聖堂だな? あのとき、全くの初対面の私をかばってくれて嬉しかった」

「……うそ!!何でわかったの?!」


 私は驚きのあまり椅子から立ち上がり、アントニオは勝ち誇ったように笑った。


「わかるさ。私を見くびるなよ」


 私はあのときまだ、幻覚魔法でサーシャの姿をしていた。私がサーシャに偽装して行動していたことを、アントニオには一切知らせていない。


「アントニオって本当に優秀……」

「そうだ。私を逃したことを将来になって悔やむといい」

「そうね」

「適当に言うな」

「適当じゃない、大丈夫」


 椅子に座り直した私は、伝えておくべき言葉を胸のうちに探す。言うべきか、言わないべきか、いくつになっても難しい。だけど何も言わないで伝わるほど、私とアントニオの仲は深くない。誤解を恐れずに言ってみようかと、私はアントニオの翡翠の瞳に向かい合う。


「アントニオ、好きだと言ってくれてありがとう。だけど私はルカルディオ陛下を愛してるの。愛するって自分の決意だと私は思っているわ。私はこの愛を一生かけて陛下だけに捧げたいの」


 なかなかクサイ台詞で言ってて恥ずかしさに堪えきれぬところだが、私は言い切った。隣室でルカルディオ陛下がこの会話を聞いてるかもしれないから、二重に恥ずかしい。


「そうか。はっきり言ってくれて礼を言う。私も諦めがつく」

「だけどね、そういう意味で言うと私はアントニオをこれから息子として愛するつもり。これも決意」

「……うむ」


 そのとき、ノックの音がした。さっそく部屋の引っ越し作業をすると侍女たちが来たので、私は退室をした。


 出てすぐに隣室の扉が開いて、陛下の腕が伸びてくる。


「陛下?!」


 陛下の腕に絡めとられるように私は隣の小部屋に入る。中に設置された大きな水晶に、アントニオと侍女たちの姿が映っていた。思ってた通りに陛下はここで全部見聞きしてたようだ。ほかには誰もいない狭い部屋だった。


「ありがとう。何もかも。サーラが愛しすぎて苦しい」

「何言ってるんですか」


 陛下は後ろから私の肩を抱いていた。色々と恥ずかしくて私はつい素っ気なく答えてしまうが、陛下は気にする様子もない。


「サーラがいなければ私とアントニオはひどく険悪な仲だっただろう」

「今でもまともな会話してませんよね……今夜から、食事を共にしますか?」


 少し前まででは信じられないことに、私と陛下、アントニオ、ジルで晩餐会ができるのだ。皇族3人と私。でも、気まずい空気を想像するだけで少し食欲がなくなる。


「食材を無駄にするのは良くない。段階を踏んでそのうち、な。それより」


 陛下は、苦笑して私の提案を流した。陛下も考えただけで食欲が減退したらしい。


「――サーラ、何か欲しいものはないか? 私はサーラに負担をかけてばかりだから、何か贈らせて欲しい」

「今の私が欲しいのは、アントニオにつける優秀な教師陣と侍女です。陛下が受けたものと同じ教育を受けさせないと」


 教育詰め込み母になるつもりはないけど、アントニオに任せてと誓った手前、ひしひしと責任を感じていた。陛下は大きく目を見開く。


「サーラは、将来自分の子を皇帝にしたいと望んでいないのか?」

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