ハンカチと迷いの夜
ジルから受け取った大判封筒は厚みがある割に軽く、柔らかい。紙ではないものも入っているようだ。差し出し人の名前はサーラ・フォレスティと丁寧に私の筆跡を真似て書かれているが、サーシャによるものだ。
「体調に異変でもあったのかな? 心配だから早く読んで僕に教えてよ」
ジルはそわそわと落ち着かずに、早く開けろと手を動かす。サーシャの回復のための魔法薬を作っているのはジルだから気になるのだろう。
「待って……」
机に向かっている陛下とバレッタ卿もちらちらと私とジルのやり取りを見ていた。封蝋を剥がし、中身を取り出すと便箋が一枚と、細かい刺繍の入ったハンカチがあった。
「うわっこのハンカチすごいね、広げて見ていい?」
「どうぞ」
私は手紙を急いで読む。あくまでサーラを装った短いものだった。
サーシャは私の教え子、ペネロペと仲良くやっている。ペネロペは毎日お見舞いに来て、日がなそこで過ごしている。まだ寝たきりのなので勉強は教えられないけれど、手慰みにとペネロペに刺繍を教えたところ、すぐに上達してこれだけのものを完成させたなどと綴られていた。
サーシャは刺繍や裁縫が好きで、私より上手だから、と笑ってしまう。
「体調には異変ないみたいです」
そう報告したけれど、ジルはハンカチを見てクスクス笑っていた。
「こ、このハンカチ、サーシャ・フォレスティって名前が入ってる……力作じゃん」
「えっ?!」
私は広げられたハンカチに、きれいな飾り文字で確かに縫い込まれた名前を読んだ。
「違いますから!それはペネロペという、サーラの教え子からの贈り物ですから!」
私とサーシャの名誉のため、つい声が大きくなった。相手の名前入りのハンカチを贈るのは、広く一般的に好きです、付き合って下さいみたいなメッセージだ。
サーシャは私の姿を使ってどさくさに紛れて、かわいい私の教え子ペネロペに何てことをさせてるんだろう。縫い目を見るとサーシャよりは若干下手なので、間違いなくペネロペが縫ったものだ。
「ペネロペ?ペネロペというと、モンカルヴォ侯爵令嬢か?」
離れた席で仕事をしていたバレッタ卿が、我慢しきれなかったようで話に入ってきた。
「そうですけど、これは告白とかではなく……」
「ペネロペ令嬢からの牽制かもな。ここに、モンカルヴォ侯爵から、末娘ペネロペと是非にも会って欲しいと陛下宛てに手紙がある」
今度はルカルディオ陛下が笑いだした。中央の席から動いてはいないけど、陛下の声はよく響く。
「つまりペネロペ嬢は、会ったこともない私よりサーシャと添い遂げたいのだろう。やはり政略結婚などろくなものじゃない」
「そんな、たまたま練習用の作品を送ってきただけですよ。ルカルディオ陛下の名前は長いから」
私はジルからハンカチを取り戻し、小さく畳んだ。だって陛下はルカルディオ・アレッサンドロ・カランドラなんて長い名前で、私にはとても縫えない。
「陛下、お話が来てるなら、ペネロペにお会いしてみませんか?とてもかわいい令嬢ですよ」
「何を言ってるんだか……」
眉をひそめたまま、陛下は口元だけ優しく微笑んだ。
「もう私の心はサーラに決まっている。なのに肝心のサーラはそうではないと、その手紙に書いてあるのか? 残念だ」
「そんなこと一切書いてありません! 失礼しました!」
私は手紙とハンカチをまとめて封筒にしまいこんだ。サーシャがどういうつもりでこんなものを送ってきたのか、今すぐ問い質しに行きたいくらいだけど仕事があるので我慢する。
それにしても、教え子の最高の縁談を私が奪い取るなんて考えもしていなかった。改めて、ルカルディオ陛下の結婚相手が私でいいのか不安になってしまう。ペネロペの方が若くてかわいくて、家格も上と、数え上げればきりがなかった。
その夜、私はジルの部屋の扉を叩いた。恒例のルカルディオ陛下とジルと私の、ホットミルク会を終えたあとどうしても寝つけなかったのだ。
「ジル? まだ起きてる? ちょっとだけお話を……」
勢いよくドアが開き、怖い顔のジルと目が合う。ジルは無言で私を室内に招き入れ、ため息と共に遮音魔法を唱えた。
「あのさ、婚約決まったばかりの身なのに、夜中に僕の部屋に来られても困るんだけど。君って一応は伯爵令嬢だよね? ちょっと慎みがないんじゃないかな」
「ごめんなさい、でも……」
謝る私を無視して、ジルは毛布を体にぐるぐる巻き付けていた。
「なぜそんなことを?」
「万が一にもサーラに襲われないように」
「するわけないでしょう!」
私を気遣ってくれてふざけてるのか、真面目に言ってるのかジルの場合は判断がつかない。でも肩の力が抜けて、私は勝手に近くの椅子に座った。ジルの部屋は魔法薬の材料などで相変わらず散らかっている。
「僕も眠いからさ、話があるならぱっと話して、ぱっと」
「ええと、婚約のことなんだけど。陛下みたいな素晴らしい人に対して、私でいいのかと心配で、どうしたらいいのか」
「確かに、ルカは最高に完璧だからね。僕だって勿体ないと思ってる」
「うん……」
ジルに、私を慰めようという気概は全く無いようだった。ジルのそういうところがいい。今は率直な意見が聞きたかった。
「ああもう」
遠くを見る目付きになってから、ジルは柔らかそうな猫っ毛をかき乱した。
「……まあでも、逆に言うとルカと釣り合う人なんて存在しないよね。だから誰でもいいんだよ。そしてサーラ視点で見ると、サーラにはルカしかいない」
「そう見える?」
ちょっと恥ずかしくて、私は頬に片手を当てた。ジルの不可思議な能力で、そんなに私の気持ちをわかられてしまってるんだろうか。私はルカルディオ陛下以外に、ドキドキしたことがない。
「そうだよ。サーラみたいなじゃじゃ馬、ルカみたいな器の大きい人じゃないと受け止め切れないよ。下らないことで悩んでないで、せいぜいこの幸運を大切にして、力不足と思うなら努力することだね」
わざと毒舌風に言っているけど、ジルの優しさを感じて私は胸がじんとした。
「ありがとう、ジル」
「お礼を言われるようなこと、全然言ってないけど?!サーラってバカなの?!」
「あはは、多分そう」
「うぐっ……」
ジルは毛布を巻き付けたままの胸をかきむしった。
「痒いの? そんな風にしてるから汗かいた?」
「違う! 良心が疼いてるんだよ!」
いつもよりきつい言葉遣いをしてるからだろう。ジルは苦しそうにしている。
「私はジルを尊敬してる、お休みなさい」
「うぐぐ……おやすみ」
あるいは、私を笑わせようとする演技かもしれない。長居しては悪いので、私は椅子から立ち上がる。
今度こそ、眠れそうだった。




