大聖堂
「それは……まだ考えてないわ」
正直、すっかり忘れていた。この幻覚魔法はキスをしないと解けないんだった。候補者として、フォレスティ邸の美人侍女の顔を何人か思い浮かべる。女の子同士のちょっとしたキスの方が私にとっては気楽だ。高額な謝礼を払えばキスくらいしてくれるんじゃ――
「しっかり秘密を守れる人じゃないといけないよ」
私の考えを読んだかのように、ジルが指を一本立てた。
「だから、僕はサーラとサーシャがキスするのが一番だと思う」
「へ?!」
「は?!」
ジルのとんでもない提案に、私とサーシャは揃って間の抜けた声をあげる。
「何驚いてるの? だって、真に愛してくれてる人のキスじゃないと解けないよ。二人は愛し合ってるから幻覚魔法が成立してるんだし、入れ替わってるという秘密を余計にばらまかないし、最善だよ」
「愛してくれてる人のキス?! 聞いてないわよ!!」
私の記憶の限りでは、輝石の魔女は、口と口のキスとしか言っていなかった。サーシャに対して、姉弟としての愛は間違いなくあるけど、そんなこと絶対したくない。
「母さんったら、言い忘れたのかな? あはは」
「僕も聞いてないよ?! やだよ、サーラとなんて。僕、初めては大事にしたい」
「私だっていやよ」
サーシャは落ち着かなく口元まで掛け布団を引き寄せた。どうでもいいけど、サーシャもそういう経験がないみたいで安心する。あちこちでモテてるから姉の私を差し置いて経験豊富かもと疑っていた。
「そんな嫌かな? 鏡とキスするようなものじゃん。サーラとサーシャは本当にそっくりだから神秘的で芸術的だよね、楽しみだなあ、絶対立ち会わせてね」
ジルは大きな目を爛々と輝かせ、そう遠くない未来を想像してなんか興奮してる。こんな変態とは知らなかった。
「あ、ちなみに僕は協力出来ないからね。君たちのこと好きだけど愛してるって程じゃない」
「知ってるわよ」
ジルは清々しい程にルカルディオ陛下だけを愛している。私の顔を見て、ジルはにっこり笑った。
「まあ君たちのとこは家庭環境いいみたいだから、ご両親でもいけそうだけどそっちの方が嫌じゃない?」
「確かに……」
ジルの提案するほかの候補者は論外だった。やるしかないのか、と私は想像しそうになって――考えるのをやめた。
「決定するのは、サーシャが完全に回復してから! とりあえず、今日のところは先送り!」
「そうだね僕もそれがいいと思う。それにしても家族以外に候補者いないの悲しいな……」
悲しそうにサーシャは呟くが、本当はサーシャを愛してる人は多い。自覚してないんだろうか。不意にサーシャが顔を上げた。
「ところでサーラ、モンカルヴォ侯爵令嬢から使いと手紙が来てたよ」
「ペネロペから?」
「うん、そこに」
サーシャが指差す机の上の手紙を、私は急いで開封する。ペネロペ・モンカルヴォ侯爵令嬢は私が家庭教師をしている侯爵家の末娘だ。17歳になったばかりで清純でかわいらしい。サーシャと入れ替わっている間、私は家庭教師を休んでいる。手紙には私の体調を案ずる内容が切々と綴られていて、早く会いたいと繰り返す文言に胸が温かくなった。
ペネロペは、あまり社交の場に出ない私を慕ってくれている、貴重な一人だ。サーシャとして活動している今は特に大事な存在に思える。
「手紙にも書いてると思うけど、どうしてもサーラに一目会いたいから日程を決めたいって、手紙を持ってきた使いの人がしつこかったらしいよ。フォレスティ家に皇帝陛下の近衛騎士が配置されたのもあるかもしんないけど」
私はサーシャの説明に頷く。
ルカルディオ陛下は、皇太后陛下の手が及ばないようにと、フォレスティ家を公に警護することにした。今も家の周囲を近衛騎士が警備している。その理由は明らかにしていないので、モンカルヴォ侯爵家の人たちが気にしているんだろう。皇帝陛下と繋がるのなら縁を深めておきたいといったところか。
「ペネロペのこと教えてくれたら、僕がサーラとして会うよ」
「わかったわ。大体のことは書いていく。サーシャなら演技は大丈夫だと思うけど、ペネロペってすぐに抱きついたり、手を繋いできたりするのよね」
ペネロペは末っ子らしい甘えん坊タイプだ。私が家庭教師なのに、自分の家だと集中出来ないなどと言ってペネロペはよくフォレスティ家で勉強したがった。そこで非番のサーシャと知り合いになっているから、心配はある。
「病気が治ったばかりでうつるかもしれないから触らないでって言うよ」
「そうね、じゃあ本当に短い時間だけ会って、すぐに帰ってもらって」
それでとりあえずは凌げるだろう。サーシャが私の見た目になってくれて色々と助かった。
◆
翌日はルカルディオ陛下が、月に一度、帝都の大聖堂にて祝福を行う日だった。これはディランドラ帝国の皇帝として、とても重要な意味を持つ恒例行事だ。皇帝の権威を知らしめ、尊敬を集めるために、陛下は大規模な魔法を行使する。
この日は帝国が統治する大陸中から多くの人々が訪れ、広場はいっそうの賑わいを見せていた。
「今日もたくさんいるものだな」
ルカルディオ陛下は落ち着き払って、眼下の人々を眺めていた。祭礼用の黒と赤の立ち襟の衣裳がすごく決まっている。
「呪われた人々ですか?」
「嘆かわしい」
バレッタ卿も慣れているので、特に何ということもなく応じるけれど、私は全然落ち着けなかった。
ずっと遠くから見つめてきた場所に立っている。
ここは、大聖堂のバルコニーだ。自分でも信じられないが、昔から見上げてきた大聖堂の双塔に挟まれた中心、大きな薔薇窓の前に私たちは立っていた。ここから見下ろす大勢の人たちは小さく見える。
頭上で鐘が打ち鳴らされた。それに合わせ、ルカルディオ陛下は金で出来た王笏をトンとバルコニーの床につく。
目には見えない祝福が、大聖堂の周囲一帯に広がった。身を包むこの感覚は、春の木漏れ日とか、初夏の薫風などとよく表現される。ふわっと気持ちいい。この祝福によって、軽微な呪いは全て解呪され、しばらく呪いを防ぐ効果まである。
表情ひとつ変えず、一度に大聖堂前広場全体へ祝福をかけられるルカルディオ陛下の魔力には、心から驚きしかない。しかもこれを計10回繰り返す。
配置されている近衛騎士たちが、広場の人々を誘導して入れ換えていた。この大陸の人々は皆多かれ少なかれ魔力を持つから、呪いはどうしても横行する。だって人形ひとつでも呪いは発動するからだ。
もちろんそんな呪いはほんの一瞬で効力を失うし、体がだるいとか、くしゃみが出る程度で無視していいのだが、『聖顕の瞳』を持つ皇帝陛下の祝福というところに皆ありがたみを感じる。私も祝福の日はここに集まってきた。
「サーシャ、そんなに緊張しなくても大丈夫だ。高いところが怖いのか?」
陛下が私に向かって微笑んだ。憧れの場所しかも陛下の横にこうして立ってる信じられなさに、心配される程固まっていたようだ。
「高いところは大丈夫です。何度か木から落ちたことはありますが、懲りていません」
私は一気に恥ずかしくなって、ごまかそうと変な話をする。
「はは、ここからは落ちないでくれ」
私の前に立ち塞がるように、陛下は笑って前に出た。
「これじゃあ陛下が危ないのでは? それに矢とか石が飛んで来たら」
「下で近衛騎士たちがちゃんと警備しているし、障壁も張らせている。私が心配なら、腰のベルトでも掴んでいてくれ」
横にバレッタ卿や司教の視線を感じながら、私は陛下のベルトを掴んだ。どういう状況なのこれ……




