.3 森の娘
――森には魔女が棲んでいる。
翼の国でささやかれる噂。それは乞食だろうと大農園のあるじだろうと、城に詰めるものであろうと、みんなが知っている。
魔女は不思議な力を使い、かつてこの国に害をなしたという。それと同時に、その不思議な力で人々を助けるともいう。
いったいどちらが本当で、どちらが嘘なのか。老若男女、誰しも己が信じたいほうを好き勝手にささやいている。
しかし老人たちだけは決まってこう付け加える。
――魔女はかつて城下に住んでいたんだよ。
街は人の領域。魔女は人ならざる者。彼女は追いやられ、いつしか森に棲みつくようになった。
森は人の領域外。人は獣ならざる者。足を踏み入れる者は森に飲み込まれ、やがて闇と牙に喰い殺される。
森は人を拒絶しない。ただ口を開け、両手を広げているだけだ。人が森の中で生きるのが難しいのは、それは彼らのほうが森を拒絶しているからだ。
この国にも森に暮らす部族や集落はある。彼らは何代にも渡り、自然と共にあった。
たとえやいばで木を叩き草を薙ぎ、炎で闇と牙を遠ざけ続けなければならないとしても。
彼らがそこまでして森に住まなければならない理由は何だろうか。街に馴染めぬからか、己も自然の一部だと感じているからか。
はたまた、森よりも恐ろしいものから身を隠すためなのか。
王子アレブは人である。人の王ハイクの息子。城にて育てられ、森から近くも遠い場所で暮らしてきた少年。
「……ここはどこだろう」
彼は迷子だった。
「……この木はさっきも見たような」
靴を履いた足は疲れ、弁当に持たされたアンズジャムの薄パンも、とっくのとうに溶けて消えていた。
城の石畳を叩くような足取りは土の柔らかさに甘え、カナリアの髪は自身のいらついた指によってさらに乱されている。
森と疲労は王子をすっかりただの少年へと変えていた。
季節は初冬。森の屋根に護られた少年には知る由も無かったが、空から白い妖精が舞い降りていた。
人の子は引き返しているのか進んでいるかも分からず、さっそく祖母との約束を反故にする覚悟を決めねばならなかった。
腰に差した立派な剣も、獣やならず者ならともかく、疲れや寒さにはなんの役にも立たない。
森は次第に闇に沈み、視覚による探索も絶たれようとしていた。
「もうだめだ。でも、ここで野宿なんてしたら、オオカミに食べられてしまうんじゃ……」
いよいよ諦めようとしたとき、死を覚悟した少年の鼻に、何やら旨そうなにおいがやってきた。
少年は鼻には自信がある。
彼の鼻は香辛料と肉の脂の――多分これは焼けたウサギのにおいだ――食欲を刺激する糸を手繰り、ふらついた足を誘導して行く。
すると木の少ない、少し拓けた広場にでた。
そこにはひとつの木造りの小屋がある。小屋の前にはたき火があり、毛を剥がれた小動物の肉が食べられるのを待っていた。
胃袋が本能を呼び起こし、空腹は少年を獣へと変える。
野生は少年に少しだけあたりをうかがわせたが、すぐにその良い香りを漂わせる肉にかぶりとやる命令を下した。
「おいしい……!」
獣は人の言葉で満足を漏らす。誰かのために滴っていた脂は、あっという間に少年の唾液と胃液にすっかり溶けてしまった。
胃袋が満たされ、暖かいたき火が冬の寒さを追い払うと、獣は人に戻り、少年は自分が泥棒になったことに気付いた。
「私のお肉、おいしかった?」
背後から投げかけられる言葉。
少し嬉しそうな、だけどとても悲しそうな声が少年の背を刺した。
「ご、ごめんなさい! あんまりお腹が空いていたものだったから! あとでお金は払います!」
アレブは口元についた脂を拭いながら振り返る。
「え、お金はいいよ。おいしかったんでしょう? 顔に書いてある。私の晩御飯だったんだけど……」
赦しながらも恨みがましい言葉のぬし。
たき火が姿を映し出す。少女。年齢はアレブとあまり変わらない様子である。
「本当に、ごめんなさい」
アレブは少女の顔をまっすぐ見つめて謝る。
「う、うん。大丈夫。お肉ならまだあるし」
見つめ返す少女。真っ黒な瞳は少し潤んで、同じく黒い髪は森の闇に溶けている。
「えっと……。何かお返しをしたいんだけど」
アレブはともかく礼を返さねばと思案する。彼は王子だったが、なんでも施されて当然という横柄な考えは持ち合わせてはいない。
――ぐう。
だが、やっぱり赦せないと娘のお腹が抗議をし、彼女の頬を赤く染めた。
「わ、私はメーニャ! この森に住んでるの! あなたの名前は?!」
腹の音を打ち消そうと自己紹介を始める娘。
「わた……僕の名前はアレブ。ちょっと森を……探検していたら迷ってしまって」
少年も自己紹介を返す。娘はまたもお腹で返事をした。アレブは鼻だけでなく耳も良かったが、今だけはつんぼになっておいた。
「アレブ。良い名前。なんだかおひさまみたいな暖かい名前」
メーニャはアレブを見てにこにこしている。
「メーニャはちょっと、変わった名前かも」
アレブのほうはちょっと失礼なようだ。
「そうかも。メーニャは愛称だよ。本当の名前はアルメーニャ!
名前が長いから、みんなはアルメとかメーニャって呼ぶの。私の名前はね、おばあちゃんがつけてくれたんだ。
おばあちゃんは元は外国の出身で、若い頃にこっちに移ってきたんだって! 外国の名前だから変わったふうに聞こえるのかも!」
メーニャは得意げに語る。
「みんな? ここにはほうにも誰か住んでるの?」
アレブは小屋のほうに首を伸ばした。
「ううん。ここには私ひとりだけだよ。あそこは私のお城なの!」
ふたたび得意げに小屋を指す。
「そうなんだ。じゃあ、みんなって……」
アレブが訊ねようとすると、再び声が聞こえた。三度目の抗議だ。
「えへ。いけない。お腹が怒ってる。早くお肉焼かなくっちゃ!」
腹ぺこの娘が小屋へと駆けて行く。手間を掛けさせた手前、質問を中断せざるを得ないアレブ。
しばらくそこに佇んでいると、メーニャが肉と何かの入った袋を持って戻ってきた。
「……う。その袋、何が入ってるの?」
鼻をつまむアレブ。
「にんにくに、塩に、クミンに、パプリカ! ……を潰して混ぜたものだよ。これをお肉に塗って焼くと、おいしいんだ!」
袋から黒いペーストを摘まみだすと、肉に塗り始める。
「ちょっと、においが強くない?」
鼻声の苦言。
「塗るのはちょびっとだけでいいの。良い香りもね、濃くなるとちょっと酷いことになっちゃうんだよね。お花の香りだってそうなんだよ」
発酵したペーストを塗るメーニャも鼻声だ。
「僕はちょっと苦手かなあ……」
「えー? さっきあなたがおいしそうに食べたお肉もこれを塗ったんだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ。保存食にするときはもっとたくさん塗って、お肉も日干しするんだけど……あれは私にもくさすぎて無理かな」
肉が火に掛けられる。程なくして不快なにおいは、鼻をくすぐる香りへと変貌した。
「本当だ。良いにおいになった」
アレブは王子だ。料理などはしない。彼の前に出される“食べ物”というものは、いつも暖かく、味や香りの調えられたあとのものばかりだ。
「でしょう。どう? アレブももっと食べない?」
メーニャの勧めに、肉を詰め込んだばかりの胃袋が返事をした。
ふたりが肉にかじりついていると、目の前に白いものが落ちてきた。
「あ、また雪。今年は降るのが早いなあ。それとも森だからかな?」
メーニャが空を見上げた。切り拓かれた枝の天井から雪が入り込んでくる。
「どうりで寒いわけだ」
「ね、ご飯を食べたら小屋に引っ込もう。ここよりは暖かいよ」
「僕は……」
アレブは断ろうとしたが、行く当てがないことを思い出す。
ルーシーンの勧めに従って城の外へ出てみたものの、見聞を広める目的はともかく、寝食をどうするかなどはいっさいの考えなしだった。
「帰っちゃうの? そういえばあなた、見かけたことのない人だけど、どこの人?」
「僕は……」
また言葉に詰まる。相手は悪人ではないとはいえ、容易く身分を明かすべきではないだろう。
たき火が音を立てた。
「本降りになってきたよ。雨交じり! ほら、早く中に入ろう」
少女が王子の手を取った。引かれるままに小屋へと駆けこむ。捕まれた手は何だかべたついた。
小屋の中には火の入った石のかまど、ベッドがみっつ、それに棚や机までが完備されている。
「立派な家だ。他には誰も居ないの?」
「私ひとりよ」
メーニャは石かまどの頭を触ると、その上へと腰を下ろした。
「熱くないの?」
「暖かいよ。パンもお肉も焼けるし、暖炉代わりになるのよ。あなたのお家には無いの?」
娘の促しに従い、隣に腰かける。石のかまどは程よく暖かい。
「うちはかまどと暖炉は別だから、こういうのは見たことが無かった」
「そうなの? 前のおうちもこれだったし、このまえ、お世話になったお肉屋のおばさんのお家もそうだったよ。お料理屋さんは別々だったけど」
王子は城に詰めている召使いが「暖炉とかまどが別なのは豪勢だ」と言っていたのを思い出した。
「このお家、広いから部屋の隅まで温まらないのよね。だから、最近はここにひとりで座ってばかり。たまにこの上で寝ちゃうんだ!」
娘ははにかみながら、手のひらで石のかまどを叩いた。
「こんなに広いのにひとりで住んでるの? 家族は出かけてるとかじゃなくて?」
アレブは失礼なだけでなく、軽率である。
「うん! みんな死んじゃったか、出て行ったし! おじいちゃんもひとり街に住んでるけど、ずっと昔におばあちゃんに愛想を尽かして出て行ったらしいから、顔も見たことないよ。ここには私ひとり」
あっけらかんと言う娘。
時代も時代だ、それにこの国は気候が厳しいし、戦争も少なくはない。一族揃って存命というほうがおかしいくらいだ。
王子も王子で、近親者は父と父方の祖母以外は全員、とうに土の下に行ってしまっている。
「この家もね、元々は私のじゃなくってね。街にあったおばあちゃんの家が自分の物になったから、木こりのおじいさんに交換してもらったの。腰が痛くて引退するからって」
メーニャは楽しそうに語る。
「ふうん。でも、どうしてわざわざ森なんかに?」
「おじいさんが交換してきてって頼んできたから。
おじいさんの家族、みんな街に引っ越しちゃってて、ひとりぼっちだったのよ!
それに私、本で読んで森での生活に憧れてたから、ちょうどいいかなって。お家も前より大きくなったし、お得だよね!」
続いてメーニャは壁のほうを指さす。
「ほら、あそこに掛けてあるのを見て。弓に、長斧に、手斧! シャベルに、土ならしに、クワに、トンカチ!」
「あれも貰ったの?」
「そう、お得だよね!」
「それは確かにお得だ。全部使えるの?」
「弓以外は!」
胸を張る娘。
「僕も弓はあまり得意じゃないな」
いくさ好きの父を思い出す。父のほうは弓の扱いには長けていたが、好んではいなかった。
「鉄と鉄がぶつかり合うのが良い」のだそうだ。ときおり息子に稽古をつけるときも、もっぱら剣術の指南ばかりだった。
「私は、得意かどうかは分からないかも? だって矢が無いし! でも、道具はどれもみんな手入れをしてるのよ。今は斧しか使ってないけど、春になったら種を蒔くの。そうしたらクワやシャベルの出番!」
道具を見て回るアレブ。壁に立てかけられた斧には冷たく重い刃が付いている。横で語る娘の腕は、少年のものよりも細く見える。
「これで木を切り倒したりするの?」
「まさか! おじいさんが何本か切ったままにしてるのがあるから、それをちょっとづつ薪に変えてるだけだよ」
「なるほど」
アレブとメーニャは夜が更けるまでおしゃべりをした。たいていはメーニャが喋り、アレブが聴いて、ときおり質問を投げる形だ。
この娘は薪売りと、森での採集と、ウサギ獲りで暮らしを立てているらしい。
種蒔きの話をしていたが、この家に移り住んできたのはつい最近で、まだやったことが無いとのことだ。
朝起きて、罠を調べて、木の実や野草を探しに散策をして、身体が温まったら薪割り。
退屈な時は森の中をぶらぶら歩き回ったり、木に登ったりして遊んでいるのだとか。ずいぶんと野性的な暮らしぶりである。
木こりだってそうだが、薪を売るには買い手が必要である。メーニャはときおり城下町に出かけているようだった。
つまるところ、森の抜けかたを知っているわけだ。
アレブは彼女に道を尋ねようと考えた。……が、あっさりと先回りをされてしまった。おいおい森を出るのを手伝ってくれるという。
ふたりはそのうちにあくびが止まらなくなり、交わされる言葉が少なくなる。
アレブは空いた寝床をひとつ借りて床に就いた。
メーニャの家の寝床は一応はベッドだった。貧しい家では床の上で寝ることも珍しくない。とはいえ、木の囲いに藁を押し込めて布を掛けただけの質素なものだ。
彼は寝心地の悪さに驚いた。ざらざらのちくちくだ。
彼の部屋のベッドは綿詰めで白く清潔な布の掛けられたものだ。綿も頻繁に打ち直してもらうし、いつだって白パンよりもふっくらしている。
「ねえ、アレブ。眠れそう? うちの寝床は、あまり良いものとは言えないかも」
娘が心配する。
「大丈夫。今日はよく歩いてくたびれているから。寝床を貸してくれてありがとう」
「どういたしまして。子守歌は要らない? おばあちゃんから教わった子守歌はよく眠れるよ」
「ありがとう。でも結構だよ。もうじき眠れそうだ」
これ以上、手間を掛けさせ続けるのも悪い。王子はそう思って断った。
しばらくして横の寝床からは静かな寝息が立ち始める。
アレブは何度も寝返りを打つはめになったが、疲れに手伝ってもらい、なんとか眠りに就いた。
翌朝、少年は鼻をくすぐる香りで目を覚ました。パンのにおいだ。
身を起こすと質の悪い木綿が擦れ、自分の状況を思い出させた。
ここには教育係も召使いも居ない。王子はさっさと起き上がると小屋のあるじの姿を探すことにした。
石かまどからは麦の焼ける暖かな香りが漂っている。その上に娘の姿はない。
小屋の扉を開けると、空気が手先と膝を刺す。
森の広場。緑の天井の隙間からは青が覗いている。森と広場の境目には、いくばくかの雪が積んでいた。
王子は身体に掛けるものがなく、白い息を絞り出す。
――カツン!
乾いた音。小屋の脇を覗き込むと、手斧を持ったメーニャの姿があった。
「おはよう」
「おはよう! よく眠れた?」
笑顔で挨拶をする娘。アレブも笑顔で返す。
昨晩は薄暗くて気にも留めなかったが、彼女の肌は浅黒かった。この国では肌の色は様々だ。
だが彼女の色はきっと、おばあさん譲りなのだろう。においのほうは多分、昨晩のにんにくを使った香辛料譲りだろうが……。
「うん。メーニャはもう起きてたの?」
「なんだかいつもより早く目が覚めちゃったの」
「薪割り? 暑そうだね」
斧を持つ娘の額には汗が光っている。
「うん。アレブは寒そうだね。薪割りをすると暖かくなるよ」
手斧を勧めるメーニャ。やはり彼女の腕は細い。
王子も男だ。ここはひとつと斧を受け取ると、切り株の上に置かれた“あまり大きくない木片”に向かって斧を振り上げた。
「えっ?」
王子が振り下ろした手斧は正確に木片を打ち、小気味の良い音を立てる。割れた破片は勢いよく遠くへと飛んで行ってしまった。
王子は破片を拾うと、次の木片を切り株に置き、また斧を振り上げた。
「……アレブって、変わった薪割りをするね」
「そう? 薪割りは初めてだから」
次の破片は娘の横を抜けて飛んで行った。
「ちょ、ちょっと貸して」
メーニャは斧をもぎ取ると、先ほど王子が割ったのと同じ大きさの木片を切り株の上に置いた。
「小さいのはそんなに振らなくても大丈夫だよ」
木片に刃を立て、軽く押し込む。木片をくっつけたまま、トンカチのように切り株を叩く。すると木は素直に縦に割れた。
「簡単に割れるんだね」
「うん。大変なのは大きい塊を切るときだけかな。それでも腕が疲れちゃうけど」
娘は手首を振る。
「アレブは薪割りが初めてって言ったけど、普段は何をしてる人なの?」
メーニャの質問。アレブは彼女と初めて会ったときから、ほとんどはぐらかすか、答えないかしている。
きちんと答えたのは名前くらいだった。それもこの国の王家の証である家名までは答えていない。この質問についても彼は返答に困った。
「はあ。アレブは何も教えてくれない」
不満そうにため息をつく娘。
「ええと、なんて言ったらいいんだろ……」
隠しているというよりは、話すことが無いと言ったほうが正確だった。
王子である彼は、大して何もしていない。していると言えば王位を継ぐための勉強や、剣の稽古くらいだ。彼女の質問の意図はなりわいを聞いているに違いなかった。
「何もしてないかな……」
白状する少年。
「何もしてないんだ。だから、お話を聞くのが上手なんだ。私、よくおしゃべりだって怒られるけど、アレブは怒らないもの。アレブはどこに住んでいるの?」
再びの質問。
「……お城の、近所かな」
「素敵ね! お城の近くなら、お城に住んでいる人のことも見たことがあるの?」
「あるよ」
「わあ! ねえ、聞かせて。どんな人たちなの? 何を食べてるんだろう?」
昨晩は相槌だけで済んでいたが、どうやら今日は質問攻めにされるらしい。
普段、“王子”に投げかけられる質問の多くは、形式ばったものや意見を求められるものばかりだ。
純粋な興味や関心を伴うものは少ない。
ゆいいつ、祖母であるルーシーンだけは取り留めも無い質問をすることがあったが、大抵は彼女のおしゃべりに付き合うばかりで、やはり王子は聞き手なのであった。
この森に住む娘の向けてくる好奇心は、そんな王子にとってずいぶんと心地よかったらしく、彼はお城の様子を気前よく話して聞かせた。中のことまで、まるで見て来たかのように。
「アレブってとっても物知りなのね!」
娘の称賛。
「そんなことないよ、だって……」
ここに来てようやく自分が喋り過ぎたと気づく。
「だって……?」
また沈黙。しかし今度はため息は無く、メーニャはにんまり笑うとこう言った。
「だって、あなたは王子様だから!」
「違うんじゃないかな……」
目を逸らすアレブ。
「そうかな? だって、そんなきれいな服と立派な靴を履いてる人って、街でも滅多に見ないよ?」
アレブは着の身着のまま城を出てきていた。それほどきらびやかな格好をしているわけではないが、一般的な国民との区別はひと目でつくだろう。
「ちょ、ちょっと家がお金持ちで……」
苦しい言いわけ。嘘ではないが。
「お金持ちでも子供に剣なんて持たせたりするかなあ?」
腰の剣を指さすメーニャ。
「父さんが戦士なんだ。それで僕にも持てって……」
これも嘘ではない。
「ふうん。王子様と名前も同じなのに?」
……。
「そうだよ」
アレブは鼻を鳴らした。おや……?
「あっ! いけない! おしゃべりしてる場合じゃなかった! 私、パン焼いてたんだ!」
メーニャは王子らしき人物を解放すると、小屋の中へと駆けこんで行った。
王子は「この隙に逃げてしまおうか、しかし礼も無しに?」と逡巡したが、駆ける娘の足裏が黒く汚れているのに気づき、なんとなくそれにひかれ、あとをついて行った。
***