出会い
人生には、時として選択を迫られることがある。
だが──────自分の人生において、こんな選択肢が現れるとは思いもしなかった。
その時、最上一は呆けた顔でその場に立ち竦んでいた。
既に日は完全に落ち、辺りは暗くなっている。
大学の学園祭の準備を手伝っている内にこんなにも遅くなってしまった。
ハジメがいるのは、大学の近くの繁華街。
繁華街とはいっても、現在は廃れており、ほとんどシャッター街のようになっている。
それでも昼間は、ポツポツと営業している店もあるが、夜には全ての店が閉まってしまい人気はほとんどなくなる。
寮に向かう帰り道の途中で、通りかかった、その繁華街で、ハジメはその光景を目にすることになった。
怪物がいた。
比喩表現ではない。
肌をはぎ取られたゴリラ。
第一印象はそれだった。
身体に毛は無く筋肉がむき出しとなっており、四本足で立っているにも関わらず、高さは4メートルほどもある。
どう考えても突然変異の枠を超えているし、こんなものが街中にいること自体異常なのだが、それよりももっと驚くべきは──────その怪物と1人の少女が戦っていたことだ。
「......」
もっと言うと、少女は手のひらから火球のようなものを出していた。
火球は、怪物に当たると小さな爆発を起こすが、大して怪物には効いていないようで、僅かにのけぞるもののすぐに丸太のような太い腕を振り回し、少女に襲い掛かる。
少女は、右へ左へと転がり、間一髪で攻撃をかわし続けているが、息は荒れており、体の節々にすり傷があることが見て取れた。
(えーと、どうするかな......)
自分には今2つの選択肢がある。
1つ目は、少女を助ける。
2つ目は、何も見なかったことにして迂回して寮に帰る。
いや、今すぐ病院に行き、脳の検査をしてもらうという3つ目の選択肢もありだろう。
「ギャォオオオオオオオオ!」
怪物が咆哮を上げる。
そして、握り締めた拳を地面にたたきつけた。
爆弾が爆発したかの様な轟音が鳴り響く。
「う、あ......っ!」
直撃は避けたものの、周囲に生じた衝撃が少女を吹き飛ばす。
少女の体が勢いよく地面を滑った。
「ぐ、う......!」
少女は起き上がろうとするが、意識が朦朧としているのか、痛みで動けないのか、その場で身をよじるだけとなる。
大きな足音を立てながら、怪物はゆっくりと少女に歩み寄った。
そして、再び腕を振り上げると、少女に向かって、それを叩きつける。
アスファルト舗装の路面が砕け、半径1メートルほどの範囲に大きな亀裂が生じる。
当たれば、人間など、骨ごと砕かれてしまうであろう。
だが、その一撃が少女に当たることは無かった。
(──────とりあえず、助ける方向で!)
間一髪のところで、ハジメは少女を抱きかかえ、安全圏へと逃れていた。
走りながら、少女の顔を覗きこむ。
そして、思わず息をのんだ。
遠目では分からなかったが、少女はかなり端麗な容姿をしていた。
パッチリとした目は、ルビーの様な輝きを放っており、桜色の唇は果実の様に瑞々しい。
小さな鼻は低すぎず、全体の調和を保つ位置に配置され、小さな卵型の輪郭は完璧な曲線を描いている。
我ながら稚拙な表現だが、まるで異国のお姫様のようだと、ハジメは思った。
艶のある髪と雪のように白い肌には、砂や塵が付着しており、所々に小さな傷もあるが、それすらも少女の美しさを際立たせるための化粧のように見えてくる。
少女の方は、突然の第三者からの介入に驚いた様で、大きく目を開き、口元を結んで、ジッとハジメの顔を見つめていた。
だが、ほどなくして、キッと表情を険しくすると、開口一番。
「ちょっと、余計なことしないでよ!」
「え、えぇ!?」
あまりにも予想外な反応にハジメは、思わず声を上げる。
「いや、俺も別に感謝されたくて助けたわけじゃないけどさ! もうちょっとなんかこう──────」
と、言葉を継ごうとしたところで、背後から風圧と轟音が生じる。
「って、うお!? 追いかけてきてる!」
後ろを振り向くと、つい数秒前、自分がいた地点に怪物の腕があった。
側方から薙ぎ払うように放たれたであろう拳が、シャッターにめり込んでいる。
慌ててハジメは、速度を上げた。
幸い、怪物は足が遅いのか、それともまだ本気ではないのか、なんとか引きはなせる速度だった。
右へ左へ、ハジメはシャッター街を駆け回る。
そして、怪物がまだ追いついていないことを確認し、薄暗い路地に逃げ込んだ。
少女が『下せ』とばかりに足をばたつかせるので、言う通りにする。
「あなたね──────」
「静かに」
表通りに注意を向けつつ、右手で少女の口をふさぐ。
そう遠くない場所で、ズシン、ズシンと足音が聞こえる。
足音はしだいに近づいてきて、やがて表を歩く怪物の姿が見えた。
息を殺して、その場に潜む。
怪物はハジメ達には気づかなかったようで、路地裏を通り過ぎ、繁華街のさらに奥の方へと消えていった。
「もういいでしょ」
自身の口を押えていた、右手を振り払い少女が言った。
ハジメは少女の方を向いて、尋ねかける。
「聞きたいことは色々あるけど......あれは一体なんなんだ?」
「あなた......あれが見えるのね」
「見えるって......一体どういう意味だ?」
「あなたが知る必要は無いわ」
そう言って少女は、路地裏を出て、怪物が向かった方へと歩いていく。
「おい、ちょっと待て。もしかして、またあの怪物と戦うつもりなのか? 危ないって!」
どことなくズレた言葉をハジメは、少女にかける。
少女は足を止めると、こちらを一瞥し言った。
「私のことは放っておいて。あなたは、真っ直ぐ家に帰って、今日見たことは全て忘れなさい」
「待てって! あの怪物は......君は一体──────っ!?」
少女を追いかけようとする。
だが、突然右足に鋭い痛みが走った。
見ると、少女の靴のかかとが、ハジメの右足の脛に突き刺さっていた。
「っ! 痛っ──────!?」
悶絶し、ハジメはその場にうずくまる。
少女は、視線を正面に戻すと、再び歩き始めた。
「あ! ちょっ......!」
右足を抑えつつ、ハジメは少女を呼び止めようとするが、少女は振り返ることなく、そのまま繁華街の奥へと消えていった。
「う......あー、痛った~!」
生まれたての小鹿のように、足を震わせながら、ハジメは立ち上がる。
今日は厄日だ。
帰宅途中で怪物と出くわして、怪物と戦っている少女を助けたら、文句を言われて脛を蹴られた。
「本当に放っておいてやろうか......」
思わずそんな言葉が、口から漏れる。
だが、少女の乱暴な態度を思い出すと同時に、傷だらけの少女の姿が浮かんだ。
ボロボロになりながら──────たった1人で怪物と戦う少女の姿が。
「ま、そういうわけにも、いかないよなぁ......」
小さく嘆息する。
まだ痛む右足を引きずりながら、ハジメは少女の後を追った。