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.4 王子と少女

 結局のところ、王子アレブはメーニャに何もかも白状することになった。

 苦く硬くなった薄パンと、ウサギ骨の出汁で作った甘いスープをごちそうになりながら話して聞かせる。


 王位を継ぐ準備。為政の力を養うため、見聞を広げるという目的。ついでに祖母の話も聞かせた。

 メーニャはいちいち興味深そうに頷いてはいたが、結局は「政治のことは分からぬ」とパンのせいだか話のせいだかわからない渋い顔を披露した。


 それよりも、身なりの良いアレブがたき火で自分の夕食に手を付けていたのを見つけたときの驚きや、早朝に起きて寝苦しそうにしている彼をあれこれ観察して「確信を得た」ときの喜びを話したがった。


 話の主導権を娘に奪われ、アレブは聞き手に戻る。

 今朝よりも突っ込んだ質問が多かったものの、アレブは既に洗いざらい吐いていたあとだった為、程なくして話すことが無くなってしまった。

 メーニャの好奇心がすっかり少年を搾り取ったあと、最後にこんな質問が投げかけられた。


「ねえアレブ。ここへは歩いて来たの? 白馬には乗ってこなかったの?」

「白馬?」

「そうだよ。私、本で読んだよ。王子様は立派な白い馬に乗ってるって!」

 得意げに話すメーニャ。


 アレブもそんな話を書庫の一冊に見かけた気がした。

 この国の識字率はあまり高くない。子供となれば尚更だ。

 店の掲げる看板などにも文字が使われてはいるが、文字を読むというよりは記号的な意味合いで認識されている場合がほとんどだと聞く。


「残念だけど、馬には乗ってきてないね。お城にも白いやつは居ないよ」

「そうなの……」

 とてもがっかりした様子の娘。すぐに表情が反転する。


「じゃあ、角の生えた馬は!? 翼でもいいよ!」

「それはお話の中だけの存在だよ。メーニャはそういうの信じてるの?」

「もちろん! だって、居たほうが面白いよ。角の生えた馬も、大きな竜も」


「馬はともかく、竜は遠慮したいかな……」

 お話の中のドラゴンを思い浮かべるアレブ。


「おばあちゃんがね、こういうお話に目がなくって。だから私、近所の人に本を借りてきて、おばあちゃんに読んで聞かせるために、文字も全部覚えちゃったの!」

「すごいね……」

 アレブは感心した。彼は文字を憶えるために尻を椅子に縛り付けなければならなかったし、教育係のマブのお小言に耳をパンで塞ぎたくなるのも度々だった。


「お城には本がたくさんあるんだろうなあ」

 宙を見て目を輝かすメーニャ。


「じゃあ、今度こっそりお城を案内するよ。書庫は滅多に人が来ないし。なんなら二、三冊持って行っても構わないよ。お世話になったお礼だ」

 王子は胸を撫でおろす。これで礼が返せる。


「お礼? ……そっか。でも私、お礼は要らないかな」

 声の調子を落とす娘。


「どうして?」


「おばあちゃんが昔からよく言っていたんだけど、“人に何かして貰いたいなら、自分が先に何かしてあげなさい”って。でも私、あなたにはおしゃべりをたくさん聞いてもらったし。お肉はそれで帳消しね」


「おしゃべりがお礼になるなら、僕がいろいろ話したぶんはどうなるんだろう? それに、朝食やベッドのお礼は?」

 アレブの質問にメーニャは首を傾げる。


「こんがらがっちゃうよ。私も、良く分からないんだ。おばあちゃんはああ言ってたけど、私、おばあちゃんが“お礼”を貰ってるのをあまり見たことがないんだよねえ」

 娘は何やら思い出しながらため息をつく。


「親切な人だったんだね」

「うん。私、お母さんもお父さんも早くに死んじゃったから、ほとんどおばあちゃんに育ててもらったんだ。おばあちゃんは物知りで親切で、街のみんなに好かれてたんだよ。ちょっとどじだったけど、それも愛嬌だよね」


 娘の表情にふと陰が差す。


「メーニャが親切なのも、おばあちゃんのお陰か。じゃあ僕が森で野垂れ死ななかったのも、おばあちゃんのお陰かな?」

 娘の肉親を褒める王子。いっぽう、こちらのおばあさんは、孫を野垂れ死にに導いたときている。


「もう、死んじゃったけどね」

 表情はまだ暗い。


「今度、お墓参りに行くよ。王子の命の恩人だ」

 アレブは努めて笑う。お追従は返されなかった。


「私、お墓って良く分からない。人は死んだらおしまいじゃないの? 死んでしまったものは元に戻らないよ。お父さんもお母さんも、おばあちゃんも。昨日食べたお肉だった子も、今朝罠に掛かっていた子も」

 メーニャはうつむく。


「魂が残って、土の下で暮らしてるって言われてる。昔は空に登って行ったって言われてたみたいだけど」

 お約束の答えを返すアレブ。この国の信仰。


「本当かな」

 呟くメーニャ。


「みんな信じてるじゃないか。ユニコーンやドラゴンが居たら良いって思うのに、魂は信じられない?」


 娘の沈黙。


「ねえ、アレブ。今から私が話すこと、内緒にしておいてくれる?」

「何を話すの? 別に構わないけど。その代わり、僕が王子だってことや王子に会ったって事を黙って置いてくれるって約束してくれるなら」

「分かった。あのね、私……」



 メーニャの内緒話。

 おしゃべりで快活な少女を、そのまま裏返したかのような……。



「お父さんが死んだとき、確かめたくなったの」


 少年の背中が冷えた。少女の想いには既視感がある。


「私ね、お父さんはあまり戦争が好きじゃなかったから、土の下でのんびりやれてると良いなーって思ったの。

 埋める前にお別れは済ませたけど、ちょっとだけ様子を見たくって。

 魂だけになってても、分かる自信があったから。でも、そこにあったのはただの骨と、臭くなった土だけ」


 墓荒しは重罪だ。たとえ肉親であっても。


「その時、私はまだ小さかったから見落としたのか、それかもっと下とか、別の場所に出かけてて居なかったんだって」


 王子には学がある。当然、理屈と信仰の差だって理解している。

 宗教は心の安寧の為に存在し、ときに政治的に利用されるものであり、それ自体の真偽が定かかどうかとは別のものだと。


 そして何より、彼も「魂の暮らし」を確かめたことがあった。


「もう少し経ってから、お母さんが死んだ。でもやっぱり、そこには魂なんて無かったんだよ」


「目に見えないものかもしれない。僕だって見たことがない」

 アレブは抵抗をしたかった。魂や宗教の批判にではなく、何か別の黒いものに対して。


「最後はおばあちゃん……」

 呟くメーニャ。


「……」

 アレブの沈黙。


「……は、さすがに掘らなかったよ。私もそこまでおばかじゃないし! 無いにしても見えないにしても、ちょっと残念だよね」

 すっと明るさが取り戻される。

「内緒にしててね。ちゃんと埋め直したし、中の物も盗ったりしてないから、泥棒じゃないよ!」


「う、うん」

「内緒だよ!」

 笑顔のメーニャ。


 メーニャは笑顔のままアレブをしばらく見ていた。しかし、アレブの瞳には闇を語ったときの表情が張り付いていた。

 そのうちに彼が居心地悪そうに顔をそむけたのを見て、「外へ行こう」と再び手を引いた。


「メーニャは裸足なんだね。あんな立派な家があるのに」

 アレブが訊ねる。娘の足裏は土で黒く汚れていた。


「うん。別に靴を買うお金がないっていうわけじゃないの。貧乏は貧乏だけど。

 街へ行くときはちゃんと靴を履くよ。街の道は固いし。でも、森をうろつくときは裸足のほうが何かと便利なの。

 昨日雨が降ったとか、動物がここを通ったとかが分かるんだよ」


「すごいや」


「アレブもやってみたら? 裸足で歩くのは気持ちが良いよ!」

 王子は少し迷ったが、勧めに従い靴を脱いでみた。ここには小うるさい教育係は居ない。

「冷たい!」

 足の裏を刺すような土の感触。


「雪が降るくらいだからね。夜のあいだにも少し降ってたみたい。ほら」

 メーニャが指さす。そこいらの木陰の部分に白い塊がある。


「メーニャは平気なの?」

 たまらず足踏みをするアレブ。


「慣れよ、慣れ」

「慣れる前に足がちぎれちゃうよ。……ねえ、あれって血?」

 少年は足踏みを止めた。雪の塊のひとつに赤く染まっているものを見つける。

 寒さで鼻が少しばかになっていたが、よくよく嗅いでみると新しい血のにおいに思えた。


「うん、あれはウサギの血。罠に掛かってた子を絞めて、雪を血抜きに使ったの」

「ほんとに自分でウサギ獲りをしてるんだね。僕も狩りはしたことはあるけど、皮剥ぎや血抜きはやった事ないな」

 感心するアレブ。

「王子様だもんね。私はお料理もできます! 王子様、今日のお昼はウサギのシチューですよ」

 胸を張り、手を前で組み、それから頭を下げるメーニャ。


「お昼、お昼か。でも僕には、やらなきゃいけないことがあるから……」

 祖母からの課題。父からの問いかけ。


「うーん。残念。せっかく王子様とお友達になれたのに」

 娘は本当に残念そうにため息をついた。


「友達。友達かあ。僕には友達なんて、居たことがないな」

 「王子」の周りには「王子の関係者」しかいない。


「じゃあ、私が初めてのお友達だね!」

 今度はずいぶんと満足そうな鼻息。


「そうだ。友達か。良いね」

 少年も満足げにうなずく。

「よろしく、アルメーニャ。僕の名前はアレブ。アレブ・エポーナだ」


 互いに同時に手を差し出し、握手を交わす。


「ところで友人になったメーニャにひとつ、意見を聞きたいんだけど」

「なあに?」

「僕のおばあさんが言っていた“森を見てこい”ってどういう意味だと思う?」

 出題者もはっきりと答えられなかった問い。


 森をさまよった王子が見たものといえば、闇と寒さと、明るい娘に温かな小屋だ。これが政治とどう関係するのだろう。


「森を見てこい? 簡単!」

 ふふんと鼻を鳴らすメーニャ。


「それはね、森と人がどう関わっているのかってことだよ」

「猟をしたり木を切ったりってことだろう? そんなの、子供でも知っているよ」


「えっとね……」

 メーニャは茂みから赤い木の実をひとつ摘み取ると、灰色がかった一本の木に近づいた。

 そして、ぽっかりと空いた洞に木の実を乗せた手のひらを近づけ、樹皮を叩いて音を鳴らした。


「あっ!」

 声をあげる少年。


 娘は指を立て静かにするように合図をした。


 洞から顔を出したのは一匹の鳥。茶色で小柄なそれは、特に警戒することなく手のひらに渡り、赤い実をくわえるとまた洞へと戻って行った。


「ミソサザイだよ」

「すごいや。小鳥は近づくと逃げちゃうものだと思ってたけど」

「普通はね。私はお友達だから平気。この子たちはね、春になると新しい家族を作るために、木の洞に巣を作るの!」

 誇らしげに言う娘。少年は彼女の言う友達の意味に少し落胆した。


「それがさっきの話と、どういう関係が?」

「うーん。“こういうこと”としか」

 自信ありげに鼻を鳴らした少女はどこへやら。


「鳥や森と友達になれってこと?」


「それだけじゃ足りない。ええと……」

 今度は森の深い方へ歩き出す。黙って付き従うアレブ。


「ほら、見て」

 メーニャの指さすさきには毛玉が宙に浮いて暴れている。

 頑丈な蔓で作られた罠。それにうしろ足を取られているのはウサギだった。


「ウサギが獲れてる! メーニャはすごいな。罠名人だ!」

 少年が目を輝かせる。


「これも、“こういうこと”だよ」

 そういうとメーニャは手ごろな石を拾い、ウサギの足をつかんで固定すると、頭に一撃を喰らわせた。

 ウサギは何度も痙攣を繰り返す。それから口から血を垂らして動かなくなった。


 躊躇なく行われる残虐な行為に、少年は身を引いた。


「……ウサギさんは可愛いから好き。美味しいから好き」

 少し翳る娘の瞳。アレブは吸い込まれそうになる。



 少年は思わず手を伸ばした。



 メーニャは背を向けると、そのあたりの枝を手折るとこう言った。


「部屋を暖かくする薪も」

 メーニャは身を屈め、低木から再び赤い木の実を取った。


「食べられる木の実も」

 枝で土を抉り、実を穴に撒く。


「“こういうこと”なんだよ」


「殺してるってこと? もっと森を大事にしろって?」


「ちょっと違う。こんがらがるからうまく言えないんだけど、殺し合ってるし、生かし合ってるっていうことかな?」

 死んだウサギを罠から外すメーニャ。


「難しいな」

「うん。難しいよね。でも、私、森で暮らしてるうちになんとなく解ったよ。だからアレブも、もっとうちでゆっくりしてくと良いよって話!」

 友人が笑う。


「そんな話だったかな?」

「そんな話だよ! さ、お昼ご飯の為に早く血抜きを済ませなくっちゃ。今日のお昼はウサギのシチュー。お肉増量だよ!」

 満開の笑顔。


「それは楽しみだ」

 アレブも顔をほころばせる。


 ナイフと雪を使い、その場で器用にウサギを解体するメーニャ。アレブはそれを見て、今度自分でもやってみようと思った。

「見事な手さばき。格好良いな」

 少年の称賛。

「そーお?」

 顔をとろけさせる娘。


「次は僕もやってみたいな。やりかたを教えてよ」

「いいよ。まだ見てない罠があるから、そっちも見てみよう」

 ふたりは森の奥へと進む。


 メーニャは大満足だ。憧れの王子に出逢い、しかも彼と友達になり、恩を売った上に教えまで乞われている。

 ウサギが食べきれなくなる心配など考えずに、大股で歩く。

 普段は余分なウサギは見つけたら逃がすか、放って置けば肉食の動物の餌になるのだが。


「うわあ!」

 娘の背後で悲鳴。

「どうしたの!? ヘビでもでた!?」



 振り返るとアレブが緑の蔓に足を引っ掻けて、盛大に地面と接吻していた。



「……ううん。大地を愛していただけだよ。“こういうこと”でしょ?」

「それはアレブがどじなだけだよ」

 ため息をつくメーニャ。


「そうかな、これ、罠みたいだけど……」

 彼の足を捕らえた蔓にはウサギのものと同じ輪が作られている。

「私のだ。……ごめんなさい」


 地面に伏した少年が笑う。それに釣られて少女も笑顔になる。


 暗い森の入り口で、明るい声が踊る。



 ……それを途絶えさせたのは茂みを揺らす音。



 それも大きな……人間よりも大きな生き物の立てた音だった。


***

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