46.死にゆく彼の名は……のようです
「……………………」
「本当に驚くぜ。とんでもねぇ根性だな、まさかあの海域から戻ってくるなんてよ。マジで化け物なんじゃねぇのかテメェは?」
……船長はほとんど覚えていなかった。
「スプリーク様、念の為にお下がりを。瀕死とはいえ何をしてくるか分かりませんので」
「ああ、分かってる。お前も下がれ」
どうやってここまで来たか。
どれくらいの歳月か経過したか。
今日まで何を食べて生を繋いだのか何一つまともに覚えてはいなかった。
「うう……うぐぐぐ――」
だが、それでも船長は戻って来た。
海賊船や愉快な仲間達と己が生涯で築いてきた全てを失い、肉体的にも既に皮膚や服もズタズタの状態ながらも、
「兵士達。何かあればすぐ殺せ。いいな?」
「「はっ! 了解であります!」」
恐らく常人では到底測れない強い執念で、船長はどうにかエリザベート姫がいる国へとたどり着いたのだった。
残念ながら到着直後、全てを奪った憎き貴族スプリークに発見されてしまい憲兵に捕縛されてしまったが、
「エリ……エリ……」
「ああ? 何だって? エリ?」
けれども彼は一つだけ確認したかった。
たとえ、これから自分がどんな厳罰が課されようとも……処刑される事になろうとも確かめたかった。
「エリザベート……姫は――」
「ああ?」
「彼女は……ご健在か?」
老人のようなしわがれた声で船長はスプリークへ尋ねた。
エリザベート姫の安否。
船長は死ぬ前にそれだけが知りたかった。
自分の命がもうすぐ尽きる事は承知しているが、まだ残された唯一の希望である彼女の無事だけはなんとしても聞き届けて死にたかった。
「なんだ……テメェもアイツの事好きだったのか」
「姫君は……今……」
唇を重ねるどころか手すら握った事も無く、交わしたのは言葉だけで傍から見れば恋愛と言えるか疑わしい関係だったが、船長にとっては立派な初恋の女性。
「教えて……ください……」
「チッ……屑海賊め……」
だからこそ堅物な彼は最後に尋ねた。
自分の最後を看取ってくれなくてもいい。
ただ彼女が今も明るく過ごしているなら、それだけで自分は笑って逝けると……。
「エリザベート姫はご健在です……か?」
そう、心に決めていた矢先――
「ふん! エリザベートなら死んだよ!」
「!?」
……スプリークは冷淡に言い放った。
船長の想いを踏みにじるように最悪の報告を返したのだった。
「な……なぜ!?」
ガシャリガシャリ!
ガシャリガシャリ!
「「「「き、貴様! 動くな!」」」」
「どうして!? どう……して?」
すると直後、船長はスプリークへ食い入るように激しく身を動かした。
足にかけられた重い拘束具の錠を引きずり鳴らし、憲兵達の制止に聞く耳を持つ事など無く。
「エリザ……ベート姫が……死?」
「「貴様! それ以上スプリーク様に――」」
「なぜだ……なぜだなぜだなぜだなぜだ!?」
船長は壊れたように何度も理由を求めた。
死にかけの自分が海を漂流していた間。情報と隔離された空白期間に起こった異変について、船長は憲兵達に抑え込まれながらも必死にスプリークへ説明を求めた。
……すると。
「フフフ……フハハハハ!」
スプリークは口元を歪ませ、笑って発した。
「病気だよ! 病気! 俺様がテメェら薄汚ねぇ海賊団を海に沈めましたって報告したらよ。エリザベートの奴酷く青ざめやがったんだ。そこから心身ともに抜け殻みてぇになってよ。終いには栄養失調で床に臥せってそのまま死んだのさ!」
「びょ、びょう……えいよう?」
誰が聞いても痛痛しい死因だった。
だが、船長の衝撃は他者の数十倍に匹敵した。
なぜなら、貴族スプリークが発したこの話が真実であるならば【自分達の死】が彼女を苦しめてしまったという事なのだから。
「………………………………」
「おお、凄いですな。スプリーク様」
「フヒヒ……ギャハハハハハハハ。おい、見ろよ兵士達! 心が壊れた人間ってこんな面するんだぜ! 傑作だぜ全く! ギャハハハハハハハ!」
……船長の目からは涙が零れていた。
だが……今の彼には自分が現在【泣いている】という感覚があったのか理解していなかった……というより、既に精神が崩壊してしまったがゆえにそんな領域には存在していなかった。
「いやあ、にしても全く馬鹿な女だぜ! 惚れた身分違いの男一人死んだところで病に臥せるなんてな! まあいいさ! どうせあんな精神的にやわくて弱い女、一発ヤってたら簡単に壊れてたかもだしな! ギャッハッハッハッハッ!」
だが!
このスプリークの下卑た発言が引き金。
エリザベートの死を嘲り、侮辱して大きな高笑いを決め込んだ瞬間であった。
プツリッ……。
「 」
切れた。
「 」
「「ハッ!? おいっ! 貴様止まれ!」」
「「それ以上動くな! もし動けば――」」
「なっ!? おい兵士ども! 何をボサッとしてんだ! 早くコイツを殺――」
別に音が鳴った訳ではなかった。
けれども確かにその刹那に切れた。
「 」
彼の理性の糸がプツリと――
―― ―― ―― ―― ―― ――
「………………………………」
ピトッ、ピトッ、ピトッ……。
船長はまさに吹けば消えるような意識の中で、僅かな理性が蘇った頃。
眼前の光景の何もかもが真っ赤に染まっていた。
「あわわわ……なんという……狂暴な……」
「ガクガクガクガク……ガクガクガクガク」
両手足を拘束する手枷だけに留まらず、さらに口元に至るまで垂れていた赤は――
ピトッ、ピトッ……ピチョン。
「ガクガクガク……ガタガタガタ……ななな……なんて狂暴な野郎だ!? まさかそんな深手で……全員殺るなんて――」
人間の血だった。
量にして数人分に渡る大量の血液。
「おい……ポルン! ポルン!」
もちろん自身の血液も中には含まれてはいたが、殆どは憲兵を殺害した際に飛び出した血でありその血だまりの上に船長は足を置いていた。
そう、理性を失った彼は取った行動は――
「お、おお落ち着きくださいませ! スプリーク様! もはやコイツにロクな意識などありません! もう死人同然! 恐らく既に口も利け――」
まずは手枷を撲殺用の武器に変貌させ、傍にいた憲兵達を数人殺害。
対して兵士達も彼を殺さんと一心不乱に肩や胸部、脇腹、脚と剣で斬り付けていき、最後には槍で貫いていった。常人なら即死してもおかしくない程の猛攻で、
「……………………………」
「ほ……ほら、ご覧くださいませ。もうコイツには喋る気力どころか……指一本動かす事すら出来ません! もう死人同然なんですぞ!」
だが船長は一切お構いなし。
暴走するがままに憲兵を一人また一人と消していったのである。
さらに付け加えるなら、人間が持つ堅硬な凶器である【歯】ですら武器に変えて食らいついていった。
それこそ狂った獣同然に、邪魔をする憲兵達の喉元や首を次々と食い千切って容赦なく惨殺していった。
「………………………………」
「す、スプリーク様……コレはどうしますか?」
「ああ!? 何だこの役立たずの兵士がっ!?」
「ひぃ! で、ですからこの瀕死の海賊をどう致しましょうか!? ここで首を落とすというのも如何なものかと思いまして――」
「チッ……そうだな。しょうがねぇ今から捨てに行くぞ。王との謁見まで時間あるしな」
「はっ! ではそのように致しますっ!」
もうここまで来ると憎悪という一言を示せるような次元の話では無かった。
ただ絶対に殺す。必ず殺すという強い葛藤。
それらが表面に出ただけだったのだから。
―― ―― ―― ―― ―― ――
ザバンッ!
息絶えた船長の亡骸が海へと投下された。
まるでゴミの扱い方で、無造作に投げ捨てられてしまった。
「ふん。じゃあなゴミ船長。そして二度と俺の前に姿を現すなよ。卑しい族風情が」
そして外道は船長の骸が海中へ沈むのを見届けつつ、その後を追わせるように――
「そらよ。あの世への手土産にこれでも持っていけ。お前の大好きだった奴の遺品だ。姫という立場を理解出来ずに、死んだ馬鹿女の日記と共に沈んでいけよ! ギャハハハハハハハッ!」
続けて生前のエリザベート姫が愛用していた【金の刺繍入り日記】もライターで焼き、同じく海へ投げ捨てた。
自分に振り向かず身分違いの恋をした忌々しい姫君の遺品を海底、深蒼へ向けて投げつけた。
……そして。
「じゃあな。世界一哀れで不運な海賊船長【サラザール・ジョーンズ】さん。後は馬鹿女と海の底でよろしくヤるんだな! ギャハハハハハッ!」
何の因果かスプリークは【それ】を告げた。
この記憶巡りの最重要課題である船長の名を――




