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イノリ

「汝は」

そこまで言うと、神父はおごそかにバイブルを閉じた。

暗がりの教堂。もとい、汚れた団地の一室。

神父が退場した後、僕はパイプ椅子から立ちあがり、壁の紋章に礼をして部屋を出た。


このセミナーの門戸を叩いて3年目。未だに僕は救われる感覚がない。悩みからは解放されず、願い事は叶わない。それなのに、結局ここに来てしまう。もしかしたら、明日にも救われるかもしれない。その可能性に賭けて、半ば惰性の延長のような状態で祈りを捧げているのだった。


ここは、自己啓発やら終末思想やらをてんこ盛りにした、ありがちな宗教セミナーの一つに過ぎない。

その施設もつつましいもので、神父の住んでいる団地の一室が教堂、ダイニングが集会所といった具合。


丸子マルコくん、このあと、空いてるよね?」


帰り際、隣に座っていた瑠花ルカさんに声をかけられた。瑠花さんは二歳年上の「信徒」で、僕の住む団地の部屋の隣人。僕がここに通うようになったのも、他ならぬ瑠花さんの誘いからだった。


「僕は大丈夫ですけど、瑠花さんはいいんですか?」


「あっ、ほら、また忘れてる。バイブル43章『汝、他人の麦畑に踏み込むなかれ』。」


「あっ、そうでしたね···。」


瑠花さんはまだ若いのに信心深い。いつも神父の書いた「バイブル」を持ち歩き、中身をまじめに実践しているらしい。ただ純粋なのか頭が少し緩いだけなのか分からないが、僕はたまについていけなくなる。


僕と瑠花さんは寂れた団地の一角にある喫茶店へ入った。最近、よく行くようになったが、あと3ヶ月で閉店するとのことだった。


「丸子くんは、今日の神父のお言葉、どう感じた?」


コーヒーが出るより先に、瑠花さんは丸い黒目で聞いてきた。僕は返答につまづいた。正直、自分は神父の言葉をそれほど真面目に聞いている訳ではないからだ。


「よかったと思います。特に、今日の初めの言葉に、いつもより重みがありましたね。」


「やっぱり君もそう思う?」


瑠花さんはいたずらっぽく笑みを浮かべる。


「『今日の為に昨日は要らない、明日の為の今日も要らない』。本当に素敵な言葉だよね。」


神父とバイブルの話をする時の瑠花さんの目は輝き、まるで子供みたいだった。


「例えばこのあと、ここを出た瞬間に車に牽かれて死んじゃうとして、その直前に私は後悔すると思う?あーすれば、こーすればよかったって。」


「うーん、難しいですね。」


「ふふふ、答えは、後悔する前に今この瞬間を最高にすることに全力を注ぐから、後悔する余力なんて無い、でした!」


瑠花さんはそう言うと、残っていたコーヒーをぐっとあおった。


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