そのペティナイフは剥ぐために
おかしい、なぜだ。
どうしてこんなことになってしまっている。
心の中で何度も繰り返してから、ようやく目の前の現実に向き合う。
そもそもの原因は、俺がサボるためにここへ来たことだ。
ここは、俺が生まれた村のはずれにある森。
その奥にある社への道だ。
その社には、なんでも大昔に魔王とやらと戦った勇者、その仲間の一人が祀られているらしい。
それ以外には特に何もない、のどかな場所だ。
が、この辺は村から離れていることもあって、ごくたまにモンスターがやって来ることがある。
と言ってもふわふわした弱っちょろい雑魚ばかりで、特に気にするヤツもいない。
まぁつまり、俺にとってはサボるのにうってつけの場所、という認識でしかなかった。
そんな場所だったから、もちろん今日も来ていた。
その場所で。
もうすぐあの社のあたりまでたどり着く、そんな森の道でモンスターと遭遇した。
遭遇、してしまった。
しかも、今まで見たことあるようなふわふわしたような奴じゃない。
前に一度だけ見た狼のような見た目。
鋭い爪、牙。
それにこちらを睨みつけるかのような赤い目。
「グルルルル……」
そんな奴が突然姿を現した。
「マジかよ……何だってこんな奴がーーー」
「グルァ!!」
「おわぁ!」
飛びかかって来たのをギリギリのところで躱す。
けれど、それも何度もできるものじゃない。
なによりこちらは丸腰だ。
「クソっ!」
悪態をついて走り出す。
本当は村に逃げて誰かを呼びたいところだが、あいにくその村への道にモンスターがいる。
仕方なく、社へと続く道を全力で走り出した。
と、ここでようやく現実に戻ってくる。
後ろから追いかけてくるモンスターから逃げ、社へ向かいながらさっきまでのことを思い出していた。
が、当然社へ行っても何かが変わるわけじゃない。
俺は相変わらず丸腰だし、少しすればモンスターも追いついてくるだろう。
周りにあるのは木でできた社と、周りに咲く花ぐらいでーーー。
(ん?社……?)
そうだ、社だ。
追い払えなくても、社に鍵をかけて中に籠もればモンスターも俺を見失うか、扉を開けれなくて諦めるんじゃないか?
だったら迷ってる暇なんてない。
「うぉおおおおおおお!!!」
走り続けて、ようやく社が見えてくる。
「あった!!」
喜びのあまり、大きな声を上げながら残りの距離を駆け抜け、そのまま中に飛び込んだ。
バタン!!ガチャガチャ……ガチャン!
内側から鍵をかけて、ようやく一安心だ。
「ふぅ……ふぅ……はぁ……」
それにしても。
「……中に入ったのは久しぶりだな」
息を整えて、少しばかり埃っぽい社を見渡す。
昔と変わらない、いや、少しばかり古くなってしまっているか。
サボりで近くまで来ることはあっても、中まで入ったのは随分久しぶりだ。
そう思いながら、奥へと歩いていく。
奥、といっても社の中は簡単な部屋が一つあるだけだ。
円を描くように置かれた柱と、それから。
一番奥には勇者の仲間を象った像が一つ。
そして、その足元にはーーー。
ガチャリ。
足を一歩踏み出すのと同時に聞こえてきた音に、体が止まる。
木で出来た床からは到底しないような音。
足音じゃありえない。
これは、そう。
まるで、鍵を外したような。
「グルルルル……」
「うっそだろ」
慌てて振り返る。
確かにかけてきたはずの鍵はあっさり外され、モンスターはまた俺の前に現れた。
周りを見回すけど、逃げ道なんてどこにもない。
周りは柱と、木で出来た頑丈な壁に囲まれている。
唯一道があるとすれば、入ってきた扉。
今まさにモンスターの後ろにある扉だけだった。
じり……じり……。
ずり……ずり……。
少しづつ、少しづつモンスターが距離を詰めて来る。
それに合わせて、俺も少しづつ後ずさる。
(くそ。せめて隙を見せてくれりゃ、横をすり抜けて脱出できるのに……)
それを分かっているのか、モンスターは一切隙を見せない。
さっきからずっと、俺と同じペースで詰め寄って来る。
そして。
トン……。
足に硬い感触を感じる。
ついに壁際まで追い込まれてしまった。
(ここまでか、短い人生だったぜ)
なんて思うのもつかの間。
今度は手に硬い感触を感じる。
(これは、ナイフ……?)
像の足元にあったもの、それは小さな、何に使えるのかすらわからない、短くて細いナイフだった。
「グルァ!!」
「うわわわわわ!」
こうなったらもうやるしかない!
襲いかかって来たモンスターに、俺は偶然あったそのナイフをひっ掴み突き刺した。
当然だ。
向こうから襲いかかって来たのだから、逃げるか応戦するしかない。
手応えは……あった。
ほとんど目をつぶったまま突き出したような突きだったが、確かに命中した。
飛びかかってきた勢いのままナイフが命中。
モンスターは、そのまま床にボトリと音を立てて落ちた。
そしてそのまま。
もう、襲いかかって来ることもなくなった。
「はは……」
どさり、と腰が抜けて座り込む。
あっさりとしすぎて、変な笑いが出る。
だが、どうだ。
俺は確かに敵を撃退したのだ。
その証拠に、一突きでモンスターは動かなくなった。
「これだけ凶暴だったんだ、魔石はかなり大きいんじゃないか?」
それを持って帰れば村では英雄扱いだろうか。
俺は胸を躍らせながら立ち上がり、モンスターの死骸に近づいた。
普通であれば、モンスターは倒された後光となって消え、後には魔石と呼ばれる、モンスターの核だけが残る。
そのはずだった。
「……ん?」
ところが、モンスターは倒れたのに、いつまで経っても魔石にならない。
それどころか、体が光になって消えることもない。
俺が倒した時のまま、その場で動かない。
いや。
ピク。
「おわ!!」
心臓が飛び出るかと思った。
さっきまで動かなかった奴が突然動いたからだ。
慌ててまた距離を取り、ナイフを構える。
「………………」
「………………」
けれど、死骸は一度動いたきり、また動かなくなってしまった。
それでも、用心深く見守っていると。
シュー……。
そんな気の抜けた音と一緒に、死骸が縮んでいく。
いや、そうじゃない。
まるで、空気の入った袋から空気を抜くみたいに死骸が萎んでいった。
ナイフが当たったお腹から、背中、尻尾、ついには顔まで。
萎んで、萎んで、萎んだ。
最後にはぺちゃんこになった、死骸だったものだけが残った。
それはまるで、前に見たお芝居なんかで使う被り物みたいに。
「はは……」
また口から変な笑いが出てしまう。
なんだこれは。
今日は一度にいろんなことが起きすぎだ。
滅多に会わないモンスターに追いかけ回された。
社に逃げ込んだけど、なぜか鍵を外して迫られた。
それを、社にあったナイフで突き刺して撃退。
最後には、そのモンスターは空気の抜けた袋みたいに萎んでしまった。
どれか一つを言っても、誰も信じないだろう。
よくて笑い話だ。
「あ、れ……?」
突然の目眩。
ぐらりと、地面が揺れる。
いや、俺が揺れているのか?
「な……おこ……」
何が起こったんだ、と言いたいのに口が回らない。
まぶたが重い。
体も動かない。
その場で倒れこんでしまう。
けれど。
(まぁ……いいか)
安心して疲れたんだろうか。
そう思い直して、そのまま寝転ぶ。
あまりに遅くなれば村の誰かが呼びに来るだろう。
もともと昼寝をしにきたようなものだし。
その時に、目の前の死骸のことも聞けばいい。
死骸も、もう動かない。
そう考えてから意識を手放す。
というよりも。
それ以上抵抗するのがしんどくなった。
ーーーそして。
不思議な感覚だった。
何か生暖かい物に包まれているような、覆われているような。
けれど、別に息苦しくはない。
それどころか、時間が経つほど不思議な感覚は消えていく。
馴染んでいく。
その感覚が完全に消えてしまった直後。
(はっ!)
唐突に目が覚めた。
自分でもびっくりするぐらい強烈な目覚めだ。
誰かに殴られでもしたか?
まぁサボって昼寝なんてしてたらそうなるよな……。
(誰もいない……?それに、なんか暗くないか?)
体を起こして、周りを見る。
当然、起こしに来た奴がいるのだろうと思っていたが、誰もいない。
しかも、来た時はまだまだ昼間だったはずなのに、今はもう空に星が見えている。
(もしやこれは、晩飯の時間を過ぎているんじゃないだろうな……)
考えた途端に、お腹が鳴り始める。
仕方ない、ここは土下座でもするか。
最悪、晩飯の残りぐらいにはありつけるだろう。
とにかく、すぐに帰らないと。
伸びをして、頭を振る。
そのまま、つい体全体まで震えてしまったのは、寝ている間に風邪でも引いたか。
(じゃあ、帰るか)
スッキリしたところで、一歩踏み出す。
右足でも左足でもない。
前に一歩出たのは、紛れもない俺の右手。
(あ?)
スッキリしたことで、ようやく頭が追いついて来た。
伸びをした時も、頭を振った時も、体が震えた時も。
俺はずっと四つん這いだった。
慌てて足元、もとい手元を覗き込む。
そこにあったのは、いつも通り見慣れた俺の手。
などではなく。
さっきまで俺に襲いかかろうとしていたモンスター。
その手があった。
(な、なんだよこれー!!!)
「グ、グルルルァー!!!」
喉から出る叫び声も、まさしくさっきまで聞いたような声だった。