第二十六話:異世界では記憶はドラゴンより恐ろしい
「協力を仰いだ人間だ。」
パイセリウスはそう言うと、俺に近くよう促した。
俺は正直頭の中が真っ白だった。
目の前の景色があまりにも異様だったからだ。
名前も知らない、傷だらけの妊娠したドラゴン。
そしてその弟に協力を仰がれた俺達。
考えをまとめたくてもまとめられなかった。
しかし、そんな異様な状況でも行動に出る人物が一人いた。
「ちょっとその傷見せて!」
そう言うとティーアは、パイセリウスの姉の元へと駆け寄り、なにやら彼女の傷を調べ始めた。
「ひどい傷…それにまだ強力な魔力が残っている…一体誰にやられたんですか?」
ティーアがそう聞くと、彼女は弱い声で言葉を返した。
「少し面倒な事に巻き込まれてな…他のドラゴンにやられたものだ…」
「それにしてもひどいわね…とにかく、今からよろしければ回復を始めますので、そのままじっとしていてください。」
「ああ。よろしく頼むぞ。」
彼女の許可を得ると、ティーアは自身の両手に魔力を込め、回復魔法を使い始めた。
「ユルビン!あなたって感知系の魔法使えたわよね?」
「は、はい!」
「だったらこの人のお腹の中の赤ちゃんにそれを使ってくれる?これほどひどい傷だと赤ちゃんが心配だわ。」
「了解です!」
そう言うとユルビンも彼女の方へと駆け寄り、目を閉じて魔法を使い始めた。
頑張っている仲間達の姿を見て、俺は固唾を飲み込みパイセリウスに問いかけた。
「パイセリウスさん、見ての通り俺達あなたに協力しています。なので、少しでも状況を説明してもらえませんか?」
俺がそう言い終えるとパイセリウスは大きく息を吸い込み、言葉を返した。
「我も説明したいのは山々だが、流石にこのような事に人間を-」
「いや、良いだろう。なんだったら私から説明する。」
パイセリウスの姉が、彼の言葉を遮る。
「しかし姉様!」
「良いと言っている。もうここまで見せたんだ、説明しないわけにはいかないだろう。」
彼女がそう言うとパイセリウスは黙り込み、近くの壁に寄りかかり始めた。
「弟が悪かったな。こいつは少し固すぎるところがあるんでな。」
彼女は軽く笑い、自身の体制を整え話を続けた。
「そう言えばまだ名乗っていなかったな。私の名はシューリン。天空の覇者カルリオンの娘にして、戦火の雷竜と呼ばれし者だ。」
俺は鋭く息を吸い込んだ。
詳細はよくわからないが、とにかく彼女がすごい人だと言う事はわかった。
俺は恐る恐る言葉を返した。
「お、俺はドウモトマナブと言います。巷では言語勇者と呼ばれている者です。」
「ほう。では、言語勇者よ。私の話を聞くが良い。」
彼女がそう言うと、場の空気が重くなるのを感じた。
まるで彼女がこれから語る言葉の重みが具現化されたかのように。
俺は深く息を吸い込んでから、彼女の言葉に耳を傾けた。
「先ほども言ったように、私の父は天空の覇者カルリオンだ。ドラゴンの間では知らない者はいないほどの強者なのだが、私は彼の長女として生まれた。そんな私に言い寄ってくる男は多数いる。それは幼い頃からのことなんだが、ほとんどの場合は父が睨みを利かせて事なきを得ていた。つい最近まではな。」
彼女がそう言うと、パイセリウスが力むのがわかった。
彼女はそれに構わず、話を続けた。
「人間にはわからないかもしれないが、ドラゴンは常に強さを競い合う生き物だ。一年ほど前、私の父は何体ものドラゴンから挑戦を受けた。律儀な父はその挑戦を受けるため、世界中を巡る旅に出た。私たちも自立できる歳ではあるし、それ自体は悪い選択ではなかったと思う。問題はその後に起きたことだ。父が旅に出て間も無く、サウラーと言うドラゴンが私を口説いてきた。その時に彼を容赦なくフレばよかったんだが、私も愚かだった。少なからずとも、私は彼に魅力を感じていた。結果的に私は彼の告白に答え、彼と交際を始めた。」
俺は固唾を飲み込んだ。
嫌な記憶が蘇ってくる。
もう二度と思い出したくなかった記憶。
心の奥底に封印しておいた、何年も前の記憶。
俺は深呼吸をした。
今ここで取り乱すわけにはいかない。
落ち着け、俺。
俺の葛藤に気付きもせず、シューリンは話を続けた。
「最初のうちは良かった。私も彼も幸せだった。ある意味、幸せ過ぎたのかもしれないな…なにせ、交際一ヶ月もしないうちに私達は体の関係を持ってしまったのだからな。それが大きな間違いだった。やがて私は妊娠し、彼にそれを打ち明けた。私の話を聞いた途端、彼は発狂した。私を襲い、自らの手でこの子を殺めようとした…今考えると本当に無責任な奴だった。幸いパイセリウスが駆けつけてくれて、なんとか彼から逃れることができた。それ以来は彼から逃げるばかりの生活でな。悔しいが、今の私達では到底彼には勝てない。こうやって逃げるしかないんだ…」
洞窟内を嫌な沈黙が包む。
まあ、無理もない。あんな話をされては、嫌でもそうなる。
「だから我は最初から反対だったんだ。あの男は見るからにロクでもない輩だったからな。」
パイセリウスがそう沈黙を破ると、ティーアが続け様にその口を開けた。
「だからパラディンである私が必要だったんですね。この傷から見るに、そのサウラーって言うドラゴンは黒竜ですよね?黒竜の闇の魔力を取り払えるのは、パラディンぐらいしかいませんし。」
「ああ、そう言うことだ。」
シューリンがそう言うと、再び沈黙が洞窟内を包む。
嫌気が差す沈黙。
皆が自分の考えをまとめている間に生まれる沈黙。
記憶が蘇るような沈黙。
ああ、やっぱり無理だ。
どうしても落ち着けない。
気がついたら、俺は走っていた。
洞窟を出て、さらに深い森の中へ。
遠く、遠く、遠く。足が動く限り。
俺を蝕む記憶から逃げるように、俺はだだがむしゃらに走った。




