男装令嬢は女嫌いの皇帝に溺愛される

諦めと決意

　なぜ、王宮騎士の詰所に行ったのかと問われたなら、答えはひとつである。

「探しものをしています」

　バレッタ卿は軽く首を傾げた。

「探しもの？」

「はい、この広い王宮で、大事なものを失くしてしまいました。恐らく無理に盗られたのです。王宮騎士の誰かが隠し持っているかと思いましたが、全然わからず終いでした……」

　言い訳のように私は言葉を重ねる。本当に探しているのは、サーシャを病の床に就かせて苦しめる呪いをかけた人物だ。この王宮のどこかに犯人はいるはずなのに、私には誰なのかがさっぱりわからない。こうしてサーシャのふり、男のふりまでしているのに。

「えらく悲痛な顔つきだな……そんなに大切なものなのか。それは、どんなものだ」

「言えません」

「言えないだと？」

　バレッタ卿の赤い瞳が厳しく私を見据えた。でも、どんなに怒られてもそんなのは言えない。

「生意気なやつだ。だが、手伝ってやろう」

「え？　何かもわからないのに、ですか？」

　何がどうしちゃってそんな結論に至ったんだろうと、バレッタ卿に対して今度は私が首を傾げた。

「無関係の私が動いた方が、相手も油断するだろう。お前の指示通りに情報を集めてやる。だから、王宮騎士にはもう近付くな。あっちは風紀が乱れているし、ルカルディオ陛下が心配する」

「……」

　確かに、彼らの風紀は乱れていた。ルカルディオ陛下が心配するかどうかまではわからないけど、もう積極的には近づきたくない。私が偽物のサーシャだとバレる可能性も高い。

「ありがとうございます。では、どう情報を集めるか、少し考えます」

「ああ。何事も冷静に考えて動け」

「は、はい」

　答えながら少し笑ってしまって、バレッタ卿に目で咎められる。冷静に考えて動く、だなんて私に最も縁遠い行動だ。だからこそ注意してくれたのかもしれない。バレッタ卿は意外と私をわかっている。

　◆

　夜になり、私は割り当てられた自室で一息ついていた。心配してくれているだろうサーシャへの手紙を書き終わり、もう寝ようかと少し冷えた体をさする。

「今夜は流石に、ルカルディオ陛下はいらっしゃらないのかな」

　もう陛下と必要以上に親密にはなるまいと決意したものの、もしお部屋に来られたら断れない。だから自分なりに部屋やソファの隅々まで、清掃魔法をかけてある。

　陛下は深夜まで忙しいらしい。バレッタ卿に聞いたところによると、陛下は公務を終えられた後、自主的に勉強をしているという。議会を通った法案などの最終決裁は皇帝であるルカルディオ陛下が下す。その為に、ありとあらゆる知識を学び続ける必要があるのだろう。

「だから、仕方ないわ……」

　だって国民は、国政が良いとか悪いとかの責任を皇帝陛下ひとりに押し付ける。貴族院の議員の名前などはほとんど周知されないものだ。陛下の双肩にかかる責任の重さは、傍で見てひしひしと伝わってくる。

　それでも、希望の足音を、私の耳が感知した。

「フォレスティ卿、今よろしいですか？」

　侍従のジルの、柔らかい声がした。でも、足音が複数だったのでルカルディオ陛下もいるとわかっている。私は髪を撫でつけてドアを開けた。

「サーシャ、連夜押しかけてすまないな。話がある」

　ルカルディオ陛下が、昨日のような襟の低いシャツ姿で立っていた。洗ったばかりなのか、金色の髪がまだ少し濡れていた。

「いえ、お越し頂けて光栄です……」

「だから、今はそういうのはいいと言っただろ？」

　昼間の毅然とした態度とは打って変わって、陛下は気を使わない口調を使った。嬉しいけれど、私はこっちの方が対応がわからない。

　ジルは、ワゴンに乗せて運んできた、ミルクの入った蓋つきのカップをテーブルにさっと置き、意味ありげな微笑みを浮かべて退室した。

　陛下と並んでソファに座る。喜んでいる場合ではないのに、やっぱり陛下の纏っている空気は心地よいものだった。急に部屋の温度が上がったよう。

「サーシャ、まあ飲んでくれ。昨日の今日でそう太れるとは思わないが、早く体型が戻るといいな」

「大丈夫ですよ。私はそんなに弱くありません」

　私は蓋を開けて、青いミルクの花の香りにうっとりした。これは本当にいい香りだし、おいしい。

「そうだな、それは昨日思い知った」

「その、あれは、失礼しました」

　陛下はほんの一瞬、上目遣いで私を見た。翡翠のような瞳は楽しげで、陛下もこの時間を悪く思っていないのだと信じたくなる。だけど陛下のその目線は、さっと遠く彼方を見るものになった。

「サーシャに何か出来ると安心する。私は、父上が病に伏せたときには、何も出来なかったから」

「だって、そのときの陛下はまだ11歳ではないですか。そんなに何もかもご自分のせいと思わないで下さい」

　ルカルディオ陛下の父君、つまり先帝陛下は、急病に倒れられて、一月もせずに身罷られた。ほとんど食事を受け付けない状態だったことから、胃の病であったと伝えられている。

「病は致し方ないことだった。だが、父上を殺したのは、皇太后の仕業だ」

　また呪いかと、私は思い浮かべてから棄却する。先帝陛下も、ルカルディオ陛下と同じく『聖顕の瞳』を持っていた。だから呪いは全て見破るはずだ。しかし、私の考えを読んだかのように、陛下が首を振る。

「皇太后は、侍医の家族を呪いにかけた。そして家族の命が惜しくば父上の治療をするなと脅したのだ。全て終わってから、侍医に告白された」

「ひどい……」

　私はそんなことしか言えず、自分の足を見る。どうして皇太后陛下は、そんなに人の心が無いような行動が出来るんだろう。夫である先帝陛下を、どうしてそんなに憎み、嫌ったのか。ルカルディオ陛下にかける言葉もない。

「だから、サーシャに頼みがある」

「何でしょう」

　陛下が私に頼みたいことなら何でも聞きたくて、勢い良く顔を上げた。

「サーラ嬢を、見舞いに行きたいのだが。彼女に呪いがかかっている可能性がある」

　いけないのだけど、かなり驚いた顔をしてしまったと思う。陛下の名推理は今夜も炸裂してる。稀代の賢帝です。

「…………ダメです、ごめんなさいそれは無理です」

　サーラとして寝込んでいるのは、本物のサーシャだ。フォレスティ家にのこのこと陛下と私が行ったら、サーシャが二人状態、になって私が陛下を騙していると露見する。

「いや！双子が揃って体調を崩すなど絶対におかしいだろう、私の『聖顕の瞳』で呪いがかかっていないか見てやるから」

　――呪いがかかっているのはわかっていますよ！

　声にならない叫びが、自分の頭に響いた。私は、ひどい間違いを犯しているのだろうか。輝石の魔女に騙されて、踊らされているのかもしれない。

　でも、私が魔女の元へ行って、こうして陛下に近づいたから、ここまで来れたんだと自己弁護をして、砕けそうな心を修復する。

　あのとき私が何もしなければ、サーシャはただの持病の悪化として、呪いのことなど誰にも気付かれずに心身を弱らせ続けた可能性だってある。でも――

「どうした？　サーシャ。何をそんなに困っている」

「……病気の女性を皇帝陛下が見舞うなど、前代未聞です。姉の方が困ってしまいます」

「迷惑だろうか」

「いきなりは恥ずかしいでしょうから、支度するよう連絡しておきます。あと数日だけ待って下さい」

　もうあと数日で終わらせよう、私は決意した。

　あと数日で私が犯人が見つけられなかったら、陛下に正直に全て打ち明けよう。私は鞭打ちの刑でも牢獄でも何でもいい。だからサーシャだけは助けて欲しい。

「……そうか、恥ずかしいか。私は、女性の心が全くわからぬからな。サーシャが必ず、付き添ってくれ」

「はい、もちろんです」

　諦めの気持ちで、私は返事をした。もうこんなに楽しい時間は私の人生に訪れないだろう。

　ルカルディオ陛下は破滅しかない未来を知らずに、頬を紅潮させている。美しい翡翠の瞳も潤んでいた。ふとした違和感に私の手が動く。陛下の、襟の低いシャツから覗く首に触れた。

「……？！」

「陛下、熱があります」

　耳下から続く首筋はひどく熱を持って、腫れているように感じた。