.30 抵抗と克服
たらい回しの娘が目覚めた。人々の怒号の飛び交う中、ようやくのことである。
「魔女をこっちに寄越せ!」
「だめだ、こいつは火炙りだ!」
「よせ! 森で聞いた噂ではそいつは神だぞ!」
「こんなまぬけな面の神が居るか!」
城下町、広場の中央。王城の御触れの伝達係用に支度された木組みの高台。
メーニャはそこで目を覚ました。魔女として断罪されるはずだった彼女は、ひとりほったらかしにされていた。
「……? どうなってるの? 私、どうしたんだっけ?」
首を傾げるメーニャ。高台にてあぐらをかき、腕を組んで首を傾げる。
目下ではとにかく人々が口々に喚き散らしている。耳を澄ますと「魔女がどうのこうの」と言っているのが聞こえる。
「魔女。コニアさんのことかな……」
張本人を無視して続けられる言い争い。次第に激化し、あちらこちらでつかみ合い取っ組み合いの喧嘩が始まる。
メーニャをあてがわれ広場に連れて来た克服派の連中。
派閥内で魔女の扱いの意見は分かれるものの、とりあえず克服派の反対をしたい調和派の連中。
さらに足を止めた広場の利用客に、騒ぎを聞きつけ出張って来た野次馬の近隣住民たち。
群衆が争う。飛び交う壺とげんこつ。乞食が屋台から盗んだ食べ物に舌鼓を鳴らす。
混乱の最中、密かに行われる若い娘への狼藉。
気付いた父親が助けに入る。熱心な森焼きの反対者だった彼は、乱暴を働く同派の頭をかち割った。
民衆はここぞとばかりに日々の鬱憤を晴らしている。彼らはいよいよわけが分からなくなって、身内同士でもなんやらかんやらと難癖をつけ、とにかくおっぱじめた。
「喧嘩しちゃ、だめだよ!」
高台で叫ぶ娘。誰も聞いていない。
「みんな! 喧嘩! しちゃ! だめえ!!」
声を張り上げる。誰かに言葉が届く。しかし返ってきたのは生卵。
「こら! 卵を投げるな! もったいないでしょ!!」
銀髪をてからせ、地団太を踏む娘。
「うるせー! 魔女は黙ってろ!」
「私が魔女ぉ!?」
驚く娘。
――あ、そうだった。寝ていてすっかり忘れていたけど、私の髪は今。
灼熱の暴徒の中に、極寒の視線を向ける者がちらほら。
「魔女じゃ、ないもん……」
メーニャは怖気づき、黙り込んだ。ひとつひとつの視線が十のこぶしに匹敵した。彼女は少しでも目に留まらぬようにと高台に座り直す。
――ううん、いっそのことほんとに魔女だったら良かったな。みんなを止めないと……。でも今はスケルスも居ないし、ここには木の一本も生えていないし……。
非難への恐怖と、平和を望む気持ちに揺れる娘。討つ手のない娘の気持ちばかりの抵抗。
メーニャは頭を掻きむしったり手を振ったり、立ったり座ったりを繰り返す。
「見ろ! 魔女が妖しい踊りをしているぞ!」
誰かが指をさす。喧騒の中の叫び。それは娘の訴えよりも遥かに小さく、かき消されそうなものだった。
「魔術だ!」「呪いだ!」「白髪にされるぞ!」
伝播する恐怖。黄色い混乱はどどめ色へと塗り替えられていく。
誰かが高台の梯子を登る。魔女の呪いを恐れない男。森の闇と同じく焼いてしまえばいいだろう。
「きゃあ!」
うしろから羽交い絞めにされる娘。
「魔女は取り押さえたぞ! 誰か油を持ってこい!」
男の足元に投げられる油壷。高台は油まみれになった。
「おい! 俺まで焼く気か! 要らねえのは魔女だけだろ!」
男が抗議する。
「うるせー! おめえも要らねえんだよ!」
たいまつを掲げる男が振りかぶる。しかし、取り押さえられる男。
「魔女は神様なんだぞ!」
「んなわけあるか!」
再び起こる言い争い。繰り返される混乱。
「うおっ!?」
声をあげたのは高台の男。娘から引き離され、下へと引きずり降ろされる。
「あんた! アルメちゃんに酷いまねするんじゃないよ!」
現れたのは肉屋のおかみ。その旦那が男にいっぱつお見舞いした。
「おかみさん! おじさん! 乱暴しないで!」
「あんたまだそんなこと言ってるのかい?!」
呆れるおかみ。肉屋の旦那は力こぶを誇示した。
「魔女に味方する奴はみんな焼いちまえ!」
怒号。旦那が取り押さえられる。
「広場から外れた肉屋の馬鹿どもに思い知らせてやれ!」
「そうだ! お前たちばっかりずるいぞ! 広場に近い一等地の癖に、場所代も払わないで!」
本来、向けるべきではない相手への不満。
「店を焼け、全部まるごと焼き肉だ」
広場の露店商どもが声をあげる。
露天商どもがたいまつに火を点け掲げた。
――燃やせ! 燃やせ! 肉を燃やせ! 魔女を燃やせ! 町を飲み込む森を燃やせ!
燃えさかる大合唱。高台を囲む露天商の一団。
「お店を焼くなんて酷いこと、ワタシが許さないネ!」
劫火の歌に混じった珍妙な声。
群衆の中から飛び出したのは、持ち物のいっさいを壊され、焼け出された男。
「ュエさん!」
メーニャの顔が明るくなった。
「それに、メーニャちゃんの家系は先祖代々うちのお得意様ヨ。酷いことは承知しないネ!」
立ちはだかる料理人。こぶしを突き出し、片脚を持ち上げ構える。
「うるせえ、ちょび髭!」
「魔女を庇う料理人を燃やせ!」
振りかざされるたいまつ。火の棒が料理人のどんぶり頭を打つ。
「あちチ! 痛いネー!」
ひっくり返るュエ。
「まとめて燃やしちまえ!」
高台にたいまつが近づけられる。しかし、またも失敗。その手は高台の上から棒で叩かれた。
「おねーちゃんに酷いことしないで!」
いつの間にか現れたのは薄汚れた子供。
「よもやこんな小さい子供にまで手を出さないだろうね!? あんたたちにだって子供や兄弟は居るんだろう!?」
おかみが声を張り上げる。
「うるせえ、乞食だろがどうせ! ただ飯喰らいが減ってちょうどいいわ!」
「そうだそうだ! 魔女だってどうせ身寄りもないだろうに!」
迫るたいまつの群れ。メーニャは自分を守ろうとした子供を抱きかかえる。足元で油がぬめるのを感じた。
――けっきょく、ひとり。私も、この子も。みんな、みんな自分勝手だよ!
「だ、誰が身寄りが無いって?」
群衆から人が這い出てきた。恐る恐る。ひとり、またひとり。
――身寄りのないはずの娘には、彼らに見覚えがあった。
「そいつは私の親戚だ」「俺の姪っこだ」
メーニャの親類。かつてお人好しの女に愛想を尽かせて出て行った家族たち。
彼らは炎に割って入り、娘の前に立ち並んだ。
「その子のおばあさんには以前世話になったんだ」
「そうだ。私もまだ恩を返してなかったよ」
さらに増える。顔は判らぬが、かつて老婆の善意を食い漁っていた人々。
親切な女が撒いた種が、娘の前に大きな生け垣を作った。
「みんな……」
呆然とするメーニャ。彼らのこころにあった愛と友情。それにわずかながらの矜持か。
娘は嬉しくなるのもつかの間。次を想えば、おのずと表情は沈む。
娘を焼こうとする人々、娘を護ろうとする人々。
どちらにせよ、彼女にとってはこれから起こるのは「自分のための戦争」にほかならない。
自身の勝手であろうが、愛や友情によるものだろうが、行きつく先は同じ。
現実だろうが世迷言だろうが、角度の異なる意見の線は、いずれ戦いに収束するのが世の常である。
ところがそこへさらに大きな現実が、恐怖を伴って現れた。
「おい! こんなことをしている場合じゃないぞ! 北の森から部族の連中が結託して攻め込んできたって!」
「違うぞ! 街道から外の大国が攻めて来たんだ!」
「どっちだよ!?」「どっちもだ!」
「そうじゃない! 森の民が町の外で十字の軍勢を食い止めているらしい!」
「森の連中が? なんでだ、手引きしたのは奴らだろう?」
「知らねえ! どっちにしたって外の奴らを町に入れちゃおしまいだ!」
真偽はさておき、戦争の話を聞きつけ外へと向かう男たち。
生け垣を取り囲む輪が減る。
それでも、
「戦争なんて知るか! 魔女を焼け! 魔女が全部悪いんだ!」
迫る戦乱の恐怖を振り払うために、負債を誰かに押し付けなければならない人々が残った。
彼らはもはや火を掲げていない。だが、魔女は焼きたい。己の不運と共に。しかし、魔女を焼いたとて、彼女を護る人々によってさらにみじめに変えられてしまうだろう。
単なるにらみ合い。護るものと逃げ腰の執行人の平行線。
交わらない線もまた争いの香りだけは芳しく、娘のこころを酷く痛めつけ続けた。
「もうやめて。……みんなやめて」
力なく呟く娘。
悲しみの一滴が頬を伝い、油の床に弾かれる。
――それなら終わりにしてあげよう。
遠方からの一矢。冷たく燃える鏑矢。争いの終息は火種の消失によってのみなされる。
木を隠すなら森の中。人ごみの中から堂々と火矢を放ったのは、ヘビの息のかかった兵士。
「熱い!」
燃えさかる高台。
焔に踊る娘の足と、ぎざぎざの悲鳴をあげる子供。
広場の中央。立ち上る炎。人々の荒い息のせいか、酸素不足のとろ火がじっくりと裸足の娘を焼く。
いかに弱くても炎は炎。生け垣の人々も、罪悪感を感じた執行人たちも、こころは飛び込めど足は固く地面に縛り付けられたままだった。
――そこに風。
遠方。城の方角より雷鳴の如き音を立て、突風と共に大きな影が飛来した。
「なんだあれは!?」
影に気付き空を指さす人。
「あれは、あれは神鳥だ!」
「本当にいたのか!」
人々は天を仰いだ。
上空を通過する神鳥タラニス。
広場の騒動には目もくれない。
彼は先王の命を受け、外より攻め込んできた敵たちを蹴散らすために再臨したのだった。
鳥の巻き起こした風が新鮮な空気を送り込み、燃え盛る火炎が娘と子供の姿を覆い隠した。
「ああ! アルメちゃんが燃えちまうよ!」
肉焼きの女が声をあげる。
「ヒエー。もう、こんなのはうんざりネ!」
ちょび髭の料理人も泣き崩れた。
「ま、魔女が悪いんだ。しょうがなかったんだよ」
「俺が火を点けたわけじゃねえよ!」
「魔女だし、火で焼かれても死なないかも……」
戸惑いと共に投げ合われる責任。炎のにおいが漂う広場。
汚臭をまき散らすのは燃える高台か、囲う人々か。
――この子は魔女じゃないわ。
水滴のような、木の葉が散に落ちるような、静かなひと声が響く。わずかに呼吸を乱しながら。
人々の注目する先には銀髪の若い女。蔓に覆われた奇妙な右腕。伸びた蔓の先には炎より救い出された娘と子供の姿があった。
「魔女は私よ」
街道の傍に住む女。かつて神樹を枯らすきっかけになった女。正真正銘の魔女、コニア。
娘と子供は魔女に礼を言い抱き着いた。ふたりの頭を撫でる魔女。
そして、魔女は群衆を睨む。
「ほんと、あんたたちって何十年経っても“くそったれ”のままね」
娘を助けるのに使った植物の蔓の先が、彼らに向けられた。
「こ、殺される……」
群衆のひとりが声をあげた。
「殺しはしないわ。でも、あなたたちにはしなきゃならないことがあるでしょう。こんな子供たち相手に寄ってたかって!」
「悪かった! 見逃してくれ!」
それは偽の魔女に向けられた謝罪ではなかった。
ため息をつくコニア。彼女が現実に見せた超常の力は、言葉よりも遥かに強い力を持ってしまっていた。
『情けない人たち。一発づつ頬を張ってわからせてやりましょう』
右手の種の提案。魔女の腕が持ち上がる。
「だめだよ! 私、見た。火を点けたのは別の人だ。この人たちは私が焼けたとき、心配してたんだよ!」
いちばんの被害者が声をあげる。彼らの行った責任の転嫁。それは罪悪感の証でもあった。
「メーニャ。あなた本当にお人好しね。だったら、彼らに決めさせましょう。私たちは提示するだけよ。一発づつぶたれるか、このまま見逃してもらうか」
相談業者のやりかた。人々は顔を見合わせ黙り込む。
……。
「じゃあ、俺、ぶたれるよ」
群衆の中から痩せた農夫が現れる。
「知らん顔して仲間外れにされるのが怖かったんだ。だからって、一緒になって子供を焼こうとした俺は畜生だ。
自分の母さんことは大事にしたくせに、他人ならええってのはとんだ卑怯者だ。俺はここで、魔女さんにぶたれなきゃなんねえ」
進み出た男。銀髪の女たちは彼に見覚えがあった。
さっそく、コニアは農夫の頬を張った。
遠慮ない一撃。なよなよしい男がひっくり返る。ぶたれたというのに、少し満足げな男の顔。
「……元気そうで何よりよ。あとでぶった料金は貰うから」
「えっ」
頬に手をやる男。
「ほら、次!」
農夫を手で払い、促す魔女。
顔を見合わす群衆。その中からまたひとりが進み出る。
奇妙な光景だ。
人々が集まり始めた。
魔女の前にできた行列。彼女に頬を張られようと続々と人々が並ぶ。
「俺もぶってくれ。姪っ子を見捨てて家を出た不甲斐の無い男だ」
メーニャの叔父。叔母も並ぶ。ほかの生け垣になっていた人々も同じく並んだ。
娘の前で容赦なくびんたされていく親類たち。
「あわわわ。コニアさん、なんでそんな」
戸惑う娘。とはいえ、友人の暴行を止める気配はない。
「なんでって、あなたがぶたないからよ。あなたは焼き殺されかけたのよ。それに見捨てられそうにもなった。本当はあなたは連中を叩き殺したって、泣き喚いたって構わないのに」
淡々と列を処理するコニア。
乾いた音が広場に鳴り響く。。
中には手を上げるのを躊躇するような老婆も居た。
老婆は己の正義を振りかざすためにその場に居合わせていた。
そして、かつての王を糾弾したり、魔女を迫害したときにも加わっていたのだと白状した。
老婆は己の行いを悔いていた。長く生き、今や伝説やおとぎ話とされることを全て見て来たくせにそれを忘れ、後世に真実を伝えるどころか、同じ過ちを繰り返したことを。
魔女は枯れ木のような老婆を張った。
あまり気味のいい音ではなかった。
「魔女様。あなたは私を赦してくれますか?」
老婆の問い。
「さあ? それは、あなたが決めなさい」
さも気にしてない風に言った魔女。
老い先の短い罪人には新たに求めなければならないものが生まれた。
「あっ、魔女さん! やっぱり魔女さんって若かったんですね! 私はびんたじゃなくって、この前のお礼を言いに来……」
大農園の娘の頬が赤く染まる。魔女は平等だった。
火刑を免れた娘と、罪を雪ぐ人びと。そして、永きときを経て人前に素顔を晒した魔女。
広場で起こった騒動は鎮火した。しかし、これは動乱のごく一部の出来事。
その頃、町の外で起こる戦争は炎を大きくし、煤だらけの獅子も血のしるべを城に届かせていたのだった。
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