ふたり暮らし
もうすっかり見慣れてしまったアパートの扉。ドアノブに鍵を差し込む。右にまわそうとして、そこで初めてすでに鍵が開いていることに気がついた。
ケースその1、空き巣が入っている。
ケースその2、同居人が帰っている。
ケース1の方がどう考えても確率が高いよな、と思いつつ、そぉっとドアをおし開く。玄関に彼女の高いパンプスが散らばっているのを見て、珍しくケース2の方だったか、と思った。
「ただいま〜」
「ん〜」
返事とも、寝起きの音ともつかない声が部屋の奥から響く。きちんと二人分の靴を揃えて玄関を上がる。中をみると、彼女は毛布にくるまったままベッドから落っこちていた。
「あれ、帰ってたんだ。」
「ああ、うん、予定より早く終わって。」
「そ」
手早くコートをハンガーに掛け、化粧を落とす。未だに慣れない夜勤は、ここまでくると私と言う人間は看護師に無家いないんじゃないか、なんて思う。とにかく、一刻も早く眠りたい。給湯器のスイッチを入れると、ぴ、と心地良い音が鳴った。
「寝るときは扉の鍵閉めてね〜」
何度言ったかわからない忠告を投げるが、結局聞いていないんだろうな、と背中から彼女の動きがないのを感じて思った。
この東京の片隅で二人暮らしを初めて、もうすぐ3年が経つ。そこそこの家賃は、二人で暮らすのに丁度よかった。と言っても、彼女は眠る以外でほとんどこの部屋を利用することはなかったが。
彼女、私の妹であるリナは、漫画家だ。『なんて夢のある職業なんだ』と聞いたときには思ったが、この生活環境を見ていると、とてもじゃないが羨ましいと言えたモノじゃない。基本的に仕事場に篭りっぱなし、休みの時はこんこんと眠り続けている。人付き合いもほとんどない。人間として生きるために最低限のことしかしていない、といった具合。どこかに行くと言ったら、盆と正月に実家に帰省するくらい。それも、締め切りが近くないときにか限って、である。
そんなわけで、私はこの部屋に実質一人で暮らしているようなものだった。勤め先のかなりブラック寄りな病院で夜勤に明け暮れる日々。大学生からの惰性で辛うじて自炊はしているものの、もうしばらく、何を食べても美味しいとは感じない。シャワーの熱さだけが、私に確かな生を実感させていた。
シャワーから上がると、妹はもさもさとカップ麺を啜っていた。どうやら起きたらしい。
「そうだおねぇちゃん」
ドライヤーの風音の向こうから、彼女の声が聞こえる。
「な〜に?」
「アシスタントの人たちに合コンに誘われたんだけど。」
「へぇ、いつ?」
「明後日。」
「あら。」
『合コン』なんてあまりにも懐かしい響きで、思わず感慨に耽ってしまった。大学生の頃はよく社会人とやったなぁ。あの頃は、社会に出て生きている大人、と言うだけで眩しく見えていた。例えそれが紛い物の仮面だったとしても、格好良く見えていた時期があった。
「それでさ、おねぇちゃん、化粧とか、借りたいんだけど。」
「ああ、いいよぜんぜん。」
彼女は基本的にノーメイクである。担当さんとの打ち合わせの時も、雑に髪の毛を縛り、マスクをして出ていく。
「でもその前に。」
私は彼女の髪の毛をスッと手櫛で溶かす。
「この髪の毛を、どうにかしなきゃね。美容室行こっか。」
彼女はふぅっと顔を頬を膨らませた。妹はこの年になっても髪の毛を切るのが苦手らしい。全く、愛おしいことこの上ない。
「私の行ってる美容院、予約しよっか。」
妹よ、立派に青春してこい。
思わずふふっと、笑みが漏れた。