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魔女へと堕ちた英雄は呪う

 英雄がいた。

 世界の救済を目指し、争いのない世の中を。

 そう謳った英雄が、いた。

 すべては夢物語。理想と現実は違う。誰しもがそう思い()()を除け者とした。


 だがそれは最初だけだった。

 彼女はそんな理想を叶え続けた。その力を、人を導くカリスマを宿していた。

 戦争、紛争、酒場の諍い、魔獣討伐……。

 世界中を旅しながら、彼女は全ての正義を成した。

 決して独りでは成し得なかった。仲間がいた。

 道を切り開く剣士が。

 民を鼓舞する槍使いが。

 後ろから支えてくれる弓使いが。

 癒しを与える神官が。

 彼女を慕い、認め、共に歩んだ。




 そんな英雄の終わりは呆気なかった。

 平和になり過ぎた世界といえど、人のストレスや悪感情が発生しないわけではない。

 だが、それらを発散する術がない。人にもモノにも当たれない。

 彼女によって世界は変わった。

 しかしそれは束の間のこと。


 彼女は守り救ったはずの、守りたい救いたいと想ったはずの者らによって殺された。

 その理不尽は共に旅した仲間にも牙をむいた。

 槍使いが火にかけられた。

 弓使いが毒を盛られた。

 神官が神への祈祷中に暴漢に犯され廃人となり、首を吊った。

 最後に剣士の少女は。

 死ねなかった。死なせてもらえなかった。

 両親が大金をつぎ込み、愛娘を殺させまいとしたからだ。

 救いたいと望んだはずの者に仲間を殺され。

 最期まで共にあろうと彼女と誓ったはずなのに。それすら阻まれて。





 曇りなき眼で少女は問う。

 果たして世界は、ニンゲンは、救われるべき存在なのかと。




=====================


 鼻が曲がるような鉄の臭い。

 気が狂いそうになるほどの腐乱臭。

 光のない密室。もはや狂気に満ちていた。

 不意にガチャリと音が響く。金属の衝突した音。

 その音源には手首を縛られ吊るされる男の姿と、それを見下ろす女の姿。

 女は一歩前に出る。その時ぴちゃりと音がした。

 薄暗い部屋の赤黒い液体。床を浸し壁を染め上げるそれは言うまでもなく血液。

 見渡せば散らばる肉塊。ぶちまけられた臓腑。

 女は何事かを呟き、男は恐怖に顔を染め、泣き喚き懇願し生に縋りつく。

 侮蔑と嘲笑を土産に、女は手に持つ剣を閃かす。


 ――一閃。


 たったそれだけで、男は数多の肉塊と化す。さながら切られた豆腐のように。

 女が出て行ったその部屋には人間だったものだけが遺された――






 廃ビルの地下から出てきた女を待ち構えていたのは数えきれないほどの軍勢。

 先頭に立つのは一人の男。

 ()()()()()()()()()()()()

 たった一人、この女を殺すためだけの存在。


「リリィ・ヴィレム。貴様の横暴もここまでだ。今まで行った数々の悪事、償ってもらう」

「捨てた名だ。今はアラーナと名乗っている。それと――」


 女――アラーナは口を閉ざし、わずかに身を低くした。それを見て反応できたのは先頭にいる英雄だけだった。男は提げていた剣を鞘から抜き、とっさに構える。


「――貴様ごときが英雄を騙るな」


 一瞬で英雄に詰め寄ったアラーナは拳を繰り出す。

 英雄の剣が砕けた。世界有数の鉱石、それも最硬と言われるもので創られた英雄の剣がたった一撃で砕け散る。


「くっ――」


 バックステップで距離を取ろうとする英雄をアラーナは見つめるだけで追撃の様子はない。

 一切の感情がそぎ落とされたその表情に、英雄を除いて抗えない。

 足がすくみ腰が引け、立っていることすら耐えられない。

 今すぐ背を向けて逃げ出したい。

 顔を恐怖に染める軍勢は、もはやアラーナの敵たり得ない。


「――っ!?」


 不意に英雄の頬が強張った。その眼は恐怖と絶望と拒絶と怒りと……さまざまな激情が渦巻く。


「貴様、何を宿しているっ!」

「……ほぅ。わたしの異変に気付くか。二人目だ」

「……」

「貴様が二人目だ偽英雄。過去わたしの許に派遣された27人の偽英雄で、この異変に気付いたのは。実に14代目偽英雄ぶりか……」


 ――27人。それがアラーナを殺すために英雄にされた人間の数であり、アラーナによって殺された英雄の数である。


「……どうやら俺だけでは貴様には勝てないらしい。この情報だけでも持ち帰らせてもらう」

「できるのか?」

「――……」

「貴様は殺す、今ここで。わたしにはその未来が見える」


 瞬間、英雄の顔が青褪める。血の気が引いて、見るからに恐怖している。


「――っ、まさか、いや、ありえん……!」

「皇帝ルシファー、君主ベルゼビュート、大侯爵アスタロト。そして魔神フェニクス。わたしは400年かけてこの四体の悪魔を取り込んだ」


 ――皇帝ルシファー。冥界の頂点に君臨する最高位悪魔。その力は《支配》。

 ――君主ベルゼビュート。神託をもたらす魔神の君主。その力は《回復》。

 ――大侯爵アスタロト。数多の配下を統べる地獄の支配者が一。その力は《未来視》。

 ――魔神フェニクス。不死鳥がルシファーに支配されたなれの果て。その力は《不老不死》。


「……狂っている」


 英雄は枯れた声でそれだけを呟く。そして英雄は自分のその声に驚く。

 それほどまでに自分が弱っているとは思わなかった。頭を振って気を強く持つ。

 ただの虚勢であろうとも、心はまだ折れていないと言わんばかりに。


「そうさせたのはニンゲンだ」

「貴様はもはや人間ではない」

「人間だとも。普通なら悪魔に魂を喰われて終わりだろう。だがわたしは支配した」

「伝説の悪魔を……!」

「さて、話はここまでだ。わたしは世界を滅ぼす。邪魔しようがしまいがどうせ滅ぶ。諦めろ」

「そんなことはさせん」

「そうか、なら死ね」


 アラーナは《支配》によって自分の身体を、文字通り支配する。筋繊維から細胞に至るまで。

 それによって強化された身体能力で以て英雄に肉薄する。

 目にもとまらぬ速さで抜剣。

 しかし、アラーナは直前で反転した。

 彼女はまず周囲の軍勢を殺戮した。

 泣き叫ぶのもお構いなしに肉塊の山を築く。

 あたり一面が血に染まり、臓腑が散らばる。


「まて、まっ――」


 仲間が無惨に殺されていくのを、英雄は見ていることしかできなかった。

 見えない。アラーナの姿が。

 英雄がみているのは突然血を撒き散らし絶命する仲間であり、アラーナではない。

 英雄は今度こそ絶望に染まる。英雄がこの日のために用意した仲間の総数は三千にも上る。それが十分もかからず全滅。

 最後の一人が斃れた瞬間、目の前にアラーナが現れる。


「どうだ? 仲間が殺されるのを見て。貴様はどう感じた? 私は許せなかったぞ。フィアが命を賭して守った人間がフィアを、仲間を殺した。それでもニンゲンのために戦えと?」

「……っ」


 英雄は歯を食いしばってただただアラーナを睨む。反論が出てこないのは、アラーナの意見を否定できないからだろう。仲間を無惨に殺されて、今の自分の境遇をかつてのアラーナと重ねてしまったのだろう。


 ――何があろうと人間を守る。


 そう言いきれないものに、英雄を名乗る資格はない。

 故に。


「死ね」


 アラーナは躊躇わない。自分の憧れた英雄――オリフィア・オーセルの遺志を汚す英雄など生かすに値しない。

 振るわれた剣は英雄の首を、吸い込まれるように切断した。

 斬り口から吹き出す血潮を全身に浴びる。

 糸の切れた人形のように倒れる死体を見下ろしてアラーナは呟く。


「次は何処を滅ぼすか……」


 623年。オリフィア・オーセルが死んでから623年。

 アラーナが悪魔四体を取り込むのに要した時間は約400年。

 悪魔を取り込んでから200年以上が経過している。

 その間に、アラーナは18の国を滅ぼした。

 かつて23の国が存在したこの世界も、今となっては5カ国しか存在しない。

 しかし。

 18もの国を滅ぼしてなお、アラーナは手掛かりすらつかめていなかった。

 すなはち――オリフィアの殺害を先導したのは誰か。

 いくら不満が溜まっていようと、英雄を殺そうなんて発想になるはずがない。そこには必ず、そう唆した元凶がいる。

 まずはそいつを見つけなければならない。

 瞋恚の炎を燃やしアラーナは人類を滅ぼすために歩き出す。




 かつて英雄と共に旅した最強の剣士は。

 純粋な戦闘力だけなら英雄にも匹敵するほどだった剣士は。

 世界を知り、世界を呪い、魔女へと身を堕とした。

 人類は不協和音を奏で破滅へ向かう。

 それは刻一刻と近づいていることを、人類はまだ知らない――。


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