逢瀬
ルカルディオ陛下が私の家を訪ねる日なんていう、想像だにしなかった日がやって来た。
公式な訪問ではないので、再び夜にこっそり馬車に乗って移動する。乗り合わせるのは最小の人数なので、陛下、近衛騎士最上位の側仕えであるバレッタ卿、ジル、私という4人だ。
「サーラ嬢の顔だけ確認したらすぐに帰ると伝えてあるだろうな?」
ルカルディオ陛下はやや落ち着かない様子で、私に今日二度目になる質問をした。物事を一度聞けば絶対忘れない陛下にしては珍しい。
「はい。本来なら姉が陛下の元へ馳せ参じるべきところでございますが、病み上がりの姉の体調をお気遣い頂き、誠にありがたく存じます」
「良いのだ。王宮に呼ぶと周りの目がうるさい。却って彼女の身を危険にさらすからな……いや、これはさっきも言ったな」
私がさっきと同じ返答したら、陛下も同じことを繰り返し、途中で気づいてふっと笑う。
「私が無理を言って都合をつけてもらったのに、具合が悪くなったら申し訳ないからつい緊張してしまってな」
陛下は自分の胸に手を当てて深呼吸をした。女性嫌いの症状が出ることをかなり心配しているようだ。
今回の訪問の建前は、双子が揃って体調を崩すなど絶対におかしいから、ルカルディオ皇帝陛下が持つ『聖顕の瞳』で呪いがかかっていないか確認するというものだ。
だけどサーシャにかかっていた呪いは、ベラノヴァ団長が私怨でかけたもので、解き終わっている。体調は回復傾向にあるとルカルディオ陛下には伝えた。でもやっぱり会いたいのだそう。
それにはルカルディオ陛下の幼少期の心の傷も関わっていそうなので反対はしなかった。
「サーラは、陛下の症状のことは十分理解していますから気楽に顔だけご覧になって下さい。結果がどうあっても、陛下のせいではありませんから」
「すまない……」
ルカルディオ陛下は、女性嫌いを―ほとんど恐怖症だが―治したいと強く願っている。皇帝陛下という立場上、女性を遠ざけることは不可能ではないが、不便も多い。
発症し始めた11歳から、25歳になられた今に至るまで、身の回りから徹底的に女性を排してきた。その間には、色々な方法を試して来たらしい。しかし一切改善しなかった。
だけど私は女なのに、魔法で見た目だけ弟のサーシャになって、今現在も陛下の隣に座っているのだった。
何か言おうとしたとき、馬車が大きな角を曲がったのか遠心力によって、私は陛下に少し肩がぶつかってしまった。
「申し訳ありません」
「いや」
謝ると、考え得る最短の答えが返ってきた。陛下は全く平気そうな顔で、通気孔からの涼しい夜風に髪をそよがせている。ルカルディオ陛下は本当に配下思いの優しい人だから、近衛騎士がぶつかったからって気にはしないんだろう。
そう、こうして男のふりをしていれば陛下の側にいられるし、たまには触れたりも出来る――。サーシャの命の心配がなくなってから、私はルカルディオ陛下の側にいられる幸せを噛み締めるようになった。
認めるとすると、私は陛下の横にいるのがすごく好きだった。
陛下のまとっている空気が好きだし、頼りがいのある雰囲気はたまらないし、すごく頭が切れるのに時々とぼけてるところがかわいいし、要約すると全部好きなのだ。
今夜、ルカルディオ陛下が私の姿を見て、どう思うかが心配だった。陛下は、子供の頃に少しだけ共闘した縁で、好印象があるとは言ってくれている。お互いに口に出しては言わないけれど、もしかしたら女性嫌いの症状が出ないのではないか――そんな期待で、陛下と私は緊張していた。
それなりの大きさではあるけど、王宮に比べると小ぢんまりしたフォレスティ邸の敷地前で馬車は止まった。夜なので暗いけれど、常夜灯の魔導ライトに花崗岩の白い柱が照らされていた。
「これがサーシャの育った家か。かわいらしい邸だな」
我が家の男性使用人が速やかに馬車の扉を開ける。馬車から降りたルカルディオ陛下は、腕を広げてまた深呼吸をした。王宮とは比べようがない邸だが、庭で春のつる薔薇だけは大量に咲き誇って静かに甘い香りを放っていた。
「むさ苦しいところですが……」
「いや実に開放的で、よい気分だ。夜に出かけるのは楽しいな」
自分自身を励ましているのか、陛下の声や話す内容は平時よりずっと明るかった。
家令のカルルッチなど男性のみの使用人に迎えられ、私たちはつつがなく応接室前へと案内された。中には魔法で私に偽装したサーシャと、お父様が待機している。
「ルカルディオ皇帝陛下がお見えになりました」
カルルッチが扉を開けると陛下は、さっと勢いよく入室された。私たちも後から続く。
事前に確認はしているけど、サーシャは魔法で完璧に私になりきっている。鏡を見ているみたいに、私そのものに見えるのだった。
ちなみに髪の長さは魔法に反映されないので、カツラを被ってもらっている。その髪の毛は、私がサーシャに成り代わったときに切ったものだ。サーラに戻ったら使おうとカツラへの加工を発注していて良かった。
「偉大なるルカルディオ皇帝陛下にご挨拶申し上げます。サーラ・フォレスティでございます」
サーシャは優雅にスカートの裾を広げ、膝を軽く折って挨拶をした。もうこの辺は、私より完璧って感じだ。子供時代は私よりドレスを着ていたし、今もノリノリだった。
「な……」
陛下は信じられないものを見たかのように、サーシャの顔を見て、私の顔を見た。
「そっくりではないか……似すぎでは?!」
「男女差はあるつもりですけど……」
つい言い返してしまう。この場合、あんまり同じと言われるのは微妙な気持ちだった。私はそこまで男顔じゃないと思う。
「あ、ああすまない。もちろん違うが本当に似てる」
「ルカルディオ陛下、ご気分は?」
バレッタ卿が、心配そうに問いかける。いつ陛下が倒れても支えられるようにか、腕を中途半端に伸ばしていた。
「気分?」
はたと動きが止まって、陛下は再び女装中のサーシャを見た。
「……何ともない」
「な、何ですと?! 本当に大丈夫なんですか?」
「自分でも信じられないが、全く気分が悪くない」
「ほ、本当に?!」
陛下にバレッタ卿とジルが、わあわあ詰め寄って真偽を確かめようと脈を取ったり顔色のチェックをしだした。
私はそっとサーシャと目を見合わせる。サーシャは良かったねと言いたげに微笑んだ。私はまだ信じられない思いで、これは夢なのかもと疑ったりしていた。