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.2 おばあさんの助言

 翼の国の城の離れは、よく手入れをされた庭の中にある。

 低く茂る草の絨毯はきめ細かく、所々で群れをつくる灌木はよく手入れをされている。

 常緑の画面に差すように飾られる、色とりどりの花。人の手で作られた小川には絶えず澄んだ水が流れており、あたり一面に涼しさを提供している。


 庭の中央には、一本の樫の木が生えていた。


 場のあるじを主張するかのような立派な大樹。

 頭は優に三階建ての高さまで伸び、下のほうの葉は陽の光を得るために、下へ横へと必死に腕を伸ばしている。

 その枝にはどこからか入り込んだのか、リスやミソサザイが遊ぶ姿がみられた。


 どれもこの庭の持ちぬし、その人自身が手入れしたものである。

 この豊かな自然を思いつく限りに表現した庭。自然の創造は神の領域。真似たとて届くことのない禁断の世界。

 そこには人間の限界を表すかのように、ひとつ余計なものがあった。


 そびえ立つ石の壁。


 この花園を囲うように作られたそれは、樫の大木よりも高い壁に覆われていた。遠くを見ようとも鼠色に遮られ、どこか息苦しさを感じる。

 この壁が無ければ、庭は朝夕の刻にきっと美しい表情を見せたに違いないというのに。空を拝むためには真上を見なければならなかった。

 神の眼を避ける為か、あるいは神以外から見れぬようにする為か。何かの意図を感じる。

 だが、その囲いが“外”との違いを明確にしており、花園をさらに秘密めいたものへと昇華しているともいえるだろう。



 王子アレブはこの庭に住む人物に会うために、石壁と一体で作られた住まいを訪ねる。


「おばあさま、いらっしゃりますか?」

 いつもより、やや硬い調子で木戸を叩く。


「アレブね? どうぞお入りなさい」

 王子は「失礼します」と扉を開き、中の人物に一礼をした。


「おばあさま。今日はお訊ねしたいことがあって、ここに参りました」

 戸口で待つ王子。


「そんなところに立ってないで、中にお入りなさいな。ちょうど今、薄パンを暖めたところなの。良いジャムができてね。紅茶も、もう少しでできるから」

 部屋のあるじに促され、ようやく中へ踏み込む。

 還暦を超えてるであろう老齢の女性は、椅子に腰かける孫息子をちらと見やった。


 いつになく真剣なまなざしを湛えた少年。

 彼はここ最近、短いあいだで急に大人びたようになっていた。

 翡翠の瞳は物憂げで、跳ねたカナリアの髪と幼さを噛み殺した口元が愛おしい。


 彼女は湯呑に注いだ茶を出しながら、彼が切りだすのを静かに待つ。


「おばあさま。国民の為になる政治とは、いったい、なんなのでしょう?」

「さあ? なんなのでしょうね?」

 大仰で漠然とした質問にこらえながら返す。


「私はもうじき、王位を継げるようにならなければいけないのです。

 それなのに、今のこの国の民を満足させる手が考えつかない。

 書やマブから教わったものだけでは不十分なのです。ですから、かつて王として采配を振るわれたおばあさまの……」


 先王である女性は、薄パンにアンズのジャムを塗っている。


「ハイクが何か言ったのね」

 琥珀の乗ったパンをひとくち試し、孫へも勧める。


「はい、父は自分がいくさ場でいつ果てるとも知れぬからと。そうすれば、私が王位を継がねばなりません。ですが、私は未熟で……」

 少年の眼は、父の死よりも先のもので翳りを帯びていたようだ。


 先王はふたくち目に顔をほころばせると、「あの子らしいわね」と言った。

 ほんの少し前までは本のおとぎ話について訊ねたり、庭の動植物に興味を示していた少年。

 いつの間にこんな長口上を並べるようになったのか。彼女の口の中のジャムはわずかに苦みを孕んでいた。


「わたしも、大したことは知らないのよ」

 紅茶で苦みをごまかす。


「私の四倍も生きていらっしゃるのに?」

 アレブは回答を拒む女性に口を尖らせる。


「あなた、それはちょっと失礼よ」

 女性も同じく尖らせると、カップを置いてため息をひとつ吐く。

 咎められた少年はちょっとばかり思案した様子を見せると、相手を真似て薄パンをかじった。

 彼は固い薄パンが好きではなかった。いつも食事に出されるのは白くてふかふかのパンだったからだ。


「わたしもね、何でも知っているわけじゃないの。

 王をやっていたのはずいぶん昔だし、ここ数年は用事が無ければ壁の中に閉じこもっているからね。

 街は……人は刻一刻と変わるものだわ。きっと壁の向こうはもう、わたしの知らない世界になっている」


 窓から見える美しい中庭。その先に壁。部屋にも外向けの窓は設置されていなかった。


「それでも、経験や知識が役立たないということはないでしょう? おばあさま。お願い」

 ジャムが口を変えたのか、王子はいつかおとぎ話をせがんだときのような声で頼み込んだ。


「あらあら。耳が甘いわね」

 女性は王子に向かって笑うと、誰も居ない部屋をきょろきょろと見回し、口に人差し指を当てながらこう続けた。


「アレブ。頭で考えたり、本で読んだだけでは足りないとき、どうすればいいと思う?

 あなたが“わたしの経験”を役立てたいというのなら、ひとつだけ手助けできることがあるわ。

 いいこと? 政治や政策というものには、これといって決まった正解は無いの。

 何故なら、人やそれを取り巻く状況は常に変わり続けているから。

 少しでも正しい答えを見つけたいと思ったら、その中に飛び込んで、実際にいろいろ視て周るしかないわ」


「勝手に城を出るのは禁じられています」

 王子は生真面目に返した。


「だからこうやって、内緒でお話をしているんじゃない。まったく、お堅いのは誰に似たのかしらね。

 わたしが若い頃は、良くお城から抜け出したものよ?

 ……外の世界は広い。あなたの思いもつかないような考えを持った人や、文字では書き表せない景色がきっと見つかる。

 それに、今のあなたにはちょっと、新鮮な空気が必要に違いないわね。

 声はこんなに甘いのに、顔はなんだかどんぐりを噛んだみたいになってるわよ」


 少年を見つめる瞳。その瞳は空と森の狭間の色を湛えていた。


「騒ぎになります」

 王子は言った。


「ふふ、そうね。まあ、城の者は騒がせておきなさい。でも、市井を騒がせるのはまずいわね。

 外へ行くのならあなたは身分を偽ったほうが良い。そのまじめぶった“私”だとか、きれいに整ったカナリア色の頭だとか」


 そう言うと女性は、アレブの髪の毛を両手でくしゃくしゃにしてしまった。アレブは頬を赤くすると、二本の腕から逃げようと椅子から離れる。


「おばあさま! 私は外へ行くなんて言ってません!」


「“私”じゃないわ。“俺”……似合わないわね。“僕”にしなさい。良いわね。

 ついでに流行の服や料理についても調べてきてね。わたしはすっかり出不精になったからね。

 今までお話をいっぱい聞かせてあげたでしょう? 今度はあなたがわたしにお話を聞かせる番ね」


 構わず話を進める女性。まるで自身が行楽へ出かけるかのように声が弾んでいる。


「おばあさま!」

 少年の声には少々怒気が込められていた。

「ふざけないでください」


 女性はおでかけの声をしまうと、王子の祖母として彼に向かい合う。


「ふざけてなんていないわ。やっぱりあなた、外の空気を吸ってくるべきね」

 先王は王子の額に指をさす。彼と同じカナリアの髪が揺れる。

 その髪は老年とは思えない少女のような艶を湛えていた。


「アレブ・エポーナよ。国王ハイク・エポーナの母であるルーシーン・エポーナが命じます。

 城を出なさい。見聞を広めるのです。ハイクはいくさ以外で外へ出ないと聞いています。

 ならば現王の不足を埋めるには、目で見、耳で聞くのが最善。

 おまえはひとりの人間として城下へ赴き、森に足を踏み入れ、今の人々の暮らしや自然との関わりを知らねばなりません。

 壁の内に居るだけでは、現王は疎か、幼き頃のわたしよりも満足に仕事をこなすことはできないでしょう」


 かつての王の命。“おばあさま”を微塵も感じさせないそれは、王子の身体をフジの蔓で縛り付けるかのようだ。


「……分かりました」

 アレブも王子として答える。


「ですが、ひとつだけお訊ねしたいことがあります」

「なあに?」

 先王ルーシーンは早くも“おばあさま”に戻っていた。


「市井の声を聞けというのはごもっともだと思います。それは私……僕も考えたことがありますし。

 でも、自然との関わりとはどういうことですか? それが、人の世を良くすることに、何か関わりがあるのでしょうか?」


「……?」

 首を傾げるルーシーン。沈黙は長い。


「……おばあさま。ひょっとして、適当をおっしゃりました?」

「まさか! そんな質問がでるなんて思わなかっただけ。お城育ちだとそんなことも分からないものなのね」

 ルーシーンは腰に手を当てて鼻から息を吐いた。


「木材の扱いや、狩猟や畜産などを調べろということですか?」

 必死に正解を探すアレブ。


「うーん。そういうことじゃ、ないのよね。口で説明するのも、ちょっと難しいわね」

 部屋のぬしは急に壁に向かって歩き始める。


「どうしたんですか?」

 ルーシーンは質問を投げるアレブをよそに、石壁の出っ張った部分に両手を掛けた。



「どっこいしょおお!」



 まったく王家のものとも、老女とも思えない掛け声。

 石壁は横にずれ、開いた口から外の風景を映し出した。


「これね、秘密の出口。別に正面から堂々と出たって構いやしないんだけど、わたし、こういうのが好きでね。

 さ、アレブ。ここからさっさと外へ出なさい。それで……そうね。城下町よりも先に、森を見てきなさいな。お城の者へはわたしが都合をつけておくから」


 先王はいたずらっぽく笑うと、王子を手で促した。


「今からですか? 森に? 森には獣が居て危ないって」

 王子は慌てる。


「その腰に下げてる物は飾り? あなた、剣の稽古はばっちりだったじゃない。ドラゴンでもグリフィンでもまっぷたつでしょう?」

 アレブの腰を指さすルーシーン。

「ドラゴンもグリフィンもお話の中だけです! おばあさまだってそんなもの居るわけないって!」


「うん。居ないわね。たとえ話よ。たとえ話!」

 強引に少年を押す。


「まあ、魔女くらいには会えるかもしれないけど……」

 呟き。


「魔女? 魔女もただの噂でしょう? お城の者もたまに言ってますけど」

「さて、どうかしらね。それもあなたの目で見てきたらいいわ。さあ、お行きなさい。アレブ」

 すっかり壁の外へと押し出されたアレブ。城の裏手に当たるそこの先には、いまだ手つかずの森が両腕を広げている。


「おっかないな……」

 少年の口からついつい本音が漏れる。


 ルーシーンはそれを聞いてか聞かないでか、ひとつだけ少年に頼みをした。


「いい? 必ず生きて帰ってきてちょうだいね」


 アレブは「自分で行けと言ったくせに」と心の中で呟くと、先王ルーシーンに一礼をし、森の少年らしからぬ足取りで歩み始めた。


 こうして翼の国の王子アレブ・エポーナの、出会いと別れの物語が動き始めたのである。


***

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