銀色ウロコのドラゴンテイマー
たとえばこのドラゴンは、一体どんな声で鳴くのだろうか。
本に描かれた飛竜の絵を見て疑問に思う。私には彼らが絵の中で飛び回り火や氷を吹いているのが見えるが、それらは全て私の空想に過ぎない。この辺鄙な村でドラゴンについて得られる情報は断片的で、真実は謎に包まれたまま。
今の私にはそれが、とてもとても気になって仕方がなかった。
「うう、寒っ」
思考を中断して小さく身震いする。気が付けば暖炉の炎はすっかり元気を失くしており、僅かな隙間から染み出す外気が私の足に容赦なく突き刺さっていた。
ゆっくりと椅子から腰を上げると、薪の保管してある部屋を目指す。
いつからだっただろう、私が竜に執着するようになったのは。物心ついた頃から竜が大好きで、生まれ変わりたいとさえ思うほど。
そういう訳もあって竜についての本に夢中な私だが、理由はそれだけではない。
私は積んであった薪から数本を抱えて元居た部屋へと戻ると、さっそく暖炉に一つずつ焚べた。
新たな獲物を得た炎は我先にと身体を伸ばして薪を呑み込んでいく。そんな紅の輝きを見つめながら、私は再び思考の中に意識を溶かしていった。
実は、私にはかつてドラゴンと間近で触れ合った記憶がある。彼は真っ赤に燃えるような鱗を持つ飛竜で、私と何かを話していたのだ。
詳しいことは思い出せないが、その時私は""大切なもの""を受け取ったような気がする。
私は思い出したように胸元から一つのペンダントを取り出した。紅く煌めく親指大ほどの石が通されたこれは、拾われた赤子の私が毛布以外に唯一持っていた物である。
ただの妄想に過ぎないが、私にはどうにもこのペンダントと""赤竜の記憶""が無関係だとは思えない。
だから私はもっとドラゴンについて知りたい。もしかしたら何かのヒントになるかもしれないから。
「おい、あれを見ろっ!」
「ドラゴンだぁ!」
その時、外から聞こえてきた声で深い思考から一気に引き揚げられた。
不意打ちを食らったことで上手く機能しない私の脳みそは、耳から入ってきたであろう情報さえ処理しきれない。
せめて次こそは、と思い窓から外を覗いて聞き耳を立ててみる。
「ドラゴンが飛んでるぞっ!」
今度ははっきりと聞こえた。しかも村人らは空を見上げたり急いでどこかに向かったりしている。
私は弾かれたように部屋の中を駆けて毛皮のコートと双眼鏡を引っ掴み、解いていた長めの銀髪を慌てて後ろに纏めた。
もし本当なら生のドラゴンを見れるチャンスだ! 逃すわけにはいかない……!
私は勢いそのままに家の扉を蹴飛ばすが如く開けて外に出た。
途端に目の前に広がった銀の世界が一瞬私の視界を奪う。全身に襲いかかってくる凍てついた空気は私の吐く息でさえ瞬時に白く凍らせた。
素早くコートに袖を通しフードまで被ると、足の取られる地面を慎重に走り抜けて近くの男の子に声を掛ける。
「あのっ! ドラゴンが飛んでるって聞いて!」
「まだ遠くて分かんないけど、ほらあそこ! 羽ばたいてて、鳥よりずっと大きいんだよ!」
少年の指す先には、確かに白く着飾った山脈を背景にして高速で飛行する点があるのが分かった。翼があるようにも見えるが、ここらに生息する鳥にしては大きすぎる。
私は視線が外れないように注意しながら、持っていた双眼鏡を覗き込んだ。
「おお!? おぉ……!」
「あっ、お姉ちゃんズルい! 僕も見たい!」
拡大された視界はすぐにその点の正体を捉える。
黒っぽい翼膜のある大きな翼ではばたき、長くてしなやかな尻尾でバランスを取って飛行しているそれは、橙色の鱗を持つ飛竜だった。
「わぁ……!」
私は始めて見る本物のドラゴンに、深くため息をつきながら観察した。翼の動きもそうだが、息遣いや手足の微妙な動き、姿勢の取り方までとても魅力的に感じられた。
それにどうやらドラゴンの背には革と金属の鎧を着た人間が跨っているようだ。
となると、あれは竜騎士か? 確か本で読んだことがある。騎竜と共に戦場を駆ける、機動力と戦闘能力を併せ持った特殊な兵士だ。
そんな竜騎士がどうしてここに?
「おっと……あれ、どうしたんだろう」
その時突然彼らが視界から外れかけて、慌てて調節する。彼らの高度がガクッと下がったのだ。
初めてドラゴンを見る私だが、まるで力尽きたかのように落下するその様子に確かな違和感を覚えた。それからも高度の低下は全く止まる気配を見せず、みるみる内に森へと吸い込まれていく。
「やばい、あのままじゃ墜ちちゃう……! これ持ってて!」
「あ、あっ、お姉ちゃん!?」
危機感を感じた私は双眼鏡を少年に押し付けると、堕ちていく竜騎士を目指して一気に走り始めた。
もう随分と地面が近い。点だった彼らの姿も、あっという間に目視ではっきりと確認できるほどになってしまった。
足の沈む雪道もなんのその、私は躊躇なしに村の簡易的な柵を跳び越え森へと駆け込む。
木が邪魔で彼らの姿を確認できないが、おそらくもうすぐ……。
バキバキッ、ドゴォォ……!
必死の追走も虚しく、少し離れたところから木々をへし折る音と地面を叩く振動が伝わってきた。
仮に間に合っていても出来ることがあったわけではないが、可能な限り早く発見しなければ。
理由はどうであれ、彼らが無事ではないことは確かなのだから。
「大丈夫ですかーっ! 返事をしてくださいっ!」
私は走りながら必死に呼びかける。返事は無く、聞こえてくるのは私の呼吸と雪を踏みしめる足音だけ。
初めて逢うドラゴンへの期待感とは別の緊張でいっぱいになっていた私はそれでも歩みを止めず、ついには不自然に木が一方向に薙ぎ倒された場所を見つけた。
視線を少し横にずらせばすぐに彼らを視界に収めることに成功する。この雪の銀と木の焦げ茶色の中で、橙や""紅""の色は随分と目立って見えるものだ。
「大丈夫ですかっ!?」
雪に埋もれてぐったりと倒れ伏す彼らに駆け寄る。あたりには濃い鉄の匂いが広がっていて、抉り取られた地面には一筋の紅がしっかりと刻まれていた。
かなりの出血だ。この血は、ドラゴンか、それとも騎士さんの方か? 本を読んだ限りドラゴンの血も赤色だったはずだ。
私は橙のドラゴンの首あたりを抱えてその頭を雪山から引き抜いた。そのときに腕に感じられた力強い脈に一瞬安心したが、まだ油断はできない。
「もしもしドラゴンさん、聞こえますか!」
「グルル……」
私が必死に声を掛ければ彼は少し唸って意識があることを伝えてくる。
そしてこの距離になって気がついた。ドラゴンには痛々しい切り傷や焦げ付きが複数箇所あり、僅かに流れる血が橙の鱗を赤く汚していたのだ。
しかし、地面に線を残すほど大きな怪我が見当たらない。となると……。
「ドラゴンさん、ちょっとここで待っててください!」
「ガ、ガァ……」
私は抱えていた頭をそっと下ろすと、今度は右半身を雪に埋めている騎士さんの方を雪山から引き摺り出した。それから彼を地面に仰向けにして容体を確認していく。
呼びかけても反応はなく、茶髪で若く見える顔立ちの彼はわずかに顔を歪めるだけ。息や心拍はあるようだから、気を失っているようだ。
それから彼の右横腹には大きな切り傷があり、落下の衝撃でさらに傷が開いたのか驚くほど血が溢れている。これが血痕の犯人で間違いない。
「大変……! じっとしててください!」
私はすぐに横腹の引き裂かれた革防具を少し退けると、患部に両手を当てて集中する。
イメージするのは傷ついた血管が元に戻る様子。すると傷口あたりに白い光が漂い始めて、出血がしだいに少なくなっていった。
私の得意な魔法の一つとはいえこんな規模の止血は初めてだったから、しっかり効いているみたいで一安心である。
「でも、ただの止血。傷そのものを治すことはできないから、なんとか村まで運ばないと──」
「グルアァ!!」
その時、突然横にいたドラゴンが咆哮を上げた。
治療に夢中になっていた私は彼女の言葉に顔を上げ、周囲の森に視線を投げる。そこに複数の""灰色の生き物""の姿を捉えると、素早く立ち上がり左足を軸として全身に力を込めた。
何故だか分からないが、確かに今彼女の言葉が聞き取れたのだ。
""危ない!"" と。
「おらぁ!」
「キャイン!」
全力で振り上げた右足は正確に生き物の顎を撃ち抜くと、生々しい手応えと共にその身体を正面の木に叩きつけた。
彼らはここらじゃよく見る凶暴な肉食獣。もう血の匂いを嗅ぎつけたのか、相変わらず早い。
私は素早く右足を地面に落としてステップを踏むと、今度は横から飛び掛かってきていた奴を回し蹴りで薙ぐ。
狼に似た見た目だがより凶暴かつ狡猾で、今回も動ける私だけを狙って三方向から攻撃を仕掛けてきているのが分かるだろう。
「でも、相手が悪かったね!」
「ガゥッ」
最後は後ろから飛び掛かってくる奴の後ろ首に強く握った右の拳を落とした。
毛皮に覆われた肉体に手がめり込み、グキッという鈍い感触が伝わってくる。そいつは激しく地面に叩きつけられ、ひとつ身体を痙攣させてから力尽きた。
これでラスト……まったく、びっくりしたなぁ。
私は一息ついて騎士さんたちの方を振り返ると、意識がはっきりしたらしいドラゴンの驚いたような視線と目が合う。
「あー……気にしないで? とりあえず先にこの人の手当てを済ませよう」
そうして私はドラゴンの視線を感じながら騎士さんの止血を再開した。