夢追い人の苦悩 ―パニッシャーズ・ディレンマ―
街には静かな夜が流れている。
その静寂を吹き抜けていく風の靡く音を聞きながら、僕は相棒と共にビルの屋上に座り込んでいた。
二人並んで静かに視線の先に広がる街を見下ろしている。特に何があるわけでもない静寂が、街の平穏を証明して―――
いる。
と、そう思いかけたところで、合わせるように腕に付けていた端末が鳴った。
非常に簡素極まりない電子音。けれど、一秒にも満たないその音こそが、僕らの『仕事』への合図だった。
「―――見つけた」
小さく闇に放たれた言葉に誘われて顔を向ける。
目を向けた先にはいつも通りの相棒の顔。長い金髪が闇に靡く様はとても綺麗だなと、常々思う。ちょっとだけ鋭そうな翡翠色の眼差しに面食らうこともあるが、冷たいという印象は欠片もない。
実際、彼女はとても優しい。疑いを挟む余地など、ある筈もないのだ。
あの日、僕を檻の外に連れ出してくれた。―――ただそれだけで、僕は彼女の全てを信じられる。
「イオ?」
不思議そうにこちらを見つめてくる、薄い翠玉のような瞳。
普段も見ているのに、飾りのない美しさを前にすると、新鮮過ぎて思わず引き込まれそうになる。
どうにかそれを押しとどめて、一旦間を置いてから返事を返す。
「ああ……ううん、なんでもないよソフィ」
応え、僕も立ち上がる。不思議そうな顔をしているソフィだったが、どうやら此方がぼうっとしていただけだとして、最後は「ヘンなの」の一言で片付けた。そして僕も既に先程想い浮かべた思考は頭から消えていた。
そう、いつも通り僕の中に残るモノはとても少ない。
立ち上がると思わずよろめきそうになる。
何せここは風に晒された高層ビルの屋上だ。重心を下手に変化させれば、専門に鍛えても居ない上に、自他共に認めるインドア派な僕には辛い。なのにこんなサスペンス映画の冒頭みたいなシーンに興じているのは、僕らの仕事の為にここがとても都合の良い場所だからである。
「もぉ、あんまりぼうっとしてたらダメだよ? これから仕事なんだから」
「……ゴメン」
謝ると、ちょっとだけ呆れた様にため息を一つ。
そしてそのまま、ソフィはつんとした口調のまま本日の標的について、入ってきた情報を並べていく。
「オネイロス・系統I―――モデル〝ホッパー〟だって。探査機の反応だと、狂度三みたい。いつもどおりやればちゃんと勝てる相手だから、くれぐれも気は抜かないようにね」
「…………ごめんなさい……」
「分かったなら、いいよ。―――それじゃ、行こっか」
「う、うん……」
呆気ないお許しに気後れした返事を返してしまったが、ソフィはもう仕事モードだ。こちらも機を取り直して、階下の光景を再度見渡す。
これより目指す先は何処でもない。
決まった場所など持ち合わせない、誰の裡にも眠り、生まれるもの。
定めた指標は、この街に蔓延る人の悪意の元。そこへ向けて、差し出された手を取って、僕らは文字通り夜の街へ飛び込んでいく。
「いくよ」
「うん」
そう言って再度確認の後、僕らはビルの屋上を蹴って虚空へと飛び出した。
端から見れば自殺願望者にしか見えない光景。だが、このくらいで驚いていてはとてもこの『仕事』はこなせないだろう。
次の瞬間、ソフィの背から吹き出した光が僕らを重力の枷から解き放った。そのまま吹き出す光を翼のように使って、僕たちは目的の場所へと向かっていく。
―――こうして今日も、僕らの仕事の時間が訪れた。
いうなればこれは、夢の残骸処理。
或いは、狂った妄想の幕引きか。
しかしこれは、本質的に〝ヒトの夢を守る〟仕事でもあるのだ、と僕らの支局長はよく言ってる。
様々な言い様はあるが、これはそんな―――
夢の世界を実現した人間が新たに背負った、罪科の清算を為す物語である。
***
―――〝夢は現実になる〟
そんな素敵な言葉が、文字通りの現実となってから、既に一世紀近い年月が過ぎた。
かつて、様々な学者が魔法を失し、科学に進む世界に対してこう唱えたという。
〝魔法は科学の発達と共に薄れ行くが、科学は突き詰めれば魔法に等しい〟
と、そう唱えた学者の言葉通り、人々は『夢想』という名の技術を手に入れた。
古来より、人の世にはなにからしらの〝超常〟が確認される。人々はそうした超常現象に対し、魔法や超能力と言った名前を付けて呼んでいた。だが、存在しないというのは早計だ。
何かが『ある』ために、その現象は起こる。
少なくとも何も『ない』のであれば、それは起こらないのだから。
事実、それは在った。
現実世界には、色眼鏡の様に重ねられた膜が存在する。
表層世界と深層世界。そして、この二つを繋ぐ〝幻視素〟と呼ばれる物質の存在が確認された。
見つけたのならば、触れようとするのが道理である。
かつて英雄が空の太陽に惹かれたように、裏側の世界に干渉し、人の思考に左右される〝幻視素〟を操る術を造り出した。
〝エンボディメントドライバー〟と呼ばれる、具現化装置。
当初はスパコンのような大がかりな物であったが、次第に小型化され、今ではもう人が身体に身につけ、携帯できる端末に。
結果として、人々の手元にこの技術がもたらされた。
これが、ヒトが古き魔法を新しい科学に取り戻したきっかけである。
やがて人の思考が現実世界におけるフィルターを書き換えられるようになり、夢を見るように脳に浮かび上がらせたイメージを現実に適応させる。まさしくそれは真に魔法の如き力を発揮し、人々の生活レベルを一気に向上させた。しかし当然、力である以上は優劣が存在する。
だが、夢は等しく誰もが見るものであり、その力が根底である以上、自我を持たないこと意外に使用出来ないと言うことは有り得ない。故に、この技術は誰であろうとも、その死に際に至るまで使用することが出来る。問題があるとすれば、決してそれを共有・保存出来ないということだろうか。
幾つかの限界および未出を覗けば、類似する系統こそあれ、全て異なる思考としてこの力は発現する。
七段階に階級分けされたこの力は、大まかにその優劣を語れば、如何に現実への影響度合と性質で決まる。
―――例えば〝モノを造り出す〟力があったとして。
その系統が本物の魔法の様に〝ただ生み出す〟性質に属していても、現実に表出させるモノの限度が石ころ程度ならば当然ランクは低い。逆に、旧来の科学のように〝材料を用意して造り出す〟という性質かていを持っていても、材料が揃っていれば目的の品を確実に造り出せるというならばランクは高くなる。
面白みも理外性も存在せずとも、技術である以上、確実性こそが何よりも重要視されるのだ。
だからこそ、持ちうる権利こそ平等であるが、決して力の質は平等ではない。……否、欠点というのならばむしろ、何よりも大きな欠点は〝誰しもが持てる〟という平等性にこそあるのかも知れない。
力の性質がどちらに転んでも、結局は『強さ』に左右される。しかもそれが、絶対に誰でも持ち得る力であるのだからなお質が悪い。
望み、願い、祈り。
そうした夢の力は平等であるのに不平等を生んだ。
ヒトの欲に、終わりなど存在しない。
欠点を欠点として、新しい力をただの夢として留め置くには、ヒトはあまりにも罪深い生き物であった。
これこそがこの『夢想』が万能に迫りながらも、決して万能たり得ない唯一にして最大の欠点なのかもしれない。
誰とも共有することも、残すことも出来ない。自分の心を形にしてしまうことで、世界はまた差と溝に苛まれている。
容易く歪み、簡単に狂う。
結果として人類は今、その夢に文字通り喰い殺されようとしていた。
過ぎた力は、例え夢の産物であろうと被害を及ぼす、と、突き詰めた力に浮かれた人類への警告の如くソレは現れた。
―――〝オネイロス〟
そう呼ばれる、思考の暴走体。ヒトの『夢想』の歪みから発生する現象であり、ヒトの負の感情から顕現した怪物がいる。
ヒトの意識を現実に表出させる技術である以上、それは当然負の側面にも適応する。
むしろ感情は、マイナスの方が強い。正しく強迫観念じみた怪物は、願われたもの以上に強くドス黒い嵐を起こす。
が、己の夢にただ殺されるだけなど馬鹿らしい。
当然、人類もまた対抗する。その対抗策として組織され、生まれたのがPDBこと、〝公共安全支援局〟と呼ばれている支援機関だ。
―――ただ、〝公共安全支援〟の部分であるPDの部分を、僕らの所属する支局長はべつの呼び名で呼んでいる。
夢を守ると言いながら、その夢の残骸を処理する断罪者。
自分たちの役目を皮肉って。
それを夢追い人の苦悩と呼びだしたことから、僕らの所属する支局は『夢の断罪者』と呼ばれるようになった。
―――さあ、今日も今日とて、怪物退治。
人類の心の安寧と、世界の平和を守るため、今日も僕たちはヒトの夢を殺し続けて行く。