.24 別れと旅立ち
伝説の“種”の力。娘の企みは結実し、コナ族とペン族の戦争は終わった。
「俺たちは、神を見た」
仮面の男たちは武器を棄て、丘の下でひと固まりになっていた。
「神様だって」
アレブが娘をつつく。
「そんな。私、神様なんかじゃないよ!」
両手を突き出し手を振るメーニャ。
「そうだな。お前は神じゃない」
にべなく言ったのはベリサマ。しかし、その表情は柔らかい。
「だが、確かに我々は神を見た」
村の戦士たちが言う。
「じゃあ、この樹が神様?」
娘がアンズの樹を指し示す。その樹の枝には重たそうにたくさんの黄金の実がぶら下がっている。
「それも違うな。それはただの、季節外れのアンズの樹だ」
大巫女の否定。
「じゃあ、スケルスが神様かな……」
娘のひとりごと。
「コナ族の首領の言う通りだ。樹が生え、花が咲き、実がなり、娘が踊った。きっと、それが神なのだ」
仮面の男のひとりが言った。
「どういうこと?」
首を傾げるメーニャ。
「“こういうこと”なんだろ」
アレブが笑って言う。いつか娘が教えてくれた「森を見てこい」の答え。いのちの輪。
「なるほど。“こういうこと”なのか。なるほど」
娘は繰り返しうなずく。
「メーニャ。きみの身体が心配だ。魔女に看てもらいに行かないか?」
「コニアさんのところに? 帰るなら家やお城じゃないの? それに、私は元気だよ?」
娘は跳ねて見せた。長い髪も一緒に跳ねる。
「その髪。すでに種の影響がでている」
「髪……? わ! 本当だ! 私の髪、真っ白になっちゃってるよ!」
王子に指摘され、ようやく気が付く娘。彼女の髪は、樹を成長させた際に白馬の毛並みのように変色していた。
『長く一緒に居ると、他にもいろいろ症状がでるかもしれません。魔女のように正常に年が取れなくなるでしょう。望むなら今すぐにでも私はあなたの身体から離れましょう』
スケルスの提案。
「だめだよ! そんなことしたら、スケルスは死んじゃうんでしょ?」
『そうなるでしょうね。でも、もういいのです。馬の身体でなくなったとはいえ、タラニスはもう、私のことを憶えていないようですし……』
「諦めるのはまだ早いよ!」
娘が腹に向かって話しかけ続ける。種の声が聴こえない人々は、彼女のひとり芝居に首を傾げた。
「そう言うと思ったから、魔女のところだ。彼女に頼るしかないだろう」
行かねばならぬ。しかし、今のメーニャを連中が手放すだろうか。
「……ベリサマ。僕たちは行く」
酋長の女に険しい顔を向ける王子。
「そう怖い顔をするな。誰もお前たちの歩みを止める者は居ない。我々も、弔いをしなくてはならない。双方に相当な死者が出てしまったからな……」
ベリサマは深い哀しみの声をあげた。村の人々は早くも仕事に取り掛かり始めている。
「酋長さん……」
娘は女を見た。何色もの深い哀しみ。
「言うなよ、娘。もとよりかなわぬさだめだったのだ。夢は夢のまま終わらせるべきだろう。だが、現実も確かにある。それはこの樹と、お前たちの進む道だ」
見送るベリサマ。
「いや、待て。……城と言ったな。お前たちは、翼の国から来たのか」
仮面の男のひとりが立ち上がった。
娘が王子の手を握った。王子は何も言わず、娘の手を引いて歩き出そうとした。
「待てと言った」
緊張が走る。
「ちらと見えていたが、お前たちの馬は無くなってしまったのではないか?
魔女の噂は俺たちも知っている。だが、ここから歩けば十日も掛かるだろう。
城だって遠い。俺たちの村にも馬がある。首領の馬だ。
俺たちと同じく、馬はあるじを失ってしまった。良ければ、連れて行ってやってくれないか?」
黒馬が走る。
雪の森を越え、町を通り過ぎ、街道を漆黒の風が駆け抜ける。
王子は馬を走らせた。昼夜を問わず、前に眠る娘を抱いて。
舞台は移る。北の森から、魔女の住む森へ。
魔女の小屋へと到着したのは出発して二日経っての深夜だった。
こちらのほうでも雪が降ったらしく、小屋の周りには雪の絨毯と、人のものと思われる足跡が残されていた。
小屋の中からは明かりが漏れている。本日も絶賛営業中らしい。
「メーニャ、着いたよ」
馬を停め、娘を揺り動かすアレブ。
「うん。眠い……」
馬から降りるふたり。王子がふら付く。
「コニアさん、元気だったかな」
メーニャがあくびをしながら言った。
「彼女は殺しても死ななさそうだ」
アレブは扉を叩く。
「おはいり」
年老いた大根役者の声。
ふたりは少し笑うと魔女の小屋の中へと足を踏み入れた。
……。
「この、馬鹿!」
魔女のお叱り。
魔女コニアはメーニャの頭を見るや否や、机を叩いて立ち上がった。
「あなた、種の力を使ったでしょう!」
首を縮めるメーニャ。若い魔女の顔には、怒りよりも娘への心配が見て取れた。怒られるほうも少しにやけている。
「コニアさん。これには事情があるんです」
アレブが窘める。
魔女はため息をつくと、小屋の外に出て明かりを消した。
「聞くわ。まったく、商売あがったりよ」
ふたりは事情を話した。洗いざらい。スケルスへのタラニスの反応、北の森へ旅立ったこと、そして、コナ族の村で起きた惨劇。
「そう……。それならやむを得ないわね。力の使いかたも間違わなかったみたいだし」
暗がりの中、魔女が呟く。
「でも、長く種と一緒に居ると、良くないんでしょう?」
王子が訊ねる。
「ええ。不死身のようになって、その内にどちらかの自我が消えてしまうでしょうね。種たちはそうやって他の生物の身体を乗っ取って生きるの」
「スケルスはそんな悪い事しないよ!」
宿主が種をかばう。
「あなた、種とは話をした? 会話のことじゃないわ。頭の中で。種と身体を共有すると、お互いに考えていることが伝わるようになるのよ」
火も焚かれてない小屋。魔女が震える。
「した! 馬に乗ってるとき、退屈だったから、起きてる時はずっとおしゃべりしてた。だから分かるよ。スケルスは悪いひとじゃないって!」
楽しそうに言うメーニャ。王子が眉をあげる。
「おい。僕はきみを心配して寝ずに馬を走らせてたんだぞ。慣れない馬で森を駆けるのがどんなに大変か!」
「えへへ。ごめん」
娘が頭を掻く。
「種を見せてもらってもいい?」
魔女コニアが訊ねる。
メーニャはアレブのほうをちらと見た。少年は「分かったよ」と女性陣に背を向ける。
「これなんだけど……」
服をまくり上げる娘。なめらかな腹部には、こぶしよりやや小さいの植物の種が埋まっていた。
「あの頃を思い出すようだわ。……スケルスと言ったわね。そろそろ私にも声を聞かせてくれても良いんじゃないかしら」
腹に向かって話しかけるコニア。
『はじめまして。魔女コニア』
種から素質のあるものだけに聞こえる声が響く。
「なんかお腹がくすぐったい」
娘が嬌声をあげた。少年がちらと見る。
「……」
魔女コニアは娘の腹を睨んでいる。寄生樹の言葉を吟味し、その挨拶だけですべてを読み取ろうとするかのように。
「……お腹が口を利くのは、なんだかまぬけね」
魔女の審判。王子の背中が笑う。
「それでスケルス、あなたはどうするつもりなの? その子にへばりついたままでいる気かしら?
彼女が不老不死の魔女でいいって言うなら、私は構わないけど。ただし、彼女が彼女でなくなったときは、覚悟しておくことね」
王子は窓から差す月明かりが、ほんの一瞬やいばを映すのを見た。
『私は自分のいのちはもう、惜しくはありません。“彼”はあんな風になってしまったし……。
他の仲間だってもう昔に朽ちてしまっているようですから。
ひとつだけやり残したことがあるとするなら、少しだけでもこの子供たちの役に立ちたいということくらい……』
「スケルスは嘘を言っていないよ」
メーニャが言う。
「スケルスは私の傷を治してくれたあと、何度も身体から離れようって言ったの。でも、そんなことをしたらスケルスは死んでしまう。そんなのは嫌だ」
「じゃあ、ずっとそのままで居るってのか? 髪も銀色にしてしまって。身体もずっとがきんちょのままなんだぞ」
不満そうな少年。
「がきんちょじゃないもん! もうすぐ大人だもん!」
「その大人になれなくなるって言う話よ。
私が種を身体に入れていたのは、それほど長い期間じゃなかったわ。
私の意思じゃなかったとはいえ、種の力もそれほど使っていないし。
それでも、種が抜けた後でも成長が酷くゆっくりになってしまった。
種が埋まったときはあなたたちと変わらないぐらいの歳だったわ。それが五、六十年たってもこのざま」
二十歳に届かぬ容姿の娘。
「若いのが悪いとは言わない。私もしわくちゃのおばあちゃんより、こっちのほうが好きだし」
胸に手を当て笑う若き老婆。
「でも、周りの人は気味悪がるわ。それに妬まれる。それと気づかれれば、石も飛んでくるでしょうね」
「言わなきゃばれない気がするけど」
メーニャが言った。
「きみはあほか。その目立つ頭で周りが何も言わないはずないだろ。街で銀髪の子供なんて“居ない”だろう」
「居なくはないけどね……」
王子と娘は何かを思い出し、沈み込んだ。
彼らが知見を広げるために城下町を行脚をしていた際、路地裏で銀髪の赤子に出会ったことがあった。
……うち捨てられ、すでに声をあげなくなった姿で。
銀髪は、かつて神樹の呪いによって成されたものである。
それは代を重ねると薄まり、銀髪でない者と結ばれれば子も普通の髪色をして生まれた。
しかしまれに、何十年も経った今でも銀髪の子が生まれることがある。
それは親の手によってひっそりと“処理”されるか、産まれるのを許されたとしても、のちに悲惨な運命を辿ることになる。
「人は、自分とは違うものを怖がるわ。それが醜ければ害をなすと思うし、素晴らしくても自分が否定されたような気になる人だっている」
魔女がつぶやく。
「人間は勝手だ」
吐き捨てるように言う王子。
「そうね。私は、あまり人が好きじゃないからやってこれたけど、優しいあなたはどうかしらね」
魔女の問い、娘は沈黙する。
「それに、いちばんつらいのは見ず知らずの人に石を投げられることなんかじゃ、ないの」
水底に沈むような呟き。
「他にも何かあるの?」
娘が訊ねる。魔女の沈黙。
『親しい人と同じときが歩めなくなる事』
代わりに答えたのは腹の種。
「みんな大人になって、結婚して、子供を産んで、孫ができて……。そして、死んでいくの。それでも私だけは若いまま。他の人と同じように、ちゃんと死ねるのかしら」
宙に投げられる問い。答えはない。
『私も、メーニャを苦しませたくはありません。この力は、得るものは大きいですが、失うものもまた、大き過ぎるのです』
「それでも、スケルスを死なせたくないよ。何かほかに乗り移れるものはないの?」
悲しそうに声をあげる娘。
『あなたたちに逢って、ここに来るまでに、アレブとメーニャ以外にふたつ。……正確にはひとりといっぽん、私の乗り移れそうなものはありました』
「ひとりは私ね」
コニアが言った。
「いっぽんは?」
メーニャが訊ねる。
『……それは、今の私にはあまりにもつらい場所です』
「どこだろう」
王子が首を傾げる。
「おばあさんのお庭だ。あそこにはたくさん木が生えていたから。タラニスのそばに居るのは、つらいよね」
ため息をつく娘。腹をさする。
「……なるほど。木でもいいなら、森を探せばいいんじゃないか? 動物だってたくさん居るし」
『人以外にも、意思や心はあるのですよ。植物や小さな生き物になれば、意思が弱くなります。
身体を乗っ取るのは容易でしょう。ですが、彼らだって生きているのです。
私が長い間世話になってきた馬の身体にも、元の持ちぬしの心が居たのです。
あの頃の私は若かった。連れ合いを探すためになら、獣の心なんてなんとも思わなかったのです。
今は……大した理由もなしに他者を乗っ取るくらいなら、消えてしまいたい』
自嘲交じりの懺悔。
「だったらさっさと消えれば?」
コニアが冷たく言い放つ。
「酷いよコニアさん! スケルスは私のいのちの恩人なんだよ! それにつらい思いだってしてるのに!」
娘が魔女に噛みつく。
「長く取り付けば長く取り付くだけ厄介になるでしょう。種を埋めてからニ、三日ってところよね? 今ならまだ、髪色だけで済むかもしれないわ」
種を寄越せと手を突き出す。
魔女の右手。手首にはかつて種が埋まっていた傷痕。
『……良いのですか?』
「マシな考えが浮かぶまで居させてあげる。この子たちの役に立ちたいって言うなら、ちょっとくらい手伝ってやってもいいわ」
早くしろとメーニャの服をまくり上げるコニア。
娘は抗議しようとしたが、彼女が何か言うより早く、種が床へ落ちた。埋まっていたはずの場所には傷痕ひとつも残っていない。
コニアがそれを拾い上げる。
「いい? あなたのことは全部覗かせてもらう。気に入らなかったら、すぐにえぐり出して捨ててやるから」
『望むところです』
右手首に押し当てられる種。種から根のようなものが生え、魔女の右手に突き刺さった。
「痛っ! 痛いんだけど!?」
『ごめんなさい……』
種が女の手首へと入っていく。コニアは再び魔女となった。
「……やっぱり、他人が入るっていうのは、薄気味悪いものね。……あら、右手が動くようになった」
魔女は右手の指をぎこちなく動かす。不満を漏らしながらも、少し愉しげに。
『……やはり、出て行きましょう。私の同族があなたにした仕打ちが垣間見えました』
手首の種が呟く。
「いいわよ。居ときなさい。私にも見えたから。あなた、本当にタラニスを探してうろうろしてただけなのね。それに、タラニスの居場所を知っていたはずのお友達に、騙されていたみたいね。……私と同じように」
『……』
「あの女なら、やりかねないわ。種の中で一番性格が悪かったのがあいつだったから。誰も彼もがあいつに踊らされていたんだわ」
腕を組み、鼻を鳴らす魔女。
「スケルスが問題ないことは分かった。あとでおばあさまにも伝えておこう」
王子が言い立ち上がろうとする。
彼はただ腰をあげただけなのに転びそうになった。
「もう帰るの? あなた、泊って行きなさいよ。ふらふらじゃない」
コニアが言った。
「城の中に、何かよからぬことを企んでいる者が居る。王子として、それは見過ごせない。ここで時間を食っているわけには……」
あくび。
「ほら。寝ずに馬で駆けて来たんでしょう?」
「じゃあ、私が手綱を持つ!」
騎手交代の提案。元気よく立ち上がるメーニャ。
「馬鹿いえ。スケルスと違って、あれはただの馬だ。練習も無しに……」
王子の目の前で娘がくるくると踊るように足踏みを始める。
「メーニャ?」
娘が倒れ込む。魔女が支える。
「なんかくらくらする」
薄目で天井を見上げる娘。
「種の影響かしら?」
心配する魔女。
『血を流し過ぎていたのです。傷が治っても、すぐには血は作れませんから。貧血でしょう』
「気持ち悪い……」
目を回す娘。
けっきょく、ふらつくふたりは魔女の家で世話になることにした。
早朝、王子が目を覚ます。
「起きたの? まだ寝ていなさいよ」
隣の部屋から魔女の声。彼女はすりこぎと小鉢で何やら薬を作っていた。
「ゆっくりしていられない。こうしているあいだにも、戦争が起こるかもしれないんだ。コナ族の酋長は無茶をしないと思うが、城の者の手が他の部族にも回っていないとも限らない」
王子が魔女の横を通り過ぎる。
「ちょっと! あの子を置いて行くの?」
メーニャはまだ寝息を立てている。
「はい。種の問題は落ち着きましたし。ここから先は城の問題です。これ以上、彼女を巻き込みたくない。とうとう、死ぬような目に遭わせてしまったし……」
「起きたら怒るわよ」
「そのときは、コニアさんが宥めてやってください。今のメーニャとあなたは、まるで姉妹みたいだ」
銀髪の娘たちを見て王子はほほえむ。
『冷たいわ。メーニャはきっと、無理をしてでもあなたと一緒に居たいと思うわ』
魔女の右手が言った。
「私もあまり感心しない、かな。種が入ったままで城に連れて行くよりは、ましな考えだとは思うけど」
「城には何か魔物が潜んでいるに違いありません。種に関しては気付かれているとは思えませんが、コニアさんも用心してください」
「変なやつがやって来たら、ふんじばってやるわ」
魔女の右手首から緑色の蔓が伸びる。それは意志を持ったヘビのようにうごめいた。
「そんなこともできるんですね。それなら安心して任せられます」
王子は少し驚いたそぶりを見せたが、不敵に笑いを浮かべた。
「この力があっても、騒ぐあの子を止めるのは骨が折れそうね」
「よろしくお願いします。僕はひとりになりたい。彼女は少し賑やか過ぎるから」
王子はそう言い残すと、小屋から出て行った。
――扉の閉まる音。横になっていた娘の肩が震えた。
王子は旅立つ。娘と別れて。
王子は別れる。不思議な種をもつ若き魔女と。
黒馬にまたがり、己の住処、翼の国の城へ。
渦巻く陰謀と、大きな争いの足音の正体を暴くために。
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