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.28 赤と黒

 見つかったのは焼け過ぎた獣の肉だけだ。


 王子アレブは煤に塗れていた。靴も衣装も、腕も、頬も、髪まで真っ黒に染めて。


 あのときの彼女は焦燥しきっていた。無神経な彼にさえも分かるほどに。


 彼女はひとりぼっちだ。

 だから、日が昇り始めるより前に起き出して黒馬を走らせた。目が覚めたときにそば居て驚かせてやろうと思った。

 彼は空を見上げなかった。見上げたとしても木々が阻んで、煙や不自然な空の赤には気づかなかったかもしれない。


 だが、彼は鼻が良い。黒馬の疾駆がかき分ける風の中に煤けた臭いを感じ取っていた。

 それが目指す娘の住む小屋に近づくほど濃くなることに、瞬く間に気が付いた。


 着いてすぐ、まだ熱いままの瓦礫をかき分けた。手のひらが焼けた。日が昇るまで調べ続けた。料理屋のように、かまどと野良道具の刃以外に何も残っていなかった。

 彼の鼻は朝日が否定するまで娘の死を疑い続けたが、火元がかまどではなく小屋の周りに撒かれた油だということは見逃さなかった。


 いったい誰が、なんのために? 娘は炎の手から逃れられたのだろうか? 彼女を探さねば。そして、悪臭の元を辿らねば。


 彼が最初に尋ねたのは魔女の小屋だった。

 夜の相談業と森での採集を終えて床に就いたばかりのコニアを叩き起こし、娘の所在を知らぬかと問い詰めた。

 魔女は無神経で鬱陶しい少年をひっぱたこうと腕を振り上げていたし、彼女の手首に埋まった種もその手に加勢しようとしていたが、娘の身に起きた大事に両者とも茫然自失となった。


 王子は旅に魔女たちを加えて街へ向かった。


 肉屋を訪ねるも収穫なし、広場で銀髪の娘の噂もなし。


「どこへ行ってしまったんだ……」

 アレブは石窯の上に腰かけ、頭を抱えた。

「誰かに連れ去られてしまったんだわ」

 人さらいよ、とコニアが苦々しく言う。


『まさか自分で小屋を焼くとは考えられませんし……』

 娘と心を通わせたスケルスが言う。

 焼け落ちた料理店でうなだれる一行。手掛かりを失う。



 そこに訪れたのは裏路地の男児。



「おにーちゃん、まっくろけだね」

 自分と同じだと楽しそうに言う子供。


「きみ、メーニャを見なかったか?」

 王子が訊ねる。


「メーニャおねーちゃんはずっと見てないよ。ぼくのおねーちゃんたちも……」

 男の子は問いかけを受け、表情を沈めた。


「……そこのおねーちゃんは、お友達? 昨日の人とは違う人?」

 首を傾げる。

 コニアの頭巾は捲れて、中から髪を覗かせていた。


「そうだけど……昨日のおねえちゃんがメーニャなんだけどな……」

 王子が困ったように言う。昨日、メーニャと一緒に遭遇したとき、男の子は銀髪になってしまった娘を知人と認知しなかった。メーニャはそれで酷く落ち込んでいた。


「おにーちゃん、何言ってるの? メーニャおねーちゃんの髪は黒でしょ。でも、昨日のおねーちゃんは見たよ」

 男の子に注目する一行。


「本当!? どこで見たか、教えてくれる?」

 メーニャと同じ髪色の女が言った。


「うん、いいよ。 ついて来て!」

 男の子が駆け出した。


 裏路地を進み、広場やそれに繋がる大通りからさらに離れる。

 次第に寂れていく景色。それでも家々は密度濃く立ち並ぶ。

 立て付けの悪い小屋や、放棄された壺の残骸などが転がる道。

 かつてアレブとメーニャがうち捨てられた銀髪の赤子の遺骸を見つけたのも、このような貧困街だった。


「あそこだよ。あそこはおばけ屋敷なんだ」

 子供の指さす先には大きなぼろ屋敷があった。


 この付近は、かつてそれなりに栄えていた区画だ。飢饉と流行り病の二重苦で人が去り、それ以降は家を持たない貧しいものや、日陰者が勝手に住み着いている。

 この屋敷は病の出どころとされており、この地区に住む人々さえも忌避していた。


「あのおねーちゃんは、おばけ?」

「おばけじゃないよ。僕の大事な友達なんだ」

「そっか。じゃあ、早く行ってあげなよ。知らないおじさんがおねーちゃんを担いでおばけ屋敷に入って行ったから。おじさんはね、人喰い族なんだよ」


「人喰い族?」

 魔女が声をあげる。


「うん。ここにはね、いっぱい人が連れて来られたんだけど、誰も出てこないんだよ。きっと、おじさんがみんな食べちゃうからだ」

 風で門の揺れる音。


「ほんとはね……。ぼくのおねーちゃんも、ここに連れていかれたかもしれないんだ」

 男の子がぽつり。


「でも、連れて来られたのは何日も前だから、もう食べられちゃってるかもしれないし、もしかしたら気のせいだったかもしれない。おねーちゃんは大事だけど、ぼくも食べられちゃうのは嫌だ……」


 ふたりを見上げる男の子。王子の顔を見てあとずさった。剣の柄を握る手には青い血管が陰影を作っている。


「アレブ」

 魔女が子供の頭を撫でる。


「……分かってる。慎重にいく。まずいと思ったら、スケルスで僕を縛ってくれても構わない」

 王子は顔を揉み、腰の剣を確かめ直す。

『そうならないことを祈っています』

「行こう。どうやらさらわれたのはメーニャだけじゃないらしい。王子として、こんな乱暴狼藉を放っておけない。きみ、教えてくれてありがとう。もし、きみのお姉ちゃんを見つけたら、必ず連れてくる」


「うん。……おにーちゃんは、食べられないでね」

 恐る恐る言う子供。


「ああ。食べられたりなんか、するものか」

 王子と魔女は館へ進む。


 だらしなく開かれた扉。奥に潜むは人か魔物か。

 中で行われる鬼畜の所業を思考の端へ追いやり、ふたりは人喰いの口をくぐる。



 ……。



 ――人をさらえ! 盗みとれ! 人生と引き換えに恐怖をくれてやれ!



 人喰いと噂される人物の出入りする館。ときはやや遡り、その地下室。

 いつからあったのか、なんのためにあったのか。今は亡き所有者は答えない。


 石で固められ、鉄の格子で区切られた牢屋。

 冷たく無機質な箱の中に、暖かな体温がひしめき合う。


 そこに詰め込まれているのは無力な人々。

 戦いに負けた森の民。裏路地で風を避ける子供。暴動や抗争で焼け出された店主。あるいは力づくでさらわれた若い娘。

 集めに集められた被害者たち。揃い揃って大壮観。


「居なくなっても誰も困らないやつが八、首を傾げられるやつが一、探されるやつが一」


 人さらいの適当な公算。間違っても構いやしない。見つけられやしない。


 まして、彼らはここからは逃げられないのだから!


 死なせはしない。商品だから。餌は毎日与えている。

 からだを作るための良質な食事と、こころを作るための良質な恐怖!


「今日はお前だ!」

「ゆるして!」

 子供の耳を引っ張る“飼い主”。その耳に当てられるやいばが冷たく笑う。

 ナイフのように鋭い悲鳴。石牢を反響し家畜たちの鼓膜とこころを震わせる。


「お前は逃げようとしたから罰を与えてやるぞ!」

 屈強な男の絶叫。


 敗戦兵の身体に刻まれる刀傷。戦士の生き延びた証はそれだけで商品価値を増加させる。


「その髭なんかむかつく!」

「あ痛ァ! むしらないで欲しいネ!」

 引っこ抜かれるちょび髭。ごく、つまらない理由で行われる仕打ち。誰かが笑う。


 肺からでる湿った空気。胃の内容物。理由の話されない暴力。

 笑いからの落差。若い娘が放り込まれていた牢から、むせ返るような嗚咽がはい出してくる。


 静まり返る石牢。



 ――今度はどんなことをしてやろうか。水攻め? 強姦? それとも爪剥がし?



 快楽も苦痛も混乱も、彼にとっては思いのまま。

 繰り返しの試行。残虐な嗜好。動物的本能だ。学習ではない、「思い出させて」やるのだ。


 さらわれた人々に“恐怖”を思い出させるのは、奴隷商人“耳切りマーフ”。


「仕入れは完了、仕込みは順調! あとは闇夜か混乱に乗じて出荷するだけ!

 最後に仕入れた娘はちょっと面白い容姿をしている。この国では呪われた銀髪の娘だ。

 魔女だなんだというそうじゃないか。

 遥か昔、叔父が本格的な奴隷業を始めるきっかけになったのが、砂漠で拾った銀髪の美しい娘だったと聞く。

 おれにとっちゃ、ちょっとした縁起物だ。国に混乱をもたらす魔女として王に差し出してみるか。

 取り入れば仕事もしやすくなるというものだし……」


 マーフはひとりでぶつぶつ言いながら階段を登って行く。



 王子と魔女。古びた屋敷に忍び込む。

 王子の鼻が、かすかな火のにおいを嗅ぎ取った。


「誰かが生活している。でも気配はないな。それと、どこからか嫌なにおいがあがってくる」

 小声で話す王子。


「あがってくる?」

 聞き返す魔女。


「ええ。下のほうがにおいが強いと思います」


『地下でしょうか』

 ふたりは屋敷をうろつく。戸板が剥がれたり、廃材や埃が積まれたい放題になっている小部屋。反して、手入れの行き届いた広間。


「コニアさん、ここに階段が」

 アレブが下への道を発見する。石造りの階段。灯りなく吸い込まれるような人喰いの食道。


「いい? 下に降りたら見たくないものを見るかもしれないわ。正気を失ってはだめよ」

 魔女の戒告。


「大丈夫です。腐ったにおいはしませんから。メーニャの血のにおいも……」

 鼻を鳴らすアレブ。


『……本当に鼻が利くのですね』

 感心するスケルス。


「常ににおいを嗅がれているような気がしてちょっと不気味ね……」

 コニアが身震いする。


「人も気分でにおいが変わるものなんです。下から漂ってくるのは強い“怯え”だ。コニアさんも、かなりぴりぴりしている。意外だな」

「失礼ね。私をなんだと思ってるのよ。人さらいには良い思い出がないの。その鼻を鳴らすのはやめてちょうだい」

 魔女が口を尖らせた。


「人さらいに良い思い出なんてある人なんていませんよ。下はかなりの大所帯だ」

 アレブは気にせずコニアの横でにおいの嗅ぎ分けを続ける。

「見に行けば分かることだわ。鼻を鳴らすのをやめて」

「慎重にいけと言ったのは、あなたじゃないですか」


 魔女の右手が王子の頬を張った。


「ぶつことないじゃないですか!」

 小声で抗議する王子。


「私じゃないわよ」

 つんと横を向く魔女。


「私じゃないって、これはあなたの右手で……スケルス!」

 王子は魔女の右手に寄生した種を咎めた。

『アレブは無神経過ぎます』


 ひと悶着で下に降りる勇気を得た一行は胃袋へ。

 一歩一歩。魔女の灯したろうそくと共に、娘の無事を祈りながら。


 広がる石牢の景色。区分けされた個室に鉄格子。廊下には誰も居ない。


「家主は居ないようね」

 魔女がため息をつく。


「静かだ。だけど……」

 アレブが牢を覗き込む。

 中に居たのは子供。座り込み虚ろな目で壁を見ている。


「きみ、大丈夫か!?」

 子供は王子には気付いたが、特に反応は返さなかった。


「こっちにも人が居るわ……」

 魔女の瞳に映るのは血塗れの男。彼も呼吸はしているようだが、身動ぎひとつしない。


「メーニャを探さないと」

 王子は足早に牢を覗き込んでいく。耳の欠けた子供、傷をまとった半裸の戦士、糸が切れたように身体を投げ出した娘、見たくもない惨状の数々。

 だがそこには彼の探し求める娘の姿はなかった。


「居ない……だが!」


 王子は廊下の最奥から全ての鉄格子を睨む。


「放って置けないわね。これは、奴隷商人の仕業よ」

 歯噛みする魔女。

「奴隷だなんて。この国では固く禁じられている」

 苦々しく言う王子。


「そうね。ルーシーンが国を立て直したときに最初にやったのが奴隷の禁止よ。かつてこの国は奴隷の濫用で窮地に陥ったのだから、彼女の目が黒いうちはそれを許すはずなんてないわ」


 ならば、ただの犯罪者か。それとも、先王以上の権力が……。


「牢には鍵が掛かってる。でも、今は家主は留守ときている」

 王子は疑念を払いのけ、魔女の顔を見つめた。ふたりの瞳は同じ意思を湛えている。

「そうね。だけど、こんなことをするやつは、鍵を置き去りにするほど間抜けじゃないわ」


「帰って来たら鍵を奪い取りましょう。殺してでも」

 王子が腰の剣を握る。


「やめておきなさい。あなた、人を殺した事はないのでしょう? それに、お父さんのやりかたに反対している。あなたの手は血で汚すべきじゃない。捕らえて公式に裁きを受けさせるべきだわ」


「許しておけませんよこんなこと。彼らが何をしたっていうんだ!」

 王子のこぶしが震える。


「でも、あなたは王になるのよ。肩書きを得るということは個人を捨てるということよ。私情で動いてはだめ。人を斬らないというのなら、貫き通さないと。ただの人間だと見抜かれたら民も離れていってしまうわ。外道をふんじばるのは私とスケルスでやる」

 右手をかざす魔女。種から蔓が伸びる。


「……でも、あなたたちを危険にさらすようなまねだってしたくはない」

 少年が言った。


「私情だらけね。子供なんだから」

 老齢の娘がため息をつく。


『ふたりとも、ちょっといいですか? 私ならこの鍵を開けられるかもしれません。あるじの居ない今なら、顔を合わせる前に彼らを逃がすことができるかもしれませんよ』

 種が口を挟んだ。


「私の身体を使って力づくで鉄格子を曲げるとか言うんじゃないでしょうね?」


『そうではありません』

 種から伸びた細い蔓。先端が錠の穴へと吸い込まれていく。

 蔓がしばらくうねったあと、「かちり」と小気味の良い音を立てて錠は落ちた。


「へえ、器用じゃないの」

 感心する魔女。


『鍵開けの魔法といったところですね』

 ふふんと声だけで威張るスケルス。


「さあ、出よう、今のうちに逃げるんだ」

 囚われの子供を促すアレブ。子供は不安げに見つめ返すだけで立ち上がろうとしない。


「大した怪我はしてないようだが、すっかり竦み上がってしまってる。逃がすのはあとにして、とりあえず錠を開けて周りましょう」


 次々と開錠される牢獄の扉。王子は階段の前で上の様子をうかがう。

 無罪の囚人たち。鍵が外されるが、釈放はされない。放たれるのは門のみ。中の人々は微動だにしなかった。


「……だめネ。みんな、脅しと“薬”で元気なくなってるヨ」

 ひとりが声をあげる。


「あら、あなた。料理屋の」

 魔女が驚く。


「知ってるネ? お客さんか。もうワタシ店主じゃないヨ。お店焼かれてしまったからネ……」

 うなだれる料理屋の店主ュエ。彼は焼け跡で途方に暮れていたところをさらわれた。


『彼はメーニャの知り合いですよ。もしかしたら、彼女の行方を知っているかもしれません』

 娘の足跡。コニアは王子へ報告しようと階段のほうを見やる。


「帰って来た……」

 地上を睨むアレブ。剣の柄を撫で、階段に足を掛ける。


「ちょっと! まだ全部開け終わってないわ。それに、この店主……」

 コニアが声をあげた。


「ふたりは彼らを解放してやってください。僕は上へ行って連中を足止めします」

 階段を登り始める少年。


「連中って……行ってはだめよ!」

 少年を止めようとするコニア。伸びる蔓。……しかし、彼女たちはもっと強い力で縛り付けられた。


「この牢は開けてくれないの?」「おねーちゃん、わたしもたすけて」

 正気を取り戻し始めた人々の声。


「……アレブ、早まったことをしては、だめよ」

 闇に消える少年の背に呟く。

 魔女と種のこころは牢に囚われ、残りの錠を開け始めた。



 地上。薄暗い屋敷の広間。揺らぐろうそく。整列する奴隷たち。そして、それらに向けられたわけではない文句が立ち並ぶ。


「まったく! この国の王は本当に強情だ!

 いまどき奴隷を使わない国なんて、千里四方どこを眺めたってありゃしないっていうのに!

 せっかく献上した娘も貰うだけ貰いおって! いくさばかめ。略奪者と変わらないではないか!

 あれだけ珍しい娘ならよその金持ちに売るんだった!」


 広間に風。扉が乱暴にぶつけられる音。


「誰だ!?」


 声を張り上げ振り返る男。人喰いの館のあるじ、“耳切りマーフ”。


「私はこの国の王子、アレブ・エポーナだ! 奴隷商人よ! この国では奴隷の取り扱いは固く禁じられている! 今度はお前が牢に囚われる番だ!」

 現れたのは金翼の剣をかざした少年。切っ先を悪人へと向ける。


「王子ぃ? その薄汚れた姿で?」

 アレブの頭と服は、煤で黒くまみれたままだった。


「この剣と瞳の色が証だ。王に代わってこの私がお前を処罰する」


「王! 王ね! その王がおれに滞在許可をくれたんだがなあ?」

 髭を撫でる男。


「父が!? 父も奴隷は認めていない!」

 雑に距離を詰める王子。


「いやいや。王子殿の御父上には命を助けられましてな」

 男は動かず、ほほえんだ。


「そのお礼にと奴隷戦士を献上したところ、大変お気に召しましてな。よし、それなら森の連中は倒したのち奴隷として従え、我が手によって立派な戦士にしてやろうと、大変楽しそうにしておりましたよ」


 さもありなん。王子の足が止まる。


「あなた様のお父様は無類のいくさ好きと存じます。森の連中を力で従え、大森林の外からくる異教の恐怖に備えようとなさっているのです」

「森の連中には父も手を焼いている。そう簡単に従わせられるのならば、これほど国が荒れるものか!」

「王子殿はまだ元服なさっていないと見える。剣で従わぬ男を従えるのに良い方法があるのをご存じではないようだ」

 残念そうに首を振る奴隷商人。


「私だって剣以外で従える術を探している。お前のような者の考えることだ。ろくでもない手に違いないだろう」

 王子が睨む。


 マーフは笑った。


「おんなですよ。お、ん、な。確かに、倫理にもとるとおっしゃるかたもございます。ですがどうでしょう? 戦場では勝者が法でございます。女狩りも少年狩りも当然のように行われますでしょう?」

 戦士に女をあてがう。弱小部族の悲劇。……いや、彼女たちの生きるための知恵だった。


「それは人の所業ではない!」

 振り払うように叫ぶアレブ。


 奴隷商人は、人の表情の奥の、さらに奥を読む。


「おやあ!? あなたは御父上と共に戦場に行かれたことはないのですか?

 わたくしが蛮族からお助けいただいたときも、“狩り”はごく自然に行われておりましたよ?

 御父上の精力絶倫たるご様子、あまりにも猛々しくて、

 いっぱしの男であるわたくしも思わず抱かれたくなったほどでございましたよ!

 美女もぶすも分け隔てなく愛していらっしゃりました。良い戦士を産める丈夫な身体さえあれば良いと!」



「黙れ!」

 王子の金翼のつるぎが光る。


 手練れの商人はわざわざ前へ出て、なんの変哲もない剣で受ける。


「太刀筋がぶれておりますぞ、王子殿! それに、今の一撃ではわたくしにはやいばが届かないような……?

 御父上の剣はもっと逞しく美しいものでした。あの太刀から生き延びた男は生の喜びを知るでしょうな!」


 片手で剣を弾くマーフ。


「父上と剣を交えたのか?」

「少々、戯れですがね。御父上にはわたくしの剣力を褒めていただきました。力のある者の話は聞くと……」

 再び走る金糸。マーフは身をわずかに引きそれをかわす。


「踏み込みが甘いんですよ! 今の剣でもわたくしが避けなくとも致命傷には至りませんよ! 殺す気はあるのですか?」

 嗤う商人。


「殺しはしない。動けなくして裁きを受けさせる」

 早口の王子。


「……ふうん」


 マーフは髭を撫でる。薄汚れた少年の瞳。目の奥に見るのは“恐怖”。



 奴隷の主人は指を鳴らした。



 それまで微動だにせず床を見つめていた奴隷たち。命令者の指に従い一斉に顔を向ける。


「王子を捕らえろ! こいつは本物だ! 王子は調和派か森の連中に売り渡す。

 大戦争だ! 今年は豊作になるぞ! よく聞け奴隷ども! おれの策が実った暁には、貴様らに“自由”を売ってやる!」


 あるじの大号令。自由の鍵が恐怖の錠を解き放つ。


 鎖を解かれた獣たちが我先にとアレブへと飛び掛かった。戦士も、馬車馬の男も、美女も土偶女も。


「放せ!」


 あっという間に組み敷かれる王子。剣を振るも空しく宙を斬る。


「小僧。ひとつ気になることがある。立場は分かっているな?

 話せ。この屋敷をどうやって嗅ぎつけた……いや、それはどうでもいいか。なぜ、ここに来た?」


 商人の疑念。やはり王がおれを消しに差し向けたか? だが、あの王ならば自らここに踏み入るはず。


「お前の……お前の捕らえた奴隷たちの中に私の友人が居たはずだ! 地下の牢には居なかった。どこへやった!?」

 わめく王子。


「飼育場に入ったのか。薄汚れたこそ泥め。出荷はまだしていない。となると、貴様が探しているのは、あの銀髪の小娘か」


「メーニャをどこへやった!」

「……あれは惜しいことをした」


 ため息をつく奴隷商人。椅子に腰掛ける。


「おれは、叔父のあとを継いで奴隷商人になったんだ。おれの叔父はよ。元はけちなこそ泥だった。貧しい村でな。暮らしのためによその村に出向いては盗みを繰り返していたんだ」

「叔父も悪党か。同じ穴の狢という奴だな」

 吐き捨てるように言う王子。


「でもよ、他人から盗むっていうのは加減が難しいんだよ。どうせ盗む先も貧乏な村だ。盗り過ぎりゃ仕事先ごと潰れちまう。かといって、多少の成果じゃ身内を養うまでには至らねえ」

「貴様の昔話など結構だ。メーニャの居場所を話せ!」

 取り押さえられたアレブが言った。


「ちゃんと話は繋がるから黙って聞けって。這いつくばってるくせに威勢がいいな。

 ……ま、そういうわけでだ。いっぱつ山を当てようと仲間たちとつるんで仕事にでた。

 知っているか? 知っているよな。かつてこの翼の国が大楢の国と呼ばれていた頃、奴隷は産業だった。

 だが、周りからの文句で規制が始まって入手困難になって金持ちの道楽になっていた。

 それでな、文句の出ない砂漠の流民から、これまたべっぴんな娘をひとりかっさらって売りさばいたんだ。

 銀髪の美しい小娘だったらしい。そいつを売った金を村に持ち帰って、叔父は家族ともども裕福に暮らしたのさ」


「何が言いたい。ひとりのいのちで村が養えれば御の字だとでも? その娘が憐れだろうに……」


「青いね。王者らしくない思想だ。当然、犠牲はそれだけじゃなかったさ。

 叔父は抵抗されたときに片目を失ったと言っていたな。まあ、それはいい。

 あぶく銭だ。数年で尽きちまった。そこで叔父は、小娘をさらったときの経験を生かして奴隷稼業を始めたってわけよ。

 だからよ。おれにとっては銀髪の小娘っていうのは縁起物なわけだ」


 マーフはため息をつく。


「でもよう! せっかく献上してやったってのにお礼も無しだぜ! まぬけ面だったのがいけなかったのか知らねえが、あんまりだろ!」

 床を踏み鳴らすマーフ。


「献上……? 貴様、メーニャを誰に渡したんだ?」

「お前のお父ちゃんにだよ! 今頃は小娘の身体でさぞお愉しみのことでしょうな!」

 げらげらと笑いをあげる男。


「父上がそのようなことをするか。だいたい、メーニャと父上は顔見知りだ」

 王子が鼻で笑う。


「知り合い……? そういや、知り合いに似てるとは言っていたな。だが、あのばかは髪の色を見て魔女だと確かに言ったぞ」

 男は笑いを再開した。王子の表情が曇る。


「魔女ってのは自然や精霊に通じるって言うからな。調和派との駆け引きに使えるってお勧めさせていただいたよ。

 おれはこの国についてよく調べている。情勢を知ったほうが戦争を起こすのに便利だからな。

 魔女の解釈にもいろいろあって、神樹を滅ぼした悪党だとか、神樹の呪いを受けた忌子だとかいうそうじゃねえか。

 今頃、いけにえに捧げられてんじゃねえのかね」


 奴隷商人が祈りを捧げるような仕草をする。


「森の民にも、話の通じる人々は、いる」

 苦悶の表情を浮かべるアレブ。話の通じる森の民。悲劇の酋長たち。


「ほう、なら魔女の神性を崇めて巫女にでも祀り上げてるかねえ。知ってるかね王子殿! 巫女というのは祭事や薬事だけが仕事じゃないんだよお」


 さらに歪む少年の表情。震え。反芻されるベリサマの苦しみ。


「その様子だとご存じのようだね! あのまぬけ面だ。美人と違って変に気取ったところがないからな。身体を使ったことの飲み込みは早いだろうよ!」


「やめてくれ!」

 叫ぶアレブ。取り押さえられたままもがき苦しむ。煤で汚れた髪が揺れる。


「おうおう、可哀想に王子様。せっかくお姫様を助けに来たというのになあ。

 ふたりは結ばれることなくおしまいだ。そうだ、お姫様は眠っているときに誰かの名前を呼んでいたな。

 ……アレブ。アレブだったな。そう、王子様の名前だ!」


 楽しそうに王子の名を繰り返す奴隷商人。

 メーニャの声を真似てか、気色の悪い裏声で何度も何度も呼ぶ。



「やめてくれ……」

 力ない懇願。そのうちに王子は何も言わなくなった。



「……どれ、あんまり虐めても可哀想だ。きみはまだ若い。だから失敗したのさ。おじさんが、きみをおとなにする手伝いをしてやろう」

 奴隷商人は頬を釣り上げて笑顔を作った。


「そこの女。お前、王子を慰めてやれ。お前の細い腕は取り押さえるのにはちょっと活躍が足りなかったからな。王子を満足させたら“自由”にしてやるぞ」

 マーフが奴隷のひとりに言った。


 女は奴隷の束から離れると、王子の前に立つ。


「さあさあ、奴隷教の巫女様が勇敢なる戦士をねぎらうぞ。お前たち、王子をいったん放しなさい!」

 マーフは奴隷たちを手で払った。

 女奴隷が王子の前にひざまずき、身にまとっていた服を脱ぎ捨てる。



 ――露わになる美しい身体。



 ――転がる首。



「ほ?」

 首を傾げるマーフ。


 彼の足元に“商品”の一部が返される。ねぎらいの巫女の身体は、まだ仕事に就いていないというのに激しく痙攣していた。



「なんだ、人を殺すというのは、大したことじゃ、ないんだな」

 奴隷から解放されたおとこが立ち上がる。血を流すおんなの身体を見下ろし、黒く染まった頭を向けて。



「気が狂ったか? 取り押さえろ!」

 自由の号令。奴隷たちが飛び掛かる。


 降る血の雨。ばらばらに飛び散る人間の身体。黒い太刀筋は血を寄せ付けず、王子の身体を濡らさなかった。



「奴隷商人よ! 国に害をなす輩はこのアレブ・エポーナが叩き斬ってくれようぞ!」

 吠える黒獅子。靴裏を血で汚し外道に詰め寄る。



「恐怖がヒトを成長させるとは知らなかった! 面白い! この“耳切りマーフ”! 王者の耳を喰らい、我が誇りとさせてもらおう!」

 つるぎを構える奴隷商人。外道といえど男。黒獅子の戦慄に身を震わせ、ひとりの戦士に変わる。


「害獣よ。王者の剣を味わうがいい!」

 浮き出る血管。おとこの腕。黒き獅子の一撃。


「速い!」

 驚く歴戦の商人。黒き金太刀を受けきれず、剣の腹に滑らせる。走る火花。薄暗い広間に瞬く。

 商人が態勢を整える前に繰り出される唐竹割り。すんでのところで跳んでかわす商人。


「ははは! おれを害獣というのなら、いくさばかの愚王はどうなる!?」


 次はマーフが仕掛ける。突き。王子は身を引く。さらに踏み込むマーフ。再び光る剣と剣。両者の額が突き合わされる。


「現王も愚王ならば害獣に変わりはない。斬り捨て、我が民たちを正しき道へ導く!」


 迷いのない一言と一閃。商人の頬が切り裂かれる。飛び退き距離を取るふたり。王子の腕にも血がにじむ。


「お強くなられたようだが、ハイク殿にはまだまだ及ばない。彼は長きに渡って戦場を駆け抜けて来た名高き豪傑! 果たして箱庭仕込みの貴様に勝つことができるかどうか!」


 マーフ、再び突きの構え。王子、わずかに身体を横に逸らし迎え撃つ体勢。


 沈黙。


 商人の靴が歪む。それに応える血濡れの靴。


 刹那。マーフの口から噴き出される血の霧。アレブの視界が赤に染まる。



 血と有機物の、父のにおい。



 ……霧はおとり。狡猾な戦士は横へ飛び、身を低くして横腹目掛けて突き込む。


「死ぬがいい王子!」

 


 ――王子の腹に沈む命令者の腕。



「あいにくだが、私は稽古で父におくれを取った事はない」



 ――横腹を突いたのは手首の無い腕。



「死ね」


 王者の断罪。


 奴隷商人の頭蓋が左右に分かれる。広間に散らばる脳漿。

 よくしゃべる舌はむき出しになり、雨期の肥えたナメクジに似る。


 踏みつぶされるナメクジ。



「やはり、大したことはない!! なかったのだ!!!」


 赤い闇の中、黒獅子が嗤った。

 濃い血のにおい。父よりも、部族の争いよりも、濃い血のにおい。


 悪は斬る。それが早い。辱められ続けた巫女の酋長もそうしただろう? 王も剣で訴える。……ならば、それらを斬り捨てたとて、よもや文句はあるまいな?


 血と煤にまみれた王子は歩き出す。


 城へ行こう。悪逆なる企みを持つ者と、愚王を斬り捨てに。

 私の友は死んだ。魔女が言ったか、王になれば個人を失う。ならば私は、必要とあらば肉親をも斬るだろう!


 広間をあとにするアレブ。扉に立ち尽くす老齢の娘の横をすり抜け。


「魔女よ。あなたが外道を殺したのは正しかった」

 血を浴びた魔女に優しく投げかけられる言葉。


「種よ。あなたが己の為に他者の身体を奪うこともまた、正しい」

 魔女の腕が震える。



 黒き少年は、赤い足跡を残し彼女たちの前から姿を消した。



***

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