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.6 記憶と記録

 月下の舞踏会を盗み見たのち、アレブはぐっすりと眠ることができた。


 翌朝、彼はいまだ目覚めぬ小屋のあるじを起こさぬように抜け出し、代わりに薪割りを済ませてやることにした。


 ――その日使うであろうぶんの薪の支度と、塊のままの薪をいくつか小さくしておいてやろう。


 斧で小気味の良い音を奏でていると、白馬が朝の挨拶に来た。


『おはよう。アレブ』

 スケルスが言った。相変わらず馬の口は動かず、どこから声が出ているのかと疑問に思える。


「おはよう。スケルス」

 アレブはほほえんだ。昨晩の秘密の共有が、なんとなくふたりの仲を縮めていた。

 小屋の中から騒がしい音が聞こえてくる。勢いよく扉を開けて出てきたのはメーニャだ。


「寝過ごした! どうして起こしてくれなかったの?」

「メーニャ、よく眠ってたから。薪割りは済ませたよ」

 得意げな木こりの少年。

「わ! ありがとう! ふたりともおはよう! 罠見てくる!」

 娘は慌ただしく森の中へと駆けて行く。アレブは足裏を見送り、馬のほうから『くすり』と笑う声を聞いた。


 朝食を済まし、かまどの火を消し、小屋を出る。森の植物で作った手綱を白馬に噛ませ、ふたりは固く暖かい背中にまたがった。

 白馬の背はしなやかに引き締まっており、大きかった。

 本来ならば成長しきっていないふたりは、上に乗るだけで相当の苦労をするだろうが、言葉による意思の疎通ができるというのはずいぶんと楽で、手綱さえもただ騎手が身体を支える為に使うだけだ。


「すごくいい眺め! 巨人になったみたい!」

 少年のうしろで少女が声を弾ませる。

「道案内は頼むよ。できれば、城下側や正面でなく、お城の離れの裏に行きたいんだけど」

「分かった。あっちだよ」

 メーニャが指さす。それはアレブが小屋の広場に入った方角とは逆だ。

 つまるところ、アレブは迷子になっているうちに小屋の広場も一度、通り過ぎていたということだ。


 進路を取り、白馬が歩き出す。


『ふたりとも、頭は下げておいたほうが良いですよ。私の頭よりも低くなるように』

「どうしてだい?」少年が訊ねる。

「森の中を通るのだから、木の枝に頭をぶつけますよ」

「それもそうね」

 ふたりは馬の背にしがみつくように乗った。


『では、行きましょう』


 スケルスは蹄で地面を二度叩くと、一気に駆け出した。

 風を切る音がふたりの耳に届く。長きに渡って相方を求めて走った彼女は、険しい森の中も容易く駆け抜けた。

 大木を避けても決して方角を間違わず、速度を落とすことなく背の低い枝を潜り抜けた。


 王子はたとえ平地でもこれほど速く走れる馬を知らなかった。彼女は城で世話されているどの馬よりも速い。

 白銀の疾風は緑の闇を駆ける。これなら少年が半日さまよった森も、あっという間に抜けてしまうだろう。


「すごいな。スケルス。あなたはどんな生き物よりも速い」

『長く生きているせいでしょう。それか、人間に追われ続けたのがさいわいしたのかもしれませんね』

 王子は称賛すると同時に、少し不安になった。

 馬といえば移動手段として珍重されている。それは早掛けの伝令でも荷運びでも、戦争でも同じだ。


 アレブの父ハイクは王であり戦士だ。先陣を切って戦う豪傑だ。

 当然、彼も馬を使う。しかしハイクには愛馬がいない。なるべく良い馬が選ばれてはいたが、彼は馬を道具としてしか見ていなかった。

 使い潰すのだ。騎乗すれば先に狙われるのは馬だ。有能な戦士はそれを良く心得ていた。

 馬のいのちを盾にし、ときにはわざと暴れさせ混乱に乗じて切り込む手口も使うらしい。心優しい少年から見れば非道の極みだった。


 ――もしも父上にスケルスが見つかるとどうなるだろうか? 


 アレブは馬の背で風を受けながら、ずっとそれを考えていた。


『城壁が見えましたよ』

 スケルスが到着を知らせた。

「ほら、メーニャ。君の教えてくれた方角は、目的の場所にぴったり一致だ」

 アレブはうしろに居る娘に話しかける。


「……」

 返事がない。メーニャはアレブの腰をひしと抱いたまま目をつぶっている。

「すっかり縮み上がってる。そうか、馬に乗るのは初めてなんだっけ?」


『もっとゆっくり走ってあげるべきでしたね。私も褒められたもので、少々調子に乗ってしまいました』

 スケルスは反省を述べるとその場に座り込んだ。アレブは娘の背を軽く叩き、もう一度到着を知らせる。

「はああ。びっくりしたよ。ちびるかと思った!」

 目を丸くし、震える声をあげるメーニャ。それから馬上で身震いひとつ。

 白馬は『えっ』と声をあげた。さいわい“そういうこと”はなかったが、ふたりがおりてからもしばらく、人の暖かさが移った背中を疑わなければならなかった。


「股が痛くなっちゃったよ」

 内腿をさする娘。


「僕もだ。あとでうまやから鞍をひとつくすねて来よう。ふたり乗れそうな大きいやつが良いな」

 アレブはそう言いながら城壁へと近づいて行った。


 一見、ただ石を組み合わせただけの城壁。何もない壁には扉ほどの大きさで、くぼんでいる箇所があった。


「おばあさま! 私です! アレブです!」

 石壁を叩き、声を掛ける王子。


 しばらく待つと、壁の向こうからくぐもった「どっこいしょお」が聞こえ、石のこすれる音と共に壁が横に滑り開き始めた。

 手が差し入れられるほどの隙間が開き、そこからはアレブも手伝ってやった。


「まあまあ! おかえりなさい。元気そうな声で良かったわ!」

 中から顔を出したのは額に汗した壮年の女性。年寄りだがすっきりした顔立ち、小綺麗にまとめた髪と、若い汗。

 アレブの祖母、先王ルーシーンだ。


「いや、死にかけましたよ!」

 食って掛かるアレブ。


「あら、やっぱり? 勘弁して頂戴ね。わたしもね、あなたを見送ったあとになってから、心配にはなっていたのよね。

 食事も大して持たせなかったし、冬も近いのに外套も無しに森の中になんてね。すぐにスープを暖めるわね。身体を暖めなくっちゃ」


 ルーシーンは非難をけらけらと笑い飛ばす。


「スープはふたりぶん頼みます。それと、上質な干し草と麦を混ぜた栄養たっぷりの馬の餌も!」

 少年は怒り顔を裏返して言った。


「そんなにお腹が空いているのね? 冗談を言うだけの元気があるのなら、やっぱり大丈夫みた……あら?」

 目を皿のようにするルーシーン。その二枚のお皿には立ち尽くす立派な白馬と、はにかむひとりの少女が映っている。


「彼女はアルメーニャ。私の命の恩人で、友人です。その白馬はスケルス。彼女も私たちの友人です」

 王子は先王に仲間を紹介した。


 ……。


「ごめんね、スケルスさん。こんな狭い部屋で」

 スープを暖めながらルーシーンが言う。


 声を掛けられた白馬は部屋の隅で置物のようになっていた。


 事情が事情だ。人目を避けるべきだ。

 いくら先王の庭とはいえ、ときおり訊ねる城の者に見られれば面倒になるだろうし、うまやに置けばいくさの危険にさらされるだろう。 

 けっきょく、壁の部屋の中に隠れているのがいちばんということに落ち着いていた。


『ありがとうございます。先王ルーシーン。どうぞ、お気遣いなく』

 礼を言う白馬。ルーシーンは馬が喋ったというのに特に驚く様子がない。


 そして返事もしない。彼女にスケルスの声は届いていなかったのだ。


「やっぱり、おばあさまにはスケルスの声は聞こえていないみたいだ」

「声が聞こえる事、話しても平気かな?」

 囁き合うアレブとメーニャ。


『ふたりに任せますよ』

 のんびりと返すスケルス。狭い部屋とはいえ、彼女は毛皮の敷物の特等席を与えられており、気持ち良さそうにくつろいでいる。

 

 部屋に招かれたふたりは、ルーシーンに事の経緯を説明した。アレブが森で迷ったこと、メーニャにすっかり世話になったこと。

 そして、人の言葉を解し、ふたりにだけ聞こえる声で話しかける白馬のことを。


「まあまあ。それじゃあ、メーニャちゃんは本当にアレブの命の恩人なのね」

 ルーシーンは少女の手を取り感謝を述べる。


「そんな、私、大したことしてないよ」

 頭を掻き、頬を染め身をくねらせるメーニャ。


「ふふ。優しい子なのね」

 はにかむ娘を見る目は、孫に向けるのに負けないくらいの慈愛で満たされていた。


「それに、人の言葉を話す白馬。……ひと目見た時から変わった馬だとは思っていたけど、まさか本当にそんなことがあるなんてね」


 ルーシーンは座る白馬を眺める。好奇心は特に枝の角に注がれているようだ。まじまじと見つめるその横顔は一瞬、少女のように見えた。


「彼女の声、聞こえませんか?」

 アレブが訊ねる。スケルスも試しにルーシーンに呼びかけてみた。


「だめね。わたしにはさっぱり。口も動いてるように見えないわ」

 残念そうに言うルーシーン。


「口は、私たちにも動いてないように見えるの。でも確かに、彼女のほうから声が聞こえるのよ」

 メーニャが言う。


「ふうん……」

 ルーシーンは目を細める。


「やっぱり、信じてもらえませんよね」

 アレブがため息をつく。


「まあ、待ちなさい」

 ルーシーンは席を立つと、スケルスの前へ行った。


「……もしかして、お話をしているのは、この白馬ではなく、このおでこに刺さっている枝じゃないかしらね?」

 先王が目を細めて言った。枝に向かって手を伸ばす。


『……!』

 スケルスは急に立ち上がり、あとずさって壁に尻をぶつけた。


「どうしたの!?」

 白馬を心配するメーニャ。



「やっぱりね。あなたのような“木”には心当たりがあるわ。それとも“種”と言ったほうが良いかしら?」

 馬を見据える先王の顔はこわばっている。



「知っているんですか?!」

 アレブが声をあげる。

「多分ね。でも、はっきりしない。わたしには声が聞こえないから」

 ルーシーンは表情を崩さない。

「ねえ、スケルス。おばあさまは知ってるって! もしかしたらあなたの恋人のことも知ってるかもしれないよ!」

 白馬を撫でるメーニャ。


『……』

 スケルスはルーシーンを警戒しているのか、声を発さない。


「わたしじゃどのみち分からないからねえ。その馬が本当のことを言っているのかどうかも」

 先程までの好奇心は一転。白馬に投げかけられる言葉は冷たい。


「どういうことですか? おばあさま」

 王子が不安げに声をあげる。


「さあね。でも、もしかしたらあなたの探し人はわたしの知り合いかもしれない」


「どこに居るの?」

 メーニャが言った。


「何十年も昔にこの国から去ったわ」

 にべもなく言い放つルーシーン。


「そうなんだ……そのひとはなんて名前だったの?」

 馬と女性を見比べるメーニャ。


「それは、今はわたしの口から言う気は無いわね。彼女から聞きなさい」

 アレブとメーニャは白馬を見た。彼女は身動ぎひとつしない。ただ視線を床に落としているだけだ。


『……思い出せないのです。私は長く生き過ぎました。馬の頭脳ではそれほど多く、古い事を憶えていられないようなのです……』


「そんな。忘れちゃったの?」

 声をあげるメーニャ。

 いっぽう、アレブはルーシーンと同じく、鋭い視線を白馬へと向けた。


「古い話をしましょう。ずっと昔の話。本に残された記録と、わたしの記憶の話」

 ルーシーンは席に着き、カップに茶を注いだ。アレブも続く。


 スケルスはルーシーンが視線を外すと、ひどく疲れたようにその場に座り込んだ。メーニャがそれに寄り添い座る。


「遥か昔、この翼の国は、大楢の国という名前だったわ。巨大な楢の樹を神樹として崇拝する国だったの。

 神樹はこの国と周辺の土地へ恵みをもたらした。人々は神樹を大切にして、祭司と呼ばれる人たちが神樹の世話をしたわ。

 彼らは……そうね、遠方ではドルイドやシャーマンと呼ばれるような立場の人たちだった。

 政治に勉学、歌や踊り、それにお祈りや儀式などの専門家よ」


「書物で読んだことがあります。昔はこの国にもそういう宗教が?」

 アレブが口を挟む。


「ええ。当時は王と祭司たちが支え合って、国を護っていたの。

 でもある時、王が病に倒れ、そのときの跡継ぎは小さな娘ひとりしかいなかった……。

 それで、祭司の長だった人が政治をはじめとしたのすべての仕事をしなければならなくなったの。

 祭司長は神樹と話をする役目があったんだけど、国政に忙しくって国民に掛かりっきりになったの」


「神樹がしゃべったの?」

 メーニャが訊ねる。スケルスもルーシーンのほうへ視線を移した。


「そう。いつもは祭司長にしか声は聞こえないのだけれどね。でも話さなくなったのよ。どうしてだとおもう?」

 誰も答えない。娘が首を傾げる。


「……国民にばっかり構って自分がないがしろにされてるって怒ったの。焼きもちを妬いたのね。

 そこで神樹は祭司長にいじわるをしたの。自分の“種”を他の人の身体に埋めて、国から逃げ出したの。

 “種”は神樹の“いのち”そのものだった。種が無くなったことで、神樹は枯れてしまったわ。

 そして神樹の支えていた大地も腐ってしまった。神樹はね、国を護ることよりも祭司長に構って貰うほうが大事だったのよ」


「それはただの言い伝えでしょう? そんな……」

 アレブは言いかけてやめた。人の声を発する白馬が居たというのに、今さらだ。


「……そうか、人の言葉を話す木か」

 アレブは呟き、白馬を見た。


「国が弱ったせいで、戦争が起こった。当時の国はあちらこちらから恨みを買っていたから、たくさんの人たちが攻め込んできたわ」

 語る調子を落とす先王。


「でもね、国民と若い王を護る為に空から大きな鳥が現れたの!」

 一転、愉しそうに語る。


「知ってる! その鳥がこの国の名前の由来なんだって! 本で読んだよ。やっぱり本当のことだったの?」

 メーニャが目を輝かせた。


「そうよ。……そして戦争と混乱の果てに、神樹の種と祭司長は死んでしまったわ」

「死んでしまったのか。祭司長はともかく、神樹のほうはもしかしたらスケルスの探し人だったかもしれないのに……」

 アレブが言った。


「祭司長もね。じつは“種”の仲間だったのよ。彼も神樹と同じような不思議な力を持っていたの。

 植物を操ることができたし、優れた知識と長い寿命を持っていたの。彼は神樹のために生きていた。

 ……そして、彼は神樹の為に国を護っていたにすぎなかったの。

 だから、神樹が国を見限った時に、彼も国を見限った。あなたたち、この国に伝わる“神樹の呪い”は知っている?」


「はい。神樹が枯れたあと、国民に呪いを掛けて、呪われた人はみんな髪の色が老人のように変わってしまったとか」

 アレブが答える。


「うちのおばあちゃんも、そうだったって言ってたわ。ただの白髪頭じゃなくて、生まれた時から髪の色が銀色だったって」

 メーニャが付け加える。


「今はもう、“呪い”は薄れてそういう人は少なくなった。でも、人々の心には当時の恐怖と畏怖の念がいまだに残っているわ。アレブ、この国と周辺民族の情勢について答えなさい」


 先王が王子に問う。


「この国は今、部族間の争いや、内戦が頻発しています。

 その理由の多くは、“自然に対してどう接するか”という意見の食い違いです。

 木を伐り森を炎で焼き開拓を推し進める“自然克服派”と、

 森へ帰り神樹や精霊の崇拝を復活させようと考えている“自然調和派”の小競り合いがほとんどだと聞いています。

 我が国は“克服派”を推進していますから、王ハイクは国民に害をなす調和の過激派を討伐しに頻繁に出ています」


 王子はよどみなく答えた。彼の話した通り、翼の国は考えの違いで内乱状態であった。

 この問題が持ち上がるまでは、城下町を囲む森に暮らす民の多くとも仲良くやってきていたのである。


 決定的に道が分かれたのは国全体を覆った飢饉のときであった。

 森に抱かれた民と森からは借りる程度にとどめ、なんとか自前の土でやってきた民とでは苦しみの差が違った。


「そうね。彼らの心にはまだ神樹が生きているのよ。もちろんわたしの心にも。かつて国を護り潤わせた神樹。

 それと同時に、多くの国民を死に至らしめたものでもある。考えかたの違いの根本に影響していると言えるわ」


 ルーシーンはため息をつく。


 貧弱な土の上に暮らす人々も、過去では神樹の寵愛により、苦しいときもなんとか乗り越えることができていた。ある種の嫉妬だったのかもしれない。

 感謝は崇拝に、嫉妬は炎に変わった。


「私は無くなってしまった神樹を気にするのは、ばかげていると思います。それに、この翼の国はそもそも、信仰は神鳥に移ったのではないのですか? 鳥はどこへ?」

 アレブの質問。


 地に見捨てられたと感じた人々は、空にすがった。しかし、それは人の手に届く領域ではなかったのだろう。

 王子はその神の鳥とやらを見たことがなかった。

 長い沈黙の後、当時の王が口を開いた。


「神鳥……彼は生きている。彼もね、人の言葉を理解して話したの。神樹や祭司長と同じようにね。ぼろぼろになった国を復興するのに、力と知恵を貸してくれたわ」


『……! 彼に会わせてくれませんか?!』

 スケルスが立ち上がる。寄りかかっていたメーニャは床に頭をぶつけた。小気味の良い音が響く。


「あいててて……。おばあさん、スケルスはその鳥さんに会いたがってる。きっとその鳥さんが彼女の探しているひとなんだよ!」

 メーニャが頭をさすりながら言った。


「鳥もかつて、遠く昔に離れた仲間を探していたの。ずっと探していたの。彼は悩んでいた。

 長く生き過ぎて、昔のことがおぼろげになっていた。

 そのせいで、長いあいだ苦しんだし、神樹や祭司長に騙されたりもしたわ。都合の良いように使われていたのよ。

 でも彼は、昔のことを忘れることで苦しみから解放されたの。今はもう、仲間を探しても居ないし、この国からも出て行ってしまった」


 ルーシーンはカップの中を見つめている。アレブはその祖母の顔に、今まで見たことのない表情を見つけた。


「想いびと同士なんだったら、もう忘れる必要もないわ。思い出さなくっちゃ! 会わせてみようよ! 思い出せるかもしれない!」

 メーニャがルーシーンの肩を揺する。



「お断りね」

 刃物のような言葉。娘は先王から手を離した。



「あの子を苦しめたくないの。それに、今はもうこの国にとっては、実在した鳥ではなく、伝説の神鳥なの。姿を見せれば騒ぎになるわ。それに……」

 ルーシーンは言葉を詰まらせた。沈黙。


「それに?」

 アレブが促す。


「それに、スケルス。わたしはあなたが本当にその探し人であると信じることができないの。

 国を滅ぼした神樹や祭司長ではないと、どうして言い切れるのかしら。

 わたしは確かに彼らが死ぬところを見た……と、思う。はっきりとしたところは分からないの。

 わたしはこの国を立て直した張本人なのよ。

 万が一、あなたがそのどちらか……特に神樹のほうであれば、わたしはあなたを手伝うことができないどころか、焼き捨てなければならないわ」


 先王の眼には炎が宿っていた。赤い炎。黒い炎が。


「そんな! スケルスは悪い子じゃないよ! ねえ、アレブだってそう思うでしょう?!」

 メーニャが喚いた。


「……僕もそうだと思ってた。おばあさまの話を聞くまでは」

 アレブが呟く。


「ちょっと! 見損なったよ!」

 さらに大きな声で喚く。


「メーニャ、ごめん。僕、いや、私もこの国の王子なんだ。国に害をなすかもしれないものを、おいそれと信用することはできない」

 王子の発言。二対一。娘は白馬のほうへと駆け寄った。


「だったらいい。私たちだけで鳥を探しに行く」

 メーニャはふたりを睨み言った。彼女の瞳は砂漠の様に乾いていた。



「待つんだ」


 王子が娘と白馬の前に立ちはだかる。

 この部屋は狭い。外へ通じる秘密の入り口は重い石壁で塞がれており、外へ出るには城内を突っ切らねばならない。


「“私”は王子だ」

 そして先王のほうを振り返る。


「だけど、“僕”はメーニャと……スケルスの友人でもある。

 彼女たちには恩もあるし、王子という者が義に背くはずもない。そうでしょう? おばあさま。

 もしも、スケルスの身の潔白を証明することができれば、彼女を神鳥に会わせていただけませんか?」


 翡翠の視線を重ねるアレブとルーシーン。


「……いい眼をするようになったわね。やっぱり森に行かせて正解だった。

 王子アレブ。先王ルーシーンは約束をします。

 もしも、その白馬が国に害を為すものでないと証明できれば、今一度、神鳥を国に呼び戻し、ふたりを引き合わせることを」


 先王ルーシーンは厳粛な声色で言った。


「ありがとうございます。行こう、ふたりとも」

 礼をし、ふたりに向き直りほほえむアレブ。


「アレブ……」

 メーニャが呟く。


『ありがとう。王子よ』

 白馬が頭を垂れる。


 ふたたび秘密の入り口は開かれ、ふたりと一頭は外へ向かう。


 ルーシーンは彼らの背を見送り、入り口を閉ざし、大きなため息をついた。


「……」

 部屋の中でしばらく何か思案した後、彼女は部屋を出た。


 離れの中庭を通り、王城へ。

 彼女は兵を呼びつけ、城にある一番高い塔を立ち入り禁止にさせた。


 ……そして老女はひとり登った。向かう先は国で最も空に近い場所。


 強い風が吹く。石の立てる不気味な声が反響する。

 屋上へ出るとさらに風が強くなる。老女の身体にはつらい。


 塔の屋上に作られた祭壇、空の広場。

 ルーシーンは火を焚いた。何日も燃え続けるよう、たっぷりの燃料を入れて。

 そして奇妙な模様を見せる石を取り出し、祭壇の上に置く。

 太陽の光が石を照らし、石は空に光を還した。


「タラニス……」

 石の輝きを見つめる女。

 かつての王ルーシーン・エポーナは鳥の名を呟やく。


***

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