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帝国魔装兵

 霞んだ夜空に浮かぶ異様に大きな月の下、銃弾の風切り音と砲弾の炸裂する音が戦場を縦横無尽に駆け巡る。銃口を向けている方角からは土の匂いに混じった腐臭が胸を打つ爆裂音とともに伝わってくる。

 隣で軽口を叩いていた戦友は砲弾の破片に喉元をやられ、糸の切れた人形のように塹壕の端に転がっている。先ほどまで喉元から漏れ出ていた冬の林の通り抜ける風音のようなそれはいつの間にか止んでいた。

 出会ってからたった二週間程ではあるが、日常と戦場では時間の概念が異なる。一秒後には鉄の塊に頭を貫かれるやもしれないこの場においては、戦友と呼び合うには十分すぎる時間だった。

 冷酷に映るかもしれないが、彼の喉元からあふれ出るどす黒いそれを確認した私は見捨てることを選択した。そして弔うこともなく銃を構えなおし戦闘を再開した。というのもこの最前線に衛生兵は存在していないからだ。

 しばらく前に行われた敵の一斉砲撃によって、この辺り一帯は既に壊滅状態であった。ほどなくして駆けてきた伝令によって衛生兵とわずかに残っていた余剰戦力の撤退開始の知らせを受けた。

 その時から、応急手当ではどうしようもない負傷兵を見捨て始めた。私たちの仕事は一秒を稼ぐことであり、弾幕を絶やせば獅子が容赦なく突撃してくるだろうからだ。そうなればこの戦線は半時も持たない。

 塹壕の奥から伝令兵が腰を低くし駆けてくる。

 衛生兵たちの撤退を知らせた伝令兵とは違う、顔に幼さの残る青年だった。私の娘とさほど変わらない。

 この青年の前にここを通った伝令は戻ってくることはなかった。おそらくこの塹壕のさらに前あたりで横たわっているのであろう。

 雨でぬかるんだ塹壕内の泥を弾き飛ばしながら疾走し、この戦場で育てた天然の迷彩服を身に着けた伝令兵が腰をかがめたまま敬礼する。

「間もなく大規模な戦線後退を実行します。信号弾が上がったら牽制しつつ後退してください」

 信号弾と撤退という言葉をしっかりと反芻しながら「了解した」とだけ伝令に伝える。

 この場所での仕事を終えた彼は前線のその先へと、ぬかるみをしっかり踏みしめながら腰を低くし駆け出した。彼もまたここに戻ってくることはないだろう。

 すぐ隣で小銃を構え、時折思い出したように引き金を引いていた分隊員に、伝令を各分隊に伝えるように指示する。

 しばらくすると視界の端で小さな光が数回瞬いた。各分隊間を走らせた隊員による伝達終了の符号だ。

 他の場所でも戦線を維持できなくなっている。戦線を後退させ整理しなおせばより分厚い壁を築くことができる。言うは易しだが、なんともしてもやり遂げなければならない。

 愛する祖国ベネルスの領土は、国家の存続が危ぶまれるほどに占領されてしまった。

 数日前から海軍総出でブリタニア連合王国への国民の輸送が始まっていると妻からの手紙で知った。彼女たちも明日の夜には出港する予定となっている。

 最近妙に大人びてきた私たち夫婦の一人娘ニーナは、この戦場へ出る際の見送りでも不機嫌だった。必ず生きて帰るからと笑ってみせると、そうじゃないと一喝された。

 隊員との雑談でそのことを話すと、「戦場へ行かないでほしい」という意味だったのではと笑われた。その場では隊員たちとともに軽く笑ったこと覚えている。

 しかし今その話をして笑い飛ばせるほどの余裕はすでに無くなっていた。

 ニーナを裏切ってまで戦場に赴き、挙げ句の果てには自ら交わした約束さえ破ることになるのだから。だからといって約束を守るためだと逃げるわけにはいかない。この戦線を突破されるということ、それすなわち彼女の未来が潰えるということに他ならないのだから。

 海沿いに位置する首都ロッテルダムを取り囲む形で幾重にも重ねられた塹壕戦線が掘られている。ロッテルダムからブリタニアへ避難する国民すべてを守り切るのが我々の使命だ。

 港の近郊に巨大な肉壁を築いたとしてもゲルマニア帝国の軍事力にかかれば数日で陥落するだろう。そのため何とか戦える程度に兵士を広く配置し、敵の数を減らしながら後退する必要があった。

 先の欧州統一戦争で祖国は防衛に徹した。隣接するゲルマニアが東部戦線の押し上げに執心していたおかげで我が国は領土を減らすこともなく終結を迎えた。しかしこの度の戦争はそうはいかなかった。ゲルマニアの狙いが端から西部だったのに加え、この数年でかの国は周辺各国を圧倒する軍事力を手に入れていた。

 最前線までいきわたった通信設備に質を上げ量を増やした銃や戦車などの各種兵器。更にそれらを凌ぐ新たな戦力まで投入してきたのだ。

 新たな戦力については様々な噂が飛び交っている。それらの話をまとめると「空を自由に飛び回り一瞬で塹壕を崩壊させる妖精」だそうだ。上層部も情報を掴みあぐねているらしく敵の詳細は今現在も判明していない。

 捕捉不可能な航空機や高精度高威力な砲など様々な憶測がささやかれている。上層部が正式に発表した情報は、『戦線への投入頻度は少ないが現れた戦線はいかに優位であろうと即座に突破されるだろう』という戦闘の役に何一つ立つことのない結論だけだった。対策は一切立てられておらず、唯一できることと言えば、神に祈る内容に「妖精が現れないように」にという一文を追加することだけだった。

 ポケットから取り出したくしゃくしゃの煙草を口に咥え、筒の先端へと一瞬意識を向ける。途端に嗅ぎなれた煙が立ち上り始めた。

 魔法は誰にでも使える。しかし奇跡を起こすことはできない。煙草に火をつけたりコーヒー一杯分の水を空中から取り出すのが関の山だ。もしおとぎ話の魔法が存在したならば、命を捨てるだけの戦争などはなかっただろう起こりはしなかっただろう。

 無駄な考えを頭から排除し、敵の位置の検討をつけるために塹壕から頭を覗かせる。不可思議なことに敵陣営からの射撃は行われていなかった。塹壕戦は長期に及んで行われるため時々休息を入れるが、完全に攻撃の手を止めることはない。

 各分隊に牽制射撃の停止を命じる。闇雲に撃っても弾を浪費するだけだ。末期戦だからといって無駄遣いが許されるわけではない。少ない物資で、後退後も戦い続けなければならないのだから。

 戦場が静寂に包まれる。こちらが射撃を止めると、それに応えるように敵も完全に攻撃の手を止めた。聴こえてくるのは遠くの方での砲撃音のみで、ここで戦闘は行われていなかったのかと錯覚するほどだった。

 誰かが唾を飲む音までもが耳に届く。煙草の火を消し敵陣をしっかりと覗く。どうやら敵は完全に手を止めてしまったようだ。時折狙撃音が聞こえるが、音の大きさや塹壕内での反響具合からして我が軍側の攻撃のようだ。

 装備をまとめておけと引き金に手をかけたままの分隊員たちに声をかける。このどさくさに紛れて撤退開始の号令が出るだろう。

 しかしこの油断が命取りだった。いやもし油断せず射撃体勢をしっかり取っていたとしても運命は変わらなかっただろう。


 波一つない湖面に斧が放り込まれた。

 「上だ!」と驚愕と恐れの交じり合った叫びが塹壕内に響く。それと同時に数名が上空に向けて射撃を開始した。

 私にはその意味が分からなかった。彼らが狙っていたのが敵陣であったのならば、敵が動き出したと判断し私も射撃を再開しただろう。しかし彼らが銃口を向ける先、弾き出された弾丸の向かう先は、異様に大きな月が不気味に光り輝いている以外はいつもと変わらない土煙に覆われた漆黒であった。

 私は目を凝らした。彼らが錯乱したのかと思ったからだ。極度の緊張状態から精神が壊れてしまうことはままあることではある。

 しかしその銃口の先にあるものが何なのか、それを知った私も咄嗟に引き金を引いた。月に人影が、複数の妖精が空を飛んでいるのだ。銃口を彼らと同じく上空へ向け、引き金を引きながら周辺の隊員に向け叫ぶ。

「総員撤退。全力で撤退しろ!」

 私の判断はそれだった。月に浮かぶ影こそが噂の妖精だということを私は直感した。この妖精の現れた場所は必ず壊滅する。ならば現れた時は何があろうとも部下たちを撤退させようと、一人でも生き残らせ情報を持ち帰らせようと考えていた。

 塹壕の中に混沌が訪れる。あきらめてたちつくすもの。射撃を続ける者。弾が詰まった銃を拳で何度も叩く者。そして四方八方へ蜘蛛の子のように逃げ回る兵士たち。

 空になった弾倉を地面に落とし銃を放り捨て、今まであまり使ってこなかった手榴弾を上空目掛けて投げつける。悪あがきは銃弾と踊る妖精に届くことなく地面に落ち、小さな爆発を起こす。

 ありえないことだった。空高く投げ出されたそれは妖精に届く前に下方向へ急激に軌道を変えたのだ。

 術を失った私は呆然と月を見上げる。腰から下げていた拳銃はすでに手に握っていたが、明らかに距離が遠すぎる。物理的にではなく力量的に。

 人影のあたりが小さくそして強く光り輝く。

「おお神よ。なぜ我等にこのような…」

 ルーカス・マルティナ少尉が大きな爆発と土煙の中最後に見たのは、こちらの陣営へ架空するように降りてくる妖精たちだった。


 戦線が崩壊してからはあっけなかった。妖精の仕業と思われる戦線に空いた空白から怒涛の如く押し寄せたゲルマニア兵たちは、夜が明けるころにはしゅと脱出に使っていた港を完全に包囲した。そして日暮れ時には議事堂にはためく旗が下され、代わりに獅子と鉤十字が描かれた旗が掲げられた。

 一九一九年九月、べネルスは世界地図から姿を消し、ブリタニア連合王国内にて領地をもたない国家として細々といきのびている生き延びざるを得なくなった。

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