善き魔女
兵士はカルタローネ領での戦の様子を報告に来ていた。
「カルタローネ側は防御に徹しておりましたが、帝国軍が数の上で圧倒しております故、開戦して間もなく、制圧に成功致しました。我が軍の勝利です。敵将ソネス・カルタローネは死亡した状態で発見されました」
ルカルディオ陛下がわずかに眉を寄せた。陛下からすると義理のおじいさまだ。いずれ刑を課す必要があったが、喜ばしい報告ではなかった。
「……ニヴェスリアは?」
「未だに見つかっておりません。総力をあげて捜索中であります」
陛下は何かを振り払うように頭を振る。実の母でありながら、陛下をずっと苦しめてきた、ニヴェスリア。どこまでもしつこい人だ。
「彼女の捜索を手伝いますわ。私なら、探せます。せめてもの罪滅ぼしにそれくらいさせて下さい」
不意に輝石の魔女、エメラルダスがやけに掠れた声でそう言った。黒いフードを深く被ったままで顔があまり見えないが、唇がひび割れていた。エメラルダスも魔力の使いすぎで疲れているのかもしれない。
「あなたが? 魔女というのは本当に何でも出来るのだな」
「いいえ。魔女は何も出来ませんよ。今の私はもう魔女じゃないからご協力出来るのです」
エメラルダスは謎のとんちみたいな返しをする。皆、訳がわからなくて押し黙った。
「私はもういつ死ぬかわかりませんから、今のうちに私の秘密を陛下にお伝えしておきましょう」
「何だと?」
「え? 母さん? どういうこと?」
陛下とジルが慌てて聞き返していた。エメラルダスは乾いた唇を引き攣らせて笑う。
「魔女は膨大な魔力を得る代わりに、その魔力では人の運命を一切変えられない呪いにかかるのです。つまり、力を抱えた役立たずです。魔法が使えるときは、やってもやらなくても変わらないときだけ。あとは口先だけで生きてきました」
私は呆気に取られて、顎が落ちる思いだった。魔女がそんな存在だなんて知らなかった。
「では、私はあなたが作った魔法薬で無理に生まれた存在じゃないのか?」
陛下が切実な様子で問いかけていた。陛下にそんな悩みがあったとは知らず、私は心臓がぎゅっとなる。
「ええ。私が先帝陛下とニヴェスリアに愛の妙薬と偽って渡したのは、ただのザクロ酒ですわ。どちらも魔法に頼ったという言い訳が必要だったのでしょう。でも、私のせいであなたには、つらい思いをさせてしまいました。本当にごめんなさい」
エメラルダスは次第に声を震わせながら、深く頭を下げた。
「いや、過ぎたことだ。頭を上げてくれ。どちらにしても、私が生まれるきっかけを作ってくれたあなたにはずっと感謝の念を抱いていた。ジルというかわいい弟まで私に与えてくれた」
「陛下の広いお心に感謝いたします」
「本当だ。私は、生まれて良かった。そう言ってくれる人と出会えたんだから」
「……そうですか。それを聞けて、私は心から嬉しく思います」
頭を上げたエメラルダスは、その弾みでフードが脱げてしまった。皆が息を呑む、先ほどまでの満開の花のような美貌がしおれて、私のお母様より上の年齢に見えた。これが、エメラルダスが魔女であることをやめた結果なのだろうか。だけど、私は全然醜いとは思わなかった。むしろ切り詰めた凛々しい美しさがある。
「……あまり見ないで下さい」
エメラルダスが恥じるようにフードを被り直そうとするが陛下は待て、と声をかける。
「隠すことはない。あなたはとても美しい」
「まあ。その台詞、あの人にそっくりですわ」
「ああ、父上があなたに惹かれたのがわかった。魔法など関係なく、人の心に寄り添ってくれるから」
――私は声もなく、私は陛下とエメラルダスのやり取りを見守っていた。長い間、お互いの存在を知りながらも決して交わらなかった二人だ。複雑に見つめあっているが、邪魔しちゃいけない。
「サーラ」
なのにエメラルダスが、何の脈絡もなく私の名前を呼んだ。
「はい! 何でしょうか?!」
「サーラが知りたがってることを教えてあげる。サーラとルカルディオ陛下は、私が関わらなくても今みたいになったと思うわ。だって、そうじゃなきゃ魔女だった私は魔法を使えなかったもの」
「……!!」
心から、救われる思いがした。エメラルダスは優しく素晴らしい人だ。嘘であってもすがり付きたい。私は新雪が降り積もったままの清らかな陛下の心にズカズカと足を踏み入れ、勝手に居場所を作ったのではないかとずっと罪悪感を持っていた。
「ありがとうございます。そう言ってくれて嬉しいです!! あなたは尊敬すべき、最高の女性です」
「ありがと。サーラは元気ですぐ人を好きになるところが取り柄だと思うわ。そうやっていつまでも、ルカルディオ陛下と、ジルを元気づけてあげて。よろしくね」
永遠のお別れの言葉みたいなことをエメラルダスが言うので、ジルは彼女の腕を掴む。
「母さん……」
「もう、ジルったらそんな顔しないで。あの女を捕まえて帰ってくるから、あとで私を介抱してね」
「わかったよ。絶対するから」
「じゃあひとっ飛びで行ってくるわね」
エメラルダスは懐から赤く光る指輪を取り出し、音もなく唐突に姿を消す。多分、指輪にあらかじめ転移魔法を込めてあったのだろう。すごく高度な技術だ。
「うっ」
「うぐっ」
余韻に浸る間もなく私とサーシャは力が抜けて、くずおれそうになる。魔力がすっかり空になったときのような感覚だ。
「どうした? 大丈夫か?」
陛下が私の体を支えてくれたけど、まだ私たちは城壁の一番高い所に立ったままだ。地上からの視線を感じる。
「えっと……エメラルダスが離れたから、陛下と繋がってた魔力供給の魔法が切れたんだと思います。がくっと来ました」
そもそも私とサーシャは大した魔力を持っていないのに、陛下の魔力を借りて大盤振る舞いをした。そのツケみたいなものが全身に疲労として来ていた。気力を振り絞らないと倒れそう。
「良くがんばってくれたな。紫水晶宮まで送ろう」
陛下が少し屈むと、ふわっと体が浮いた。膝裏と背中で支えられて横抱きにされている。
「えっ?! だ、大丈夫ですよ?? 自分で歩けますから!! というかここ城壁の上……!!」
「わかっている」
見上げた陛下の顔は、全くの余裕綽々で、もう何回目かわからないけど私は心を奪われる。奪われても奪われても、好きな気持ちはどこかからか溢れるから不思議だ。あと、サーシャは苦笑しながら自力で立っていた。「僕のことはお構い無く」とか言っている。
陛下は、軽い動作で私を抱えたまま城壁から飛び降りた。私は陛下に身を任せる。陛下が小さく魔法を呟くと、何の衝撃もなく私と陛下は地上の人となった。どよどよとざわめく周囲の兵士が、空間を開けてくれる。
しっかりと私を抱いて、陛下は歩き出した。たくましい胸の感触が頬に伝わる。恥ずかしいけど、単純に嬉しかった。私も一生に一度くらいは、か弱く倒れてお姫様抱っこで運ばれてみたいとは思っていた。
「……でも、そろそろ降ろしてくれませんか?」
「サーラは軽いな。もっとたくさん食べないと」
「それも一生に一度は言われてみたいお言葉です。本当にありがとうございます。でも紫水晶宮まですごく遠いですよ」
「うむ。サーラを送り届けたら、私は事後処理の会議に行くから眠っていてくれ。またあとで話そう」
「そんな、陛下だって休まないと」
あんなに魔力を使ったのに何で平気なんですか、と言いたいのに上手く言葉にならなかった。ひどく目蓋が重くて、口も力が入らない。
「すまない、私はサーラに大変な思いをさせてばかりだな」
頭のすぐ上から陛下の声が聞こえる。全然大変なんて思ってないのに、揺れと陛下の体温が心地よくて、私は意識を手放した。




