.18 書とほこり
王者と老人たち、各々想いと企みを胸にしばしの月日が過ぎた。
落ち葉舞う季節。痩せた大地は少しでも力を蓄えようともがき苦しむ。
空から降るさらなる責め苦。腐葉の絨毯は白に覆われては現れを繰り替えし、次第に顔を見せなくなっていった。
王子アレブは国を見てまわった。権力者の出で立ちは、ときに眉をひそめられたが、それはそれで生の声が聞く事ができた。彼は非難から逃げるつもりはなかった。
いっぽう、メーニャは森に帰らず離れに住み着いたままだった。
子供好きの先王が世話を焼きたがったのもあるが、娘には娘で何か思うところがあるようだ。
彼女は王子の行脚にくっ付いて回り、憮然とした彼の横でにこにこしていた。
ときおりとげを立てる王子とは違い、彼女は人々に優しさと親切を振り撒いた。
ふたりは、出張らないときのたいがいは書庫に入り浸っていた。そこには国に出回っている書物のほとんどが並んでる。
人々を繋ぎ直すため、冬を越すための知恵を書から拾い集めようとした。
しかし、それらは既にルーシーンやマブが通った道でもある。知識は増えたものの、そのうちに王子は行き詰ってしまった。
「はあ……」
頭を抱えるアレブ。
「また、ため息ついてる」
少年の横で本を読むメーニャ。
「森を焼かずに冬を越す方法なんて見つからないよ。連中の争いを止めるのは無理だ」
アレブは焦っていた。城下の状況は思わしくない。冬が深まるにつれて国民の暮らしぶりは寒気を増していく。
乾いた寒気が人々に火を点けることもままある。視察に出るたびに、どこそこで争いを見かけていた。
「そもそもどうして森を焼いてるんだっけ?」
「メーニャはそんなことも知らないで僕にくっ付いて回ってたのか?」
「だってアレブ、ひとりだと喧嘩するでしょ」
ぐうの音も出ない少年。またまたのため息ののち、娘に森を焼く理由を説明する。
翼の国は森に囲まれている。高い木々、密度の濃い緑。内側の国土は痩せてはいたが、森の地中は豊かだ。
開拓することにより、有用な耕地が得られる。木材は冬を越す燃料や建材になり、灰は土地をマシにするのに使われる。
土地が貧しいだけが問題ではない。西から吹く風。砂を孕んだ乾いた風は、数十年かけて西側の森を枯らし、とうとう国にまで届き、作物に被害を与えていた。
別の方角の森の先には暖かい海があった。そこへは街道を通って行くことができる。
街道には湿った暖かい風が流れ込んでいることに人々は気づいた。
森を大きく切り拓き、風向きを変えることができれば、砂を被らずに済むかもしれないと考えた。
「そういうことでここ数年、躍起になって森を焼いてるんだよ」
「ふうん。風が欲しいなら、みんなで扇いだら良いんじゃない?」
重い本で扇ぎ風を送るメーニャ。アレブの鼻をほこりがくすぐる。
「あほか。人手が足りないどころの騒ぎじゃないよ」
「頑張ればなんとかなるかも」
メーニャはさらに強く扇いだ。くしゃみをする王子。
「……こっちは食べもので困ってる連中だらけなんだぞ。お腹が空いて倒れるのが先だよ」
「タラニスに翼で扇いでもらおうよ。あんなに大きな鳥さんだよ。ひと扇ぎで海からお城まで届くよ」
「あいつはだめだ。寝てばかりじゃないか」
腹探る会合のあとも神鳥タラニスは離れの庭に居座っていた。
初めのうちは「暗殺者がどうの」とか言って、寝ずの番を頑張っていたが、眠気の言った「暗殺者なんて来やしない」というありがたい意見を呑んで、最近は朝晩問わず寝息を立てている。
せいぜい、深夜に食事のために狩りに出かけているくらいだ。
王子はだめで元々と、知恵者の鳥に教えを乞うたが、
「王ハイクは剣によって国を支えている。ルーシーンは神鳥であるぼくの力を使った。
きみはそれ以外の方法を見つけるんだ。ふたつだけでは争いになる。
複数の異なる力の均衡が得られれば、長く安定しやすいだろう。
まあ、きみは鷹の仲間入りをしたいミソサザイってところだ。仲間入りをするためにはまず、力を示さないとね」
と、一応の助言はくれたものの、具体策については触れてくれなかった。
ともあれ、森の問題の解決を提示できれば、先達にも国民にも力を示すことができるだろう。
「じゃあ、ウシやヒツジをたくさん育てよう。お肉たくさん食べれるし、うんちは肥料になるよ」
「その家畜の餌も足りないんだろ」
「森にはたくさん食べ物もあるし、動物も居るのになあ。森を焼くんじゃなくて、全部森にしちゃえば? 木の実をいっぱい蒔いてさ! いっぽんの木から実はたくさん採れるよ。ひと粒でも木になれば、きっと上手く行くよ」
「森にしてどうするんだよ。森は危ないんだぞ」
迷子の経験者が言う。
「私は森に住んでたけど。……ううん、私だけじゃない。森の中にはいくつも集落がある。その人たちにどうやって暮らしているのか聞けば良いんだよ!」
良い思い付きだと両手をうつ娘。黒髪がぴょんと跳ねた。
「料理屋の喧嘩でもあの扱いだったんだ、敵対部族に王子だとばれたら、それこそぶち殺されるに違いないよ」
「みんながみんな、いがみ合ってるわけじゃないんでしょう? 話を聞いてくれそうなところに行こうよ」
「……そうだな。おばあさまに心当たりがないか、聞いてみよう」
少年はしばし思案をしたのち、頷くと書庫をあとにした。
「私は本の続きを読んでるね」
見送る娘。本を開き直し、視線を落とす。
メーニャが読書に勤しんでいると、意外な人物が書庫を訪れた。
少年が戻ったものだと顔をあげた娘だったが、いかつい表情をした珍客に驚き、ついつい机の下に隠れてしまった。
「まったく。鍵も空け放ちで。過去にはさして興味もないが、事情が事情だ」
独り言を言う男。
「このまま母上に好き勝手させてなるものか。老いても母親面しおって。
しかし、あのような鳥を見せられては俺としても黙っておけない。俺にだって王としての誇りはある。
……伝説やおとぎ話は信じないくちだが、この目で見てしまってはな」
男はメーニャに気付かない。本の表紙同士がこすれたり、机に乱暴に落とされる音が響く。
「夢寐にも運気は動くというのは戦場の基本だというのに、こちらのほうでは昼寝が過ぎたようだ」
本の音と独り言が収まる。しばらくして、紙をめくる音。
やって来たのは翼の国のあるじ、王ハイク。
メーニャが書庫に居るのは別に勝手ではない。
王子や先王からの許可は得ていたし、ハイクも彼女が城の離れに住み着いていることを特に咎めていなかった。
だが、剣に頼る武骨な男がここに現れた異様さが、彼女に姿を現すことを固く禁じさせていた。
「……」
しばしの沈黙。メーニャは自分の鼓動がハイクに伝わらないか、気が気ではなかった。
なぜ隠れたのかと問われれば困るし、アレブが戻ってきて顔を合わせれば喧嘩を始めるかもしれない。
彼女は「何ごとも起きませんように」と祈り続ける。
少女の願いは届き、王は乱暴な足音と共に退室して行った。
恐る恐る机の下から這い出す。机の上には出しっぱなしの書物が山積みになっている。
長く触れられない本もあったのだろう、山の上には紙魚が這っていた。
メーニャの眼に一冊の開かれた書が映る。
題名は『モルティヌスの記録』。
かつてルーシーンの教育の長を務めた男の書き記した本。
彼が城に入る以前の歴史から没するまでを記した、史実に一番近いとされる書。
メーニャはため息をつくと、虫を追っ払い、散らかされた本を家に帰す作業を始めた。
本の片づけが終わると、アレブが戻ってきた。手にはなにやら丸めた羊皮紙を持っている。
「メーニャ。出かけよう」
「どこへ?」
娘は服のほこりを払いながら訊ねる。
「北の森へ。コナ族に会いに行く。コナ族はひいお爺さんの子孫が作った部族らしい。遠い親戚だ。おばあさまが親書を書いてくれた。これならきっと、話を聞いてもらえる」
王子が声を弾ませる。
「いいね。すぐに支度しよう」
「少し遠くに足を延ばすことになる。スケルスにも来てもらおう」
「大丈夫かなあ……」
メーニャが不安げに呟く。
額に枝の生えた白馬スケルス。彼女は長年の旅のすえに、連れ合いだったタラニスに逢うことができた。
しかし悲しいかな、タラニスは彼女のことは忘れてしまい、声も届かなくなっていた。
……彼女は最近、『諦めて馬として生きる』などと言い出し、大人しく城のうまやに納まってしまっていたのだ。
「スケルス。きみの背中を借りたい。北の森の集落に行きたいんだ」
アレブが声を掛ける。
『ヒヒーン! そんな気分じゃないわ。それより、聞いてください。今日は王のお気に入りの馬と競争をして、勝ったのですよ!』
白馬が自慢げに話す。
「何やってるんだ。目立つといくさに連れていかれるぞ」
眉をひそめるアレブ。
「そうだよ。死んだらお肉屋に売られちゃうんだよ」
メーニャも咎める。
『王なら心配いりませんよ。私の事を見て、美しい馬だ、傷つけるのは惜しいと、おっしゃいましたから』
鼻先をつんとあげる白馬。
「そうか、ならいいんだけど……。さあ、行こう。頼むよ」
『私は、ただの馬のように使われたくないわ。世話人が私を連れ出すときは、いつもこう褒めるのよ“土を叩く蹄は竪琴のよう、疾く走る脚は森の霧を払う風のよう、たなびくたてがみは女神のおぐしのようだ”って』
ぷいと顔を背けるスケルス。
――ただの馬。巨鳥に餌と間違えられる、ただの馬。
不思議な“種”である彼女だって、一個人である。食われて死ぬのは御免だし、気分で振舞いが変わることだってある。
出会ったころの気品はどこへやら、彼女はすっかりひねくれていた。
「……そのしなやかで、逞しくて美しい躰を、王の息子と友人である僕らのために使っておくれ」
なんとか手伝ってもらおうと媚びる王子。猫なで声だ。メーニャが片眉をあげる。
『褒めるのが下手くそね。なんだか、いやらしいわ』
「アレブ、いやらしいよ」同意する娘。
王子は頭を掻いて、次の言葉を組み立て始める。ええと、森を駆け抜ける一陣の風のような……うんたらかんたら。
「……ええい! あなたは馬じゃなくて、“種”でしょうが。仲間に会わせるのに骨を折ったんだ、ちょっとくらい手伝ってくれても良いじゃないか!」
やけっぱちの詩人は、遠方の女神ミューズと別れる。
『……まあ、いいでしょう。私の脚は、ばかな鳥になんて捕まらないくらい、早く走れますからね。北の森でも、西の砂漠でも、ひと駆けですよ!』
こちらはこちらでやけっぱちだ。
『はいはい、それじゃあ行きますよ。ヒヒーン!』
王子と娘は顔を見合わせ肩を竦める。
白馬にまたがり、王子と娘はふたたび旅に出た。
王家の縁戚、コナ族の住む北の森へと。
***