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.33 ミソサザイの春

 翼の国の王城、その離れ。壁に囲われた庭に人々が集結する。

 鬨の声に常緑の木々が揺れ、冬でも彩りを欠かさない花園に咲くシクラメンは踏み荒らされ、人の血と混じりあう。

 そして、壁は外敵の侵入により所々が崩落し、外界とのつながりを広げ始めていた。


「あなたが黒幕だったのか、メイヴ」


 新たな王アレブ。兵たちを伴い登場。中に居る者たちを囲む。

 兵の中には生き残りの他に、城の付近に居た野次馬からの志願者も含まれていた。


「ね、ねえアレブ。あのおばあさんは誰?」

 メーニャが訊ねる。

「マブは憶えているか? 教育係の。あれの母親だ。彼女もまた、かつてこの国の政治に尽力をしていたと聞く。すっかり隠居したものだと思っていたが」


「出来損ないの王子。訂正しな。かつてじゃないよ。これまでずっと口添えしてきてやった、今もだ。そして、これからも」

 王を前に横柄な態度をとる老婆。


「悪いがお断りだ。策を弄する機転や頭脳は惜しいが、身内にまで隠してこそこそと進めるくそったれな根性が気に入らない」

「ふん。糞たれはおまえだろう。この国はもうおしまいだよ。民は争い、神も死んだ。見るがいい王子よ。そこに転がっている草の団子が、かつて神鳥と崇められたタラニスのなれの果てだ」

 メイヴが顎でしゃくる。


「タラニスが!?」

 アレブは緑のかたまりを注視する。動いていない。


「魔女の力と同士討ちをしたのさ。神はふたつも要らないということだろうね。その薄汚い蔓もすっかり動かなくなった。この国の神は消える」


「魔女の力……スケルスか」


『ごめんなさい……』


「なぜ、このようなことを」


『あのひとが、これ以上人を殺すのに、耐えられなかったのです』

 王と娘の耳に届く声。


「気持ち、分かるよ」

 呟くメーニャ。

「スケルス。あなたは本当に優しいのですね。これまで力を貸してくれてありがとう」

 礼を言う王子。


『本当に、ごめんなさい。あなたたちにはまだ恩が返せていないというのに……』

 スケルスは悲しみの声をあげる。そのたびに、自らが包んだ鳥の命が小さくなるのを感じた。


「何をごちゃごちゃ言っている。崇拝の対象を失えば民はさらにばらばらになるだろう。新たな神が必要だ。いい加減、大国の教えに巻かれることも考えるべきさ」

「他の信仰を無闇に蔑むことはしない。だが、何を信じるかは己自身が決めることだ。剣によって無理強いするのには、賛成できないな」

「兵を募って囲っておきながらどの口が言うんだい。私たちを皆殺しにでもするつもりか」


「外の戦いもおおよそ決着が着きつつある。だが、長引けば長引くだけ双方に死傷者が増えるだろう。ここでお前たちを殺せばいくさは終わる。だが、無用の血は流したくはない。降伏してもらえないだろうか?」


 新たな王は老婆ではなく、兵団長ハレバンの顔を見て言った。ハレバンは兜の下で沈黙する。


「ハレバン! 何を黙ってるんだい? なんとか言ったらどうだ」

 兵団長は答えない。彼は兜の隙間からアレブを見つめ続けている。


「王子よ。勝手な挙兵。王が黙ってないよ。ハイクはどうせ、外で殺しに明け暮れているのだろうがね」


「ハイク王は死んだ」

 短く言うアレブ。


「ハイクが!?」

 ルーシーンが声をあげる。


「ほおお。あの馬鹿も、とうとうくたばったかい。あいつの父親よりは長くは生きたようだが、所詮は戦士。

 いのち短いのはさだめだね。ハレバン。聞いただろう? 双頭の鷲は墜ちた、いくさ上手の王も死んだ。残るは腑抜けの王子だけだ!」


 捲し立てるメイヴ。


「大叔母殿。少し黙っていただけないか。私は今、闘っているのです。

 あの者は私の目を視ています。

 多くの兵を率いて優勢を誇っているというのに、足元ではなく目を視ているのです。私はそれに応えなければならない」


 兵団長ハレバンが兜を脱いだ。鋼に覆われた顔が露わになる。

 整った顔立ちの青年。輝くブロンドの髪。瞳は深くたゆたうエメラルド。


「かっこいい……」

 娘が兵団長を見て呟いた。


「ハレバン殿。兵を引いてはいただけぬか」

 翼の国の王アレブが言った。同じ翡翠の瞳で敵をまっすぐに見つめて。

 風が吹いた。輝く黄金の髪が揺れる。


 娘はそちらのほうも見て満足そうに頷いた。


「私も、祖国の命を受け、たましいを懸けてこの任に就いている。私は兵団長で軍使だ。敵の将に言葉だけで屈服するわけにはいかない。この場に居る部下にも、天に召されたともがらにも示しがつかない」

 ハレバンは地に刺していた大剣を抜き、アレブに切っ先を向けた。


 それを受けて互いの首領に付き従う戦士たちも武器を構える。


「みなのもの、武器を収めて欲しい。私は翼の国の王アレブに決闘を申し込みたい」


「決闘ぉ!? 劣勢だろうが優勢だろうがやるしかないだろうに! この場の全員、まとめて斬りゃいい話だよ!」

 メイヴが声を荒げる。


「大叔母殿。あなたはこの国の王子は腑抜けだと言った。

 今まであなたの言う通りにして間違ったことはない。しかし、今度ばかりは間違いかもしれない。

 私は確かめたいのです。このつるぎをもって、あの男が真の王たる器なのかを」


 大老婆を見つめる青年の瞳に嘘はない。


「負けたらどうするんだい?」

 メイヴが鼻から息をつく。


「そのときは、私のいのちを好きにしてくれていい。勝てば、そのまま国を攻めさせていただく。いかがか、王子」

 視線をアレブに戻す。


「いいだろう。私が勝てば双方に流れる血は、我々だけで済むということになる」

 見つめ返す王。つるぎを構える。



 ――――。



 ざわつく見届け人たち。


「アレブ、その剣……」

 つぶやくルーシーン。


「……王よ。私に勝ちを譲るというのか?」

 ハレバンが不快感を見せる。


 アレブの剣はもとより細身だ。そのうえにマーフやハイクとの打ち合いでずいぶんと痛んでしまっていた。

 対してハレバンの大剣は幅広で剛健な作りだ。鍔競り合わせばどうなるかは素人目にもはっきりしている。


「誰か、王に剣を貸して差し上げては貰えないだろうか」

 ハレバンが声をあげる。

 敵味方問わず、何人かが剣をもって集う。


「ふん。茶番だね。剣がぼろなら楽に勝てただろうに」

 悪態をつくメイヴ。差し出す人々の中には彼女に冷たい視線を投げる者もあった。


「……好きにするがいいよ。まあ、おまえたちの剣だってぼろぼろだろうがね。この決闘は国の命運と誇りを賭けたものなんだろう? いったい誰がそれに相応しい剣を持っているのか知らないが」

 大老婆は嗤った。


 ……差し出された剣たちが次々に引っ込められる。


「ははは! 情けないねえ! 重荷を背負うと知るとすぐに手を引っ込めるなんてね。なりたての王に人望なんかありゃしない。国をまとめ上げるのは土台無理って話なんだよ」

 武器を差し出そうとした人々が次々と首を垂れる。


「みんな、ありがとう。恥じることはない。かつての王たちにとっても、人々のいのちは重たいものだったんだ。責は私が負う」


 新たな王は人々を下がらせ、両雄再び向かい合う。


「いいのか?」

 訊ねるハレバン。


「構わない」


「ならば……パルティアの使者ハレバン。我が祖国の誇りを掛けてこの戦いに臨む!」

 構えられるは十字を抱く幅広の剣。


「翼の国の王アレブ・エポーナ。受けて立つ!」

 構えられるは傷ついた翼の剣。


 駆け出すふたり。縮まる距離。

 先に振られるは幅広の剣。両手を使っての大胆な横薙ぎ。


 きっさきの届く直前で止まり、上体を引くアレブ。斬撃が抜けた直後に身を滑り込ませる。鎧の隙間を狙った突き。散る火花。狙いを外す。

 鎧の足が王の腹を押す。離される距離。


 突きには突きを。使者の男は片手で大きな鋼鉄のかたまりを突き出す。王のしなやかな身体はそれを軽々とかわす。

 ハレバンは手甲を添え、力の方向を捻じ曲げた。強引な横薙ぎ。アレブの横腹を捉える。勢いの足りない薙ぎは斬るには至らず、腹に殴打の衝撃を与える。


「アレブ、勝って」

 銀髪の娘が祈る。


 よろめく若き王。力任せに叩きつけられる大剣。大地が割れ枝が走る。跳びかわすアレブ。

 鋼のかたまりとは思えない速度で繰り返される、剣による打撃。

 王の靴が枝に繰り返し葉をつける。

 再び持ち上げられる大剣。裏をかいたハレバンの足蹴り。アレブ、若い神経で挙動を察知する。

 内へ飛び込み回避を兼ねた当身。重い鎧の身体が僅かに揺れる。


「やはり、剣が使えないのか」

 決闘を見守る誰かがため息をついた。


 体捌きは互角。柔剛、性質こそ違えど両者達人の域。決定的な差は得物の耐久。

 安易な攻撃は鎧に弾かれる。剛剣は受ける事はおろか、流すことも危険。アレブは回避に専念するほかに無かった。


「誰かが、誰かが戦っている……」

 呟き。


『……タラニス。この国は、きっともうすぐ終わりを迎えるでしょう』


「そうか。この国もまた滅びてしまうのか。“ぼくたち”が関わる国はみんな、滅んできた」

 蔓に覆われた巨鳥が答える。


『タラニス! あなた、私の声が?』


 解かれる拘束。蔓が種に帰って行く。


「聞こえてたよ……。こんな最期になって。全部思い出した……」

 振り絞るような声。血はいまだに流れ続けている。


『ああ……タラニス。タラニス!』

 哀歓の声を発するスケルス。離れ離れの連れ合い。何百何千年の想い。


「今までごめんよ、スケルス。ぼくは一番大切なことを忘れてしまっていた……」

 後悔の声。事情を知る者の胸を打つ。


『私こそごめんなさい。でも、最期に思い出してくれて、良かった』


「良いものか。ぼくはやがて死ぬだろう。だけど、きみはまだ生きている。

 これから先、ひとりぼっちになってしまうんだ。これまでもひとりぼっちだったのに。

 他の仲間たちも、すでに逝ってしまっている。残ったのは“ぼくたち”が大地と人々に残した爪痕だけだ」


『そうかもしれません。でも、まだ残せるものがあるかもしれません。

 恩返しがしたいのです。私とあなたを再びめぐり合わせてくれたあの子たちに。そして、あなたが愛した人たちの国のために』


「今ならきみが何を考えているか解る。伝わってくる。……捧げよう。ぼくの残り少ない命を」



 大きな心音がひとつ鳴り響く。



「なんだ!?」

 気を取られるアレブ。かわすに至らず、剣で大剣を受けてしまう。折れる剣。しかしハレバンもまた音の出どころに気をとられていた。



 巨鳥の身体に埋まった種。

 無数の細い枝を伸ばす。月のように丸く伸びる枝。次々と葉をつける。血を吸ったそれは赤い満月。いのちのヤドリギ。



 ――新たな王よ。私を使いなさい!



 種の声。響くと同時に赤いヤドリギは渦を巻くように形を変え、一本のつるぎとなった。



「王よ! 剣を取れ!」

 対戦者の叫び。



 アレブは剣を抜く。神鳥の身体から、血と樹液でできたやいばと絡み合った枝の柄を持つつるぎを。


「これで本気を出せる」

 鎧の青年が笑う。構えられる大剣。


「心遣い感謝する」

 新しい王も構える。不思議な剣は彼の手によく馴染んだ。


 衝突する刃。


「良いものを見せてもらった。これが奇跡というものか」

 鋼の刃を持つ青年が言った。


「奇跡などではない。これは、彼と彼女の意志で創られたものだ」

 いのちのやいばを持つ少年が答える。


「彼らはやはり、現人神というわけか」

「神ではない。彼らもまた、ヒトだった!」

 弾かれる鋼のやいば。よろめきは見逃されない。王の剣が使者の鎧を傷つける。


「ただの木刀ではないか……。鋼に傷をつけるとは」


「我が国の人々は、“自然”に喰い殺されるのを恐れて森を焼いた」

 アレブの追撃。ハレバンは重装とは思えない跳躍でうしろへかわす。


「私の国も同じだ。私の国はかつて、焔を神と崇める教えを持っていた。焔は光、すなわち善。ならば影で闇を生み出す森は悪だと」

 大剣がまっすぐと王の身体に吸い寄せられる。ヤドリギの剣が大樹のように立ち塞がり、軌道を逸らす。胴の脇に赤い線が走った。


「どこも森の闇を恐れるのは同じか」

「だが、間違いだった。光と影は表裏一体。焔がいかに強く燃えさかろうが、あいだに何かが立てば、必ず闇が生まれる」

「ならば森もまた光だと知っているだろう。木々は獣たちを護り、豊かな恵みを与えてくれる。そして神々が住まう(もり)でもある」


 互いに剣を構えゆっくりと歩き、隙を伺う。


「おまえたちは神が住むと言いながら、その杜を焼いているのではないか?」

「それは間違いだった。神々の住まう杜を焼くのは、おこがましいことだったのだ。ハレバン、“かつての教え”と言ったな。新たな教えの為に、古い信仰を捨てたのか?」

「捨てたのとは少し違う。そちらの国のように神が去ったわけでも、死んだわけでもない」

「ならば、どうなったというのだ?」


 しなる枝の柄。大剣を立てて阻もうとするが枝はおとり。勢いを足に込めてあいた胴を撃つ。びくともしない。


 鎧の腕に抱え込まれるアレブの足。


「飲み込まれた。同盟国とは名ばかりでな。だが、単に消化されたわけではない。

 私の国の教えは書を、経典を持つ。私たちを飲み込んだ教えもまた、変革の時を迎えつつあった。

 新たな聖典を編するのに私たちの教えや、やりかたの一部が参考にされている」


 重装の男、整った顔からは想像もつかない怪力。脇に抱えたアレブを投げ飛ばす。


「それで民に不満はなかったのか?」

 王は落ち着き言った。宙で身をよじり、態勢を整える。足元に強烈な横薙ぎが迫る。


「もちろんあったさ!」

 間一髪、靴が大剣の腹を踏み台にする。鳥のような飛翔。くるりと前転。叩きつけられる血と樹液。


「時が解決した。……長くは、掛かったが」

 鎧の肩が弾ける。苦痛に顔を歪ますハレバン。


「歴史の経過は教えの本質を忘れさせるだろう。あるいは歪ませる。私たちは常に考え、思い出し、学び続けなければならない」

 アレブはそう言うと、剣を両手で顔の横に構えた。敵が体勢を整えるのを待つ。


「お前の言う通りだ」

 ハレバンは眼で礼を返すと腰を深く落とし、鋼の大剣を引き構えた。



 ――わずかな静寂。砂と煤をはらんだ風がふたりのあいだを吹き抜ける。



 ――雪はいつしか、ぬるい雨に変わっていた。



 ――交錯する緑の瞳と金の髪。



 ――決着。



 人の手によって作られた鋼の大剣はヤドリギの剣を打ち……ふたつに折れ、大地に刺さった。


「負けた。斬るが良い。王は力を示した」

 使者は折れた大剣を放ると膝を突き、首を晒した。



 王が切っ先を向ける。



 息を呑む人々。



 静かに下ろされるつるぎ。



「……斬らないのか?」


「“勝てば好きにしろ”と言っただろう。私は、剣に依らない手段を探している」

 アレブは手を差し出した。結末ではなく、次に繋げる為に。


「あなたは使者なのだろう? 帰って大国に伝えてくれないか。隣人は争いを望んでいないと。闇に抗うすべを共に考えたいと」


「隣人、か。坊主の中にも敵を愛せよという世迷言を言う者がいたが……。良いだろう。今日から私たちは隣人同士だ」

 ハレバンの手が伸びる。


 間に割って入る罵声。


「おまえたちはなんて甘っちょろいことをやっているんだい!? 隣人!? 愛!? 共に考えるぅ!?」

 又甥の青年に詰め寄る大老婆。


「いいかい? ここで見逃されたとしても、兵を殺しただけで手柄もあげずに帰ったら、

 おまえの国は本国に目をつけられてしまうかもしれないんだよ? そうなればおまえは酷い殺されかたをする。

 国も裏切りものだ。最期まで戦って死ねば国は見逃されるし、おまえだって苦しまない。万が一勝てば、御の字じゃないか!」 


 青年は侮蔑の視線のみ返す。


 大老婆は今度は教え子の子供に詰め寄った。


「アレブ! あんたもだよ。だいたい、この国はすっかり行き詰ってしまってるじゃないか。

 国民同士で殺し合い、街と森とで殺し合い、大国の使いにだって神鳥を差し向けてたくさん殺した!

 今更、あとには引けないだろうに! ……いや待て、私に考えがある。どうせ大国には敵わない。ここはやっぱり長いものに巻かれておくべきだよ!」


「見苦しいぞ。メイヴ」

 王の苦言。


「……でも、一理あるわ。アレブ、私がけしかけたとはいえ、タラニスは多くの兵を殺してしまっている。今だって戦いがすべて終わったわけじゃない」

 ルーシーンが言った。


「先々代の王殿。その点については安心してもらいたい。

 大国はもともと国を丸ごと取り込むつもりだったのだ。民を含めて。

 戦局が見えれば剣は収めるつもりだった。今頃、争いは収まっているだろう。

 それに、私の国のかつての教えでは、遺体を沈黙の塔に置いて鳥や風に任せて葬る風習がある。

 この国には空の神と、砂を孕んだ大地の風に不足はない。私たちは少し羨ましい。

 死んで逝った者たちも誇りを失わずに済んでいるだろう。

 ……もしも、大国に呑まれる前に神鳥やあなたたちに出会うことができていれば、もっと早く手を取り合えたかもしれない。それだけが、惜しい」


 使者の男ハレバンがため息をつく。


 失われつつある教えの反芻。

 彼らはその儀式により不浄を避け、清いまま彼の世へ行き、裁かれたのちに天国か地獄へ行くという。


「森の民も今さら恨みごとは言わない。我々は、すでに神を見ている。強きものには戦士たちも従うだろう」

 酋長ベリサマが言った。


「でも、大地が疲弊してることには変わりはないわ」

 魔女コニアがつぶやく。



「だったら、もう一度繰り返すといいさ。“ぼくたち”はきみたちへの贖罪をしなければならない……」

 呻く鳥。


 

「タラニス。あんたまだ生きていたのかい」

 しわを深めるメイヴ。ルーシーンが横たわった巨鳥へと駆け寄る。


「メイヴ、あんたこそ。ずっと忘れていたが、いつぞや小うるさい男に嫁いできた女だ。ずいぶん醜くなった。枯れ木のようだ」

 タラニスはくちばしの中で「ケケケ」と嗤った。


「枯れ葉のようなあんたに言われたくないね。私はこの国をずっと陰から支えてきたんだよ? おまえたちはみんな、私を頼ってきたくせに! 土壇場になってから捨てるなんて、この恩知らず!」

 老人の負け惜しみ。しわの間を流れる潮水。


「いいかい!? 人間っていうのは愚かで、身勝手な生き物なんだ!

 たといおまえたちが納得しても、国民全員が納得するとは限らない! きっとまた文句を垂れる!

 たとい飢えから解放されても、豊かさがまた毒を生む! 絶対だ! 絶対にだ!

 おまえたちはまた炎を頼り、業火に呑まれるさだめにある!」


 枯れ枝が塩水を振り絞りながら君主の手を叩き、使いの手も打った。


 メーニャが駆け寄り、老婆を押しのける。彼女は何も言わずに王と青年の手をつなぎ合わせた。


 老婆に向かってあかんべーをする娘。


「こんな小娘にまで!」

 メイヴは顔を真っ赤にしながら大粒の涙を零す。


「湿っぽい枯れ木じゃ火も起こせないさ」

 鳥は嗤いを止めない。


「大叔母殿。もうよしてくれ、身内の恥だ。あなたの奸計は失敗に終わった。裏切り者として処されるのは、あなたのほうなのだ」

 ハレバンが唇を噛む。


「減らず口を叩くな! 死にぞこないめが! 誰かこの敗北者にとどめを刺せ! そこの魔物を殺せ!」

 老婆が叫ぶ。

「そうだ、アレブ! おまえは良いのか? ハイクは死んだのだろう?

 戦いの最中、命を落としたのだろう? こいつはお前の親の仇だよ!

 仇を殺すんだ! ……私は知ってるよ、国を獲るのにいちばんいいのは、かしらを落とすことだ。

 次はお前の番に違いない! ほら、私の言うとおりにするんだよ!」


「ハイク王を斬ったのは十字の兵たちでも、調和派でもない。私だ。私が斬った」

 アレブはにべもなく言う。


「斬ったぁ? おまえがぁ? ……聞いたかい、みんな!

 こいつは王殺しの大罪人だ! 殺すんだよ!

 どうだい大巫女、あとはこいつが居なくなればおまえが王になれる。この国の王には女が就いた歴史もある! きっとなれるよ!」


 喚き続ける大老婆。ベリサマはただ静かに目を閉じている。


「ええい! 誰も殺さないのかい!? そうだ、マブ! マブはどこだい!?

 私の可愛い娘。助けておくれよ。ここまで育ててやっただろう? たっぷり愛情を注いでやっただろう!? どこだい!? どこだい!?」


 ミミズを探す鳥のようにうろつき、あたりを見回すメイヴ。



 ――群衆の中から現れる四十過ぎの女。



「私はここです。お母さま」

 マブはメイヴのそばへと歩み寄る。いつものしわ寄せ、いつもの狼狽。


「おお! やっぱり私の娘! あの人の子供だよ! さあ、ここにあの人が遺した短剣がある! これを使って馬鹿どもを殺すんだよ!」

 メイヴは懐からナイフを取り出すと娘の手に握らせた。


 マブはほほえみ、手の中の刃物を受け取り、もう片方の手で母の手を強く握った。



「さようなら、お母さま」



 メイヴ。最期に見たのは娘の涙。母には理解のできないことばと行為。老いた身体に吸い込まれる夫の形見。



「どうしてだい。どうして……」

 胸の穴からどくどくと血を吐き、崩れ落ちるメイヴ。彼女の視界が黒く染まっていく。


「枯れ木がこんなに暖かな血を孕んでるわけが、ないじゃないかねえ……。

 おまえたちは葉っぱだったのに。木が死んだらどうなるか、わからないのかねえ……。枯れ葉め、枯れ葉め……!」


 いのちが漏れるにつれて、声と姿共に枯れ木に変わっていく大老婆。


「ああ! 殺してしまった! お母さまを殺してしまった!」

 血染めの手。娘は手でなく枯れ木を見て泣いた。


 取り乱す女の肩に、王とその従者の娘の手が置かれる。


「ぼくは枯れ葉でも結構。今のきみたちなら分かるだろう。枯れ葉にも大事な役目があるって……スケルス、やってくれ」

 巨鳥は王のつるぎに話しかけた。


『分かりました。私たちは、最期まで一緒ですよ』

 スケルスが言った。慈愛に満ちた音。

 祭司の資質に恵まれないものの耳にはその音は聞こえなかったが、誰もが胸に何かを感じた。



『王よ。私をあの樫の木へ挿しなさい』



 秘密の花園。壁の中に作られた小さな森。その森のあるじたるいっぽんの樫の大木。



 ――少年は歩きはじめる。見守っていた人々が道を開ける。

 

 ――王子は進む。娘が黙ってあとに続く。


 ――王はつるぎを掲げる。手を添える娘。



 ふたりの手によって突き挿される、いのちのやいば。つるぎは再びはじまりに還り、樹皮をかき分け樹木の中へと潜り込んで行った。



 ――木がざわめく。枝が揺れ、葉が擦れ、乾いた冬の樹皮が音を立てる。



 成長を始める樫の木。みるみるうちに背が伸び、太くなり。根は地の下で枝よりも遥かに速く、力強く走り始める。



 揺れる大地、呼応する大空。



「ルーシーン、お別れだ」

 巨鳥が言った。

「ありがとう。ぼくの親友。きみに逢えて良かった」

 地面から盛り上がった枝が鳥を包み、呑み込んでいく。


「タラニス! 置いて行かないで! あたしをひとりにしないで!」

 ひざまずき、大地に向かって叫ぶルーシーン。


「何を言っているんだ。きみには友達だって、仲間だって、家族だって居るだろう?」

 鳥が微笑む。


 小さな娘のように泣きじゃくるルーシーン。彼女に影が掛かった。見上げる。

 瞳に映ったのは銀の空と、それに似た髪をした若い老婆のほほえみ。


 ふたりは視線を交わし、またほほえみ合い、大地に目を戻す。


「……タラニス。ありがとう。さようなら」


 樹の成長は続き、根はかつての神樹のように国土のすべてに張り巡らされた。

 地面がうねり、離れの壁を崩していく。


「スケルス。神樹になろうとしているの?」

 魔女が訊ねる。


『それには力が及びません。かつての神樹は、誰かが心血を注いで育てたものでしょうから。

 無理に大きくしたところで大樹はすぐに腐り落ち、死んでしまうでしょう。

 しかし、私たちの養分が乾いた大地を潤わせ、かつての美しい大地を取り戻す手伝いをします。これが、精一杯のお礼と謝罪です』


「あなたも死んでしまうわよ」


『良いのです。“私たち”は初めからこの星へ来るべきではなかった。来たとしても、領分を弁えるべきだったのです。

 いのちは所詮、ほしに擁かれる存在なのだから。でも、赦されるなら、せめて、死してもあなたたちみんなのそばにありたい……』


 大樹の前に立つ若いふたりが見上げた。


『アレブ、メーニャ。短いあいだでしたが、楽しかった。誰かと交わることが、こんなに嬉しくて心躍るものだとは知らなかった。あなたたちがおとなになるのを見届けられて、本当に良かった……』

 消えて行くスケルスの声。



 国を呑み込むかと思われた樫の大樹が成長を止めた。

 ふたつの種は消え、大地には大樹と根だけが残った。



 ――雨が強くなる。


 ――空が光る。


 ――嵐を避けて、一羽の小鳥が物言わぬ樹の元に舞い降りた。



「あっ、ミソサザイ!」

 ヒトの子が指さした。



***

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