特別な力01
宝物庫でのやり取りを終え、少年ルシウムと金髪メイドは客間へと戻る。
客間の長いテーブルの上には1枚の大きくて分厚い紙切れが敷かれていた。
金髪メイドがルシウムを宝物庫へ連れてきた理由は、魔族の物資を見せつける為ではなく、ある物を取りに来たためだった。
そのあるものとは、世界地図。
金髪メイド曰く、この世界地図は魔族が作ったものらしく、魔界の地理については詳しく記載してあるが天界の地理は大雑把な地形しか書かれていない。
この世界には、大陸は1つしか無く、蝶のような形をした大陸の中央には大きな魔法壁跡があり、現在は人間が管理する巨大な要塞が作られているらしく、魔族が天界へ簡単に出入りできないようになっているとのこと。地図中央の要塞を起点とし、魔族が暮らす魔界は大陸の西側、人間の暮らす天界は東側と分断されている。
「私がこの地図を持ってきたのは、ルシウム様に今の世界情勢についてお話したかったためなのです」
そこは、ルシウムも気になっていたところだった。
ルシウムがまだ天界で暮らしていた頃は、光の勇者という存在がいた為、魔法壁が無くても魔族が天界に侵攻してくることはほとんどなかった。稀に、魔族の残党らしき輩が天界にやってきていたが、その都度、光の勇者が侵攻を阻止していた為、天界は至って平和であった。
しかし、光の勇者亡き今、天界がどうなっているのか。ルシウムが牢獄で囚われていた2年間、この世界の情勢はどのように変化したのか、ずっと気になっていた。
「天界は、今どうなっているんですか?」
ルシウムは率直に疑問を投げかけた。
「現在は、魔界も天界も大きく争ったりはしておりません。たまに、天界の人間が魔界にやってきて魔族の村を焼き討ちしたりするといった良からぬ情報を耳にすることはあります」
金髪メイドの言葉を聞いて、ルシウムは驚愕した。
人間が魔族の村を焼き討ちするということはつまり、人間が魔界に侵攻してきているということなのではないか。
ルシウムが知る天界の状況は、侵攻してくる魔族に怯え自分たちの身を守ることで精一杯で、光の勇者に頼りっきりの弱々しい人間だった。
この2年間で人間がこんなにも変わってしまうものなのか。これも光の勇者が殺された影響なのか。
昨日、レモンドが言っていた「何の罪もないただの魔族が人間に殺される」といっていたのも今なら納得がいく。
「人間が魔界に侵攻してきているということですか」
「んー侵攻というよりかは、ただの復讐に近いものかと。村を焼き討ちし魔族を滅ぼした後、そこを自分達の領地にするでもなく、撤退していくのです」
「……なるほど。逆に魔族から天界へは何か攻撃したりはしているのですか?」
ルシウムは人間であり魔界側に就くつもりはない。あくまで魔族と人間の中立の立場として身を置くつもりだ。
昨日のレモンドや宝物庫での金髪メイドと話していて、この人達はそういう立場で動いていくつもりなのだと、ルシウムは幼いながら理解していた。
まだ、魔族全体を信用している訳ではないし。
「私達の知る限りでは今のところありません。もしかしたら何者かに隠蔽されている可能性もありますし、知らないところで何か起きているかもしれません。」
隠蔽されているという言葉が少々引っかかったが、今はあまり深く考えていても仕方がない。
「そうなんですか……人間が魔族を襲うなんてことがあるんですね」
あまり信じたくない話ではある。今まで散々被害者ヅラしていた人間が、今度は加害者になっているなんてことを。
復讐が復讐を引き起こす負の連鎖とはこのことだったのか。
「信じ難い話ではあるのですが……。それに光の勇者が亡くなってから、大陸の中央に巨大な要塞が建てられたので、魔界から天界へ足を踏み入れることが困難になっているのです」
「魔界から天界へ行くことは困難だが、天界から魔界へは、安易に行き来できるってことですか?」
「……要塞の詳しい事は現在調査中なのですが、要塞を管理しているのが天界なので、恐らくはそういうことなのでしょう」
金髪メイドが渋い顔でそう言い漏らした。
「その要塞を壊すわけには――」
そこまで言ってルシウムは言葉を詰まらせた。
そうした結果どうなるのか、ルシウムはよく知っているはずだ。
過去に大陸中央の魔法壁をぶち壊して魔族が侵略してきた出来事だ。魔法壁が破壊されたことによって、魔界と天界で大きな戦争が巻き起こった。
数えきれない数の犠牲と人間にトラウマを植え付けたあの事件だ。
そんなことはもう2度とあってはならない。誰もそんなことは望んでいないはずだ。
「要塞の警備はかなり厳重です。いくら強大な力を持つ魔族といえど、そう簡単には突破できないと思います。ですが――」
「ですが?」
「ルシウム様であれば、もしかしたら突破できるのではないかと思うのです」
金髪メイドは渋いままの表情を崩さずそう言った。
「僕……ですか」
「はい、そうです」
「なぜそう思うんですか?」
「ルシウム様は一応天界の人間です。魔族であれば、門前払いを食らってしまいますが、人間であるルシウム様であれば、要塞を抜け天界へ行くことができるかもしれません」
一応という言葉にルシウムは違和感を覚えたが、恐らくは魔界で暮らしている人間など本来あり得ないからというような意味合いの事だろうと解釈した。
「なるほど、だから僕にしかできないんですね」
「はい……。しかしデメリットもありますので、それも簡単な事ではありません」
「まぁ、そうですよね。そのデメリットというのは?」
「1番大きな問題なのが、ルシウム様がまだ子供だということ。これは、仮に天界を突破できたとしても、幼すぎるが故に天界で自由に動けなくなるということです。下手をすればどこかの施設などに保護されてしまうかもしれません。そこで勇者の息子ということがバレてしまえば、魔界を滅ぼすために利用されてしまう恐れもあります。」
「それは困りますね……。天界では僕は死んだことになってるのでしょうか?」
「……すみません、天界の情報について私達魔族には分かりかねてしまいます」
「そう……ですよね」
「魔族には、天界の情報を取得する手段がありませんので……」
しばらく沈黙が流れる。
天界で、ルシウムがどういった扱いになっているのか気になるところではある。場合によっては今後の動き方にも関わってくる。
もし、ルシウムが死んだことになっているのだとしたら、身分を隠して慎重にならなくてはならない。そうではなく、魔界で囚われていること、つまり生存していることになっていれば、先ほど金髪メイドが言っていた事になりかねない。
どちらにせよ、天界の人間達にルシウムの存在がバレてしまうのを防がなければならない。
「難しいですね」
少年は考えるのをやめた。
ルシウムがいくら考えたところで、適切な回答は出てこない。ルシウムはまだ子供で、世界を知らなさすぎる。それに今は、魔法も剣も使えないただの無能な子供だ。
「何にせよ、今はまだ動ける状況ではないですね。天界がどういう状況かは分かりませんが、魔界側は、天界へ攻撃をしかけるということはないと思います。そもそも、魔族のほとんどは争いなど好んでいませんから。まあ、何か大きなきっかけが起きてしまえば、戦争になりかねないような予断を許さない状況であることに変わりはないですが」
「そう……なんですね」
ほとんどの魔族は争いを好んでいない。
不本意ながら、魔界に来てからというもの、ルシウムの中で魔族のイメージがどんどん良くなっている。
金髪メイドやレモンドの言葉を全て信用できる訳ではないが、否定もできない。
復讐が復讐を招くという言葉はルシウムも納得している。ルシウムも魔族に対し復讐心を燃やしていたし、いつか報復させてやると思っていたからだ。
ルシウムのように復讐に燃え、魔族を憎み血の気を滾らせている人間がいるのだから、争いを好まず平穏に暮らしていたいと考えている魔族もいるはずだ。
そう考えると、金髪メイドの言っていることは正しく、信用に値する。
「細々とした争いはありますが、現状、世界全体は比較的落ち着いています。天界側も魔族の力に恐れ、下手に仕掛けては来ないと思います。ですので――」
「ですので?」
「ルシウム様には色々と準備する時間が必要かと。世界平和の第1歩として」
金髪メイドは片目を瞑り微笑んだ。
ただでさえ整った顔に加え、ウインクと笑顔というダブルパンチを喰らったルシウムは思わず、顔を赤くしてしまう。
思わず見惚れてしまいそうになる自分の顔を横に振り、ルシウムは話を戻す。
「準備、ですか?」
「はい、そうです。いつ戦争が起きるか分からない状況ですが、世界全体は比較的落ち着いています。今がチャンスなんです」
「具体的に何の準備をすれば?」
「剣と魔法を使えるようになるための特訓です。ルシウム様には特別な力がある。それを引き出すためには剣術と魔法を習得してもらう必要があります」
ルシウムには特別な力があるらしい。その能力を引き出すために、剣と魔法を習得する。
しかし、戦争の為にルシウムが力をつけてしまえば、本当の意味で世界を平和にするなんてこと出来ないのではないのか。
つまりは魔界側か天界側かどちらかに属し、争いに勝利して降伏したもの達を支配するということだ。
それでは結局、復讐を招く大きな原因となってしまい、何も変わらないのではないだろうか。
「でも、それじゃあ何も変わらないのでは?」
「いえ、ルシウム様の力は戦争に介入するために使うのではありません。特別な力を持つルシウム様という存在自体が、世界平和のカギとなるのです」
まったくもって理解できない。
言っている意味がさっぱり分からない。存在自体が世界平和のカギとはどういう意味なのか。
戦争の為に力をつける為でないのならば、一体何の為に、剣と魔法を身に着けるのか。
そもそも特別な力ってどんな力なのか。ただ才能があるというだけのことを大袈裟に表現しているだけではないのか。
「その、特別な力というのは一体どういう力なんですか?」
「そうですね……簡単に言えば、光の魔法と闇の魔法の両方を扱えるはずなのです」
「……は?」
「というより、ルシウム様は全属性の魔法を偏りなく扱うことが出来る唯一の存在なのです」
魔法についての知識がほとんどないルシウムは、金髪メイドが言っていることが更に理解できなくなった。
「どういうことですか?僕には魔法の知識がありません。何を言っているのか分からないです」
「それではまずは、魔法のお勉強から始めましょう」
結局、金髪メイドの言っていることが何1つ理解できないまま、ルシウムは屋敷の外へ連れ出された。