42.堅物の好漢だったようです
これはレオナルドが今巡っている過去。
記憶の断片である日記の一部だった。
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〇月××日
天候【快晴】
風向【追い風のち向かい風】
もう残りページが少ない……。
だが今日であった彼女の事。
エリザベート姫の事だけは絶対に日記へ認めておかねばならぬと思う。
まさに女神のようなお人であった。
私のような薄汚れた海賊などとはまるで違う。
例えるなら神の国から舞い降りたような……天が地上へ与えた奇跡の女性だった。
だからこそ今日はそんな穢れとは無縁で純粋なエリザベート姫を救えた事を、これまでの生涯の中で誇りに思う。
だが、本当に危ないところであった。
間一髪、もうほんのあと一歩のところで彼女は下衆な海賊団の魔の手。
女性へ平気で暴行を振るい、さらに幼子ですら歯牙にかけるという不快感の塊であるあの【ジルド海賊団】の汚れた剣が迫る中、我々は何とか間にあった。
既にエリザベート姫を守る近衛兵は死亡。
さらに側近ですら動けぬ深手を負う中。我々は決死の覚悟で乗りこみ、剣を交え戦った。
しかし敵は所詮、不意打ちしか能が無い海の屑共だ。
鍛え抜かれた我々に敵う訳もなく船長ごと全員片付けてやった。
そうして……全てが終わった後。
私はエリザベート姫と出会った。
そう、出会ってしまった……。
恵まれぬ者に己が身を削って与える。
あの聖人、国の太陽と名高いエリザベート姫。
まだまだ幼く可愛げ残る、一度見れば忘れられないあの美しき姫君に――
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「はあ………………」
はっきり言って一目惚れだった。
千載一遇、運命の出会い、空前絶後。
神の悪戯、神の思し召し、宿命的。
出会いの喩え方こそ山ほどあるが、
「はあ………………」
その感情が示す言葉は一つだった。
「エリザベート姫……」
“初恋”
それ以外に当てはまる言葉は無かった。
いつもは女性に興味が無さそうに振舞い、立ち寄る酒場でも魅力溢れる美女達から夜に誘われても見向きしない“堅物船長”が、
「はあ…………」
今ではこのザマ。
一日中甲板の手すりにもたれ、息漏らす日々。
視線的には海を見ているのだが、思考は別。
ただただ頬を僅かに赤くして、息を溢していた。
ひたすらに“彼女”の事を想って。
「エリザベート姫……」
高貴さを彷彿とさせる金のロングヘアー。
血生臭い世界を知らぬ透き通った水色の瞳。
慕う者達を惑わせる天使の様な甘く優しい声。
年頃の女性らしい喜怒哀楽の豊かな表情。
「また……貴方様とお会いしたいです……」
そんな先日出会った彼女の全てが愛おしく。
彼の脳裏に深く刻みつけられていたのだった。
「コソコソ……おいおい見ろよ。まただぜ」
「……んふふふふ、いつ見ても飽きねぇな」
「でも、俺はああいう船長好きだぜ」
「分かる。めっちゃ可愛くて面白いよな」
そして。その恋する船長の可愛らしい一面にて、彼の女性に対する堅物っぷりを知る者からすれば最早別人にすら思えてくる中。一部始終をこっそり見ていた仲間達の悪戯心に火をつけてしまったのか、
「ププププププ……ほら見ろよ。レオ」
「また? もう止めとけっていったのに」
「そう言うなって! 俺達だってこんな船長の一面は見た事がねぇんだ。しっかり見とけよ!」
その船長を慕う船員達全員。
そしてレオナルドが見逃すはずもなく。
物陰、作業中、清掃中だろうと彼に注目。
すでに船内の立派な語り種となっていた。
「ほらほら! あの物思いに耽る船長! 向こうはどうか知らないが……こっちは立派な恋する乙女って顔だぜ! ホント面白いよな!」
エリザベート姫の救出以降。
功績を認められた彼ら一団は度々護衛の任として召喚され、彼女が別国に向かう際は航海に同行。
中でも後にも活躍を重ねて厚い信頼を獲得した船長は側近の許可の元ではあったが、制限時間付きで彼女との対話を許され、僅かずつではあるがその距離を縮めている。
「もう、人の恋路を笑うもんじゃないよ……でも分かる。なんて言うか甘酸っぱい感じがするよね。それに僕が見た感じだと……あの二人はイイ感じって気がするし」
そうして同じような慈善活動。
貧しき者を救っているとはいえ自分とは違うその純粋無垢な志の強さにさらに惹かれたのか、
「でも、聞いた感じだとお姫様は【16歳】だった気がするけど……あってたっけ?」
「あってるぜ。でも船長もああ見えて【26歳】なんだ。別にいけるだろ! 10年の溝なんて愛で埋めちまえばいいんだよ! 恋愛に必要なのはガッツとお互いを求める力だけだろう?」
「ぶっ! うくくく……あははははははははは! 本当に身も蓋も無いね! 君達は!」
皆が見る船長の姿はまさに抜け殻。
だからこそ余計に船員の笑いを誘うわけだが、
「でも。俺達全員【覚悟】はしてるぜ」
「覚悟? ってもしかして」
「ああ、船長と姫様が結ばれてこの海賊団が解散になっても文句は言わねぇ。皆がそれを受け入れて二人を見送ってやるって決めてんのさ」
けれどもそれを拒もうとする者はゼロ。
それどころか皆が皆あわよくばこの関係が進行していきゴールインしてほしいと切に願う者ばかりだった。
「結ばれてほしい……か」
「? どうした、レオ? 変な顔して――」
「じゃあね……僕は見張りをしてくる。君らもサボり過ぎて叱られないようにね」
「あっ、おい待てって! もう少し――」
そうして。レオナルドはそんな船長思いな皆の決意に腹を満たされつつ、
(ダメだダメだ……これ以上介入するわけにはいかない。別れが決まっている以上、情に流され過ぎたら先の過去を追えなくなってしまう)
あくまで自分は未来から来た異端。
感情移入しすぎてはならないと気持ちを一新し、なるべく過去を見る傍観側に回らねばと、
(僕は【船長の名前】を知る為に日記からこの過去世界へ来たんだ。優しい人の集まりだって事は分かったけど……距離はちゃんと保たないと――)
レオナルドはそう思考を切り替え、見張り番を交代せんとマストへ向かう……。
「レオか。どうしたんだ浮かない顔して。それに別に今は身張りはしなくても大丈夫――」
その瞬間だった。
(う……ぐっ!?)
突如、彼の足もとが揺れた。
「はっ!? レオ!?」
「うんっ!? どうした!?」
「あっ、船長! レオがいきなり倒れ――」
「なに!? レ……しっかり……」
(あれ? 僕はいったい……)
突如彼の意識が混濁。
続いて周囲にいた仲間達が次々とレオナルドの異変に気が付く最中で、続いて彼の視界も黒い靄がかかったかの如く揺れていく。
(あっ、そっか……これって)
だが、そんな突然の出来事。
全身から力が抜けていく途中、レオナルドには思い当たる節があった。
「レオ! しっか…………気を…………」
「船……船医…………来ました!」
(そうだ。日記がここで一旦切れ――)
すると異常を察知した船員に囲まれて血相を変えた船長に声をかけられつつも、レオナルドの予想は的中する事となった。
そう、まだ終わっていないのだ。
むしろ彼の“過去巡り”の真髄はここから。
彼が見てきたのはむしろまだプロローグ。
(でも……じゃあ僕は……どこに……)
誰もがこのまま船長の愛を成就させてほしい。
皆が慕う優しき【生前の幽霊船長】に最高の幸せを、人生で最高の瞬間を味わってほしい。
そう船員達の皆が切に願い始めた瞬間。
(次は……どこで目を覚ますんだろう)
この世界からすれば存在する筈の無いレオナルドだけは外されて沈んでいった。
既に誰の声すらも届かぬ深淵へ吸い込まれるように日記の記憶に翻弄されて、そのまま飲まれていくのであった。




