爪切り
短編小説です。よろしくお願いします。
ふと右手に目をやると、爪が伸びていた。手のひらを自分の顔に向けると爪が3ミリほど飛び出していた。切らなければと思い、爪切りを探す。が、なかなか見つからない。あれ、どこに置いたっけと思いながら小物入れに手を伸ばした。黄色い大きな小物入れ。ただ、元は筆箱として使われていたから小物入れとしては少し大きいのだろうか。この中には思い入れの有るものも多い。
例えば、手を入れて最初に触れたのは小さな鉛筆。どこにでもある緑色の小さな鉛筆。私の初恋の子からもらったものだ。彼女は賢かった。小学校のころ他の子たちとは一線を画すようなそんな賢さがあった。でも彼女はそれを飾らなかった。そこにひかれたのかもしれない。鉛筆は私が筆箱を忘れ、途方に暮れていた時に彼女から渡してきた。「短くて悪いけど・・・。」と言いながら渡しくれた鉛筆はとてもきれいに使われているとわかるものだった。消しゴムや赤ペンも借りていて、放課後に彼女に返しにいったが、「それはあげる。」となぜか鉛筆だけは頑なに受け取らなかった。私はそのまま小指ほどの長さになるまで使い続け、金属のキャップをしてそっと自分の机にしまった。そしていつしか、小物入れへとその場所が移動していた。机から取り出した時のことはなぜだか覚えていない。
鉛筆のすぐ下に爪切りはあった。この爪切りは私が一人暮らしを始める際、無理言って家から持ってきたものだ。親からすると、爪切りぐらい新しいものを買えばいいじゃないかと思ってただろう。けれども、この爪切りは私が生まれてからずっと共に過ごしてきたものだ。小学校3年生ぐらいまで爪を親に切ってもらっていた。年長ぐらいになると一人で何とか切れるようにはなっていたが、一度深爪になり、その時の何とも言えない気持ち悪さに、私は深爪にならないよう、ならないようと何度も両親にお願いしながら切ってもらっていた。実はもう一つの理由もある。
祖母が私の爪を好きだと言ってくれたことがあった。年少ぐらいの頃だろうか、私の爪を見て綺麗だと言ってくれた。おばあちゃん子だった私はこの爪を維持しようと、ほめられたいと思った。そうなると深爪などもってのほか。両親に頼ることとなった。
リビングに置かれた座椅子に胡坐をかき、机にティッシュを置いて爪を切り始めた。爪切りは、長年使われて、金属部分に少し錆が目立ち始めたような気がする。そろそろ買い替え時だろうか。手の爪は、最初見たときよりも少し長いような気もした。切り終わった後、そういえばと、足の爪を最近切っていないのを思い出した。胡坐を軽くほどいて足に向かって体を曲げるが少し苦しい。子供の時はこんなことは無かったのだが・・・。パチン、パチン、と音を立て切っていく。時がたつにつれて、思い出は募っていくものだが、ある時、あるところを境にその記憶は断ち切れてしまう。いつ彼女の鉛筆を小物入れに入れたのだろうか。鉛筆を頑なに返されることを拒んだ理由をもしかすると言っていたかもしれない。爪がきれいだといったのは祖父だったのかもしれない。そんな考えでさえ、爪切りの音と共にすっと断ち切れてしまう。