ルカルディオの憂愁
前話からの続きですが、ここからルカルディオ視点です。
ルカルディオは最悪の気分だった。今朝目覚めて、重大な事実に気付いてから胸の悪さは続いている。
目の前の人物は、輝く紫色の瞳を不思議そうに瞬かせていた。その姿は、黒髪の美しい騎士だがルカルディオは、彼女がフォレスティ家の双子の姉、サーラだとわかっていた。
始めこそサーシャ・フォレスティだと信じていたが、ルカルディオはこの人物にあっという間に心を奪われた。話し方、内容、あらゆる会話の端々、行動の細部を好きになった。それゆえ些細な違和感の源を調べずにはいられなかったのだ。
確信を得たのはルカルディオが熱にかこつけて手に触れたときであった。風邪でやつれた見た目をごまかす魔法をかけていると本人は言っていたが、手の大きさが明らかに見た目より小さく、指は細かった。いくら痩せようが指の骨の形まではそう変わらない。
それまでの会話から、サーラとサーシャが入れ替わっているのだなと完全に理解した。だが中身が女性だとわかっても、嫌悪感は全くなかった。彼女こそ、ルカルディオが長年恐れてきた嘘をつく女性そのものだが、構わないと思う程にサーラを愛していた。
そうして昨夜、フォレスティ邸に行き大体のいきさつまでも理解した。どうにか用意したらしく、そこに居たのはサーラの姿をした、サーシャであった。彼には呪いの痕跡があった。
呪いによって動けないサーシャの代わりに、サーラはこの王宮で何か調査をし、完了させたのだろう。やむを得ない事情であったことは理解でき、ますます愛情は深まった。
しかし、入れ替わりに気付いているとサーラには告げられなかった。どんな魔法で姿を変えているか知らないが、ものによっては無理に暴くと呪われるものがある。呪いについて詳しいルカルディオは誰にも何も言わないことにした。
ルカルディオはいずれ来るであろう幸せな未来を思い描きながら眠りに就いた。サーシャの体調が回復したら、サーラも元に戻るだろう。それから改めて関係を始めればいい。
その夜、ルカルディオはいつもの夢を見た。長年ルカルディオを苦しめて、女性を見ると吐き気と恐怖に襲われる原因となった光景。
それは父が永眠した日のものだ。涙に暮れるルカルディオは母の部屋に呼び出された。母はどちらかというと冷たい人ではあったが、こんな日なら、きっと悲しみを分かち合えるとルカルディオは期待して向かった。そうしてむざむざと心を傷つけられた。
そこには母だけでなく、皇弟ランベルトがいた。ルカルディオはこの日まで知らずにいたが、二人は以前からの仲だったという。皇帝に求婚されて仕方なく結婚したが、愛したことなど一度もない、お前もだと母は言い捨てる。
ルカルディオは、母が笑いながらランベルトと睦み合う姿に吐きそうになった。さっきまで葬儀の場で悲しそうにしてたのが全部演技だったなんて。良く見知ったはずの母の顔が魔物のように歪んで見えて、ルカルディオは逃げ出した。
夢から目覚めたルカルディオは、振り切ったはずの恐怖が、違うものに変異していると気付いた。
女性はもう恐れていない。ただ、考えないようにしていた可能性に怯えた。最愛の弟、ジルだ。ルカルディオはジルを本当に愛していた。ジルからもそれ以上の愛情を返されてきた。
ある訳がないとジルを呼び、「サーシャが女性だった夢を見たのだが」とかまをかけた。ジルは慌てた様子で「それはただの夢」などと繰り返す。ジルもサーラの秘密を知っていると理解するには十分だった。秘密の交換をしたのだろう。
ジルとサーラの仲のよさをどこか羨ましい気持ちで眺めていたルカルディオは、もう何も言いたくなかった。知らぬ間に、そちらで愛を育んでいたのだろうと予想した。
怒りの感情はなかった。ただ、身を引こうと決意したのだった。ジルはいつも手柄も、身分も、ルカルディオに譲ってきた。自由に過ごせる子供時代さえ捧げてずっと傍にいてくれた。想い人までは奪えない。
そうなると、サーラの顔を見ることが出来なくなった。サーラが今まで見せてくれていた数々の行動を、愛情表現だと勘違いして、舞い上がっていた自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
ルカルディオは、もう終わりにしようと口を開く。
「ジルが爵位を持っている話はもう聞いたか?」
「いえ、初めて聞きました」
サーラはこんな話のために呼ばれたのかと不思議そうだった。
「そうか。実は抜け目のない父上は、自分が亡くなる前にちゃんとジルに遺していた。領地はここからかなり遠いが、子爵位だ。だが代理人に領地経営は任せてあるからこの帝都で華やかに暮らすのも、田舎でのんびりするのも自由だ。それに爵位は上げてやれる。私の私有財産だって、ジルになら全部やってもいい。つまり、ジルと一緒になればこの世の贅の限りを尽くしても使いきれないくらいに金持ちになれるし、名誉も心配いらない。一生安泰なんだ」
説明しながらルカルディオは妙な高揚を感じる。サーラが呆気に取られていても止まらなかった。
「私に付き合って、こんな危険で窮屈な王宮にいることはない。どこへなりと行くがよい」
もし二人がそうなってくれたら、それはそれでどれだけ嬉しいか。誰にも邪魔をさせないくらい幸せになってもらいたい。二人を眺めているだけなら、これ以上決して傷付かずに済む。
「すみません、私がジルと一緒になるとは? 私はジルの友人とはいえ、たかるような行為をするつもりはありませんが……」
まだ秘密が保てていると思いたいのだろうサーラは、必死に男のような物言いをする。ルカルディオは笑いたいのか泣きたいのかわからず、眉をしかめた。
「ああ、まあ頭の片隅にでも入れておいてくれ」
「もしかして、私とジルがよく秘密の話をしているから妬いているんですか?」
「……」
妬いてるなんてものではない。ルカルディオは顔を背けた。感情を殺すことなど、政務のときであれば難しいことではないのに、サーラの前ではいつもひどく困難を極めた。強く頬の内側を噛む。
「気持ちはわかりますよ。私もサー……ラの友人に妬いたりしました。でも、ジルが私に話すのはルカルディオ陛下のことばかりです」
「しかしあいつも、そろそろ兄離れする時期なんだろう。だからサーシャに、自分の秘密を打ち明けた。そうだろう?」
「いえ……兄離れどころか、その一歩先の段階へ進んでいますよ」
サーラは記憶を思い出すように、目を上に向ける。嘘ではなさそうだとルカルディオは思った。