雌雄を決する
引き分けであった私とベラノヴァ近衛騎士団長との決闘の、第二戦が始まろうとしていた。
息を整えたくて、私は深呼吸を繰り返す。剣を握る手の痛みと痺れはひどくなってはいない。もう少し時間があれば直るだろうが、そこまで間を置くことは出来ないだろう。
私は、首の後ろに刺さる視線に振り返る。こういうとき、大体の人は意識するより先に体が動くというけど私もそうだった。
訓練場を一番良く見渡せる場所に掛けているルカルディオ陛下と目が合った。凛々しい直線的な眉がひそめられ、前のめりで顔の前で両手を組んでいる。その手は熟考のためではなく、祈っているように見えた。
陛下のために誰かが運んできた椅子は、背もたれが金色で豪華な彫刻が放射状に広がり、まさに陛下が背負うべき威厳と高貴さを物理的に表現している。
ルカルディオ陛下は、今回の決闘について知ったとき、見届けると言っただけで反対はしなかった。皇帝という立場上、やめろと言うとすぐに命令になってしまうからだろう。
だけど陛下の視線は今、私だけに向けられベラノヴァ団長には一切向かない。翡翠の瞳が訴えるものを、私は応援と取った。
今だけは思い上がることを自分に許した。
サーシャである私を応援するってことは――私をベラノヴァ団長に取られたくないと妬いてくれてるってことでしょ?
願望を主体とした希望がもくもく湧き上がった。胸の奥に新たな燃料が投下されたみたいだった。熱いものが全身を駆け巡って、手の痛みも疲労もどこかへ消散した。
私は、陛下と視線を合わせたまま、すばやく片目を瞑った。反応を見るのは恥ずかしいのですぐに目を逸らす。
「構え!」
副団長が、再び声を張り上げる。周囲の喧騒がすっと静かになった。私は剣の柄を握って放す儀式をまた行う。
「始め!!」
開始の声が、ベラノヴァ団長の右足を動かすのが見えた。私は、どうやらあがっていたらしい。霧が晴れたようにベラノヴァ団長の細かな動き、前動作が見て取れる。
私は筋力がない代わりに、ほかの感覚を鍛えてきた。視力は、男女で差がないもののひとつだ。私は特に周辺視野を鍛えた。人間の焦点が合う範囲は案外と狭い。また、緊張によってもそれは狭まったりする。
広く全体を見ること。相手と体格差があって、腕の長さで不利でも、相手より先に反応することで帳消しに出来る。
私は飛ぶようにベラノヴァ団長の間合いに踊り込んだ。接近戦に持ち込むつもりだ。ベラノヴァ団長は最早、私の手元は見えていないようだ。私を睨みつけ、気配と勘だけで剣を動かして防御してくる。団長の長年の経験は計り知れない。
「くっ!!」
ベラノヴァ団長は、歯噛みして僅かに声を漏らす。あと少しで私の攻撃が届きそうだった。かなり無理のある腕の角度で、ベラノヴァ団長は防御した。私は一度退き、距離を置く。騎士たちの野次が飛び交った。
――さっき、ベラノヴァ団長は魔法を警戒してあんなに強く叩いたんだ。
私側に魔法も仕掛けもないと知ってしまったベラノヴァ団長は、お手本のように無駄のない立ち回りになった。それでも私は、あと一歩のところでは踏み込まない。ベラノヴァ団長が隙を見せるのをしつこくしつこく待つ。
私が最高の調子で動けてもまだベラノヴァ団長には及ばない。少しずつ、ベラノヴァ団長の息が上がってきた。
ふと、バレッタ卿に教えられたことを思い出した。『腹に力を入れろ!』だ。ほぼそれしか言われなかった。私はハイヒールを履いていることが多かったからか、重心が前に傾きがちなのを注意していたのだろう。『剣を腕で振るんじゃない、腹で振るんだ』とか訳のわからない教え方だと思ってたけど、私はお腹に力を入れ直す。
確かに、今は腕に強い力はいらない。それより決して姿勢を崩さないことが重要だ。これなら体力的にも長持ちするかもしれない。
私は身を低くして突撃した。ギリギリのところで、ベラノヴァ団長は私のレイピアの峰を叩き防ぐ。ベラノヴァ団長の顔にもう余裕は一欠片も見当たらない。
フェイントを入れて、右胴を狙いながら切り返しての中段突きを繰り出す。ベラノヴァ団長は自身側に腕を引きながらパラードした。ここで引くなんて。私は勢いのまま、少し前のめりになってしまう。
「はあっ!!」
ベラノヴァ団長が凄烈な気迫共に、剣ごと私を後ろに突飛ばそうとしてきた。刃のついていない剣身同士が擦れる音は甲高く、火花が見えた。
だが、私は体勢を崩さない。ハイヒールではない革靴は、確かに地面を踏みしめた。腰を落として腹に力を入れた。脇腹がぴりぴりした。間を空けるつもりはない。
はっきりと光ってさえ見えるベラノヴァ団長の隙――左体側に、私は目いっぱい腕を伸ばし、渾身の突きを入れた。団長はまだ全力の突飛ばしから、腕を戻せていない。ベラノヴァ団長の防具に、しっかりとレイピアが当たった。
「勝負あり!」
副団長が声を張り上げた。
「勝者、サーシャ・フォレスティ!!」
高々と副団長の腕が上がる。間違いなく私が立っている側の腕で、切望していた言葉も確かに聞こえた。
……だけど嬉しすぎると現実だと信じられない。
沸いている観客の声がどこか遠くから聞こえているようだった。
「私の負けだ……あとで裏の城門まで来てくれ」
ベラノヴァ団長が私にだけ聞こえるように低く囁いた。感情を押し殺したような、平坦な喋り方だった。
形だけの握手と礼をして訓練場の土を降りると、ジルに迎えられた。ジルはたった数分で、急に疲弊してしまったようだった。何だかふにゃふにゃになっている。
「よ、よかった……勝って良かったけど、気が気じゃなかったんだけど?!」
「心配かけてすみません」
私はそれしか言えなかった。ジルはもう、とかうう、とか呻きをしばらく繰り返してやっと言葉を絞り出す。
「……君、すごいよほんとに。うん。団長は最後に何て?」
「あとで裏の城門に来てと言われました」
「わかりました。僕も同行します。じゃあ、陛下が呼んでますから、行って下さい」
周りにほかの騎士たちが集まってきたので、ジルは緩やかにいつもの調子に戻り背筋を伸ばした。私はみんなに肩や背中を叩かれそうになるのを避けながら陛下の元へ早足で駆ける。
「陛下!お呼びでしたか?」
ルカルディオ陛下は、落ち着きを取り戻して座っていた。
「見事だった。良くやったな」
ルカルディオ陛下は温かみのある笑顔でそう言った。胸にずどんと嬉しさのかたまりが落ちた。やっと勝利の喜びを実感する。
「あ……ありがとうございます」
騎士としてはもっとはっきり喋らなきゃいけないのに、私は盛大に照れに襲われて、口がうまく動かなかった。
「正直、サーシャがここまで強いとは思っていなかった。がんばっているのだな。なあ、バイアルド……?!」
バレッタ卿の名前を呼びながら振り返った陛下は、驚きに息を飲む。私も気付いてぎょっとした。良く見たらバレッタ卿は静かに、不動の直立姿勢で泣いていた。
「どうしたんですかバレッタ卿?!」
お腹でも痛いんだろうかと私は心配になる。
「フォレスティ卿……お前は私の弟子だ」
「そ、そうでしたっけ」
数日、昼休みに少し教えてもらっただけで弟子認定されるとは知らなかった。
「私の壊滅的に下手な教えを良く理解してくれてありがとう……最後は私の剣筋に似ていて、感動してしまった」
教えるのが下手な自覚があったのかと思いながらも、私は胸ポケットからハンカチを取り出す。男性用の服は胸ポケットがあるから便利だ。
「このハンカチ返さなくていいですから、顔を拭いて下さい」
「すまない、あとで新しいものを返す……」
バレッタ卿はハンカチで涙にまみれた目元を覆った。
「良かったな、バイアルド。立派な弟子ができて」
ルカルディオ陛下が苦笑したあと、私に向かってぱちんと片目を瞑った。
「!!」
動揺する私を見て、陛下が満足そうに微笑む。さっきのお返しと言わんばかりだ。陛下のウインクは、それはもう最高に完璧にかっこよかった。