克服
「すまないが、もう少し近くで顔を見ても良いか?」
まとわりついていたバレッタ卿とジルを振り払って、陛下はサーシャに近付いた。あと一歩でぶつかってしまいそうな距離だ。完璧に私の姿となっているサーシャと陛下が見つめあう光景を端から眺めるのは、すごく変な気分だ。
「もちろんでございます。でも、そんなに近くで見つめられると、少し恥ずかしいですわ。陛下のお姿が想像以上に麗しくて素敵なんですもの」
サーシャは頬を庭の薔薇みたいにピンクに染めた。その仕草は、まさに乙女の見本。私にそれは出来ないからやめて欲しい。
「いや、あなたこそ素晴らしく美しく、月の女神のようだ」
ルカルディオ陛下は何かを思い出したかのように堂々と甘い言葉を言ってのけた。初めて会った男女はこんな風に社交辞令を交わすマナーを思い出したのだろう。月の女神という表現は10年以上前の流行りだけど。
だけど、今そこで私役をしているのがサーシャで良かったと思う。お世辞でも、私が陛下からそんなこと言われたら、かあっとなって走ってどこかへ逃げ出しちゃう気がする。
「まあ、光栄で、す……」
言いながら、サーシャは足元をふらつかせた。まだ体調が悪いせいだ。私が飛び出すより当然早く、目の前にいたルカルディオ陛下がサーシャの上半身を支える。
サーシャは一気に青ざめた。幻覚の魔法で見た目は私だけど、触れれば痩せたとはいえ筋肉質な男の体だ。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですから放して下さい」
「いや、私こそ病み上がりのあなたを立たせていて悪かった。座ってくれ」
サーシャは、ルカルディオ陛下に支えられながら椅子に座った。陛下が座るので、銘々に全員着席する。陛下は俯いて、しばし笑った。まさか私とサーシャが入れ替わってるとバレたんじゃ――
「フォレスティ伯爵」
「はっ」
陛下はお父様に呼びかけた。緊張感を隠せず、お父様の顔は引きつっている。迷惑かけて本当にごめんなさいと思う。お父様は先帝陛下の時代は近衛騎士をしていたけれど、腰を痛めてからは事務官と家の事業をしていて、陛下とはあまり顔を合わせない。
「サーラとサーシャという素晴らしい双子を育て上げてくれてありがとう。長年の胸のつかえが取れたようだ」
「胸のつかえ、でございますか」
陛下が偽装に気付いていないようなのでお父様こそ、つかえが取れたようにほっと小さく息を吐く。
「ああ。私は長らく、女性は嘘をつくし、淫らで穢れているという思いを消せずにいた。頭では個人差だとわかっていても、どうしても心が受け入れなかったのだ」
「詳しくは存じ上げませんが、辛い思いをされたのでしょう」
私も詳しくは知らないので、お父様の相づちに黙って頷いた。陛下が言っている穢れた女性というのは恐らく皇太后陛下のことだろう。皇太后陛下に、呪いよりもひどいことを言われたかされたかして、ルカルディオ陛下は全ての女性を嫌いになったんだ。
陛下は微かに首を振る。
「私の心が弱かったのだ……。だが、才気溢れる青年ながら、細やかな気配りのあるサーシャと接しているうちに、男と女の差など、歯車ひとつ程度の差だと感じられてきた。そして、サーラとサーシャの相似を目の当たりにして、確信が持てた。もう私は、女性を恐れることはない」
優しい眼差しで、陛下は私を見た。いつの間にか、幼い頃の縁などではなくここ最近の私の行動を褒められていて、心臓がはね上がるようだった。お父様が身を乗り出した。
「左様でございますか」
「うむ。試しに誰か侍女を呼んでもらえるか?それからフォレスティ伯爵夫人にも直接礼を述べたいが……」
「えっ」
私は驚いて、目でそれは良くないと陛下に伝えた。お母様も今日は在宅してるけど、女性嫌いの皇帝陛下と謁見するなんて思ってもいないはずだから、ただの室内着のはずだ。
「お呼びとあらば、妻を連れて参りますが」
なのにお父様は権力に屈してひどく雑な発言をした。年齢とか関係なく身分が絶対の貴族社会に長く生きてきたのだから仕方ないのかもしれないけど、私はついお父様を睨む。
「ああいや、事前の約束もなく女性に会おうとするのは失礼だったな。あとで礼状を送ることにする」
言いながら陛下は苦笑した。私が以前、女性には準備とか支度があると言ったのをちゃんと覚えてくれてるようだった。すごく紳士。
「それから言い忘れていたが、サーラには呪いはかかっていない。本当に風邪だったのだな。体調の回復を願って、何か滋養のつくものを送ろう。自家農園から野菜や果実と……ジル、魔法薬も調合してくれるか?」
「はい、かしこまりました」
「人面人参とドラゴンの肝と、マグロの目玉を混ぜるといいかもしれない」
飲むのは私じゃなくてサーシャだけど、激しくまずそうだった。
「材料については僕にお任せ下さい、陛下。最適な魔法薬を調合します。サーラ様には一刻も早く回復してもらいたいですから」
ジルは全て心得たという風に頷き、サーシャに微笑みかけた。実際全てわかっているので、一番いい魔法薬を作ってくれそうだ。
「お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします」
サーシャはジルに対してしっかり目を合わせ、色々な意味を含めてそう言った。二人が顔を合わせるのは今回が初めてだが、いずれ時間を作れたら仲良くなれそう、と私は勝手に思っていたりする。
その後、侍女を呼んで完全に陛下は女性嫌いを克服したと確認し、もう少しだけお話をして私たちは王宮に戻るための馬車に乗り込んだ。
「いやあ、もしやと思っていましたが、まさか完全に克服されるとは!今夜は素晴らしい夜ですな!」
バレッタ卿は馬車の扉が閉まってすぐ、上機嫌で口を開く。
「ああ、私もまだ夢を見ているようだ。それに、サーラはとてもかわいらしかった……」
陛下は翡翠の瞳でぼうっと虚空を見つめ、手を変なところに浮かせた。かわいらしい?
その言葉はじっくりベッドの中で吟味しながら眠りに就きたい。
「しかも陛下は女性に触れることまで出来たではありませんか!久しぶりの女性の触り心地はどうでしたか?」
バレッタ卿の気の利かない話の振り方に、受かれていた気持ちが沈んで胃がきゅっとなる。それは言わなくていいのに。
「……すごく、硬かった」
「ほう、コルセットかもしれませんね」
「そ、そうです!コルセットですよ!」
まだ変なところに浮いている陛下の手が気になるけれど、私は誤魔化そうとバレッタ卿の意見に合わせる。
「フォレスティ家では、決闘に使う防具と同じ魔物の素材で作ったコルセットをしていますから!万一のときも安心なのです!」
「道理で硬かったわけだ。それにサーシャ、彼女は相当鍛えているんだな?」
「あっ、はい。そうなんです!!」
「見た目は細いのに、重量感があって逞しかった」
「……幻滅しましたか?」
陛下の女性嫌いが完全に治った以上、私以外のあらゆる令嬢が結婚相手になり得る。悪印象を持たれたくなかった。
「まさか。昔と変わらず、勇ましく素敵な女性だと思う。ただ……」
「ただ?」
何の問題点があるのか、もう一秒も待てないくらいに聞きたくてうずうずした。直せるところだったら直すから、可能性を示して欲しかった。
「私を好きになってもらえるか、それが心配だ。正直言って理想の女性すぎる……」
陛下は言いながら手で口元をおさえた。
「あ……う……」
「はは、何でフォレスティ卿がそんなに赤面するんだ? 姉を取られると思って寂しいのか?」
言葉を失くして呻くしか出来ない私を、バレッタ卿がからかってきた。