勇者の息子03
「落ち着いたか?」
静かな室内に、レモンドの優しい声色が響く。
泣いて、叫んで、食べて、そしてまた泣いてと、何時間もずっと泣いていたルシウムを、レモンドは何も言わず、ただじっと泣き止むのを見守り、時折、金髪メイドが優しく涙を拭いてくれていた。
散々泣き叫んで、ようやく落ち着きを取り戻したルシウムに、レモンドは不器用な笑顔を見せながら問いかける。
客間の奥の台所では、金髪メイドが食事の後片付けをしている。
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
そう言うルシウムの目元は、少し赤く腫れていた。
「そうか。料理は美味かったか?」
「はい。すごく美味しかったです」
一通り泣いて、感情を吐ききったルシウムの表情には生気が戻り、屋敷に連れてこられた当初より顔色が断然良くなっていた。
「そうだろう。彼女の料理は魔族の中でもずば抜けているからな」
ハハッと牙をちらつかせながらレモンドは笑う。
よく見るとレモンドは、顔つきこそ極悪な人相をしているが、内面から滲み出る優しさと慈愛で溢れていた。
きっと、初めて牢屋で会った時と何も変わっていないのだが、ルシウムの内心の変化に伴い、レモンドに対する見え方が変わったのかもしれないと、ルシウムはそう感じた。
「さて……」
ルシウムを落ち着かせるためのやり取りを終え、レモンドは本題について話し始める。
「お前がずっと疑問に思っているであろう、今の状況について説明せねばな」
レモンドの顔が、先ほどの穏やかな表情ではなく少々固く真面目になり、場の空気がピリつく。
空気が変わり、ルシウムも背筋を正す。
そうだ、一番疑問に思っていることだ。なんで魔族が僕の事を助けてくれたのか。
ルシウムが抱く疑問はたくさんあったが、その中でも今の状況が一番理解できない。
レモンドが喋りだすのを、ルシウムはじっと待つ。
「なぜ私が、天界の人間を助けたのか。それも魔族からしたら憎むべき相手である“勇者の息子”を」
ルシウムはゴクリと息を呑む。自分の鼓動がだんだん早くなっているのを感じる。
さっきまで聞こえていた、奥で食器を片付けている音も、いつしか聞こえなくなっていた。
――――――――――――――――――
「この世界を、本当の意味で平和にするためだ」
静かな客間に響く、レモンドの低い声。
ルシウムはぽかんと白髪の男を見つめる。
ルシウムの想像をはるかに上回る回答が返ってきた。
「世界を平和にするため?」
どうして魔族がそんなこと言うの?という意思も込めて、レモンドの言葉をオウム返しする。
「うむ、そうだ。私達魔族の皆が皆、天界を滅ぼして支配してやろうなんて思っている訳ではない。もちろん、人間に対し敵視して、憎んでいる者もいる。だが、それは一部の者達だ」
「……何、言ってるの?」
ルシウムの顔つきが変わる。段々と瞳に光が消えていく。
「要するに、何の罪もないただの人間を、敵視している訳ではない。かといって別に馴れ合いたいって訳でもない。ただ、共存はしていたいのだよ」
「いや、意味が分からない……」
ルシウムは困惑していた。
人間にとって魔族は、憎むべき存在であり長年争い続けてきた敵だと、今までそう教わってきた。
罪のない人間を殺し、身勝手に領地を支配。逆らった人間はもちろん殺すし、同族にすら手を掛けることもあるという。冷酷無比で極悪非道。
現にルシウム自身も、魔族に目の前で家族を殺された。
魔族は、この世界において決して許してはならない邪悪な存在だと、そう思っている。
あの温厚な母ですら、魔族に対しては酷く憎んでいた。
そんな魔族が世界を平和にする?共存したい?
何を馬鹿な事を言っている。そもそも平和な世界を先にぶち壊したのは魔族ではないか。
「魔族もこの世に生を受けた存在。魔族にだって魔族の――」
「馬鹿なことを言うな!」
憎悪に満ちたルシウムの声が、客間に響き渡る。
「……っ!」
レモンドが言葉を失う。
「魔族は……魔族は人間にとって憎むべき相手だ!人間と共存?ふざけんな!そんなこと出来るわけないだろ。天界で何人もの人間が、卑劣な魔族に殺されているんだぞ!そもそも平和だった世界をぶち壊したのは魔族じゃないか!共存なんて出来るわけないだろ!」
感情を高ぶらせ、涙目で声を荒げるルシウム。
「……」
レモンドは、そんなルシウムを顔色1つ変えず、じっと見つめる。
「僕は人間だ!勇者の息子だ!魔族は悪だ!僕たち人間の敵だ!」
怒りに身を任せ、ルシウムは続けて叫ぶ。
「魔族のせいで、一体、何人の人々が犠牲になったと思ってる!!」
悲痛な叫び声が屋敷中に響き渡る。
「……それは魔族も同じだ」
黙って聞いていたレモンドが冷たく、ルシウムを威圧するように言い放った。
その言葉を聞いたルシウムは、身を乗り出したまま硬直する。
「人間のせいで民を失い、家族を失った魔族が大勢いる。何の罪もない、ただ魔族として生まれてきただけで、人間に恨まれ殺された。私はそういう魔族を腐るほど見てきたよ」
レモンドが軽く俯く。長い前髪で顔が隠れてしまい表情が伺えない。だが、どこかなんとなく寂しげだった。
「そんなの……」
嘘だ。何の罪もない魔族なんているものか。魔族は悪だ。敵だ。悪行の限りを尽くしている魔族が人間に恨まれるのは当然だ。それでいて殺されるのなんて自業自得だ。
そう思ってもなぜだか否定することができない。
「否定、できないか?」
レモンドが顔を上げ、ルシウムを見る。その表情はやはり寂しげだった。
まだ幼い少年のルシウムには、なんと反論してよいのか、どうやって否定したらよいのか分からない。
なぜ反論できないのか。ただ、言葉を紡ぐことができないだけなのか……いや違う、そうじゃない。
「そんなの……嘘だ」
ルシウムは自信なく、弱々しく呟く。
「嘘ではない。事実だ」
「嘘を……ついている」
そうだ、嘘だ。この魔族が嘘をついているんだ。
そうやって嘘をついて騙し、人間を憎むように差し向けて、僕を魔族へ引き込もうとしているんだ。
そうに違いない。
まだ物事を主観でしか判断できない幼いルシウムの精いっぱいの反抗だった。
「そう思ってしまうのも無理はないが、これは事実なんだ。お前はまだ子供だ。魔界では何が起きていて、天界がどうなっているのか、まだ理解も判断もできなくて当然だ」
レモンドは、諭すようにルシウムに語り掛ける。
「……っ!」
ルシウムは何も反論できず、怒りや悔しさのあまり唇を噛みしめる。
レモンドの言う通り、ルシウムはまだ子供だ。何も知らない。ただ、天界の大人が語り継いできたことを信じて生きてきた。
実際に、魔族に家族を殺された。残虐な魔族の姿をこの目で見た。家を襲われたあの情景が脳裏に焼き付いて離れない。魔族は憎い。
だが、全ての魔族が、極悪な存在とは限らない。
レモンドや金髪メイドは優しい。きっと、自分だけではなく、他の人間にも手を差し伸べることのできる優しい魔族だ。
2人を信じたいと思い始めていた。けれど信じることができない。
今ここでレモンドの言葉を信用すれば、天界で信じてきたものをすべて否定することになるからが。
相反する感情がルシウムを悩ませる。
しばらくルシウムとレモンドの間に沈黙が流れた。
「今夜はもう遅いので、この話はまた明日にしてはいかがでしょうか。ルシウム様もきっとお疲れでしょうし」
沈黙を破ったのは、さっきまで奥で後片付けをしていた金髪メイドだった。
「……そうだな。この話は今する話ではなかったかもしれん。すまなかった」
レモンドが、ルシウムを見据えて言う。
「ルシウム様のお気持ちやお考えはよく分かります。ですが、今夜はもうお休みになってください。また明日、詳しい話をいたしましょう」
金髪メイドが、ルシウムに部屋へ行くよう促す。
「……そう、します」
そう言ってルシウムは逃げるように客間を飛び出した。
―――――――――――――――――
「やはり、こうなったか……」
ルシウムが飛び出していった後の客間から、2人の会話が聞こえる。
「分かっていて、なぜ話したのですか?もっと違うやり方があったと思いますが」
「話せば少しは信用されると思ったんだがな」
「いえ、今の彼に何を話しても、むしろ余計に混乱させてしまうだけかと。信用させるために話すのではなく、信用されてから話すべきでした」
「だが、今のあいつから信用されるのは困難ではないか?」
「今すぐには無理でしょうね。ですが時間が経てばきっと信用してもらえるかと」
「時間が経てば……か。しかし、あの心理状態でここに住まわせる方が返って不安にさせ続けてしまうのではないだろうか?」
「それは、日々少しずつ彼の不安を取り除いていって、徐々に心を開いてもらうのですよ」
「そういうものか……。人間というのは難しい生き物だな」
「いいえ、人間だけではありません。魔族もそれは同じです。個人差はあると思いますが、感情を持つ者はみな同じです。レモンド様は、もう少し人の感情というのを理解するべきです」
「うむ、肝に銘じておこう」
「私も最初はそうでしたから」
「そういえばそうだったな」
静かになった客間から、2人の苦い笑い声が聞こえてきた。
――――――――――――――――――――――――
自室に戻ったルシウムは、ベッドに横たわる。久しぶりのベッドの感触。ふかふかで暖かい。
牢屋で過ごしていた時は、ろくに睡眠をとることなんてできなかった。
壁や床は冷たくて硬い。窓なんてもちろん無く、視認できるほどの濁った空気が辺り一面に充満していた。
1日に数回、監視の魔族に暴力を振るわれることもあった。何かの腹いせだろう。
いつ殺されるか分からない状況、毎日監視で見回りに来る魔族に怯える日々。いや、むしろ殺されてしまった方が楽だったかもしれない。
まさに生き地獄と呼ぶに相応しい程、最悪な場所だった。
今、こうしてふかふかのベッドで寝られる事がどれほど幸せか。ここが魔界で魔族の屋敷だったとしても。
牢屋に比べれば安心できる。あの魔族の事はまだ信用できていないし、なぜ自分がこんな状況に置かれているのか分からない。もしかしたら何か企んでいるのかもしれない。
けれど……けれど今だけは、ゆっくり寝かせてほしい。
あー眠くなってきた、相当疲れていたんだ……。意識が遠のいていく……。
あれこれ考えている内に、いつの間にかルシウムは、深い眠りについていた。
―――――――――――――――――――――――――――――