謝罪と魔法薬
「サーシャ・フォレスティ様。最後にもうひとつだけよろしいですか?」
初めてまともにマヌエラは名前を呼んでくる。口調も改まっていた。この人の場合何を言うのか心配だけど、私は一応頷いた。
「サーシャ様。今日、この場に来て頂いてありがとうございます。私は身勝手な欲望のために呪いをかけ、更に大勢の前であなたの名誉を汚そうとしました。許して頂けるとは思いませんが、心から謝罪致します」
「……僕は人を裁ける立場の人間ではないので、裁判を待つ身のあなたに対して許すとか許さないとは申せません。でも、確かにマヌエラの謝罪を聞きました」
私は謝って欲しいとは思っていなかった。でも、マヌエラは言いたかったのだろう。それで楽になるなら、と受け入れる。
「ふふっ、サーシャ様は、本当にお優しい方ですね。甘いと言ってもいいくらいです。さっき、無造作に私に近寄られたときも驚きました。唾を吐きかけられると思わなかったのですか?」
「そんな発想はありませんでしたけど?!」
マヌエラはおかしそうに声を上げて笑った。
「……笑ったのは久しぶりです。でも、どうぞ身辺にお気をつけ下さい。私は牢の中から、サーシャ様のご無事をお祈りしております」
つくづく一筋縄でいかない人だ。私は礼を言ってマヌエラに背を向け、階段を登った。
付き添ってくれた憲兵と共に、陛下とバレッタ卿が待っている、牢屋が覗ける部屋に入る。憲兵は入室せず、静かにドアを閉めた。
予想はしていたが、かなり顔色の悪いルカルディオ陛下と目が合った。今のマヌエラとの会話を一部始終聞いていたらそうなるだろう。
「ルカルディオ陛下、時間を作って下さりありがとうございました。おかげで色々とわかりました」
「ああ。サーシャの聞き出し方は見事だった。ある種の才能を感じたというか、サーシャは人たらしだな」
かなり無理をした様子で陛下は冷静を装っている。陛下の後ろに立っているバレッタ卿は、静かに首を振っていた。あまり何も言うなという意味だろう。
「では陛下、王宮に戻りましょうか。政務が待っていますし……」
私もその意味がわかるので努めて明るく声を出す。ルカルディオ陛下と一緒にここに来たのは失敗だった。なぜサーシャが狙われたのか、それは明確になったものの、陛下に責任の一端があるみたいにマヌエラが言うから良くない。
「その前に私から、サーシャに謝罪したい。画家に厳重な口止めをしていなかったのは、明らかに私の失策だ」
「陛下に責任はありませんよ、皇太后陛下がいけないのです」
「だが私のせいでサーシャとサーラが皇太后に狙われることになった」
陛下の白かった顔色が今度は赤くなってくる。何事かと私はその変化を見ていた。意を決したように陛下が口を開いた。
「やっぱり、お前たちは厳重に私の庇護の元に置く。それから誤解してるようだが、黒髪に紫の瞳なら誰でもいい訳じゃないからな……7歳だったお前がどんな風に成長したかと、気になって画家に数枚描かせたんだ。私は生身の女性を見れなかったし、想像力の限界を感じて」
「……そう、ですか」
冷めた気持ちで私は応えた。以前も聞いたが、子供時代のルカルディオ陛下の心に残ったのは、ドレスを着て泣いていたサーシャだ。私じゃない。サーシャってとてつもない魔性の男だなと恐ろしくなる。たった7歳でルカルディオ陛下を落とし、最近ではベラノヴァ団長を狂わせた。さっきのマヌエラだってすぐに絆された。顔の作りは似たようなものなのに、何がそんなに違うんだろうとちょっと嫌になってしまう。
「自信を持ってくれ。今は、お前の中身を気に入っているから」
ルカルディオ陛下は、意味ありげにそう言った。中身――?
「お話の最中ですが、もう戻らないといけない時間です」
話を打ち切るようにバレッタ卿が言った。
「そうですね。そうしましょう」
「ところでフォレスティ卿。マヌエラ自身も言っていたが、罪人に無闇に近づかない方がいい。マヌエラに何をされるかとこちらの肝が冷えたぞ」
ドアに向かう私を呼び止め、バレッタ卿は切れ長の赤い瞳で睨んできた。
「はい、今後気をつけます」
「それについては私も同意だ。サーシャは本当に、体を大事にして欲しい」
「はい、本当に気をつけます」
陛下までさっきの行動を責めてくるので同じようなことを2回言った。王宮に戻る道中は、バレッタ卿からの説教を聞きながらとなった。どれだけ心身を鍛えようとも、基本は危険に近づかないこと、己の力を過信したいことなどと長かった。
しかし私は、胸中でひっそりと皇太后陛下への怒りを燃やしていた。私だって、何でもかんでも許したりしない。
皇太后陛下は色んな人を巻き込みながら、ルカルディオ陛下を傷つけようとしている。その方が効果的だとわかっているんだろう。
皇太后陛下なんて、離宮で静かに暮らしていたらいいのに。彼女に政務がある訳でもない。有り余る富を慈善事業に使うでもない。ひたすら陛下への嫌がらせばっかりするなんて。悔しくて私は拳を握った。
◆
数日後、ジルがサーシャに飲ませる魔法薬を完成させたのでフォレスティ邸に二人で向かった。呪いによって損なわれた体の健康の回復を促すものだという。
フォレスティ邸の私の部屋で、ベッドにいるサーシャと3人になる。
ジルは魔法薬をかき混ぜ続けたのと、魔力を薬に込めたせいで少しげっそりしていた。そのせいで大きな目が更に大きく見え、髪艶がなくなり、野良猫みたいに見えてしまう。ブラッシングしてあげたい。
「ごめんね、ジルに負担かけちゃって」
「ううん。これは2、3日休めばすぐ治る。それより、こんな機会でもないと作らない魔法薬を作れて面白かったよ。なんて言ったらサーシャに怒られそうだけど」
ジルはガラスの小瓶に入った魔法薬を、サーシャに渡した。魔法薬は材料の満月草が良かったのかとろっとした黄金色をしていて、まずそうではない。ちなみにサーシャにはジルが私に協力してくれているという事情を説明してある。
「怒るだなんて。ジル、本当にありがとう。飲んでいい? なんかいい匂いする」
「どうぞ」
思っていた通り、サーシャとジルが話すと大変ほのぼのとした雰囲気になる。サーシャは喉が乾いた旅人のように、勢い良くガラス瓶の中身を飲んだ。
「おいしい!」
「本当? 良かったあ。隠し味はリンゴと蜂蜜なんだ」
「こんなにおいしい魔法薬は初めてだよ」
二人は笑い合っている。良かった。ジルはお母様の輝石の魔女より、魔法薬の味つけについて才能がありそう。
「ねえ、健康状態を診断するのにちょっとサーシャの体を触ってもいい?何せ見た目は元気なときのサーラだからさあ。僕も何となく抵抗が……」
私とサーシャ両方に向かってジルは確認を取る。
「僕はいいけど」
「私もいいけど」
「じゃあ、やるからね?」
片膝をベッドに乗り上げて、ジルはサーシャにぐいっと近付いた。キスでもしそうな距離に、私の足がもぞもぞする。その上、ジルは真剣な顔で、サーシャの頬、首、腕と触れていく。見ていられなくて私は目をそらした。
「頭が変になりそう」
サーシャが困り果てた感じで呟いたのが聞こえた。同意しかない。
「うん、我慢して。僕もこんなことは本意じゃない。もう一種類魔法薬作るのに、調べたいだけだから……はい、終わり」
サーシャの安堵の息が聞こえて、私は顔を上げた。ジルはもうベッドから降りていた。
「追加の魔法薬も飲んでもらったら、サーシャはあと1ヶ月くらいで完全回復出来ると思うよ」
「良かった。期間がわかると希望が見えるわ」
「サーラは本当、楽観的だね」
ジルは意地悪そうに笑い出した。
「忘れてない?この幻覚魔法を解く方法はキスだよ。サーラとサーシャは誰とするつもりなの?」




