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.22 巫女と生け贄

 村のそばの広場。木編みの人形が燃える。

 煙を上げるそれは巨人のように大きく、中には人間が詰められていた。


 それは罪人。生死問わず。掟を破った者の最高刑。あるいは身内を傷つけた敵の末路。

 うつしよにて大きすぎる罪を背負った者が、来世へ行く前に洗い流すための禊。


「諍いの相手はペン族なのか!」

 酋長ベリサマが声をあげる。


「はい。生き残った戦士の証言です。いきなり襲われたと」

 お付きの巫女が言う。


「ペン族とは過去に途切れた交友を取り戻す算段をしていたというのに……。遺体は焼かずに返すべきだったか」

 肩を落とし、歯噛みするベリサマ。


「心中、お察しいたします。大巫女様は夢見の最中の事でしたから。巫女どもが習わしに従ったのです」

 人形の腕が焼け落ちる。中に詰められた敵の戦士の黒く焦げた足が覗く。


「ペン族とのいくさは避けたい。私は“夢”を村の者たちに伝えねばならない」

 大巫女は木編みの人形に背を向けた。


 村の者が広場に集められる。

 夢見の儀。大巫女であるベリサマが見た“夢”はときおり「意味」を孕む。


 精霊からのお告げ。森で生きる者たちは大地の声を聞く。

 ふとしたときに大巫女の霊感に訴えかける夢が現れるのだ。大巫女はそれを翻訳して伝える。


 未来の危機を警鐘する夢であったり、村の方針にしるべを見せる夢であったり、あるいは過去に村で起きた衝撃的な出来事への答えであったり。


 すべての夢が解釈され、伝えられるわけではない。夢の多くは普通の人びとと同じく、個人的なものや他愛のないものがほとんどだ。


 ベリサマはここのところ、眠りに就く回数が増えていた。薬を服用したり、香草を焚いてまで夢を求めなければならなかった。

 秋に見た夢。それは間近の動乱を暗示する内容だった。


 自身と同じ大巫女の姿をした魔物が、村人を次々と殺す夢。衣装こそはベリサマと同一だが、顔はオオカミだった。最後に夢のあるじも喰い殺される。


 夢の不思議はここからだ。


 彼女を含め、殺されたすべての人々が甦り、魔物を討つのだ。だが、魔物が絶命するきわ、オオカミの顔はベリサマの顔に変わる。

 そのまま村人へ伝えるにはあまりにも衝撃が強く、これでは彼女の威厳を脅かしかねない。

 彼女の眠りの多さは、これをかみ砕くためにさらなる夢を求めての事だった。

 しかし、答えは得られず、夢の彼女と村人は大巫女に幾度も殺害された。


 ――恐らく、此度の諍いが答えなのだろう。


 コナ族は森に暮らす少数部族のひとつだ。部族という単位である以上、他の部族とは考えかたや暮らしぶりに多少の違いがある。


 コナ族の男衆は狩りに出ていた。そこへ別の部族“ペン族”が襲撃を掛けたという。


 ペン族は勇猛無比な部族だ。他の部族よりも血の気が多く、戦いのすべに長けている。

 皮剥ぎのナイフひとつで武装した兵士を手玉に取るほどだ。


 彼らは奇妙な仮面で素顔を隠し、戦いの血筋から来る代謝で冬の森に負けぬ熱を放ち、服を無用の長物とする。鍛えられた身体を彩るのはいくさ化粧だ。


 もちろん、ペン族も単なる蛮族ではない。言葉も話すし文化も持つ。かつてはコナ族とも交友があった。

 昨今は翼の国の自然克服派の活動が激化し、森の部族と戦争になることも多い。

 ベリサマはペン族と同盟を復活させ、その力を借りて村を守りたいと考えていたのだった。


 しかし、考えの違う部族同士の融合は楽なものではない。ベリサマは力による制御を嫌った。

 そもそも、武力で抑え込める相手ではない。何か手がないかと探っていたその矢先の出来事だった。


「そんな! 大巫女様、正気でございますか!?」

 声をあげたのは聴衆のひとり。


「本気だ。我々はペン族と併合する。今や敵は、森やオオカミだけではない。翼の国の一派や、遠方から来る大国の連中も脅威となっている。ペン族は近隣で最強の戦士たちを擁する部族だ」

 聴衆の男を諭す大巫女。彼女は夢の内容には触れず、答えだけを伝えていた。


「しかし、交友があったのは昔の話です。今のペン族はあちらこちらに手を出し、服従を強要していると聞きます。今朝も狩りに出た男たちが殺されました。大巫女様のなさろうとしていることは、合併ではなく屈服だ!」

 男が声を荒げる。人だかりの中から同意する声が漏れ聞こえる。


「口を慎みなさい!」

 側近の女が進み出て声をあげた。手で制するベリサマ。


「他の村落の多くは、巫女や呪術師ではなく戦士を長に置いている。これの意味が解るか?

 我の力は他に類を見ない天性のもの。夢見の力でこの村の危機を幾度も救ってきたのはお前たちも知るところだ。

 ペン族は戦士の力が強い代わりに、巫女の力に欠ける。

 彼らに対して霊性を示すことができれば、喰われずに済むだろう。

 それに、放って置けばいずれ争いに晒され、窮することには変わりはないのだ」


 聴衆に語るベリサマ。その声に迷いはない。


「酋長の決定には、従う」

 村の老戦士。


「あたしらは戦争がないなら、それがいちばんだね。大巫女様についてって間違ったことがあったかい?」

 女の問いかけ。賛同する村の女たち。


「ペン族はかっこいいんだぞ! 俺、ペン族の戦士みたいに強くなる! ペン族の威嚇! ワーッ! ペンッ! ワーッ! ペンッ!」

 ちいさな男の子が叫びながら尻を小刻みに叩いた。母親が彼の頭をひっぱたく。


「今朝の一件もある。相手の出方次第では、少々の争いや不便が起るかもしれない。だが、手は出すな。我々は森で共に生きる者同士だ。双方ともに死者などだしたくはない」

 反発の気色が消えたのを見届け、石の祭壇から去るベリサマ。


 うつむきため息をつく。

 彼女が顔を上げると、聴衆の端に腕を組みこちらを睨む少年の姿があった。


「“敵”の首領の息子を目の前に、よくも堂々とあのような話ができたものだ」

 とげを逆立てるアレブ。


「すまない。そう殺気立たないでくれ。私も族長である以上、威厳ある振舞いをしなくてはならない。お前が居るからといって、過剰な配慮をすれば信を失い、ペン族との合併の話に不安が高まる」


「“敵”だなんて! アレブはみんなで仲良くしようと思ってここに来たのに!」

 友人であるメーニャも不満気だ。


「ふたりとも、誤解をしないでくれ。“敵”は翼の国そのものではなく、あくまでその一派、自然克服派の活動家たちだ」


「国は、王は克服派の支援をしている」

 アレブが短く言う。


「あまり責めないでくれ。我々が弱小の部族であるのはお前たちもよく知っているだろう? 生きるのに必死なんだ」

 あたりを伺いつつ、弁解する酋長の声調は低い。


 王子と娘は彼女の顔の疲れを読み取ると、不服を飲み込んだ。


 アレブたちはコナ族の村に滞在して数日になる。

 村の人びとはオオカミ襲撃の件の礼として、毎日もてなそうとした。

 王子はそういった扱いに慣れていたが、娘はむず痒がって村の手伝いを進み出た。王子も巻き添えに。


 村の役割分担。狩り、採集、水汲み。小さいながらも栽培や酪農の場もある。

 食だけでなく、彼ら伝統の織物や化粧や道具作りなどにも触れることになった。

 分担による効率化。それでやっと人並みの暮らし。

 森の恵みも確かに豊かであったが、危険は常に隣り合わせていた。


 王子は水汲みを手伝い、戦士に劣らず何度か獣から村の衆を護ったし、娘も毛織物を楽しんでいる最中に尻をヘビに噛まれ腫らし、呪術師の薬に世話になった。

 ふたりはコナ族の苦労を身をもって理解していたのだ。


「すみません。少し言い過ぎました。あなたの計画通り、ペン族を御することができれば、我々にとっても益となるのに。……ただ、どうやって服従なく併合するのか気になりますけど」

 アレブが言った。


「お前は精霊や呪術は信じていないのだったな」

 大巫女はしばらく考えるそぶりを見せると、腹を決めたとばかりに王子に向き直る。


「よし、私も手の内を明かそう。着いてきてくれ」

 ベリサマは村とは別の方角へ歩き始める。ふたりが続く。


「すまぬが、娘のほうは外してくれないか。国や部族の機密になる話が含まれる」

 ベリサマが手を上げると、メーニャの前にお付きの巫女たちが立ちはだかった。


「アルメーニャさまは村でおもてなしをいたします」

「そんな! ……なんだか、いろいろ心配だよ」

 巫女たちに押されるメーニャ。


「甘い飲み物をお出ししますよ。今朝に川で獲れた冬魚も焼きましょう」

「わーい!」

 メーニャは歓喜の声をあげ王子と酋長から背を向ける。……そして、近くに居た白馬に目配せをした。


『分かったわ』

 白馬スケルスはこっそりと王子たちのあとをつけ始めた。



 村から少し離れた森の中を少し歩くと、村で使われているのと同形の木組み小屋が見えた。

 外ではベリサマ側近の巫女が目を閉じたまま佇んでいる。


「お待ちしておりました」

 小屋に招かれるアレブ。囲炉裏のそばに腰を下ろす。さりげなく剣に触れ、感触を確かめる。


「他に聞かれてはまずいのでな」

 ベリサマも腰を下ろす。目を閉じた巫女は中には入ったが、入り口を塞ぐように立ったままだ。


「ここはなんの小屋なんですか?」

 鼻を鳴らすアレブ。


「流行り病に倒れた者を治療する……というよりは隔離する小屋だ。安心しろ、ここしばらく使っていないし、ちゃんと清めてある。においが気になるなら香草を焚こう」

 ベリサマは懐から草を取り出し、囲炉裏の火に撒き始めた。


 少しぎこちない動作。すべて右手だけで行われている。彼女たちの信仰では、こういった形式ばった動作が多かった。

 裸足で摘まなければならない実だとか、左手で混ぜなければならない薬だとか。

 草が燃え始めると、小屋はわずかに煙り、心地の良い香りに包まれる。


「……正直なところ、不安なのだ」

 若い酋長が呟いた。

「大衆の前で大巫女だ酋長だと、ああは気張ってはいれども、所詮は私もただの女だ。お前の疑う通り、精霊など姿を見せたことは無いし、かつての信仰も伝え手が残っておらず、正しい復活には至っていない」


「私も似たようなものです。王の息子といえど、現王が居る限り大した力もない。かつて信仰された神樹も枯れ、伝説の鳥もただのおとぎ話に過ぎません」

「見聞と為政の参考で訪ねたのだろう? 近く王位を継ぐ用意をしていると見えるが」


「おっしゃる通りです。先王や現王は私に王位を継がせようとしています。

 私はもうじき十五です。十五になれば大人として扱われます。

 それと同時に継承することになっているのです。楽なものですよ。歳さえ重ねれば王になれるのですから」

 王子は笑う。煙が鼻につく。


「また心にもないことを。血や時の鎖ほど恐ろしい呪いはない。このぶんだと継承が決まったのは最近の事なのだろう? お前からは焦りが感じられる」

「それも巫女の力ですか? 何もかも見透かされているようだ」

「冗談を申すな。あのまぬけの小娘にだって分かることだ」

 鼻で笑うベリサマ。


「友人をあまりこき下ろさないでください。あの子とはここ最近、ずっと一緒に居るんです。分かって当然です。彼女には私の無謀を多く止めてもらいました」

 少し声がとがるアレブ。権力者同士の話をするには、己はまだ若いかと苦くする。


「あの娘はお前の恋人か?」


「は?」

 虚を突かれる王子。


「王族に対して敬いがなさすぎる。友人にしては距離が近すぎるだろう。年頃の男女だぞ」


 ベリサマの指摘。言うとおりである。出逢ったころからメーニャはああだった。

 だがそれは、出逢ったころに王子という身分を隠していて、その上娘が天真爛漫な気質の持ち主だからである。

 アレブの身の回りに居る城勤めに、若い娘は居ないでもなかったが、誰しも“王子”として接していた。あらためての指摘に少々言葉に困った。


「いやそんな。だいたい僕は……私はもっとしっかりして、顔立ちの鋭いものを好みますよ」

 苦笑しながらアレブ。ふと森の魔女を思い出す。性格のほうは好かなかったが。


「ほう。ならば私にも機会があるということだな」

 女酋長が笑いかける。化粧越しでも分かる瞳の鋭さ。


「あなたも冗談を言うんですね」

「冗談なものか」

 左手で髪を掻き、右手で香草を火に足す。おんなの横顔。


「以前に言った。付き合うものを選べと。考えてもみるがいい。お前のすえは国王、私のすえは複数部族の権力者だ。我々が結ばれれば、周辺部族の調停も格段に楽になろう」


 ベリサマが身体を寄せてくる。

 身を引き入り口の巫女を見る少年。巫女は相変わらず目を閉じたまま佇んでいる。


「私はまだ若い。お前から見れば片手以上に年増かもしれぬが、子もまだまだ孕めよう。

 ……この化粧は街の者には少々面妖なのかもしれんが、顔立ちはお前好みなのだろう?

 これは麻の油を塗れば容易く落ちる。腹を割ると決めたのだ、素顔を見せるのもやぶさかではないぞ」


 煙に混じっておんなのにおい。ベリサマの指先が少年の頬を伝った。


「う……森の迷子と侮らないでもらいたい。巫女は舞台で化粧を変えるのでしょう? 今のあなたは、罪びとを贄に捧げる儀式の顔だ。色仕掛けと見せかけて、国ごと私を喰らおうという腹に、違いない」


 強くなるにおい。力が入らない。おんなの吐息が少年の首筋を濡らす。


「ふふ。うぶだな。酋長だろうが大巫女だろうが、所詮は女だと言った。お前もそれに同調したくせに。

 我が部族の男は、少々頼りがない。あやつらだけではこわいのだ。

 精霊の力などまやかしだと知っておろう。オオカミの太母を斬り捨てる剣。それこそが本当の力なのだと」


 王子の手が剣に伸びた。炎に光るやいば。女の手が優しく柄の端を押さえ留める。


「その迷いを孕んだ翡翠の瞳。汚れの足りぬカナリアの髪。私は、お前が欲しい」

 組み伏せられる少年。巫女が衣装をはだけさせる。囲炉裏火に照らされる妖女の半面。


 ――良い、香りだ。



『アレブ! この香を吸い続けてはいけません! 痛みで抗うのです!』



 声。王子の瞳が見開かれる。力を振り絞り、抜きかけた剣の刃に指を滑らした。痛みが抗う力を連れ戻す。


「離れろ!」

 両腕で女の身体を押しのけるアレブ。血が跳ねる。


「小僧と侮ったか。痛みを知るのは女だけだと思っていたが」

 拒絶された女が頬についた血を舐める。はだけたままの衣装。豊かな乳房。白い肌に施された王子の血化粧。


「……人目を避けたのは失策だったな。妙な香を焚いているようだが、力が弱ろうともお前ひとりを斬り伏せるのは容易いぞ」

 王子は毛皮の外套越しに息を吸う。右手には自身の血を吸った剣。床を湿った音が叩く。


「ひとりではありませぬ!」

 背後から声。とっさに身を引く王子。鋭い錐が空を切る。


「遅い! 皿洗いの娘でも、もっと機敏にやる!」

 王子は巫女が繰り返し突き出す錐をかわす。踏み込みの深い一突きを脇にやり、巫女の柔らかい腹にこぶしを沈めた。


「う……痛い」

 短い悲鳴と共にうずくまる巫女。乱れた髪、覗く首筋は少女のそれ。


「それで騙し討とうと? 拙い手だ」

 王子は追撃を控えながらも、冷たく言い放つ。


「いじめないでやってもらえるか。めしいの女なのだ」

 衣装を正しながら言うベリサマ。


「ずっと目を閉じていたのは気になっていた。めしいなど嘘だろう。避けねば錐は私の心臓を刺し貫いていた」

 王子は剣を構える。


「……ここまでしろとは言っておらぬだろう。お前はただ立っておればよかったのに」

 大巫女は王子の剣の前を素通りし、うずくまった背を撫でた。


「大巫女様。私は我慢ができませんでした。目が見えなくとも、耳で分るのです。あの子の剣の立てる音が。……鼻で分かるのです。あの子の香りが男に変わったのが」

 震える巫女の声。


「すまぬ。ひとりで王子を誑かすのは心細かったのだ。お前はめしいでも、誰よりもよく見えているのだったな」

 謝り宥めすかすベリサマ。


 めしいの巫女は立ち上がり、王子に顔を向ける。


「真に盲目なのは王子のほうです。ぬけぬけと敵地に足を踏み入れるなんて。

 男ですから、剣に自信がおありなのでしょう。

 己の身が危うくなっても、父の手で私たちなどひとひねりだと分かっているのでしょう。

 あなたに王の冠は多少大きすぎると見えます。ずれて視界を妨げているではありませんか!」


 開かれたまぶた。光のない瞳。


「もうよせ。我が奸計はしくじりに終わった。むざむざ斬られるような事を言うな」

 ベリサマが巫女を抱きすくめる。無防備な背。


「どの道、斬られるのですよ! あなた様も、私も!」

 女が叫びをあげる。


「耳に障る。静かにしてくれ」

 ため息と共に、王子が剣を納める。


「斬ることはしない。頭に血が上ったんだ。……きみの言う通りだと思う。

 他人の目で見ることはできない。僕には僕の目しかついていないのだから。

 それでもできる限りのことをしようと思って、ここへ来た」


 切れた指に意識を集中する。怒りは血と共に床へ流れる。



 ――危うかった。



 巫女を落ち着かせたベリサマは燻っていた囲炉裏の火に灰を掛け消した。

「王子よ。深く切りすぎているな。そのままでは血が止まらないだろう。指を見せてくれ」

 ベリサマが手を差し出す。王子は動かない。


「案ずるな。血止めの処置をするだけだ。妙な事はしない」

「分かった。……頼みます」


 静かな小屋。入り口の暖簾も開けられ、外の新鮮な空気が入り込む。


「私も昔は、ただの巫女だった。当時の大巫女に仕える、小間使いのような女だ」

 王子の指に薬が刷り込まれる。大巫女の手は傷だらけだった。


「巫女の仕事は儀式の手伝いだけではない。薬師や呪術師のまねごとも行う。

 実や草を摘むのも下っ端の仕事だった。草や葉で生傷が絶えない。寒い森だ。冬場はもっと酷くなる。

 それなのに採集は素手素足で行わねばならない。ばかげた習わしだろう?」


 薬が刷り込まれると、血はぴたりと止まった。


「当時から疑問に思っていた。

 目に見えない精霊を崇めて、盲目的に大巫女や呪術師たちを信仰する森のやりかたを。

 だがな、儀式や呪いはただの形式ばった動作なんかじゃないんだ。

 森に暮らす自分たちが驕らぬように、大地との関わりのたびに慎みを思い出すためだったり、危険を回避するためのものなんだ」


 包帯が撒かれる。慣れた手つき。形式ばった動作。


「だが、繰り返されるうちに本来の意味は忘れられ、ただの迷信めいたものになってしまう。

 先代の大巫女は高齢だった。長く居座り過ぎた。自分が崇められるのが当たり前になっていた。ずいぶんと勝手なことを繰り返したものだ」


 処置が終わり、大巫女の暖かな手が離れる。


「私腹を肥やし始めたのか……」


「そんな甘いものではない。村の富は大巫女に十二分と集まっていた。

 それでもあの女はもっと欲しがった。それは絶対に手に入らないもの、若さだ。

 我らは薬学に優れている。それでも手に入らないものだ。

 ……だから、持っている者から奪おうとした。あの老婆は若い女の矜持を砕くことで渇きを満たそうとしたんだ」


 王子の額に汗。入り込んだ外気が冷やす。


「大巫女はとんだ女衒(ぜげん)だった。コナ族は戦士が弱い。女はどこでも弱い。

 それでもこの弱小民族が大巫女を筆頭に長くやってこられたのは、手下の巫女たちに身売りをさせていたからだ。

 ペン族との付き合いも、そういうことだ。勇猛な戦士は良い客でもある」


 少年にとって知識どまりの世界。城下でも裏路地に行けば出会えるであろう、商売女。


「若くて見てくれの良いものが、ひとりづつ伽の役に就く。

 子を孕めば仕事ができなくなるからな。巫女をまとめてだめにしないための姑息な知恵だよ。

 一度に、一晩に何人も相手をさせられる。用のない昼までまたぐらが焼けるようになる。まるで火刑の生け贄だ」


「あんまりだ」

 王子にはそう言うのが精いっぱいだった。


「役目から帰ると、大巫女の屋敷に呼ばれる。大巫女直々に、仕事の内容を事細かに訊ねるんだ。

 戦士たちに粗相があってはいけないから、やつらを怒らせれば村はまるごと血に沈むから、とな。

 大巫女は伽役の話を煙草を吸いながら聞くんだ。お前が先ほど嗅いだ香草と同じようなものだよ。

 愉しそうに。まるで自分がすべての男を屈服させる若い娘になったかのように。大巫女は自分が満足するまで繰り返し話をさせた」


 淡々と語られる悪逆非道なる仕打ち。ベリサマは囲炉裏の火掻き棒を手に取った。


「あるときの伽役は、私の実姉だった。姉は美しく、そして優しい人だった。

 自慢じゃないが、私も姉によく似ていた。姉の次が私なのは誰でも分かった。

 姉はそれにとても心を痛めていた。自分の腹が大きくなれば、役目を下ろされる。姉はまだ幼かった私を護ろうと必死だった」


 妹だった女は、手にした棒を灰の山に突き挿した。繰り返し繰り返し、火掻き棒が山を抉り、灰を散らす。


「姉は自身の胎を叩き続けた。そうやって役目を長く勤め続けた。

 何度か繰り返しているうちに、姉は死んだよ。私の番だ。皮肉にも姉が引き延ばしたぶん、私は育って身体が丈夫になっていた」


 少年は逃げ出したい衝動に駆られていた。

 だが、ここから逃走すれば、王道は閉ざされる。玉座に尻を下ろそうとも、もはや彼が王となることはないだろう。


「意外とな、悪くないのだ。伽の仕事というものも。男どもも、いくら偉ぶって槍で突こうとも、水がめ無くしては生きてはゆかれぬのだ。私は男に屈してはいない。男が私に屈しているのだと」

 笑いながら話す。そこに自嘲は見当たらない。


「誤魔化しじゃ、ないんですか」

 喘ぐように訊ねる少年。


「解釈の違いや、気の持ちようなどではなかった。私は自分が異端だと気づいた。

 だが、それと悟られると婆巫女がうるさいからな。やつの前ではしおらしくしておいたよ。

 それでも、散々他の女が苦しんできたのを見て来たんだ、私も姉と同じように、あとの者のために長く務める覚悟だけはしていた」


 すすり泣き。泣き手は盲目の巫女。


「男は……そうだな。どれも母親の乳にがっつく赤子のようだったよ。ちょうど赤子から可愛げと成長を奪ったような」

 嗤う。

「……ただひとりだけ、伽の席に参加しないやつがいた」

 語り部の声色が変わる。


「ペン族の若き戦士だ。名を“ベレヌス”と言った。やつは他の男と違い、決して女に手をつけなかった

 。私だって、相手はいくらでもいて忙しい。取り立てて気にするようなことだとは思っていなかった。

 だが、実際に断られるとなかなか傷つくものでな。私は意地になってベレヌスを誘い続けたよ」


 懐かしそうに語る女。


「あいつは変わり者だった。女に手を出さないだけでなく、ペン族では珍しく読み書きができた。

 いつもどこか異国の教えを記した書を持ち歩いていた。普通、呪術師以外が文字を学ぶことはない。

 そんな無駄なことをしている暇があれば、身体を鍛えたほうがよっぽど有益だ。

 教えに敬虔な部族だ、異端の考えを持ち込めば、ふつうならば叩き殺されるだろう。

 だが、あいつは戦士としても一流だった。

 オオカミの群れでも、クマ相手でもナイフだけで生き延びることができたのだ。

 村の掟を破ってもなお、認められるほどの戦士だったということだ」


 ベリサマは王子の顔を見て少し微笑んだ。


「ある晩、あいつが私を呼び出したんだ。月の美しい晩だった。とうとう折れたかと、舞い上がったよ。……だが、あいつは私を抱かなかった」

「なぜですか?」


「“書の教え”だそうだ。まったく面喰ったよ。

 うちの部族じゃ教えなんてものは、すっかり私物化されてしまっているというのに。

 ベレヌスは私に説教をした。短絡的に、“こういうことはやめろ”とな。

 私は反発した。事情も知らぬくせにと、私が贄になることで他の巫女たちが、村が、部族が救われているのだと。……そしたらあいつ、どうしたと思う?」


「……」

 少年には想像もつかない。大巫女は友人に秘密を打ち明けるように、もったいぶってから続けた。


「……なんと、子供みたいに泣き出したんだ! 大の男がだぞ!

 勇猛果敢な蛮族の英雄が! “それではきみが救われないじゃないか”って。

 しかも、ずいぶんとまぬけな約束までした。

 “俺がペン族の長になったら、きみを娶って救い出す”だなんて。余計なお世話だよ。それまでずっと見てただけのくせに……」


 おんなのため息。深い深い、積年のため息。


「その翌晩からだ。私は伽の役が嫌になった。男たちが赤子ではなく、醜い獣に見えるようになった。

 ……だからといって、勝手に降りたり逃げたりするわけにはいかない。

 私には姉妹のように育った仲間が居たからな。夜伽の風習がある限りは、彼女たちの恐怖が終わらないのは分かっていた」


「……どうしたんですか?」

 質問をする少年。予想はついていた。


「殺したよ。大巫女の煙草に毒草を混ぜてやったら、それで済んだ。

 長年に渡って私たちを苦しめて来た鬼婆は、たったのひと呼吸で死んでしまったのさ。

 あれだけ殺しの好きな男どもとまぐわってきたというのに、私は何も学んでなかったのだろうな。答えはすぐそこにあったのだ」


 女の自嘲。


「ペン族は何か言ってこなかったのですか? 夜伽はやめてしまったのでしょう?」


「ああ……。それについては幸か不幸か、何も言ってこなかったんだ。

 実際のところ、こういったことをしていたのは、コナ族だけじゃないからな。

 実のならぬ木に進んで石を投げるやつなんて居ないのさ。ただ新しくて若い木を探しに行くだけ……」


「ベレヌスは?」

 王子が訊ねる。


「王子よ。お前は少々、失礼だな。これは何年も年前の話だ。あいつの言ったとおりに事が運んだのなら、お前のような小僧に色仕掛けをするはずなど無かろう」

 呆れ顔のベリサマ。盲目の巫女もなにやら文句を言う。王子は小声で謝った。


「とはいえ、あいつの消息については分からない。あれから数年が経っている。

 戦士だからどこかで死んでしまっているかもしれない。それに、顔も知らぬのだ。

 ペン族の戦士は大人になると仮面を被る。

 あいつも異国の教えにかぶれては居たが、それだけは守っていた。ペン族の男は伴侶以外には素顔を見せぬのだそうだ」


「探してはみなかったのですか?」

 アレブは助け舟を出してくれた白馬を思い出す。


「ばかを言うな、生娘じゃあるまいし。私は先代を殺したあと、大巫女となった。

 女としての力を使わずに部族を護るのは相当に骨が折れた。

 けっきょく、私は別の意味で女を捨てなければならなかったんだ。

 それに、今のペン族との関係は良好とは言い難い。

 今朝がたの諍いを見るに、攻め入って来る可能性まである。

 私の知るベレヌスが長に上り詰めているのなら、そうはならぬだろう……」


「なぜ、今になって争いに? 翼の国の件とは別物でしょう?」

 アレブは、森には中立こそいれど、克服派をおもてだって擁護する部族はないと聞いていた。


「そうか、ここまで話してみて、ようやく合点がいった。お前は何も知らないんだな」

 呟く酋長。「また馬鹿にされるのか」と王子は少々嫌になった。


「すまぬ。そういうことではないのだ。本当に知らぬのならば、お前には話しても問題ないだろう。私が村民の信を集めるのには夢見の力を使っているという話は知っているだろう?」

「はい」


「私が大巫女を殺した後、他の巫女たちは殺害を隠すことを提言した。

 村民に知られているのは大巫女は煙草の煙でむせて死んだというお粗末な話だけだ。

 私は遺言で正式に大巫女として指名されたことになっている。

 お前の疑う通り、私は精霊の声を聞く事ができない。

 それでも、信を繋ぎ止められたのは、巫女たちがそれを事実に変えるようにこっそりと手を回していてくれたからだ。

 失せ物を探して私の示す場所に埋めておいたり、恋仲の男女をとりもつように花吹雪をしかけさせたり。

 大概はくだらないことばかりだったが……ひとつだけ大きな事を成している」


 ベリサマは立ち上がり、燭台の皿を外して見せた。


「これは、燃える泥の上澄み?」

 鼻を鳴らす王子。


「そうだ、沼や地中から見つかる燃料だ。我々はむやみに森を傷つけない。

 木は伐らず、危険なオオカミの住む森に分け入って薪を集めていた。

 これはとある場所でまとまって見つかったものだ。相当な量が埋蔵されている。

 聞くところによると、翼の国の者が木を伐る理由のひとつに、冬を越すための燃料が要るというものがあるそうだな。

 この泥は翼の国の者だけでなく、大森林の外の国の連中にも受けがいい。

 これをもとに人里に暮らす者と交換を行って、村を豊かにしたのだ。

 村民から巫女として担ぎ上げられているのは、これの力によるものが大きい」


「これがあれば、調和派と克服派の争いを鎮める手になるかも……」

 王子は泥を見つめる。それは初めて森で娘と出会った時の、肉に塗られた香辛料に似た見た目をしていた。


「……解せぬのだ」

 酋長の眉が寄せられる。首を傾げる王子。


「これのありかを教えたのは、翼の国の城からの使いを名乗る者だ」


「い、いったい誰が……?」

 驚きを隠せない王子。


「分らぬ。素顔は頭巾で隠れていたからな。

 それに使いは何度か私の元を訪れていたが、声からして毎回別の者だったと思われる。

 本当にただの使いなのだろう。じつを言うと、“王子と小娘が来るからもてなせ”という話も、まえもって聞いていたのだ……」


 最初に王子たちと出会ったコナ族は、村外に居た男たちだ。

 成人の儀の日程では狩りや警戒は休みのはずだった。そして、村の人々の少々不自然にも思える柔和な空気。


「我々の暮らしを見に来たというのは何かの方便だと思っていた。

 色仕掛けなどという強引な手でお前を引き込もうとしたのも、

 使いがそういう意味でもてなせと言ったと思ったからだ。

 お前を上手く抱き込めば、そういうつもりだろうと、我々を滅ぼすつもりだろうと、こちらに有利にことを運びやすいからな」


 ベリサマは今更の釈明をする。だが、王子は思案に暮れて話を聞いていないようだ。


「王子よ、気を付けるがいい。お前の覇道の本当の敵は、森でも調和派でもないかもしれぬぞ。ヘビに腹を食い破られぬよう、気を付けることだな」


 王子の行動を監視できる立場にある人間。まっさきに思い浮かぶのは……。



「大巫女様! 大変です! 村にペン族が!」



 外から巫女が大慌てで飛び込んできた。


***

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