マザコン引きこもり魔王に婚姻破棄されたので、自国に戻って征服することにしますね。
アオイは、空席の玉座の横に立っていた。両脇に侍女を傅かせながら、威厳より柔和が似合う微笑みを浮かべている。
「申し上げます。遠征に出ております将軍より、先日いただける美田では報酬としては物足らない。さらに帝都に三軒分の邸宅を用意してほしいとの要求が来ております」
謁見の間に並ぶ臣下の列から失笑の声が起こり始める。「強欲者が」とあからさまに罵る声も聞こえてくる。
「王妃殿下、如何なさいますか? 帝都の片隅であれば容易に土地も用意できましょうが」
露骨な悪意を見せてくる髪の毛の無い(偉そうな角が二本生えている)魔族の元帥が問いただしてくる。今すぐに、どう回答するのか? と試してくる。
けれども、アオイは挑発的な視線を受け流し、淡い春色の唇を動かす。
「卿はどのような理由で書状を開いたのか?」
「はあっ?」
元帥は何を言われたのか理解できずに、周囲を見回す。だが、列に連なる魔族たちは、瞬時に意味を理解したのか、視線を逸らすか顔を背ける。
「王妃殿下も書状を読まれるではありませんか?」
「ありえぬ。陛下宛の書状を許可なく開くなど恐れ多いこと」
「構わぬではありませんか。陛下は後宮から出てこられまい。我らだけで戦争を戦い抜くしかありません。どうか、王妃殿下、ご配慮を」
突如、跪いて奏上する元帥をアオイは睥睨する。
「下の者が、法に従わずに好き勝手に振る舞うことを専横と言う。また、君主でないものが、その権力を奪い取ることを簒奪と言う。卿は、専横するだけでは飽き足らず、私に、陛下から権力を簒奪しろと申すのか!」
ヒンヤリとした謁見の間に、雷鳴が轟く。列を成す魔族は、棒でも串刺しされたかのように直立不動の姿勢を取る。だが、跪いていた元帥だけは、怒りを顕にするかのように体を震わせる。
「半魔半人の小国出身の分際で、ただ単に異世界で得た知識を有するだけでその場所に立っているだけの小娘がッ!」
元帥は立ち上がると、懐から短剣を取り出す。
「やれやれ、佩剣の許可も受けていないのに、謁見の間に剣を持ち込むなど、自ら死罪を望むようなもの」
侍女のミミが立ち上がり刺股を構える。と、同時に同じく侍女のサーナも立ち上がり長棒をクルクルと回転させてから元帥に向ける。
「愚か者共が、お前ら入って来いッ」
元帥の大声に、武装した兵士が十名ほど謁見の間に入ってくる。そして、全員が抜刀すると元帥を取り囲む。
「き、貴様ら、血迷ったか?」
「自らの部下の顔も覚えていないの?」
ミミが近づくと、兵士たちは囲みを僅かに解く。
「まさか、は、は、図ったな半人がッ。我の部下と衛兵を入れ替えやがったな卑怯者め!」
ミミは、元帥の言葉を無視して、兵士に元帥を捕縛させる。
「おい、お前ら、魔人としての誇りはどうした。こんな半人の小娘に良いように使われて構わないのか。我の味方をして、この半人らを討ち取れば、望みのままの栄達を与えようぞ」
「閣下、拷問官と鋏を所望されますか?」
ミミに黙らぬと舌を抜くと仄めかされ、さしもの元帥も観念する。
「殿下、元帥の処遇は如何なされますか? このまま、処刑を命じられるのであれば、急ぎ用意させますが」
序列から一歩前に出た内務大臣は、困ったような表情を見せる。だが、アオイは彼に表情を悟らせないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「大臣ともあろう人が、曲がりなりにも陛下が叙任された元帥を私が裁いても良いと申すのか?」
「まさか、そんなことはあろうとは思いませぬが、元帥を拘禁するとなれば、人と金がかかります故、どのようなことになりましょうとも迅速な御判決を願います」
内務大臣の言葉に、アオイは返答をしない。他に重要議題がないか確認すると、そのまま閣議を終わらせた。
アオイは、侍女のミミとサーナを引き連れて後宮の最奥部に急いだ。三人共女性であるから後宮を歩く敷居は低い。とは言え、日が暮れると、女官たちにしきたりを理由に追い払われる可能性がある。そうなる前に、魔王が引きこもっている生母の部屋を訪れる必要があったのだ。
「王妃殿下、ご機嫌麗しゅう」
魔王生母の部屋の入り口を護る女官が、椅子から立ち上がり姿勢を正す。
「陛下はご在室?」
「いえ、こちらにはお見えになられておりません」
アオイの質問に、侍女は澄まし顔で答える。
「では、王太后陛下はいらして?」
「生憎ですが……」
侍女がほくそ笑みながら答えると、ミミが一歩前に出る。
「何をするっ」
「他の場所に陛下はお見えにならない。もし、部屋の中で病魔で倒れているなどあれば、国家の一大事。確認させていただく。陛下、陛下、ご無事でございますか?」
侍女の静止を無視して、ミミは扉を複数回叩く。扉が破壊されそうな勢いに、目を丸くした侍女は飛びかかろうとする。だが、サーナに背後から羽交い締めをされて口を塞がれる。
「安心するが良い。先程、御二方とも不在と申したではないか。それならば、多少の荒事を行ったとしても騒ぎにはなるまい」
アオイの言葉に侍女は涙目でモガモガと訴えるが、ミミは更に勢いづく。
「おおっ、陛下。王太后陛下。まさか、部屋の中で倒れられておらぬでしょうか? もしかしたら、この侍女に監禁されておられるとかありませぬか? 国家転覆の危機にございます。この薄い扉を我が刺股で破壊することお許しくださいませ」
ミミが大声を出しながら扉を蹴飛ばしていると、流石に無視はできなくなったか、部屋の中から返答がある。
「止めぬかお主ぃ!」
低い声が聞こえてくるが、ミミの攻撃は止まらない。
「貴殿、王太后陛下が不在の間にどのようにして部屋に入り込んだ。しかも、男性の声に聞こえる。まさか、この後宮に不届き者が侵入していたのか。顔を改めたい。速やかに扉を開けよ」
「朕に対して、何たる無礼者が。首を刎ねようぞ」
「御尊顔を拝見せねば、陛下の確証が得られませぬ」
「お主、死を恐れぬのか?」
「もし、小官の誤りであれば、我が首が飛ぶのみ。しかし、もし、賊であれば国家の危機。比べるまでもありませぬ」
しばしの沈黙の後、分厚い扉がゆっくりと外側に開かれる。扉の影から現れたのは、一人の美丈夫。長い黒髪に切れ長の目、魔族を象徴する角が二本生えている。だらしのない服装とやつれた表情が無ければ、魔族の長として前線にすら立てそうだ。
「陛下、ご機嫌麗しゅう。婚礼の儀以来、三ヶ月ぶりでございますね」
「アオイ、貴様が何故ここに」
「王妃の私が、後宮にいることが不満と仰言られる?」
「貴様には朕の代理を任せている。その仕事だけこなしておれば良い。そのために、婚礼の儀などという無駄なものを行ったのだからな」
「しかしながら陛下。口頭でお前任せたなどと仰言られましても、臣下たちも信じれぬことでしょう。それに、御裁可いただかねばならぬ案件が龍の鱗ほどございます故、明日は参内して下さいませぬか」
「断る。我は忙しい」
「部屋から出て来られぬのに?」
「何のために、王妃の名を与えていると思ってるんだ。上手くやれ」
「陛下の執務を行うためだけであれば、宰相として迎え入れてくだされば良かったでは有りませぬか」
「女を宰相にできるか。それに、爺らが早く世継ぎを作れと煩くて敵わんからな」
「ほぅ」
アオイは目を細めて魔王を威圧する。
「そのような理由で王妃となった私では言葉に重みがありませぬ。今からでも、陛下には来ていただけないでしょうか?」
「待て、誰か、誰かおらんか!」
魔王が大声を上げると、女官たちが集まってくる。しかし、遠巻きに見ているだけで近づいてこない。否、違う。アオイの息のかかった女官たちが、道を塞いでいる。
「アオイ、これはどういうことだ。まさか、後宮を乗っ取るつもりか?」
「陛下。何か勘違いをされておりませぬか」
「騙されんぞ。後宮を意のままに操り、朕をここから追い出して、政治をさせようというのであろう。だが、貴様の思い通りになると思うな。朕はこの部屋からは出ぬ」
「しかし、永遠に部屋に閉じこもることは不可能で……」
「黙れっ、貴様、朕にそのような態度、王妃になって偉くなったつもりか」
「決してそのようなことは」
「反論するな。貴様とは、婚姻関係は解消だッ! 顔など見たくもない。消え失せろ」
「それは、あまりにも早急すぎませんか」
「五月蝿い。貴様がコソコソと朕の居場所を嗅ぎ回ったり、女官たちに探りを入れたりしていたことを知らぬとでも思ったのか。アオイ、貴様の胡散臭い行動にはウンザリしていたのだ。本日をもって、貴様は王妃でなくなる。さっさと帝国から立ち去るが良い」
「よろしいのですか?」
「安心しろ。朕は気前が良い。二頭立ての馬車を使用することを許可しよう」
「わかりました」
「ふはははは。物分りの良い妃を演じるのも今日で終わりだ。貴様は小国に戻り、朕に歯向かって栄華を捨てたことを後悔しながら生き恥を晒し続けるが良い」
アオイは一歩下がり頭を垂れる。目の前で扉が閉じる音を確認してから、踵を返す。
「ミミ、赤兎馬と白龍馬で馬車を組んで」
「あの伝説の名馬で!? ……了解しました」
「サーナ、水と食料を用意できる?」
「はっ」
小走りに去っていく二人をゆっくりと追いながら、アオイは呟く。
「生き恥を晒す? まさか。陛下、女には、王妃になるという生き方だけではなく、王になるという生き方もあることをお教えして差し上げましょう」
アオイは王妃の象徴であるティアラを投げ捨てると、颯爽と後宮を後にした。