魔王様は間違えている〜手紙係は逃げ出したい〜
「ようやく見つけた、私の愛する人よ!」
「……ドチラサマデスカ」
私はサリーシャ。親無し、家無し、金無しの三拍子の孤児で普段は路地裏で孤児仲間とスリや盗みで生活をしていた。
だけど今、路地裏で死にしかけていた私はピカピカの鎧をつけた兵隊に王宮に連れていかれて風呂やらドレスやら弄られたと思ったら知らない人に求愛された。
何を言っているのか自分ですら分からない。
「嗚呼、なんて美しいんだ、大地の色の肌に紅茶で染めた絹のような髪、朝露に濡れた若葉のような瞳!」
蜂蜜に蜂蜜と蜂蜜をぶち込んでさらに蜂蜜をかけたようなどろりとした甘ったるい男の笑顔を見てようやく私の鈍り切った本能が叫んだ。
逃げろ、さもなくば死ぬぞ。
訳も分からず叫ぶ本能に従って1歩後退する事に1歩、人の形をした蜂蜜が詰め寄る。
あっという間に壁際まで追い詰められ、そっと腕の中に閉じ込められる。
まつ毛の一本一本がくっきりと見えるほど顔を近付けられ、震えた腕で抱きしめられた。
蜂蜜を濃く濃く煮詰めて宝石にしたような目が三日月に蕩ける。
「嗚呼、ようやく逢えた私の半身、私の魂、愛しい妻よ!」
大袈裟な仕草で私を抱きしめる蜂蜜男、じんわりと肩が濡れることで相手が泣いていることを悟った。
ちらり、と視線を右に動かす。生ぬるい微笑みを浮かべながら泣いてもいない目元を拭う蜂蜜男の部下が目に入る。
さりげなく出口を身体で隠された。ちくせう。
反対の方に視線を動かすとキラキラしい髪と目を持つキラキラ貴族サマたちが揃って目を逸らした。コノヤロウ。
「前世から君を愛していたよ。また昔のようにたくさんの恋文を書いておくれ」
本当に何言ってんだこいつ。
私はサリーシャ。路地裏でゴミ漁ってオヤジの財布かっぱらって生きてきた。多分大人になれずに死んで、大人になれたら身体を売って養ってくれてた姐さん達のように身体を腐らせて死んだだろう。
だけど今日、頭のおかしいどろどろの蜂蜜貴族が私を抱きしめたせいで私の未来もおかしなものになって行く、そんな予感がした。
なんて思っていた頃もあった。ありました。
あの場に戻れるのなら未来にほんのりとした光を覚えた私を殴りたい。殴ってドブと腐臭のする裏路地に帰りたい。
あれから3年が経ち、私は15歳になった。
蜂蜜男改めハニシウス・アゼルゼア・フレーゼント。通称旦那様は相も変わらずでろでろだ。
蜜琥珀と呼ばれる古代ミツバチの作った甘い宝石に似た濃い蜂蜜色の瞳で私を見つめ、鍛えられていることが分かる浅黒い肌の腕で私を抱きしめる。髪の毛は黒曜石と呼ばれている刃物にも使えるほど鋭い石によく似た色、なのにふわふわとくせっ毛で朝まとめるのに苦労している。
こいつがいる朝、冷たい石畳じゃなくあたたかな柔らかいベットで眠る夜、飢えることの無い昼、殴らず撫でてくる手の温もり、刈り込まれた芝生でする昼寝、初めて満たされた知的好奇心。色んなものに慣れてきた。
「それではお嬢様、本日はハニシウス様に恋文を書くことを課題といたしますね」
教師の言葉に従い、自室に戻って羽根ペンをインクに浸す。
文字は比較的早く覚えることが出来、美しくかけるようにもなった。たまに習ったことの無い古代文字と呼ばれるものが出てくるのは不思議だけど。
──拝啓、愛しのアゼル様
「……アゼル?」
すらすらと書き出した宛名に首を傾げる。覚えのない名前だ。響きは旦那様に似ているが綴りが全く違う。間違えたか?
しかし紙がもったいないのでそのまま下書きとして書き続けることにする。
「……親愛をこめて、リリシエラっと、リリシエラ?」
またしても自然に書いてしまった知らない名前。変なものを飲み込んだような嫌な違和感が胸に広がる。
「……捨ててしまおう。こんなもの」
「──捨ててはダメだよ、私の天使」
インクを乾かしていた手紙を後ろからそっと取られる。そしてそのまま強く抱きしめられた。
「……旦那様、ノックはしないとダメなのでは?」
「したよ、だけど君は私への恋文をしたためていて気づかなかった。それに……!」
椅子に座っているのに強引に体の向きを変えられ、背もたれが脇腹にゴリゴリと当たる。
抱きしめる腕の力は強く、身動きが取れなかった。
「思い出してくれたんだね、私のリリシエラ」
出会ったあの日のように泣きながら微笑みかける旦那様に、私は引き取られてからただの1度も彼に名前を呼ばれないことを思い出した。彼は私を愛しい天使だの私の半身だの言いながらも頑なに私の名前は口にしていなかった。
「あ、アゼル……さま」
恐る恐る覚えのないはずの名前を口に出すと妙に馴染む。
「嗚呼、君とまたこうして抱き合えるなんて!幸せだ!私はなんて幸せなんだ!」
どんどん腕の力が強くなり体のどこかが軋む音がした。息をすることすら難しくなり目の前が白く霞んでいく。
彼は私が気を失うことすら気付かなかった。
ここで昔話をひとつしよう。
なに、そんなに手間は取らないし、私が過ごしていた路地裏の話ですらない。私がサリーシャである前の話、いわゆる前世と呼ばれる話だ。
私は今となっては滅んでしまった国のお姫様の侍女で手紙係と呼ばれていた。姫様の元に届いた手紙を精査し、届けたり返事を書いたりする、そんな仕事だった。
返事を書く手紙は多岐に渡り、政治的伝統的な隠喩を引いたり姫様とその方にだけに通じる暗号のようなものを用いたり、お茶会などのお誘いや人にもよるが貴族らしい物言いで他人を脅すような手紙を書くこともある。
そんな中で私の最大の仕事は姫様の婚約者への恋文を書くことだった。
恋文や手紙くらい自分で書け?気持ちは分かるが貴族の様式美はめんどくさいのだ。
自分で書けだの書けないならもっと簡単な書き方にしろだの、いっそ書けないなら送るなだの、そんな馬鹿なことは言っちゃいけない。
そんな馬鹿なことはいくら言いたくても言ってはいけない。言ってはいけないのだ。
相手の階級ごとに細かく呼びかける言葉や名詞が変わり、時節の挨拶から相手の敬意を表す言葉、最近の出来事などを書き連ねながら古典の詩や諺や格言などを用いて芸術的に長々と書かないといけない。
守秘義務は勿論のこと、誓約の宝石と呼ばれる魔道具を付けられ守秘義務を破ったら即死するようになっている。
さらに月に一度の知識を調べる検定があり、3回連続で落ちると記憶を全て消されて城から出されるらしい。
そんな職場でも私にとっては天国だった。
文字も満足に読めないような平凡な村娘が文字を書き、本を読み、村娘の時には理解できなかったであろう高度なやり取りができる。
知識に飢えた好奇心の塊の私には天性の職場だった。
たとえ私の仕えていた姫様の婚約者がこの世を統べる魔王アゼルゼアと呼ばれる存在だとしても。
「今回のお返事はどういたしますか」
「いつも言っているでしょう?適当にやっておいて、終わったら報告」
「……かしこまりました」
美しく、優しく、聖女のようだと褒めそやされていた姫様の本来の姿は美しく、自分に優しく他人にはわがままで、正しくおひめさま、と呼ぶのに相応しい。
姫様が生まれたその日魔王アゼルゼアは王の元へきてこう言ったらしい。
『神託が降り、この子供が成長した時、私は魂の番に逢えるのだ』
これを聞いた国王陛下は調子に乗った。
姫を甘やかすだけ甘やかし魔王に大事な娘をやるのだから便宜を量れと長年にわたって要求し続け、今やこの国の国家運営は魔王の花嫁の準備金という名の金がなければ成り立たないほど弱体化してしまった。
話はそれたが、魔王は姫様と顔合わせはしないがマメに手紙を送ってくるので手紙係が早くから置かれたのだ。
そして何をしても許されると思っているわがままプー……間違えた、姫様は女色に目覚めた。
手紙の報告に部屋に入ったら綺麗な侍女とくんずほぐれつなんてざらにある。
男に目覚めた訳では無いからセーフなのか?と戦々恐々しつつ、そんなことを愛の溢れる手紙を送り付けてくる魔王に書ける訳もなく、愛情たっぷりに返し、さらにそれが愛情と砂糖のてんこ盛りな甘さな手紙になって返ってくるの繰り返しをしていた。
そんな私の死因は姫様を盲目的に愛していた侍女の内の一人にナイフで刺されたことだった。
姫様に送られてきた手紙の内容を報告していた真っ最中、姫様の名前を叫びながらナイフを振り回す侍女から姫様を庇う形で胸を思い切り刺され、床に倒れる。
二度三度と突き立てられる刃、遠くで聞こえる姫様の悲鳴に魔王に送ろうとしてた返信の手紙が途中だったことだけが思い浮かんで私の人生は終わってしまった。
ここまで来たらお分かりだろう。
現世の私の旦那様は魔王だ。よく分からんが魔王だから不老不死とかそんなんなのだろう。
そして大事なポイントはこの魔王、姫様と私を勘違いしてやがる。
「すまなかったリリシエラ。思い出してくれた喜びについ……」
どうしよう、今更別人ですなんて言えない。
「だけどやはりお前は美しい。前の世の赤子の頃から思ったが部屋から出したくない、美しい、永遠に私の腕の中で鳴いてくれ私の小夜啼鳥」
どうしよう、多分これ他人だってバレてもバレなくても人生終わってないですか。