勇者の息子01
鉄格子が開く重い金属音の後に、低く冷たい声が響く。
「……出ろ」
腰まで伸びた長い白髪で2メートルほどある長身の男が、牢屋の奥で俯いている少年に声をかけた。
「黒い髪に大きな紅い瞳、お前があの光の勇者の子供か。確かに面影はあるな」
白髪の男が呟きながら少年に鋭い視線を向ける。ただでさえ細くて鋭い目元をさらに細めて少年を睨みつける。
「……」
少年は無気力に顔を上げ、白髪の男に虚ろな視線を返す。
「早くしろ。それともお前は死ぬまで一生その牢屋で過ごすつもりか?」
煽るような表情で、再度少年に声をかける。
落ち着いたやりとりに見えるが、白髪の男の声色は冷たく、若干怒っているように思えた。
「……僕を殺しに来たのですか?」
少年は聞き返す。虚ろな視線は変わらず、諦めと絶望を宿した瞳でじっと男を見つめる。
「私の問いかけに対し質問で返すな。……まぁいい。お前の問いに答えてやる。死にたいならその牢屋に一生いればいい。死にたくなければ私に付いてこい」
白髪の男は、嘲笑うようにそう言って少年を見下ろした。
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白髪の男に連れてこられたのは、少年が監禁されていた牢獄から、馬車でおよそ半日ほど不気味な森の中を駆け抜けた先にある一軒の立派な屋敷だった。
既に日も暮れていて、オレンジ色の空が、辺り一面を包んでいた。
屋敷の外門を潜ると、広い庭の両翼に二つの噴水とその周りには色とりどりの花が咲いている。
建物自体はシンプルな構造だが、3階建てで部屋数は20部屋ほどあるだろうか。天界で暮らす上流貴族が住むような、到底、魔界に暮らす魔族の屋敷とは思えないほど華やかで立派な屋敷であった。
外庭を抜け、建物中央の玄関扉を開けると、1人のメイドが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、レモンド様」
とても綺麗な碧眼で、年齢は20代半ばくらいだろうか。長身でとてもスタイルが良く、メガネをかけた長い金髪のメイドが深々と白髪の男に対して頭を下げる。
「ああ。さっそくで悪いが、食事の用意をしてやってくれ」
メイドに対するレモンドの態度は先ほどまでの冷たいものとは打って変わって優しく柔らかいものだった。
「かしこまりました。そちらの少年が例の……」
金髪のメイドが少年に目を向ける。メイドの表情は優しくて穏やかだが、どこか憐れみを含んだような複雑な表情をしていた。
少年の表情も、牢屋にいた時のような虚ろなものではなく、かなり窶れているもののしっかりと焦点を合わせ、メイドを見つめている。
「ああ。牢獄ではろくに飯も食わせてもらえなかったようだ」
レモンドは少年をギロッと見つめる。ただ、そこに敵意などは感じられず、決して睨みつけているわけではない。元々目つきが悪いせいで、睨みつけているように見えるだけであった。
「そうですか。あの牢獄は"死の牢獄"と言われ、入れば二度と出ることはできないとされていますから……。ところで、この子のことはなんとお呼びすればよいのでしょうか」
2人のやり取りからして、少年がなぜ牢屋に入れられ、なぜここに連れてこられたのか知っているような素振りであった。
「自分の名前くらい自分で名乗れ」
レモンドは再度少年に視線を向ける。
「――ルシウム。ルシウム・リーヴァル」
少年ルシウムは、少し怯えつつも自分の名前を口にした。
「かしこまりました。それではルシウム様、お食事のご用意をしてまいります」
メイドは、ルシウムに対しても深々と頭を下げ、屋敷の奥へと消えていった。
「……付いてこい」
レモンドは鋭い目つきで少年を見下ろした後、屋敷中央の大きな階段に向かって歩き出した。ルシウムも後を追うように、階段を上っていく。
階段を上り、建物東の角にある一室に案内された。
「ここは屋敷の2階、最東にある部屋だ。覚えておけ」
なぜ、この部屋に案内されたのだろうと、ルシウムが疑問に思っていると、レモンドが続けて言った。
「今日からここがお前の部屋だ。そこのタンスに何着か衣服がある、気に入ったものに着替えろ」
扉のすぐ右側に、レモンドの体格より2回りほど大きいタンスが置いてあった。
「そんな布切れ1枚のみすぼらしい恰好では不憫だからな。着替えたら屋敷3階の私の部屋まで来い。私の部屋は1番大きい扉だ」
そう言うとレモンドは、踵を返し部屋から去っていった。
案内された部屋は、扉から見て中央に窓があり窓の右下には大きなベッド、その左下には机と椅子が並べてあった。
簡素な部屋ではあるが、牢獄に比べればずっとマシであった。牢獄には窓もなく、排便の為に設けられたツボが一つ置いてあるだけの殺風景で地獄みたいな場所だったため、そこで数年過ごしていたルシウムにとっては、とても快適で安心できる場所であった。
天界で過ごしていた時と同じか、それ以上に立派な部屋だった。
しかしなぜ魔族の者が、天界の人間であり、魔族からしたらむしろ憎むべき相手である、勇者の息子を牢獄から連れ出し、このような場所に連れてきたのか。
レモンドという男の目的と思考が、まだ幼いルシウムにとっては分からなかった。
なぜ?どうして?という疑問を抱えたまま、ルシウムは言われた通り、タンスから気に入った衣服を取り出し、5着ほどあった衣服の中で、最もシンプルで動きやすそうな白い長袖のシャツと黒いスラックスに着替えた。
なぜか 驚く程サイズがピッタリであり、少し不思議に思うルシウムだったが、いきなり連れてこられてまだ少し混乱していた為、あまり細かい事は考えないようにした。
着替えが終わり、部屋を出て屋敷の3階へ向かう。
「……大きな扉って言ってた」
周りをキョロキョロしながら、ルシウムはか細く独り言を呟く。
先ほど上がってきた階段をさらに上へあがると正面に大きな扉があった。
「あ、あった」
扉の前に近づき、ドアノブに手をかけようとした途端、大きな扉が静かに開いた。
開いた扉の先に立っていたのはレモンドだった。
「なんだ、やっと来たのか。遅いから様子を見に行こうとしていたところだ。広くて迷ったか?」
レモンドは、少し驚いた表情でルシウムに問いかける。
「あ、いや……」
しかし、目の前で突然扉が開いたため、ルシウムの方が驚いた表情をしていた。
「まぁいい。お前は少々どんくさい所があるようだ。そういう所も勇者に似ている」
「……ごめんなさい」
ルシウムは下を向き、怯えながら謝った。
ただでさえ普通の魔族より背の高いレモンドは、まだ幼い少年のルシウムからしたら、それはもう圧倒的な存在感を示す。
「ん?なぜ謝る。私は決して怒ってなどいない」
不思議そうにルシウムを見下ろすレモンド。怒っているわけでも睨みつけている訳でもないが、目つきが悪い分、ルシウムには怒っているように見えてしまう。
「ごめんなさい」
「だからなぜ謝る。うむ、天界の人間というのは不可解な生き物だな」
「まぁいい」と口癖のようにレモンドが呟き、屋敷を案内してくれるというレモンドの後ろをルシウムがついていく。
屋敷の3階は、主にレモンドの私室と執務室。どちらも他の部屋と比べて数倍広くて豪勢だった。
階段を下り2階は、ルシウムとメイドの私室以外はほとんど空き部屋であったが、どの部屋も綺麗に整頓されていた。
おそらく先ほどのメイドが毎日清潔に保っているのだと、ルシウムは思った。
そして1階は、主に客間と倉庫。食事をする部屋は基本的に客間ですると言っていた。大浴場も1階に設備されており、自分の部屋の約5つ分程の広さもある大きくて立派な大浴場であった。
ひと通り屋敷の紹介が終わり、そろそろ食事が出来るころだということで、1階の客間に通された。