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.9 占いと人々

 魔女の小屋。


 入り口から入ってすぐに、机だけが置かれた部屋がひとつ。

 その奥にはかまどのある部屋。床に敷かれた毛皮と、部屋の隅には木箱や壺などがごちゃごちゃと置かれている。

 メーニャの住む木こり小屋よりも狭く、ベッドすらない。他の家財道具の数からしても、ひとりで暮らしていることが伺われた。


「そこに座って」

 魔女は奥側の席でふたりを待ち受けていた。

 促され席に着くアレブとメーニャ。メーニャは物珍しいのか、あたりを見回したり魔女の肩越しに奥の部屋を覗こうと尻を浮かせたりしている。


「落ち着きなさい」

 魔女が窘める。


「ねえ、お姉さん。あなた、本当に魔女?」

 メーニャは着席するとすぐに訊ねた。


「そうよ。ここに住んで、薬を売ったり、占いをしたりしているのよ」


「その割にはヤギのガイコツも、ハシバミの杖も、魔法について書いた本も見当たらない」

 幻想好きの娘が不満そうな声をあげた。


「そんなの何に使うのよ。魔法使いじゃあるまいし」

 魔女の端整な眉が持ち上がる。

「魔法使いじゃ、ない!? アレブ! こいつ、魔女じゃないよ!」


 メーニャは立ち上がり、魔女を指さした。


「メ、メーニャ。失礼だよ。僕たちは話を聞きにきたんだろう?」

「彼の言う通りじゃないかしら? 私としては、別に魔女を名乗りたくて名乗ってるわけじゃないし、お客は他にも居るから、帰って貰っても構わないんだけど」


「よし! 帰ろう! 魔女じゃないなんてがっかりだよ!」

 メーニャは顔を赤くし、足を踏み鳴らしながら小屋から出て行ってしまった。

 取り残されるアレブ。


「お連れさんは帰っちゃうみたいだけど、あなたは良いの?」

 魔女がアレブに訊ねる。


「すぐに戻ってくると思います。外は暗いですし。彼女の家は街道沿いではないので、ひとりじゃ帰らないと思います」

 友人にため息ひとつ。


「あの子は、メーニャは、魔女さんに憧れてたらしいんです。

 ここに来るまでも、ずいぶんと話を盛って楽しそうにしてましたから。

 それが、その……こんな、若い女性のかただとは思わなくて。魔女さんは本当に、噂の魔女なんですよね?」


 同じく疑うもアレブは、メーニャとは違い、かしこまりながらも声を弾ませていた。


「そうよ。かつて国を護っていた神樹を枯らした張本人で、神樹の呪いを受けた女」

 魔女はにべもなく答える。


「神樹の呪い……。あなたのその銀の髪ですね。若い人でその髪色を持った人はもうほとんど居ないと聞きます。だから魔女と呼ばれているんですか?」


 魔女はぼろの中に収めていた髪を外へ引っ張り出す。

 それは、年老いた老婆の白髪とは色こそ似ているものの、艶が違った。まるで王に献上される上質な絹のようだ。


「さっきも言ったけど、私は七十近くよ。神樹の呪いでずっと若いままなの」

「そういうことにしてるんですね。年寄りのほうが魔女っぽいですもんね。だからぼろをかぶって顔を隠してたんだ」

 まだ疑うもアレブはにこにこしている。


「何? あなたも信じないの? とりあえずそのにやけた顔、やめてちょうだい。男っていつもそう」

 魔女の冷たい非難に少年は表情を改めた。


「確かに、魔女らしくするために演技はしてるわ。

 でも、顔を隠してるいちばんの理由は、男を寄せ付けないようにするためなのよ。

 私、できれば剣を持ったあなたとふたりきりで小屋に居たくないわ」


 魔女は魔女でアレブを卑下た男と同列に見ているようだ。黒い瞳には、はっきりと嫌悪感が示されている。


「アレブはそんな人じゃないよ……」

 扉の隙間から声。


「メ、メーニャ。外は暗いだろ。入って来なよ」

 少年は慌てて娘に声を掛ける。


「ねえ、魔女じゃない魔女さん。お客さんが来てるんだけど、入れても大丈夫?」

 顔だけ小屋に入れて尋ねるメーニャ。


「入ってもらって。」

 魔女は髪を仕舞い、ぼろ頭巾を被って顔を隠し、答える。


「ちょうど良いわ。あなたたちに魔女らしいところを見せてあげる」


 今だ疑いの目を向けるメーニャと共に入ってきたのは、ひとりの薄汚れた男だった。

 背を丸め、顔の手入れもしておらず、ろくに食べてもいないのか、頬はこけ、腕は骨ばっていた。

 冬も近いというのに、彼の服は肘を隠すのに至っていない。


「あなたが、魔女様ですか?」

 男はしわがれた声で訊ねた。


「ええ、そうよ」

 魔女もしわがれた声で答える。


 ――胡散臭い。……というかヘタクソだ。

 アレブは口元がつり上がるのをこらえた。


「おお。確かにそんな雰囲気がある……。俺は、城下のはずれで小さな農家をやってる“ペモ”というものです。今日は魔女様に相談したいことがあって、訪ねさせていただきました……」

 男はしゃべるのもつらそうだ。


「魔女はなんでも聞くわ。でも、お代が先。あなたは何を支払ってくれるのかしら?」

 それを聞いた男は申し訳なさそうな顔をして、手のひらの上に銅貨を二枚重ねて見せた。


「うちは貧しくて、これだけしか……」

 銅貨二枚。アレブは教育係のマブの話を思い出す。確か、広場で子供の菓子にかじる甘い枝が銅貨一枚だ。


「そう」

 そう呟くと魔女は席を立ち、奥の部屋へと入って行った。

 男はそれを眺めていたが、音もなくため息をつくと、椅子から立ち上がろうとする。メーニャも魔女の背中を睨んでいた。


「どこへ行くの? 相談はいいのかしら?」

 魔女は戻ってくると男へ声を掛けた。それから、男の前に湯呑を置いた。


「薬湯よ。まずいけど栄養はあるわ。湯、といっても冷めてしまってるけど。温める薪もただじゃないからね」

 男は魔女と湯呑を見比べると着席し、銅貨を机に置くと話を始めた。


 農家の男ペモの話はこうだ。

 少し遡って、秋。農家が一番潤う季節。しかし、彼は窮していた。

 今年の彼の畑は作物があまり発育しなかったらしい。それだけならよくあることだ。

 少し慎まやかに冬を越さねばならなくなる程度。この世界では誰もしもが経験のある事だった。


 彼はそれを取り戻そうと、冬向けの作付けをはりきり、力いっぱいクワを振るったらしい。

 しかし、悪い事は重なるもので腰を酷く痛めてしまったのだそうだ。

 ペモは老いた母とのふたりきりで暮らしている。母は寝たきりだ。働き手は彼しかない。


 そのうえ、今年の冬はどうも訪れが早い。すでに雪が顔を見せている。冷えは怪我に響く。

 野良仕事はおろか、家事のいっさいも苦労する有様。ちょっとした内職に手を出す余裕すらも失った。


 とうとう彼の家は、ふたり揃って冬を越すのが難しくなってしまった。


「誰か親戚や近所の人は頼れないのかしら?」

 魔女が訊ねる。


「俺はこの歳になっても嫁もとれない独り者なんです。親類は母さんしかいません。

 近所の人ともあまり付き合いが良くない。誰も俺たちのことなんて気に掛けてくれちゃいませんよ。

 見てくれも悪いですし、これといって役に立てる芸も無い。みんなだって暮らしは楽じゃないんだ。嫌がられるのがおちですよ」


「あなたの言う通りかもね」

 陰気な男。魔女は嫌悪を隠さない。


「問題は、そんな事じゃないんです。母さんが……」

 ペモは言葉を切る。しばらくの沈黙。


「私にどうして欲しいのかしら。そのお母さんを、消せばいいの?」

 魔女がぼろ頭巾から覗かせた口を歪ませる。


「その……逆なんです。母さんが自分を……森に捨てろって言うんです。

 俺はもちろん反対です。今までずっと一緒に暮らしてきたんだし、小さい頃は俺が面倒を見てもらっていたんだから。

 そんなことをして生き延びても、俺は嬉しくない。

 でも、今年は本当に苦しくて、仮に母を捨てたとしても、ぎりぎりなんです。母は本気です。

 少し前にはとうとう、這ってまで勝手に出て行こうとしました。俺が止めなければ今頃オオカミの餌です。

 多分、放って置けばまた抜け出そうとするでしょう。俺のほうも、生きていたってどうせ面白くもありません。

 何だったら俺のほうが森に入ってもいいくらいです。

 でもいちかばちか、俺が森で冬を越せば、なんとなるんじゃないかって。

 魔女様はこの森で暮らしているんでしょう? 森で生きるためのすべを、俺に教えてくれませんか?」


 男が頭を下げる。


「いやよ。どうして銅貨二枚ぽっちでそこまで」

 魔女がぴしゃりと言う。


「それに、よくある話でしょう。口減らしなんて。私も森で人間の死体を何度も見たことがあるわ。ただ迷ったのか捨てられたのだか知らないけど。その中には老人も、若い男もいたわ」

 痩せた男を見てため息をつく。


「人はひとりではね、生きてゆけないものよ。森でも街でも。

 私もここに住んで長いけど、森だけに頼って生きてるわけじゃない。

 雪や雨で湿れば薪を集めるのも苦労するし、獣を探すのも大変になる。

 冬ごもりをしない肉食の連中と競争をしなきゃならないのよ。

 ……木の根や石の裏で眠る虫を食べるのが平気だというなら、食うには困らないけど。

 それにあなたも知っての通り、ここは街道を少し離れただけの森。あなたが訪れたように、ときおり人だって通るわ。

 私はこうしてお金を取っているんだもの、当然お金を使ってもいるのよ」


 所帯じみたお説教。

 魔女は大して当てにならないと知り、男の表情はいっそう暗くなる。だが、彼女の言うことももっともである。

 そもそも男は腰が悪いのだ。野性的に生き延びることなど、できはしないだろう。飢えた獣たちは彼を歓迎するだろうが。


「やっぱりそうか……そうですよね」

 男のため息。

「どうするべきか、占ってもらえませんか?」

 魔女は机の下から袋をひとつ取り出す。袋の口を開け、中から何かを鷲掴みにすると、机の上に落とした。


 しなやかな指のあいだから落ちるのは、きめの細かな砂だった。机の上に灰白色の山ができる。


「砂占いよ。さあ、あなたもまねして、自分の前に落としてみて」

 魔女に促され、ペモも砂山を作る。土で汚れたままの指から砂がこぼれていく。


「どう……でしょうか?」

 魔女はふたつの砂山を見比べると、声の調子をさらに低くして男へ言い放った。


「“恐怖に挑め”と出ているわ」


「森に入れって事かな」

 メーニャが口を挟んだ。


「違うわ。“恐怖に挑め”は“恐怖に挑め”よ。ペモさん。あなたの怖いものは何?」

 ろうそくが揺らめく。魔女の瞳が一瞬見えた。


「俺は百姓だ……作物ができなくて飢え死にするのが怖い」

 それはもうやった。結果、腰を痛めた。ペモは下を向いている。


「それだけ?」

 魔女が促す。


「まんじゅうが怖い」

 農夫が言った。


「まんじゅう?」

「うちの父さんはまんじゅうを喉に詰まらせて死んだんだ」


「ああそう……。他には?」

 呆れたような魔女。


「森に入って獣の餌になるのも怖い。母さんを見殺しにして畜生になるのも嫌だ。

 目が覚める度に母さんの寝床を見るのが怖い。それに、近所の眼が怖い。年寄りや子供を捨てるのは珍しくはねえ。

 だけど、こんな俺だ、畜生になれば必ず悪く言われる。あと……ここに来て魔女様に会うのも怖かった。

 外に居た娘のお陰で、ちょっとばかし気は楽になったけど」


 陰気な男が恐怖を羅列する。


「怖いもの尽くしね。一番楽そうなのを選んで挑むと良いわ」

 そう言うと魔女は机の砂を集め、袋に片づけ始めた。

 横で眺めていたアレブがふと気づく。袋を取り出すところから一連、すべての動作は左手のみで行われていた。儀式的なものだろうか。


 魔女がそれ以上何も言わないのを悟ると、ペモは立ち上がった。


「これを持っていきなさい」

 帰ろうとする男へ三枚の葉っぱが差し出される。

「魔女様、これは?」

「湿らせて腰に貼ると良いわ」


「お代は払えませんよ。それに、俺は森に入るって決めたんです。腰が治ったところで、餌になるだけなんだから、一緒でしょう」

 男が魔女の手を押し返す。


「あなた、人の話をちゃんと聞いてた? それに自分の言ったことも忘れてるのね」

 魔女が呆れて言う。ペモは首を傾げ逡巡した。


「人は、人の中でしか生きられないのよ。もしも春まで生きていたら、余分な作物をお代として外の箱に入れに来てちょうだい」

 魔女は男の手に葉っぱを無理やり持たせると、手で追っ払う仕草をした。

 「みんなに話してみます」と言い、陰気臭い農夫のペモは小屋を去った。


 客が去ると、メーニャは魔女に向かって頭を下げた。


「魔女さん、ごめんなさい! 魔女じゃないなんて言って! あなたはとっても良い人だった!」

 黒い髪を何度も跳ねさせ、娘は謝る。

「別に私、何もしてないわ」

 魔女は頭巾を外しながら言った。

「でも、占いもちゃんとしてたし、さっきのおじさんも、帰るときちょっと、嬉しそうだったよ」

 メーニャの言う通り、農夫の帰り際の表情は明るかった。魔女の出した薬湯には手を付けていない。飲んでないのだから、それが効いたわけでもないだろう。


「あの占いは、適当なのよ」

 魔女が肩をすくめる。

「えっ?」

 目を丸くするメーニャ。

「なるほど、それも話を進めるための演技だったんですね」

 アレブが感心したように言う。


「そういうこと。私、占いなら占星術は習ったことがあるけど、ずいぶん昔だったし、耳にパンを詰めていたからあやふやなのよね。

 大抵の人の悩みはね、本人の中に答えがあるものなのよ。相談してくるような人っていうのは、後は飛び込めばいいだけって状況が多いわ」


「魔女さんかっこいい!」

 メーニャが声をあげる。


「調子良いわね。私の仕事は、陽が沈んでからが本番なの。

 日中に堂々と魔女の小屋のあたりをうろつく奴は居ないわ。

 みんな夜中にこっそり、他の人を避けて、小屋の様子を伺ってから入ってくるのよ。

 今夜は月が明るいから、きっと他にも来るわ。相談しに来たり、薬を買いに来たりね。……どうする? 先に要件を済ませる?」


 魔女は話しながら棚の引き出しを確認している。中には何かの葉や、粉末の詰まった袋が入っている。


「私、魔女さんのお話、もっと聞きたいな」「僕も関心があります」

 ふたりが答える。


「まあ、いいわよ。聞くところでは、図々しくもここで一夜を明かそうって気みたいだし。隣の部屋は好きに使っていいわ。ややこしいから、お客から見えない位置にしてもらえると助かるわね」


 家主の許可を得て、隣の部屋の隅へ移動するふたり。

 魔女は本当にこの部屋で雑魚寝をしているらしい。暖かそうなものは、木の床に直接敷かれた大きな毛皮以外に何もない。冬はどうしているのだろうか。


「ねえ、アレブ。魔女さん良い人そうだね」

 メーニャが囁く。


「そうだね。だけど、彼女は魔女と言われれば確かに魔女だし良い人。でも、いやに親切な気がしないか」

 アレブが疑問を呈する。


「確かに。もしかして、私たちを寝てるあいだに料理して食べちゃうのかも!」

 物騒なことを口にする娘は楽し気だ。


「あの鍋じゃ、僕らふたりは入らないよ」

 少年はかまどの上に置かれた鍋を指さす。彼の声も少し弾んでいる。



 唐突に小屋に大きな音が響いた。乱暴に開閉される扉の音だ。



 アレブとメーニャは息を殺す。いったいどんな相談者が現れたのだろうか?


「魔女の家ってここですか!?」

 空気を切り裂く甲高い声。……若い娘のようだ。


「そうよ。相談? 占い? 薬の処方? 座ると良いわ」

 魔女の声。聴覚だけで聞いてもやはり、演技ではないかと疑われそうだ。


「全部です! 魔女さん! 聞いてください! 私、恋しちゃったんです!!」

 娘の声は上擦っている。


「ああ、そう……。とりあえず、うちは料金先払いなのよ。お金でも物でも良いわ」

 魔女が要求する。

「あの、これでどうでしょう!? うちで採れたリンゴとブドウを干したやつなんですけど! お砂糖を足してるから、めっちゃ甘いですよ!」

 娘が何かを出したようだ。机に硬い物が置かれる音。


「まあ、おいしそうね。……いいわ。引き受けましょう」

 素の魔女の声。


 さて、この小うるさい娘の悩みとやらはこうだ。


 彼女、“ナッコ”は大きな果樹園のひとり娘らしい。

 普段は気楽に家の手伝いをして、のんびりと暮らしていたのだが、秋の収穫時に雇われた若い男にホの字になったそうだ。


 とにかくナッコはその男がいかに良い人であるかを語り続けた。

 リンゴをもぐときに回す手首のしなやかさだとか、ブドウを切るときに房を支える優しい手つきだとか、麻袋を持ち上げるときの上腕二頭筋のふくらみだとかを捲し立てるように自慢した。


 あまりにもしつこかったために、魔女はナッコを怒鳴ったほどだ。


「……それで、あなたはその人と恋仲になりたいってわけなのね」

 魔女が咳ばらいをひとつ。


「はい、そうなんです。でも困ったことに、私の結婚相手は既に決まっていて、広場の出店の元締めをしてる旦那の次男坊さんなんですよ」

 小うるさい娘がため息をつく。長い長い溜め息。

「店を出すのに都合が良いんです。別に血縁でなきゃ店が出せないわけじゃないんですけど。でも、私その人の事、別に好きじゃないし……まあ、嫌いでもないんですけど……」

「そう。くだんの彼のほうには気持ちは伝えたの?」


「いえ。まだです! 上手くいくかどうか、占って欲しくって!」

 魔女の占いはでたらめだ。成否を占う場合はどうするのだろうか。


「時間の無駄ね」


「えー! そんな! 暗くておっかない中、頑張って来たのに! それだったら瓶詰め返してくださいよ!」

 娘が口を尖らせた。


「そういうことじゃないわ。例えば占いをして“上手くいかない”って出たら、あなたどうするの? それで納得がいくの?」

「うーん、いかんですね。……魔女さん、それはあげるんで、手を離してもいいですよ」

 魔女がまた咳払い。口を歪めるアレブの横で「声が戻ってる」と小さな呟き。


「逆に“上手くいく”って言ったら、どうするのかしら?」

「嬉しいけど……。親には逆らえないですよねえ。どっちにしても、もやもやが残るわけかあ」

 娘の唸り声。


「あなたの悩むべき問題は、そこじゃないということね」

 魔女が言った。


「あーあ。性別が逆で、私が農園を継ぐ立場だったら良かったのに……」

 繰り返されるため息。


「農園はあなたが継ぐわけじゃないのね」

「そうですよ。うちには弟が居るんで。家は男が継ぐもんですから。弟が羨ましいですよ。農園の跡継ぎだからって、結婚相手も選びたい放題ですよ!」

「そうね。お金や力のある人には選ぶ権利があるわね」

「不公平ですよ。ほんっと、羨ましい! 聞いてくださいよ魔女さん!」


 今度は弟への不平不満を並べ始めるナッコ。

 内容は割愛するが、魔女に怒鳴られるまでそれは続いた。


「……あなたと話してると喉が痛くなるわね。人の持ってるものを羨むよりも、自分の持ってるものをどう使うか考えなさい」

 魔女が咳払い。


「私、何も持ってませんよ! 農場を継ぐ権利も、選ぶ権利もないし、親が居なきゃ財産だってすかんぴんですよう!」

 二度も怒鳴られた娘は涙声だ。


「選ばれる側にだって、断る権利はあるわ。持っているものを捨てるのは自由。縁談を断って、農園の娘なんてやめてしまうのも手ね。心と身体はあなたのものよ。縛り付けられでもしなきゃ、逃げることだってできるわ」

 飲み物をすする音。


「うう……そんな無茶な。でもそれって、私が告白しても断られるかもしれないって事ですよね。彼が離れてしまうのはつらいですよう」

 鼻をすする音。


「そりゃ、そうでしょう。でも、“心”はずっとついて回るわよ。一番納得がいく道を選ぶほかに、ないんじゃないかしら?」

 隣の部屋が静まり返る。アレブは横を見た。メーニャは正座をして真剣な面持ちでそば耳立てている。


「……そうですね。魔女さんの言う通りです。私、やれるだけやってみる」

 自分に言い聞かせるように言うナッコ。


「そうしなさいな」


「じゃ、私、帰りますね! 今日はどうもありがとうございました」

 娘が礼を言う。


「ところであなた、薬のほうは良かったの?」

「ええ。本当は惚れ薬でも作ってもらおうと思ってたんですけど。そんなことしてもすっきりしないですから」

「あいにくそんな薬は無いのよね。もっとやばいやつなら調合できるけど」

「あは。さすが魔女さんだ。駆け落ちすることになったら毒薬でも作ってもらおうかな。それじゃ、今度こそ帰ります。来たときは勢いがあったんだけどなあ。さすがに暗いと、おっかないな……」

 扉が開かれる音。娘の声は不安げだ。


「ちょっと心配ね。これを持っていきなさい」

「なんですか、このくさい袋」

「獣除けよ。それと、火はひと目につくから、街に近づくまでは点けないようにしなさい」

 ふたりの話す声は少し遠い。


「魔女さん、案外世話焼きだな」

 アレブが笑う。

「そうだね。ナッコさん、上手くいくといいなあ」

 メーニャが呟く。


 騒がしい娘を見送り、魔女が戻ってくる。

「はあー。魔女さん、やっぱりすごいや」

 メーニャが腕を組み深く頷きながら言った。


「いつも、あんな調子なんですか? なんだか大変そうだ」

 アレブが苦笑いをする。


「さっきみたいな騒がしい子はあまり来ないわね。昔、惚れ薬をくれの一点張りの女も来たけど、さっきも言ったように、そんな便利な薬は無いのよね」

 魔女が肩をすくめる。



 ――――。


 早くも扉の叩かれる音。


「また来たわね」


 魔女の小屋の客たち。魔術をあてにし、占いを信じ、薬にすがる人々。

 しかし魔女は魔法を使わない。占いもただの砂の山で、薬は森の恵みで多少の病や傷を治すだけだ。

 それでも多くの者は来た時よりも明るい、あるいは落ち着いた顔で帰っていく。


 他人が聞けば他愛のない悩み。ちょっとした人間関係のもつれ。あるいは生命に関わる悩み。

 悩みのほとんどは食や野良仕事……つまりは自然、それと人間。それらとの“関わり”に集約されるものだった。


 魔女は怪我には薬草を処方し、具体的な農業の悩みについては具体的な答えを返した。

 彼女は自然に通じているようだった。そして、人間の悩みについてはほどほどに聞き流し、答えを自分で出させた。彼女はただ提示をするだけに留めた。


 魔女らしい相談といえば、魔法の品やいわくつきの品を持って来て鑑定してくれというものがあったが、もちろん全部でたらめだと切って捨てた。

 次々と魔女へ行われる人々の披瀝(ひれき)。彼女は胡散臭い商売女ではなく、何かの尊い顕職(けんしょく)のようにも見えた。


 夜が更けた。メーニャは始めのうちは頑張っていたが、今はもうアレブの横で寝息を立てている。


「魔女さんは人が好きなんですね」

 アレブが言った。

「はっ? まさか。私は人間は嫌いよ。私を魔女扱いして街に居られなくしたのは、街の連中よ」

 魔女の綺麗な顔が歪む。


「人が嫌いなのにこんな仕事をしてるんですか?」

 素直な疑問だった。


「そうよ。誰かにも言ったけど、人というのはひとりでは森で生きていくことはできないのよ。

 私だって例外じゃない。食べ物を貰ったり、身の回りの物を保持したり、身を護ったりしなければならないわ。

 獣と違って、人間は弱いもの。弱い者は群れなければならない。

 ここに来る人はみんな、群れからはぐれてしまった人たちだわ。或いはそうなりかけてる人。

 ……だからかしら? 街の人たちよりは嫌な感じはしないのよね。ま、それでも信用できないから料金は先払いなんだけど」


 魔女は目を閉じ、静かに話した。まるで自分に言い聞かせるように。少年は滑らかに動くくちびるに見入る。



 また戸を叩く音がした。続いてだみ声。


「いらっしゃるか! ……明かりがついているようだが。ここを魔女の棲む小屋だと聞いてやってきた。金貨がある。相談に乗ってはいただけないか?」


 ――嫌な感じだ。

 王子は直感した。


「……前言撤回よ。たまに来るのよね、こういう客。いちばん厄介で、いちばん嫌な“くそったれ”」

 魔女の白い歯が下唇をくわえ込む。


***

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