招かれざるもの
また頭上で鐘が鳴らされ、それに合わせてルカルディオ陛下が王笏をバルコニーの床につく。瞬間、大波が打ち寄せて頭から足先まで洗っていったのかと思うくらい、盛大な『祝福』が私の体を通っていった。
「わっ……」
「私に触れている方が、祝福が良くかかるだろう?」
間抜けな声をあげた私に対して、ルカルディオ陛下がおかしそうに振り返る。あまりの勢いに私はベルトを掴んでいた手を離し、後ろに数歩よろけていた。
「はい。すごすぎて、私なんて浄化されて消えてしまいそうでした」
「サーシャが? サーシャは気持ちがきれいだから、そんなことないだろう」
「も、勿体ないお言葉です」
司教やバレッタ卿が見るともなく私と陛下を見ている。そして、大聖堂前広場に集まる眼下の人々も当然こちらを見ている。もちろん会話は地上まで届かないけれど、まさかこんなとこで、陛下のお戯れを受けるとは思ってなかった。
こんな衆人環視でいつも通りのルカルディオ陛下って、やっぱりすごい。
「このために日頃魔力を節約してるんだ。良く浴びておくといい。多少は役に立つだろう。あと8回やるから」
「真っ白になってしまいそうです……」
「大丈夫だ、私は11歳からこれをやってるが見ての通り真っ黒だ」
陛下は笑って、自らの胸に手を当てる。黒い祭礼服のことだろうか。
「それは、お召し物は染めてますし」
「中身のことだ。聖顕の瞳を持ち、こうして祝福魔法を扱う身だが私自身は穢れているよ」
「……」
反応に困ってしまって、私はバレッタ卿に視線で助けを求めた。
「陛下、次は私が直接陛下の祝福を浴びたいです!」
「バレッタ卿はもう何度もやっただろう」
「そうおっしゃらずに」
バレッタ卿はすぐに空気を読んで、声を張り上げる。最近になって私はバレッタ卿の有能さが身に染みてわかってきた。しばらく押し問答をしていたが、陛下が広場の人々を見ながらフンと鼻を鳴らす。
「司教。あのつばの広い帽子の女性」
陛下が近くにいる司教に囁いた。司教は急いでバルコニーを出て、階段を降りていく。一度の祝福で呪いを取り去れなかった場合、司教が別に解呪を行う決まりになっていた。別の司教が交代要員としてバルコニーに出てくる。
私やサーシャがかけられた、生命すら奪うような呪いなんだろうか。それだけの憎しみを込めて人を呪う――その心境を、私はおそらく正確には理解できない。憎い人がいるとしても、どうしてその人に関わらないようにするだけで済まないのか。
ただ、ルカルディオ陛下の横顔を私は見つめた。11歳からこの役目を果たす陛下の苦労は想像に余りある。呪いが『聖顕の瞳』でどのように見えるのか私は知らないけれど、その性質を考えると間違いなく気分の良いものじゃない。
広場に集まった人を入れ換えて10回の祝福は、数時間に及んだ。やっと終わりの鐘が激しく撞かれて、私たちは螺旋階段を降りていった。あれだけの魔法を連発したのに、ルカルディオ陛下は涼しい顔をしていた。
「陛下、お待ちを」
先頭を歩いていたバレッタ卿が、階下で言い争う声に反応して足を止めた。私もさっきから何事かなと思っていた。全員足を止めると、響く足音がなくなったので良く聞き取れた。多分司教たちが誰か偉いご婦人を相手にしているような会話の内容だった。
「……っ」
陛下が、ぐらっとバランスを崩した。私は慌てて陛下の体を支える。
「大丈夫ですか?!」
「皇太后の声だ……どうしてここに」
「皇太后陛下?!」
皇太后陛下がここに来ている理由が全くわからなかった。祝福の日に呼ばれることは決してない。何の役にも立たない上に、ルカルディオ陛下の心を乱す。
「私が見て参ります。フォレスティ卿、陛下を頼んだぞ」
バレッタ卿は階段を駆け降りていった。
「あ、私も様子を見て参ります。この度の不手際、申し訳ございません」
共にいた司教も事情が気になったのか、横を通りすぎて早足で降りていく。私と陛下は狭い螺旋階段に取り残された。陛下は冷や汗をかいている。陛下の女性嫌いは直ったけれど、皇太后陛下はずっと避けてきていた。普段から、顔を合わせることは一切ないという。
「バレッタ卿が何とかしてくれますよ」
「……いや、少し呼吸を整えたら私はあいつの前に出ていくつもりだ。いつまでも弱い私ではない。もう克服したんだ」
そうは言っても、ルカルディオ陛下は今にも倒れてしまいそうに血の気を失った顔色をしていた。私は陛下のいる段のひとつ下から、覗きこむ形で冷たくなった頬に触れる。翡翠色の瞳が不安げに揺れていた。
「陛下、大丈夫ですから」
「何がだ」
「こうなったら、私が皇太后陛下に一発入れます」
「……」
「殴るってことです。陛下を苦しめる皇太后陛下なんて大嫌いです」
ルカルディオ陛下は怪しく笑いだした。
「何を言ってる」
「どうせ私は皇太后陛下に狙われてるみたいですし。出来たら、あとで罪を軽くしてください」
「暴力は良くない」
「呪いだって良くないですよ!」
呪いは罪であるのに、人を使って皇太后陛下ばかり看過されているなんて許せない。言ってて興奮してきた。死なば諸とも――
「落ち着け」
出し抜けに陛下は私と同じ階段の段に来た。腕を広げる意味がわかり、そうされたい気持ちと、そうしてはいけないという理性がせめぎあう。結局私は、答えを出す間も無く陛下に抱きしめられた。
「……あの、陛下」
「すまない。私の代わりに怒ってくれてるんだな」
「というか、これは」
「うん。じっとしてれば悪いようにはしないから」
「な、何ですかその、悪い権力者みたいな言い方」
流石にこれは私の正体がばれそうだと思うけど、陛下の冗談に力が抜けて私はされるがままになった。陛下の黒い祭礼服の硬い生地が頬に当たって、その奥から温もりが感じられた。激しい鼓動が聞こえてるような気もするけど、私自身のものかもしれない。
「そう、私は悪い人間なんだ……」
私は冗談のつもりで言ったのに、陛下は自分を責めるような口調で呟いた。
「陛下、悪くてもいいですよ」
「それはどういう意味だ?」
「どんなところも、私は知りたいです」
私は陛下の背中に腕を回した。私は本当はずっと、こうしたかった。今こんなことしてる場合なのかどうか、色んなことが頭からこぼれ落ちていく。階下で騒ぐ声も遠ざかって、胸に灯る熱が全身を支配した。
「ありがとう」
ぱっと体を離して、陛下が背筋を伸ばした。顔色は急に良くなり、少し赤らんでいるかもしれない。
「……サーシャ。早く、体が治るといいな」
「はい」
陛下が何を考えたのかはわからないけれど、幻覚魔法を使っている私の体について、それだけ言及した。
「よし、覚悟が出来た。サーシャの手は汚せないから、私が自分で何とかする」
陛下は私に笑いかけ、軽快に階段を降りて自分で勢い良く扉を開けた。漏れ聞こえていた言い争う声が止まり、後から扉を出た私はかなりの人数をそこに認めた。
司教などの大聖堂の関係者、近衛騎士たち、そして皇太后陛下のお付きの人たちが目を点にして陛下を見ている。その中央にいるのが、ニヴェスリア皇太后陛下だった。かつての皇后時代に遠目に見る分には美しい人だったが、今は心証のせいかそうは思わなかった。それに厚塗りの白粉などの化粧はやり過ぎに感じる。
「これはこれは……」
背の高いニヴェスリア皇太后陛下は、止める周囲の人を振り払い、ルカルディオ陛下に歩み寄る。陛下が倒れることでも期待しているみたいに、紅の濃い口元が笑っていた。
「青天の霹靂とはこのことかしら。ルカルディオ皇帝陛下のお目にかかれるなんて、母としてこの上ない喜びを感じます」




