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.21 巫女と調和

 ぱちぱちと火の息吹。暖かさと柔らかな視線の中、少年は目を覚ました。


「あっ、起きた!」

 最初に目に入ったのは連れ合いの娘の顔。


「おはよう!」

 メーニャは、にこやかに朝の挨拶を投げかけた。


「ぼ、僕はいったい……」

 ひどい頭痛に頭を押さえるアレブ。


「憶えておらぬのか? 昨日のオオカミの襲撃を」

 木の天井。女の声。


「オオカミ……」

 歓喜に満ち溢れた人々の踊り。酒と料理のにおい。娘に掛けられた水。それから……血と恐怖の叫び。


「オオカミは!? メーニャは無事か!?」

 アレブは身を起こす。頭に響く自身の声。


「え? 私、ここ、ここ!」

 娘は自分を指さす。


「ああそうか……良かった。オオカミは?」


「憶えてないの? アレブがやっつけたんだよ。かっこよかったんだから!」

 はしゃぐメーニャ。


「ここは私の屋敷だ。アレブ殿よ。お前は死んだオオカミの下敷きになって伸びていたんだ。ゆっくり休むがいい」

 女の声。村の酋長ベリサマだ。


「……ありがとうございます」

 礼を言う王子。ほほえみが返される。王子は視線を外す。


 ベリサマの表情は先日とは違い、ずいぶんと柔らかい女のものになっていた。

 これまでコナ族特有の身体に穴を開けて通す装飾や、染料による鮮やかな化粧が目を奪っていたが、元の顔立ちはとても良いものであった。


「酋長、支度が整いました」

 戸を叩く音と共に女の声。

「分かった。すぐ行く」


「どちらへ?」

 アレブが訊ねる。


「葬儀だ。死人が出たからな。嫌でなければお前たちにも送ってもらいたい」

 立ち上がりながら言うベリサマ。


「是非」

 王子もついて行こうと立ち上がる。


「アレブ。立っちゃだめ!」

 娘が腕をひっぱり邪魔をする。


「心配ないよメーニャ。僕は元気だ。怪我もしてないよ」

 王子はにこやかに娘を窘めた。


「ああ、そうだ。言い忘れていたが、お前の服は血で汚れていたからな。洗わせている。気を失っておったから、勝手に脱がさせてもらったぞ」

 族長の女が目を細める。



 ……王子は立ち上がっていた。



 人びとの暮らし。森でも街でも付きまとう生と死。


「葬儀は儀式の広場で行う。ついてきてくれ」

 ベリサマが先導する。村は昨夜とは違い、厳かな空気に包まれている。外で肉を焼くものはなく、はしゃぐ子供も居ない。

 村と森との境界では香草を焚く女衆、槍を携えた戦士が付近を警戒している。


 小径(こみち)の先には広場があった。


 村と同様に、森を切り拓いて作られた円状の祭祀場。すでに村人が集まり始めていた。


 広場の中央には祭壇代わりの巨石が横たわっている。石は千年の歴史を苔むしていた。

 祭壇の前には香草の敷き詰められた木桶が二つ。

 そこには“だれか”が寝かされており、上にはそれぞれ毛皮が被せられ、さらに香草が撒かれていた。


 ふたつのオオカミの毛皮。よく似た模様のそれら。王子の手のひらに昨晩の感触が甦る。


 ――僕が刺したのは、果たして本当にオオカミだったのだろうか。


『おはよう、アレブ』

 祭場には白馬が居た。


「おはよう」「おはよう、スケルス」

 挨拶を返すふたり。


「お前たちの馬は、今朝からここで待っていたんだ。まるで、葬儀がここで行われるのを知っているようだ。頭の良い馬だよ」

 ベリサマが褒める。彼女にはスケルスの声は聞こえていないようだ。


『血のにおいはあまり好かないので、こっちに逃げていただけなんですけどね。ふたりとも、怪我などはしていませんか?』

 スケルスの心配に無言で肯くふたり。


「お前たちはそっちで適当に村の者に紛れているといい。我々の流儀は……知らぬだろうな。まあ、死者たちの来世での幸福を心の中で唱えてくれれば、それでいい」

 ベリサマはそういうと巨石の上へ登った。石の上の大巫女。石の下、左右にも別の巫女が付き従う。


 ベリサマの衣装は白を基調とした織物で、呪術的な化粧が顔に書き足されていた。ハシバミの杖を掲げるのを合図に、群衆は静まり返る。

 お付きの青い衣を着た巫女がしのびごとを唱えはじめる。


 死者はふたりだ。最初に腹を食い破られたであろう女と、半夜だけ大人になれた少年。

 祭詞の内容はおもに、死者が生前に起こした出来事について語られていた。それらが済むと、大巫女であるベリサマが杖を掲げ、祈りをあげる。


 ――我らを支える大地よ。今、ふたつの命が終わりを迎えました。血肉は土に還りあなたへ、魂は清められしかるべき時にうつしよへ。


 詠唱が終わると同時に、緑の衣をまとった巫女が桶へと火を点けた。


 油か何かが染みていたのだろうか、大きく光を放ち燃え上がる。

 高く延びる火柱。熱が風を起こし、騒めく森と共鳴する。


 群衆から鼻をすする音があがった。王子の横の娘もすすった。

 王子の鼻は肉や毛の焼ける嫌なにおいのほかに、何か別のものを嗅ぎ取った。昨晩、娘と酔いながらに嗅いだ火の皿のにおいだ。


 大地から採れた燃料は死者の肉を焼き尽くす。天に舞い上がる灰。

 空も何かに応えたのか、再びの降雪。短いあいだに激しくなる。

 大地といのちの炎は雪に揺らがず、ただ空へと吹き続けた。



 ……。


 酋長の屋敷。火を囲み座するのは家主の大巫女、世話役の巫女、王子と娘。

「昨晩の騒動鎮圧に助力してくれたことに礼を言う」

 ベリサマがアレブへと頭を下げる。


「いえ……もっと早く仕留められれば、怪我人も少なくて済んだ。至らなく申し訳ありません」

 アレブも頭を下げる。


「謙遜するな。つるぎの一刺しで大人のオオカミを倒せる男はそう居ない。村の戦士たちも褒めていた。正直な所、突っぱねるつもりで“信を得よ”と言ったんだ。だが、一晩でここまでの事を成すとはな」

 酋長の女が笑う。


「昨晩は少し酒が過ぎました。正面からの一匹であれば、オオカミを仕留めるのに手てこずりはしません」

 少年はさらりと言ってのける。


 誇張ではなかった。剣技に関しては王ハイクに厳しく仕込まれていた。

 捕らえてきた一匹狼を相手にさせられたこともある。

 アレブにとってのオオカミの恐ろしさとは、追跡や群れによる連携、そして森という地形の困難さからくるものだ。

 しらふであれば、昨日のような決闘で不覚をとることはない。


「さすが、あの王の息子といったところか。村の男どもが聞くと妬むだろうな。男の嫉妬は不快だ」

 違う角度で口元を釣り上げるベリサマ。息を吐き、表情を整える。


「成人の儀だろうと狩りだろうと、今後オオカミの仔は狙わぬよう命じておいた。

 昨晩、村を襲ったのは年老いた雌だった。本来、オオカミの雌があのように単独で入り込むことはない。

 恐らく、子を取り戻しに来たのだろう。儀式で持ち帰られたオオカミの母親に違いない」


「儀式自体を止めたほうが良いのでは? 子供ひとりで森に分け入るなんて無謀だ」

 王子は臆せず意見を述べる。


「そうだな。無謀だ。だが、無意味ではない」

「精霊、ですか」


「お前の言いたいことは分かる。精霊など居ないと言いたいのだろう?

 私だって、子供は精霊が護ってくれるなどと本気では思っていないさ。

 そうならば昨晩、オオカミに頭を噛まれることも無かっただろう」


「居ないと分かっていて、儀式を続けるんですか」


「居ないかもしれないが、問題はそういうことじゃない。成人すれば大人の保護下から離れることになる。

 それでも大人とは暮らさなければならない。決別しながらも仲間入りを果たすんだ。

 成人の儀はその心の準備だ。

 そして、大人になるのと同時に、森に入る仕事が与えられるようになる。前もって、その身に森の恐ろしさを刻んでおくんだよ」


 森の大巫女は信仰を理詰めで説いた。お付きの女は、目を閉じたまま黙って正座を続けている。


「そう意外そうな顔をするなよ。私たちコナ族とて、ずっと古代よりの教えを変わらぬまま続けているわけではない。

 お前たち翼の国と同じく、数十年前の大災厄で多くの信仰が揺らいだ。

 無条件に自然や精霊を崇める時代は過ぎてしまった。だが、森を焼くやりかたは、些か逆に振れ過ぎている。

 今こそ心を森へ還す時だと唱える者は多い。コナ族だけではない。

 我々森に生きる民も、過去の信仰や他の信仰を構築し直して、新たな時を生きようと必死なのだ」


「あなたは、森さえ焼かなければ話し合いの余地があると考えているのですね。森から出る気は無いのですか? ここでの暮らしはつらいでしょう?」


「当然だ。つらくないと言えば嘘になるだろう。

 だが、水に落ちてしまえば雨が怖くないように、森に入れば森の闇に怯える必要もないのだ。

 我々は永く森に抱かれて生きてきた。このつらさは特別ではない。生まれて死ぬまで。当たり前の事なのだよ」


「なるほど……」

 木こり小屋で暮らす娘が頷いた。


「それに、森を焼かずに済ます手も考えてある。じきに用意できるだろう」


「お教えいただけませんか?」

 少年が訊ねる。


「若いな。お前は王になる男だろう。これは各部族や翼の国との関係を決定づけるものだぞ。よしんば泰平が訪れたとしても、のちの力関係に影響してくる。私はコナ族の酋長なのだ。事は慎重に進めねばならん」

 先輩の諫言。


「ごもっとも……」

 王子がうなだれる。


「ここにしばらく滞在すると良い。なんでも私に訊ねてくれ。

 共に暮らせば、何か解決の手掛かりが見つかるかもしれぬ。

 我々を理解して、そちらの者に伝えて貰えばなによりだ。

 そちらの血の気の多い連中を制御してもらわねば、和平も盟邦もあったものじゃないからな。

 こちらとしても次期王と良好な関係が築ける僥倖だ、もてなしはする。昨晩の礼もあることだしな」


 ベリサマが手を差し出す。手を取るアレブ。硬く交わされる握手。


「わ、私も!」

 メーニャも手を差し出す。ベリサマは握らない。


「……そういえば、お前は何者なんだ。下女か? 歴々の王子の相手をするには、少しまぬけに思えるが……」

 長の女は眉をひそめた。


「家来じゃないよ! 私はアレブの友達だよ!」

 娘の勢いに目を丸くし王子を見るベリサマ。王子が頷く。


「……そうか。それは失礼した。王族でも友人を持つものなのだな。

 だが、同じ人を束ねる者として忠告させてもらうが、付き合う人間は選んだほうが良いぞ。

 人はその人のみならず、交友も見て人柄を判断するものだからな」


 斜に構え直し、笑うベリサマ。


「アレブ! この人失礼だよ!」

 声を荒げるメーニャ。


「ベリサマ。彼女は私の命の恩人なのです。彼女が居なければ、昨晩、私があの場に居合わせることも無かったでしょう」

 王子が擁護する。


「そうか。重ね重ね失礼した。アレブ殿は彼女を護る為に剣を取ったように見えたとも耳に入れていたのを忘れていた。お前は、王子に選ばれたのだな、小娘よ」

 すげない謝罪と余分な一言を残し、女は席を立つ。


 娘は頬を膨らませてその背を睨む。立ち去るベリサマ。


「……お赦しを。大巫女様は生来より辛酸を舐めて続けて、今の地位にお立ちになられたおかたなのです」

 それまで正座していた世話役の女が口を開いた。若い女。目は閉じられたまま。


「でも、人の上に立つならもっと優しくないと! お客さんに意地悪なこと言うべきじゃない!」

 騒ぐ娘の声に女がくすりと笑う。


「ベリサマはああ見えて、お優しいところもあるのです。きっと、お嬢さんの何かが羨ましかったのでしょう。彼女もそろそろ結婚相手を決めねばならない歳ですから」


「……」

 沈黙。


「……そろそろ、送り火が消える頃と思います。儀の続きをいたしますので、よろしければおふたりも」


 そう言うと女は立ち上がり、すり足で部屋を出た。彼女は終始、まぶたを閉じたままだった。



 遺体を焼いた炎が消されたあとに残ったのは、灰と小さくなった骨だけだ。いよいよ埋葬となる。

 村の中には小高い丘があり、いっぽんの樹が生えていた。今はもう枯れてしまってはいたが、それは意味ありげに残されていた。


 樹の前に大巫女が立ち、戦士が掘った穴に遺骨を埋め、巫女たちが灰を撒く。


「あれはなんの木なんだろう。この村の神樹?」

 メーニャがひとりごちる。


「あれはアンズの樹さ。今はもうあんなだけど、かつてはあれから採れた黄金の実を儀式のお供え物に使っていたんだ。伝説の神樹ほど大した代物じゃないかもしれないが、この村では枯れてからもずっと大切にしている」

 村人の誰かが答える。


「ふうん。もう実がならないのね。もったいない」

 枯れ木を見つめるメーニャ。


「灰を撒いて、これで葬式は仕舞いだ。あんたたちが村を訪ねてくれて良かったよ。下手をすれば灰だらけだったろう」

 女のひとりが感謝を示した。


「酔っていて手元がおぼつかなかっただけだ。次に来たらちゃんと仕留めるさ」

 戦士が不満を漏らす。


「何言ってんだい。あんた嫁さんに敷かれっぱなしだろうに。あのオオカミは年老いた母親だった。儀式で獲られたのはきっと、最後の子供だったに違いないよ。女の執念は男の矜持よりも遥かに逞しいものさ」

 女は戦士の背中を叩き笑う。


「勘弁してくれよかーちゃん……」

 戦士は鼻を掻いた。


 森の暮らし。男と女、子供と大人、巫女と戦士。各々が各々の役割を果たし、支え合って生きている。

 王子は村の中に平和と調和を垣間見た。


 ――彼らと生活を共にするのも悪くないだろう。


 国と近隣の未来を賭けて、王子は村への長い滞在を決めた。


***

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