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サーラとサーシャ

「サーシャ……どうしてお前はそんなに私の心をかき乱すのだ」


 私の眼前に、ルカルディオ皇帝陛下の端正な顔が迫る。翡翠のような瞳に、窓から射し込む夕陽のせいか熱が込もっているように見えた。そんな目で見られたら、どうしていいかわからなくなる。


「あ……あの、困ります……私は陛下の近衛騎士……」

「そうだ、私を守らねばならない。なのになぜそんなに離れようとする」

「だって……いたっ」


 距離を取ろうと後ろ歩きを続けた結果、私は本棚に頭をぶつけた。

 ああ、陛下の図書室で調べものをしていただけなのにどうしてこうなったんだろう。そもそも私は双子の弟、サーシャの代わりをやっているだけなのに、魔法で絶対男に見えているはずなのに、陛下はどうして――


「サーシャ、もう逃がさない」

「あ……」


 もう後ろに下がれない私の間近に陛下は迫る。そっと頬に触れられ、その手の熱さに、言い様のない気持ちになった。すごくドキドキするけど、これはいけない。


「いけません……陛下」

「どうして?こんなに頬を熱くしているのに、嫌なのか?」


 私の頬まで熱くなっていると知らされて、恥ずかしさに一気に全身まで熱くなった。私にも夕陽が当たっているけれど、私は今、どう見えているんだろう。私の目は、どんな感情を伝えているんだろう。


「サーシャ……」


 陛下の息が私の耳にかかる。


「ダ、ダメです陛下、許して下さい。ダメなんです!!」


 私の正体がわかったら、きっと陛下に嫌われてしまうから――



 ◆



 私が男のふりをして、近衛騎士となったのは、数ヶ月前の事件がきっかけだった。


 私の双子の弟サーシャは、王宮勤めの騎士としての働きぶりが認められ、近衛騎士への昇格が決まっていた。でも、いよいよ明日からだっていうときに、サーシャは、高熱が出てしまった。お医者様の見立ては子供の頃からの持病が出たという。サーシャは子供の頃から、よく寝込んでいた。


 病気はもう治ったと思っていたのに。夢だった陛下を守る近衛騎士に選ばれたのにとサーシャは熱にうなされながら泣いている。


「うぅ……サーラお願い、薬をもっと僕に……」

「サーシャ、もう今日の分の処方されたお薬は飲んだのよ。わかって」


 私は冷水に浸した布を絞り、サーシャの汗や涙を拭く。かかりつけ医は、解熱剤を処方してくれたけれど熱は下がらず、普通に動けるようにはならなかった。いつ回復するかもわからないと言う。


 これでは夢だった近衛騎士の道が閉ざされてしまうかもしれない。サーシャは今まで、無遅刻無欠勤、鍛練に励み、上官の命令はどんな汚い仕事であろうと笑顔でこなし、がんばってきたと聞いている。


 そうして王宮勤めの騎士の中から近衛騎士に選ばれたのに、こんなタイミングで持病が悪化してしまうなんて可哀想すぎる。健康面を配慮して近衛騎士の任を解かれてしまうかもしれない。


「サーシャ、もう泣かないで。私が何とかするから」

「どうやって……?」


 サーシャは私と全く同じ、紫色の瞳を薄く開ける。私の魂の片割れ。でも、私が先に生まれたばっかりに、サーシャの体を弱くしてしまったかもしれないといつも思ってきた。私はサーシャに分けてあげられるなら分けてあげたいくらいに、丈夫で健康だった。


「サーラ、何する気?」

「大丈夫よ、さあ眠って………」


 起き上がろうとして崩れ落ちるサーシャの布団をかけ直し、頭を撫でて寝かしつけてから私はそっと部屋を後にした。



 愛馬に跨がり、私は暗い森を駆け抜ける。この森には、『輝石の魔女』と呼ばれる魔女が住んでいる。


 高い高い塔の朽ちた外階段を登り、私は扉を叩いた。


「お願いします! 私の弟を助けて下さい!」


 逸る胸をおさえて待っていると扉はひとりでに開いた。


「小鹿ちゃんが迷い込んできたようね。どうぞ入って」


 私は、嗅いだことのない甘く不思議な匂いがする室内に足を踏み入れた。何かの骨や、変な色の液体が入ったガラス瓶がそこかしこにある。

 魔女は、噂通り黒髪の美女だった。肩を出した夜色のドレスを着ていた。


「あ、あの……宝石があれば、何でも願いを叶えてくれるんですよね?どうか弟の、サーシャの病気を治してください。私の健康を全部サーシャにあげても構いません」


 持ってきた宝石類を詰めた袋を差し出した。私の持っている全てだ。でも、魔女は袋を受け取らず、まるで透視するかのように私を見て笑う。深い森みたいな、緑の瞳。


「あなたの弟は病気じゃないわ」

「え?!」

「呪いにかかっている」


 魔女は赤く長い爪で、私の肩から何かを取る。靄のようなもの指先でこね、ふっと吹き消した。


「これは(あざみ)の魔女の仕業ね。どこかにある魔方陣を壊さないと解けないわ」

「そんな……サーシャは、いい子なんです。どうしてサーシャが呪われなきゃいけないんですか?」

「そこまでは知らないわよ」

「私はどうなってもいいです、サーシャを助けて下さい」

「……面白いわね」


 魔女は、杖を手に取り私に差し向ける。緑色の炎のようなものが突然、私の胸から現れた。


「そこまで言うのなら、手を貸しましょう。あなたの、弟への愛を使って」


 緑の炎は、杖に巻き取られるようにして、大釜の中に投入された。虹色の煙が吹き上がる。


「これは、薊の魔女も、皇帝すらも欺く愛の魔法。この薬を飲めば、あなたは周囲からサーシャと認識される。幻だから、触られたらダメだけど」

「えーっと、私がサーシャに認識されるということは……」

「そう、あなたがサーシャのふりをして動き、呪いをかけた人物を誘き寄せるのよ。きっとすごく驚くでしょうね、呪いが効かないなんてって」


 魔女は高笑いをあげた。

 その間に、グラスは勝手に浮いて大釜の前から私の目の前にすっと移動してきた。私は、覚悟を決める。やるしかない。鼻をつく刺激臭があるけれど、私はそれを一気に飲んだ。


「うえっ! まずっ!!」


 酸味と苦味が怒濤のように押し寄せて吐くところだった。まずかった以外は、体に変化は感じない。


「これでちゃんと効いているんでしょうか?」

「ええ、私にもサーシャの姿に見えるわ。だけど、キスをしたら魔法は解けるから気をつけてね」

「な、何でそんな……」

「解除の方法がないと困るでしょう。ちなみに口と口の話よ」


 照れる私を前に、魔女は赤い唇で笑った。でも、私がサーシャと認識されるということは、言い寄ってくるのは女性だろう。私は女性とキスをしたいと思ったことはない。というか、誰に対してもそう思ったことがない。これならそう簡単に解けなくて、むしろ安心だ。





 ◆


 そして、私はサーシャの代わりになった。家に帰ると、サーシャには熱があるのに干からびそうなくらい泣かれてしまったし両親にも大反対された。でも、私の半身として、いや私以上に大切なサーシャの呪いを解くにはこれしかない。



 翌日、私はサーシャとして早朝から王宮に上がった。既に用意されていた近衛騎士の制服を、自分でこっそり丈などを直す。


 ただ、近衛騎士の叙任式の時間が迫るにつれ、私は緊張感からか身が震えてきた。

 皇帝陛下は王家の血筋として必要な、『聖顕』の能力を瞳に有している。要は大体の悪しき魔法は見破るということだ。私に魔女がかけた魔法は、邪なものではなく愛の魔法なので、皇帝陛下でも見破れないと魔女は言っていた。本当なんだろうか。


「サーシャ、そんなに緊張するな。打ち合わせ通りにやれば大丈夫だから」


 近衛騎士のベラノヴァ団長が私の背中を叩く。この人はサーシャとこれまで交流はないし、呪いをかけた人ではないと思う。ベラノヴァ団長は、褐色の肌に銀色の髪をしていて、頼もしい雰囲気がした。


「が、がんばります」


 そのとき、侍従の宣言によって、広い謁見の間に皇帝陛下の到着が知らされた。騎士は皆、一様に頭を下げる。私も頭を下げたまま、陛下の足元を見た。確かな足取りは、真っ赤な絨毯を通って中央の玉座へと向かう。

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