縁談の手紙の山
馬車の扉が外から丁重に閉められた。車内に私と陛下、バレッタ卿という見慣れた顔のみとなって、誰からともなく笑みを浮かべる。
「皇太后のあの驚いた顔を見たか」
「はい」
「はい」
ルカルディオ陛下の問いに、私とバレッタ卿は正式な礼儀ではないが、何度も頷く。陛下はいたずらっぽく笑った。
「傑作だった。私は長い間、何を恐れていたんだろうな。サーシャも良く言ってくれた」
晴れ晴れとした表情で、陛下は背もたれに寄りかかる。ついに陛下は女性嫌いも、その原因となった皇太后陛下をも完全に克服した。
ただ私は一抹の不安がある。
「……先ほどは陛下の母君に無礼な口をきいて申し訳ありませんでした。それなのに皇太后陛下の騎士たちから私を守って下さって、ありがとうございます」
この後にニヴェスリア皇太后陛下がどう動くのか、それによって私は陛下の足を引っ張る存在にならないか心配でたまらなかった。
「何を言う。私がアントニオに付いていた呪いの痕跡に驚いて、何も言えずにいたからサーシャが止めてくれたんだろう」
ルカルディオ陛下が呆然としていたのはそのせいだったんだな、と私は納得する。
「サーシャがアントニオをかばったのは、勇気ある行動だ。ありがとう」
私の頭に陛下の大きな手が触れて、ポンポンと撫でられた。頭の形には男女差とかあまりないから、私には拒否するという選択肢はなかった。ただし、向かいに座っているバレッタ卿が遠い目をする。
「アントニオをどうにかしてやりたいものだが……」
陛下は異母弟のジルに加えて、異父弟のアントニオにまで愛情を感じているようだった。
「そうですね、あのままの状態が彼にとって良いとは思えません」
お節介なのかはわからないが、アントニオの虚ろな表情が気になった。
「考えることが増えたな。今日の皇太后の捨て台詞、一種の宣戦布告だろう。近いうちに何らかの動きを見せる」
「どうしたら……」
「慌てる必要はない。いつかこうなるとわかっていたし、準備もしている」
ルカルディオ陛下は落ち着き払っていた。
「何より、私にはお前達がいる。サーシャ、バイアルド。これからも私の側にいてくれるか?」
「勿論ですとも、陛下」
バレッタ卿は即座に答えるが、私は言葉に詰まってしまった。
「サーシャ?」
「……私の力の限り、お仕えします」
陛下に顔を覗き込まれて、私は小さく宣言した。私がサーシャのふりをやめて、ただのサーラ・フォレスティになったらこんな風にはいられないけれど、出来ることは何でもしようと思った。陛下は『サーラ』に気があるような、ないような微妙なままでいる。
「そんなに心配するな」
また陛下が遠慮なく私の頭を撫でた。私が嬉しいと思ってるのがばれているのかもしれない。
◆
それから数日が過ぎた。とりあえずルカルディオ陛下が女性嫌いを克服した、という噂は瞬く間にあちこちに伝わった。皇太后陛下が広めたのか、噂好きの人が悪意なく広めたのかは知らないけれど、陛下への謁見要請が急激に増えた。
なにせ陛下は見目麗しい25歳の独身だ。各大臣、有力な貴族はこぞって娘との縁談を希望した。この話はディランドラ帝国が統治する大陸中を駆け巡って、遠方からも縁談が届き始めた。
「陛下、そろそろこちらを片付けますか?」
バレッタ卿が、執務室に届いた縁談の手紙の山が崩れないように整えながらルカルディオ陛下に笑いかけた。各諸公も手紙にいきなり縁談を書かず、世間話や領地の小さな問題を絡めて書くのでどれも分厚いのだった。
私はこの手紙山を見ると毎日憂うつになる。女性をまともに見ずに育ってきたルカルディオ陛下が、世の中の真のご令嬢を見たら私なんて霞んでしまうに決まってるからだ。
「興味ない。放置しておけ」
ルカルディオ陛下は顔も上げず、隣の図書室からいくつも本を持ってきて調べものをしていた。
「僭越ながら申し上げます。こういうのは、はっきりしないと例の方のお耳にも届きますし、嫌われてしまいますよ」
「む、そうか」
パタンと本を閉じ、陛下は立ち上がって私の席まで来た。
「サーシャ、相談したいのだが」
「何でしょう」
私も立ち上がって、姿勢を正した。陛下からすさまじい緊張感が感じられた。
「………私はサーラの体調が回復したら、婚約を申し込むつもりだったんだ。今はまだ、正常な判断が下せないかと思うんだが……サーシャはどう思う?」
「えっ?! ひえっ?! 私に聞かれましても……」
そんなつもりだったんだ?!
一気に顔が熱くなる。
「彼女に婚約を受け入れてもらえるだろうか? お前の意見を聞きたい」
「断れるはずありません、陛下からそんなお話を受けて」
「そうじゃない。サーラの気持ちを聞いているんだ」
私の目をじっと見て、どこか悲痛な響きで陛下は言う。
「これは弟の私から見た意見ですが」
「聞かせてくれ」
「う、嬉しいと思います……姉は陛下を心から慕っていますから」
こんなに縁談が来ているのに、彼女たちに会いもせずに決めていいのかわからない。だけど、ルカルディオ陛下を誰にも取られたくなかった。
「それなら良かった」
ぱっと微笑む陛下は普段より子供っぽくて、その分本当のように見えた。たった一回会ったサーラで後悔しないのか不安だけど、婚約してしまえばこちらのもの、みたいな汚い自分がいた。ディランドラ帝国の皇族との婚約は、結婚とほぼ同義だ。私の知る限り婚約のあとは必ず結婚する。そして離婚は出来ず、死が二人を別つまでその関係は続く。
だから先の皇帝皇后両陛下はこじれ、最終的に悲惨な結末を迎えたのだけど。
ルカルディオ陛下が私との結婚を後悔して、暗殺を企てたり浮気しないように努力しなきゃなと私は陛下の顔を見た。こんな人がそんなことするのかな?
結婚についてまだ現実味がない。
「あの、姉によくがんばるよう言い聞かせておきますから」
「嫌じゃないならそれで良い。バイアルド、その縁談は全部断りの返事を出してくれ」
「かしこまりました」
バレッタ卿は安心したように、手紙の山から何通か机に移動させた。罪悪感と共に私はそれらを眺める。この作業は手伝いたくなかった。
「フォレスティ卿にはこれはわからんだろう。通常業務をやっててくれ」
手を出しかねている私に、バレッタ卿は嬉しいことを言ってくれた。
「はい!」
最近のバレッタ卿は私にきちんと仕事を任せてくれるようになった。各省庁から回ってきた書類を陛下が最終決裁する前の予備確認。不備があるのは万にひとつだけど、大事な仕事だ。帝国の政務全体が見渡せるからこそ、見えるものもある。
ばりばり書類を整理していると、ルカルディオ陛下が悩ましげにため息をついた。
「なあ、サーシャは近衛騎士だからこうして真面目に働いてくれるが、サーラは婚約したらどうしたいかわかるか? やっぱり茶会でも開いてのんびり過ごしたいだろうか? 私としてはそれでもいいが共にいる時間が長いと嬉しい……」
「姉は仕事好きですし、陛下のお役に立ちたいから、手伝いたがると思いますよ。お茶会はそれほど好きじゃないんです」
「そうか、良かった」
婚約者の分際で皇帝陛下の執務室に一日中いていいのか知らないけど、陛下はその気のようだった。
変な考えだけど、婚約者より近衛騎士の方が誰に咎められることもなく陛下の側にずっといられる。
このいいこと尽くめの日々がもう少し長く続くことを私はつい願ってしまう。
しばらく仕事に集中していると、ジルがやって来た。ジルは最近は情報収集に忙しいらしく、王宮内を自由にうろついている。
「サーシャくん宛てに、フォレスティ家からお手紙が来てたから持ってきたよ」
「ありがとうございます」
 




