魔方陣の破壊
王宮の皆が寝静まり始めた頃、私はジルと裏門に向かった。すっかり暗闇に包まれた世界で、仄かに光る魔導ライトを取り付けた馬車は浮き上がるように止まっていた。
私たちが近づくと、明かりのひとつが揺れた。ベラノヴァ団長がランタンを手に待っていた。暗い色の長いローブを羽織っていて闇に沈んでいる。団長の気持ちを表しているのかもしれない。
決闘のあと、団長と少し打ち合わせをしてある。これからベラノヴァ邸に一緒に行き、サーシャにかけていた呪いの源である魔方陣を壊す予定だ。
「……ジルも来たんだな。あなたと二人で話がしたかったのだが。まあ、まずは行こうか」
ベラノヴァ団長はジルを横目で見て、馬車に乗り込む。私たちも続いた。馬車にはベラノヴァ家の紋章が刻まれていた。名門の生まれが多い近衛騎士団だが、ベラノヴァ団長も例に漏れず彼の父は侯爵で、元老院にも名を連ねる名士だ。当然のように、高級感あふれる馬車内は革張りの立派な座席だった。
「大勢の前で恥をかかされた団長が、フォレスティ卿に何をするか心配でしたので」
ジルは笑っているとも真顔とも取れる絶妙な表情を貼りつけていた。ベラノヴァ団長は嫌そうに首を振る。
「何もするつもりはない。ただ、話がしたかった」
「そうですか。では僕のことは空気と思って下さい」
ジルは私の隣に座り、御者の発車を待って遮音の魔法をかけた。ベラノヴァ団長が眉を上げる。話が外に漏れない便利な魔法だが、かなり高度な魔法で誰にでも使えるものではない。
「聞いていいか? 以前からジルの立ち位置は不思議だったのだが、君はただの侍従ではなく、ルカルディオ陛下の魔法使いなのか? 彼女の素性を陛下はご存知なのか?」
何だか火花が散っているようなベラノヴァ団長とジルのやり取りに私はどう口を挟めばいいかわからず、馬鹿みたいに二人の顔を交互に見た。馬車は多重に魔法がかかっているらしく、ほとんど揺れず静かに進んでいる。
「ルカルディオ陛下を守る盾は、近衛騎士団一枚ではない、ということです。僕は陛下の心を守るために仕えています。余計なことで心を煩わせはしません。ですから、団長の犯した罪も、彼女の犯した罪も、全て僕の胸のうちに留め、処理するだけです」
ジルらしい回答だった。
確かに、ベラノヴァ団長が愛憎や逆恨みの果てにサーシャを呪ったとか、私が勢いでサーシャのふりをして王宮に犯人探しに乗り込んだとか、安っぽい歌劇みたいな話を陛下に知らせるまでもない。
「なるほど。だがジルに私の処理はされたくないな」
「ええ、もちろん。団長のこれからを決めるのはサーラ様です」
「えっ?!」
二人の視線が私に集まった。急に発言権をもらっても困る。
「サーラ」
向かいの座席に座っているベラノヴァ団長は、正面から青い瞳で私を見つめ、私の本名を呼んできた。何なの、その甘やかな呼びかけ。
「あなたの剣によって、私は性根を叩き直された。決闘に際し、あなたは何の策も弄せず、正々堂々とその身ひとつで私にぶつかってきた」
「はあ……」
心理戦くらいはあったつもりだけど、難しい策はなかったので私は曖昧にうなずく。ベラノヴァ団長の瞳に変な熱があるように見えた。
「サーラは誰よりも美しい心を持っている。対峙して、私がいかに汚く穢れているかわかった。私は許されざることをした。謝って済むものではないとわかっている。如何様な罰も受けたい。どうか、私の処遇を決めてくれ」
「処遇を決めろと言われましても」
「あなたたち姉弟を巻き込むので、私が呪いをかけたという罪は公に出来ない。だが、近衛騎士団を辞して修道士になれと言うのなら従う」
「そんなまさか……」
否定しかけたが、冗談ではないとベラノヴァ団長の揺るぎない瞳が語っていた。ベラノヴァ侯爵の長子が修道士になるなんて、世捨て人もいいとこだ。
「サーシャの意見もあるだろう。相談して決めてもらってもいい」
そんなことを話している間に、帝都内のベラノヴァ邸に着いたらしい。馬車が停止したのを感じた。貴族が邸を構えるエリアは王宮から遠くはない。
馬車から降りると、夜だというのに使用人たちが10人ほど左右に並んで頭を下げていた。ちょっと申し訳なくなる。
「ベルトルド様、今宵はどうされましたか?」
家令だろうか、白髪混じりの男性がベラノヴァ団長に問いかける。
「男同士のちょっとした賭けに負けて、私の秘密を見せることになったんだよ。お前たちは寝ていていい。すぐ帰るから、茶も何もいらない」
ベラノヴァ団長は笑って使用人たちを解散させた。そのまま団長に案内されて、私とジルは広いお邸をしばらく歩いた。玄関ホールを抜け、左右の壁に絵画を飾っている廊下を通り、小ホールを抜けて階段を降りて地下に進む。地下にもずいぶん部屋があるようだった。
うちのフォレスティ家と特に親交がないので初めてベラノヴァ邸に足を踏み入れたが、やはり闇雲に探すのは無理だっただろうなと思う。
「この部屋だ」
懐から鍵を取り出して、ベラノヴァ団長はユリの図柄が浮き彫りになった樫の扉を開ける。中から、少しカビ臭い湿った空気が吹き付けた。まあベラノヴァ団長のご両親や使用人たちが鍵を持っていない部屋なのだろう。
蝋燭の燃え尽きた燭台に囲まれ、大きな魔方陣が大理石を敷き詰めた床いっぱいに描かれていた。車輪をもっと複雑にして、鱗を並べたような気持ち悪いものだった。よくこんなに細かく描いたと思う。中心には、魔方陣の縮小版のような紙が置かれていた。
「ベラノヴァ団長がこれを描いたんですか?」
「ああ、薊の魔女にこの紙をもらった。それぞれの点を同じ長さに伸ばして繋げるとこうなる……」
ジルは興味深そうに魔方陣を指で空中になぞっていた。
「本当に済まなかった」
ベラノヴァ団長は部屋の角に立て掛けてあった長い杖を手に取った。杖に魔力を込めているんだろう、緑色の光が部屋中を包んだ。団長は瞳が青いので、相当な魔力を持っている。剣も魔法も使えるのに、どうして使いどころを間違ってしまったのだろう。
とん、と杖を地面に着くだけで魔方陣は崩壊を始めた。平面図なのに不思議と崩れてどこかへ落ちるように、一切の痕跡も残さずこの世から消滅していった。
「これで、サーシャの呪いは解けたんですね?」
「そのはずだ」
私たちは次にフォレスティ邸へと移動した。
逸る気持ちを押さえられず、私は敷地に入ったあたりで減速する馬車を飛び降りて、勝手知ったるフォレスティ邸の中を走った。
サーシャの部屋へと急ぐ。なぜか、廊下に花が異常に多かった。
「サーシャ!!」
叫びながらドアを開けると、少しやつれたサーシャの姿が目に飛び込んできた。ベッドで寝ていたようだが、私の立てる物音に起きたらしい。
「具合はどう?!良くなった?!」
「サーラ……」
ベッドに駆け寄ってサーシャの両頬を手で挟む。たった数日で痩せちゃってて胸がぎゅっと痛くなった。
「ねえ! どうなの? 呪い! 解いたの!」
「ちょっと落ち着いてよお……さっき急に楽になったからさ」
「本当?! 良かった……ごめんね遅くなっちゃって」
抱き締めると、サーシャのお気に入りの石鹸の、オレンジとキャラメルの甘い匂いがした。私も最近はサーシャを装うのに使っている。
「そんなことないよ。大変だったと思う。助けてくれて本当にありがとサーラ……ところでさ」
「うん?」
体を離して、改めてサーシャの顔を見る。私が鏡を見る分には、私自身――サーラの顔に見えるので数日ぶりに確認したかった。でもやっぱり、紫色の目の形は全く同じだし、鼻とか口もどう見ても似てる。けれど、私にとってはそんなの関係なく世界で一番かわいい存在だ。
「僕の姿で、ルカルディオ陛下と色々やってくれたみたいだね」
「え?」
「大量の花とか高級ミルクとか、連日すっごい贈り物が大量に来てたんだけど、何がどうなってるの? 僕そっちで心配になった……」
そういえば、廊下がお花だらけだった。よく見たら、この部屋も紫色の様々なお花がいっぱい生けられている。何だっけ、紫水晶宮に紫の花があるから送るとは陛下が言っていた気がする。
「サーシャがかわいいから、何かそうなったのよ」
「ぼ、僕の顔でその言い方やめてよ」
サーシャが困ったようにちょっと笑った。その頬は回復の兆しのようにほんのりピンクで私は嬉しくなった。