モダンタイムウィザード
この世の中には科学技術というものがある。海の底を、微小の世界を、宇宙の果てを、生命の成り立ちを、0から9が何を表すかを、研究し、解析し、人々に還元するものだ。人々は科学技術を長き時に渡り、磨いてきた。数千年に渡る研究と研鑽を経て、科学技術は今や人を世界の支配者とも言える位置まで押し上げた。科学技術以上に人類に貢献した学問はないだろう。科学だけですべてを賄えはしない。だが今、現代に生きる人々で科学技術の恩恵を感じないものは少ないはずだ。
だが、これは科学の物語ではない。
これは人々が忘れ去った術にして科学の反対側に位置する技。隠されてしまった秘密の力。そして、廃れゆく過去の遺産。皆が夢に見た奇跡の現実。普通に生きる上で全く必要ない魔導技術の話。
現代に生きる魔術師のちょっとした日常と非日常の物語だ。
◇
レポートとは面倒なものである。原稿用紙何枚だの、指定の用紙だの、フォーマットだの、フォントだの、文字の大きさだの、形式だの、表紙の有無だの、国際規格を作ってほしいレベルでバラバラだ。
しかもよりによって締め切りが近いタイミングで大量発生する。もう少し、予定に手心を加えてほしい。せめて予めレポートがあることを伝えるとか、テーマを教えてくれるとか。前準備ができればまだ、もう少しマシだというものである。ノートパソコン買っておいて良かった。
大学生である限り、レポートは恋人のようなものである。いや、ほかの学科や学部は知らないが、少なくとも俺にとっては恋人のようなものだ。レポートを書くために時間を作り、アイデアを練り、失敗に気がついて破局したりする。本当の恋人が欲しい。
まあ、半年も過ぎれば、そろそろそれなりには書き慣れてきた。元々文書作成はそこまで苦手でもないし。どちらかといえばアイデア出しに手間取ることの方が多い。英語の創作スピーチとか消え去って欲しい。なんだ、過去の成功について5分語れって。事実である必要はないってルールがなかったら発狂した可能性があったぞ。
そもそも、こっちは2時間もかけて大学に通ってるわけで、往復で4時間、1日のうちだいたい16%を登下校に費やしてるんだぞ。これでレポートを毎週毎週書かせるのマジでやめて欲しい。まあ、個人の都合など先生には関係のないことだけれども。
「おい、手が止まってるぞ。」
とりとめもなく現実逃避していると、師匠が見咎めたのか、扉から顔を出していた。師匠は顔立ちが大変整っており、こんな雑な声かけでもとても絵になる。というか、なぜわざわざ入ってきて壁にもたれかかり、腕を組み、おおっとその恵まれた上半身のプロポーションが強調されているので、視線を逸らそう。
確かこの間も出かけた先で、モデルにならないか誘われたのだったか。断ったと言っていたが、師匠なら問題なくこなせるだろう。俺よりも頭ひとつ分背の高くて、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでる師匠の体躯を思い出すと、表の顔とはいえ、本当に何でこの人は古物商なんてやってるのかわからなくなる。
「師匠ー。本当にこれ書かなきゃダメですか?」
「当たり前だろう。報告書の作成が無ければ仕事が終わったとは認められないからな。給料も出んぞ。」
「でもー。」
「でもも鴨も鱧もない。三日後には私は向こうに戻るのだから。」
さっさと仕上げろ。そう言うと師匠は顔を引っ込めて立ち去ってしまった。報告書作成がめんどくさいからって弟子に押し付けておいて、なんて酷い。というか。
「せめてマイノートPCを使わせてくださいませんかね!なんだ、羊皮紙と羽ペンって!」
せめてレポート用紙とボールペンにしてくれ書きにくい!欲を言えば訂正ができる鉛筆が良いです!
と、まあ叫んだところで何か得るものがあるわけでもなく。この事件については俺が一番詳しく書けるので俺が書くしかないわけで。とにかく羊皮紙くん、羽ペンくんと仲良くするしかない。まあ、下書きは一応仕上がっているわけだし、写すだけの作業だから楽と思おう。幸い明日は休日。夜を徹して完成させればいい。
ノートPCの右下の時刻表示を見るともういい時間だった。ついでにバッテリーも15%を下回った表示が充電してほしいとアピールしている。この作業を始めて既に2時間近く。1度休憩するのもいいかも知れない。下で何か飲み物を飲むのもいいかもしれない。
ぼんやり考えながら、階段を降りていくと師匠に出くわした。師匠の背後にはソーサーとカップが2つ浮かんでいる。漂う香ばしい香りはコーヒーだろう。
「ちょっと休憩です。あのままだと煮詰まりそうだったんで。」
「そうか。なら、食堂に行こう。」
「行儀は悪いですけど、ここでいいですよ。」
すぅっと、コーヒーが俺の方へ飛んでくる。初めのころは面食らったものだが、今はもう慣れた。うっかり受け取り損ねて落とすなんてこともない。
師匠、雛川京香と俺、朝宮裕司は魔術師である。ここらへんの地域を縄張りにしており、妙な事件や情報を辿ってそれが、魔術的に解決すべき物事だった場合に対処するのを仕事にしている。給料は師匠のさらに上から降りているようで、俺にとって魔術師業はアルバイト代わりでもある。まあ、師匠についていくために魔術師にならざるを得なかった事情もあるが。
だが俺は師匠のように便利に魔術を使うことはできないペーペーの初心者である。師匠は転移の魔術で結構色んな場所に空間跳躍したり、書類を同時に何種類か書いたりしているが、俺にそんなことはできない。俺も師匠のように……否、師匠が満足できるレベルに早く到達したいものだ。
二人で向かい合って、コーヒーを啜る。俺の分はちゃんと砂糖が大量に入っている。無党派な師匠から言わせれば邪道な飲み方らしいが、好みは好みだ。
「……装備、どうですか?」
「派手に壊れているが、直らないほどじゃない。こっちにいる間に直しておく。」
この前の事件。久しぶりの全力の戦い。結果として、師匠から貰った装備を派手に壊してしまった。あの時は必要だと思ってやったことだが、あとから思えばもう少し上手くやれたとも思えてくる。
「……無理はするなよ。いくらお前でも死ぬ時は死ぬんだ。」
「俺は、まだ第一階梯ですよ?誰かの手助けなしで問題の解決はできませんよ。」
「そういいながら、私の留守中にそれなりに仕事をしているようだが?」
「留守を任せたのは師匠でしょうに。」
「まったく、その様子なら問題は無いようだな。」
安心した、といった様子で笑う師匠にやはり心配をかけていたのだと思い、わずかばかりの後悔と…胸の温かさを覚えた。
「それで件の少女、見つかったか?」
「いや、それがさっぱりで。」
俺がついこの前まで関わっていた事件。なんとか一応の幕引きはしたものの、重要な関係者がまだ見つかっていなかった。
「彼女を捕まえて話を聞かない限りこの事件は未解決のままだぞ。」
「でも、正直見つけるのは厳しいですよ…がっつり警戒させちゃいましたし…」
例の少女の姿を思い返してみる。白と青の煌びやかな衣装を身に纏い、俺たち魔術師でも信じられないような挙動をし、未知の魔術体系を操る女の子。喋り方からすれば俺よりも確実に歳下であろうあの少女。そして、喋る黄色の未知の生命体。なんというか鳥とウサギとネコを足して3で割って軽くデフォルメをかけたような形容し難い小動物。
……また、印象が薄くなってきている。もう、顔は、思い出せない。
「しかし、魔法少女とはな…」
形容するなら魔法少女とその相棒のマスコットとしか言いようのない一人と一匹(?)。一時的に追い込むことはできても、彼女の助けがなければ倒すことのできなかった正体不明のバケモノ。
「私も警戒用の仕掛けを増やしておいたが…網にかかるかはまた別問題だ。」
「わかってますよ。俺も捜索は続けるつもりです。」
師匠の管轄なこの土地で、よく分からない奴らに好き勝手させるわけにはいかない。あの少女は善人のように感じたけれど、バケモノは放置できない。それに正体不明の魔術体系を操るものがいると外に情報が漏れれば、厄介な奴らが動き出すだろうし、少女のためにも早く見つけ出さなければ。まったく魔術師の世界も楽じゃない。特に主流の魔術師サマたちなんてめんどくさいやつらばかりだ。もし絡まれることがあればろくなことにならないのが目に見えている。
これは始まりにすぎないんだろうという確信。俺の手に負えるかという疑念。師匠はしばらくは不在であるという不安。少なくともしばらくの間は俺一人でなんとかするしかない。
「事態が大きくなる前にあの女の子を捕まえる。」
「ヤバいと思ったらすぐに連絡を寄越せよ。」
「わかってます。」
さて、やるべきことは山済みだ。俺のように魔術の世界に関わってしまったばかりに不幸になる人を少しでも減らすためにも、できることをひとつずつこなしていくしかない。
まずはPCの下書きを羊皮紙に羽ペンで間違いなく写すところから。
◇
モダンタイムウィザード/ファイル1-魔法少女降臨事件。
担当、“羽生黒堂”所属、第一階梯魔術師、朝宮裕司。
事件そのものは一応の終結、ただし根本は未解決であり再発の可能性あり。
追伸、装備の修繕代と大量に消費した羊皮紙代は給料から引いてください。