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.17 動乱のはじまり

 ほんの視察のつもりだった王子の行脚。


 気付けば王子は数日ものあいだ、留守にして城内を散々騒がせた挙句、人の未来を揺るがす厄介な馬まで連れて来た。

 そのうえ、神鳥が国に呼び戻され、こちらはこちらで知られれば国が根底から変化しかねない事態にまで発展。


 どれもこれも、先王ルーシーンのせいである。


「今日のお夕飯はじっくり焼いたイノシシのお肉に、甘酸っぱいリンゴを使ったソースをたっぷり」

 料理を持ったルーシーン。城の厨房から運び込まれたお手製の料理が暖かい湯気をあげている。


「やった! イノシシ!」

 もろ手を挙げて肉を歓迎するのは、森の娘アルメーニャ。彼女はすっかり城の離れに居ついていた。


「……」

 横でくたばっているのは王子アレブ。


 彼は連日に渡って教育係マブからのお説教の猛吹雪を受け、それが済んだかと思えば「勉強の遅れを取り戻しますよ」と椅子に縛り付けられ、身体がすっかりかちかちに硬くなっていた。


「おばあさま、留守のあいだは計らうっておっしゃってませんでしたっけ……」

 突っ伏した凍死者が呻く。


「そんなこと言ったかしら? ほらアレブ、そこから頭を退けて、お料理が置けないわ」

 生気のない顔をどかす王子。


「アレブ、元気出してこ! お勉強して立派な王子様になるんだよ!」

 メーニャが激励する。


「……勉強。勉強か。机の上で学んで得られるものは知れてる。知識ばかりじゃなくて、経験から具体的な打開策を考えて……」

 亡霊のように呟く王子。


「マブはお堅いからねえ。ひとりであれもこれもやろうとするし。あなたが戻ってきて、いっそう忙しくなるわね」

 食事を並べるルーシーン。焼いた猪肉の他には野菜のスープとふわふわの白パンが用意されている。


「忙しいのなら、放って置いてくれてもいいのに。街を見て周るだけでも得るものは多いと思うけど……」

「しばらくは出してもらえないと思うわ。見張りの兵まで増やしてたし。それとも、また裏からでる?」


「いや……」

 アレブは裏から出ることができなくなっていた。


 離れの裏から城下町の中へ行くには、長時間歩かねばならない。

 馬ならば大して時間が掛からないのだが、肝心のスケルスがすっかりだめになっていた。


 タラニスがさっぱり自分の事を憶えていないうえに、声が聞こえないことを悟った彼女は、ときおり草を食んでは昼寝をする巨鳥を見つめ、人の声でため息を繰り返すばかりになっていた。


「スケルス、すっかり元気なくなっちゃったからね……かわいそう」

 メーニャもため息をつく。

「失恋したようなものですからね」

 肉を切り分けるルーシーン。

「ねえ、おばあさん。タラニスのご飯は?」

 肉を食べながらメーニャが訊ねる。

「彼には厨房からくすねてきたくず肉をあげたわ」

「何か作ってあげないの?」

「面倒くさいわ。昔はいろいろ作ってあげたものだけど、何をあげても喜ぶのよね。彼はばか舌なのよ。鮮度くらいは分かるみたいだけど、生きた馬を与えるわけにもいかないし」

 鳥の主が鼻から息を吐く。


「そうだ、この前またタラニスが寝ぼけてスケルスを食べようとしてたよ」

「まあ。困った子ね。スケルスをうまやに移したのは正解だったわ。仮に彼女にほかの身体を用意したって、タラニスのほうがあの調子じゃ、どうしようもないわね」


「こっちとしてはスケルスが自棄にならないなら、大人しい今のほうが良いんだけど」

 王子がぼそり。


「アレブ。最低だよ」

 メーニャが口を尖らせた。


「そうよ。あなたは少し無神経だわ」

「おばあさままで! 最初は会わせるのをあんなに渋ってたくせに!」

 声をあげる少年。


「なんだか可哀想になってきてね。彼女だって何百年もタラニスを探して旅をしてきたのでしょう? それがこんな結末じゃ、あんまりですもの」

「何かいい方法ないかなあ」

「僕は国のほうが心配だけど。おばあさま、タラニスを人前に出すのはいつにするのですか?」

「まずはハイクが戻ってきて、話をしてからね。さすがに王様を無視しちゃまずいから」

 アレブが帰還した日。すれ違うようにハイクは城外へ遠征に出ていた。


「父さんはまたいくさか」

 剣を振るう父が思い浮かんだ。上等なはずの食事が胃をむかつかせる。


「今回は斬り込みじゃなくて、警戒だってマブが話してたわ。森のどこかを掘るそうよ。燃える泥が出るとかで」

 地下に埋蔵された化石燃料。付近でたまに見られる資源だ。


 この国の冬には火が欠かせない。

 普段は伐採した木材を薪にしているが、木材は用途が多く、そのうえ、危険地帯の開拓では資源でもある獣ごと焼き払われてしまう。

 よって、ほかの手段で火を焚く事の優位性は大きい。


 そのため、国や克服派の事業として化石燃料の掘削が行われていた。

 これの発掘作業も風車と同じく、巨鳥が伝えたとされている。


 アレブは鳥の知識を当てにし、国を立て直す手はないかと相談をした。

 しかし返ってきたのは、けんもほろろの「わからないね」。それどころか、風車や油の精製の技術を伝えたことを否定した。


 タラニスが言うには、教えたのは彼ではなく別の種、つまりは神樹か祭司長だろうとのことだった。

 それを当時の教育長だった男が書にまとめ、のちに神鳥を崇拝する国に都合の良いように改変したのだろうということである。


「資源は資源だ。木が伐られなくなっても、人が斬りあうのは止められないだろうな」

 王子は匙が止まったままだ。


「アレブ。食べないの? 貰っちゃうよ」

 自分のぶんを平らげた娘が視線を送る。王子は慌てて食事をかき込んだ。



 王の帰還後、先王ルーシーンは離れの庭にハイクとマブを呼んだ。いよいよ神鳥と対面させるつもりらしい。

 アレブは難しい顔をしてふたりを待ったが、平民のメーニャはお偉いふたりに会うということで、すっかり緊張してしまっていた。

 「別に無理に顔を合わす必要もない」とアレブは言ったが、「せっかくだから、ご挨拶をしたい。おばあさんにもお世話になっているし」と譲らなかった。


「母上。いったい何用ですか。こんなところに呼び出して」

 ハイクが不満そうに言う。出先で想定していた戦闘が起らず、鬱憤が溜まっているらしい。

 彼はその視界に行方不明だった息子を収めつつも、特に反応を示さない。


「こんなところなんて失礼ね。今日はね、あなたたちに会わせたい者があるの」

「会わせたい者。そちらの子供ですか?」

 マブがメーニャのほうを見る。


「そうね、彼女もその内のひとりね」

 ルーシーンが促すと固まった娘が一歩前へでた。


「ア、アルメーニャです」

 メーニャがお辞儀をする。


「彼女はアレブが外へ出てたときにいろいろと世話を焼いてくれた子よ。メーニャが居なければ、今頃はオオカミのうんちになってたわね」

 けらけらと笑うルーシーン。


「ほう。それは大義だ。例を言うぞ」

 ハイクが手を差し出す。恐る恐る王の大きな手を握る娘。


「ど、どういたしまして」


「うむ。健康そうな娘だ。俺の祖父は絶倫だったと聞く。今の俺たちの親戚縁者は、増える前にいくさでいのちを落としがちだ。励めよ、アレブ」

 王は珍しくも息子へと笑顔を向けた。「そんなんじゃない」と抗議する王子。

 メーニャもけっこうな事を言われたはずだったが、緊張のためか右から左だ。


「……はあ!」

 大きなため息。一同はそのぬしを見る。


 教育係の女マブは恩人へと挨拶もせずに説教を始めた。


 お説教は「そういった乱れた行いは王家としての品性が疑われる」という王子への濡れ衣から始まり、「王子の相手ならもっときれいにしてないと」と娘への嫌味へと移った。

 これに対してハイクは「女など若くて健康ならなんでもいいだろう」と鼻で笑う。


 マブは王の言葉を「親しくなって企みがあるかもしれない」と娘へ無礼で受け流した。

 メーニャはいきなりの窮地に閉口したが、王子がいきり立ってそれを否定した。

 ご立派な友人の擁護には「彼女にそんな頭があるとは思わない」となかなかの無礼が含まれたが、護られた娘は満更でもない顔をした。


 先王と現王は「どうせなら、そのくらい肝の据わった女のほうが良い」などと妙な擁護を飛ばして笑う。

 孤立した教育係は「私だってひとり身なのに」と、いよいよ本音を零してお説教は幕を閉じた。



「それで母上。“彼女もその内のひとり”と言ったな。他にも誰か居るのか?」

 ハイクが訊ねる。


「ええ、それじゃ、そろそろ出てきてもらおうかしらね。……タラニス!」

 ルーシーンが茂みへ向かって呼びかける。

 返事がない。


「タラニス! ちょっと!?」

 一同は茂みから覗く枯れ葉色のかたまりに気付く。それはゆっくりと上下していた。


「まったく、あの子ったら!」

 ルーシーンはのしのしと茂みのほうへ歩み行くと、惰眠をむさぼる鳥の身体をひっぱたいた。

「起きなさい! 出番よ」

「眠いよルーシーン。あと少しだけ」

「夜もちゃんと寝てたでしょうに。ほら、起きて!」


 ルーシーンが再びひっぱたく。しぶしぶ身を起こすと、ぶるりと身体を震わせ、人間たちのほうへ向き直った。


「あっ……」

 巨鳥が茂みから顔を出し、声をあげた。どうやらハイクらの存在に気付いていなかったらしい。


「きょ、巨大な鳥だと……」

 目を丸くするハイク。


「ば、化け物……」

 マブは腰を抜かしてへたり込む。


 神鳥は人間たちが自分好みの反応を示したのを見て、胸を張り、両足を器用に使って歩き始めた。



 ――我が名はタラニス。翼の国の守護者にして、大空を翔る神鳥なり。


「人語を操るのか! 神鳥は伝説ではなかったのか!?」

 庭に響く巨鳥の声。ハイクは驚きの余り、神鳥にひざまずいた。


「ハ、ハイク様。お下がりください。とって喰われますよ!」

 震えた警告。


 ――人の子らよ、畏れることはないぞ。


 偉ぶる鳥。畏まる人間。真面目なやりとりに、鳥の知人達は笑いを堪えた。

 別の意味で震える友人たちを見た鳥は、肩の力を抜いてため息をついた。


「母上も人が悪い。このような大事を隠しておられたなんて。かつて“双頭の鷲”と恐れられていた話は、脚色ではなかったのだな……」

 額に手を当てるハイク。これもまた、珍しい表情だ。


「そうよ。別に隠していたわけじゃないのだけど。わけあってタラニスは長く国を離れていたけど、つい最近戻ってきてもらったの」

「戻ってきてもらった? 母上が呼び寄せたのか?」

「そうよ」


「神鳥はかつて、我々に知恵と力を貸したというが。今の国勢には神鳥の力は不要に思えますな」

 王は神を前にして臆せず言った。


「どうして?」

「火を焚き灰を撒けばよいではないですか。この国は長くその手でやってきた。うるさいの連中も、俺が自ら斬って捨てている」

 腰の剣を叩く王。


「それが正しいかは置いて、人々は不安を抱えているわ。何かすがるものが必要よ」

「軟弱な考えですな。俺は人間は追い詰められたほうが力を発揮すると考えています。何かに護られるのは女子供だけで充分だ!」

 不満そうなハイク。剣による力の誇示を疑わない。

「……母上よ、このことは国民に知られているのですか?」


「じきに教えるわ。国はもう一度、ひとつにまとまるべきよ。人間同士で争っていても、冬は越せないわ」


「勝手が過ぎますな。母上は王を退いた身でしょう。老鳥には引っ込んでいてもらいたい」

 王が睨む。


「剣を振るばかりで、国民をろくに見ないあなたに言われたくないわね。城への不満は高まっているわ。あなた、いつか背中を討たれるわよ」

 睨み返す先王。


「結構。逆賊は斬り捨てるまででしょう。俺が死ねばそれは、俺が間違っていたということ。今はまだ生きております」

 薄笑いを浮かべるハイク。


「愚かね。育てかたを間違えたかしら」


「親は無くとも子は勝手に育ちます。我が父も、俺が幼いころに戦場で果てた。

 母上も幼少に両親を失っておるでしょう。

 俺がいくさに明け暮れようとも、アレブもおとなになった。母上は何も気に病むことはありませんぞ」


 ハイクが口を歪ませる。


「それなら、わたしも勝手をさせてもらうわ。わたしは若い頃から我慢し通しだったから、あなたにはなるべく自由にさせたつもりだけど、それは失敗だったみたいね。今の人々の心は荒み切っている。剣と血じゃ救えない」


「先ほども申しあげましたが、母上。あなたは一度王位を引いた身。大それた口出しのできる身分ではないでしょう」

 にらみ合う王と先王。


「……アレブに決めさせましょう。彼はもうじき十五。

 あなたが早くに王位を継いだように、彼にも王位を継がせる。

 あなたも最近、アレブと問答をしているそうね。異論はないでしょう。王位は継がせても、いくさはあなたが出ればいい」


「それは構いませぬ。息子に家を継がせるのは男の本懐。

 楽しみのいくさが取り上げられぬのならば、これ以上の事はない。

 だが、先王ルーシーンよ。この鳥を国民に晒すことは認められぬな。これは、現王の決定だ」


 ハイクは顔を逸らせ、母と巨鳥を舐めるように見た。――枯れ木。


「神鳥タラニスよ。かつて我が国に知恵を与え、力を貸してくれたことは感謝する。

 だが、今は神の世ではなく、人の世なのだ。

 今後は草木と精霊ではなく、鉄と炎が世を牽引していくだろう。人の後始末は人でつける。あなたの出番はない」


「そうか。良い心がけだ。現王であるきみが言うなら、ぼくはくちばしを挟まないことにしよう。

 だが勘違いをしないで欲しい。ぼくは国に仕えていたわけではない。彼女の友人だったから翼を貸していただけだ」

 タラニスが言った。


「鳥と人が友人などと。どうやら母上の唱える愛や友情などの世迷言は、あなたのせいだったらしい。

 人の歴史は裏切りの歴史だ。

 今、この国を囲っている敵対勢力も、かつてはこの国のともがらだった者が多い。人間は神が思ってる以上に、薄情なものなのです」


「それも否定はしない。ぼくだって誰とでも仲良くなる気はないし、人間は愚かだと思ってるからね。

 争いのいきつく果ては、形ある力がものを言うのだろう。言葉よりも、ひとかけの火打石のほうがよっぽど有用だ」


「違いない。さすが神の鳥。道理を分かっている」

 ハイクは不敵に笑うと、顔を息子へと向けた。


「アレブよ。聞いての通りだ。近いうち、お前に王位を継がせる。おまえは学べ。せんのように市井に下るのも良いだろう。あるいは、俺について共に蛮族どもを斬るのも一考ではないか?」


「私は人を斬りません。父上」

 王子が言う。王へ向けられる目は侮蔑。


「ふん。頑なだな。好きにするがいい。だが、これだけは覚えておけ。吠えることのできない犬は、ヒツジの群れにオオカミを近づけることになるのを」


「オオカミならば人ではないでしょう。そのときは喉元に喰らいつくまでです」

「よく言った。……飼い犬が畜生に落ちねば良いがな」



 王ハイクは外套を翻し、庭を去った。……母と息子を残して。



「はぁー! おっかなかった!」

 場の緩むひと声。メーニャはずっと息を殺していた。


「きみの周りはなかなかの曲者ぞろいだな。血は争えない」

 鳥が王子を見て笑った。


「まあ。それってわたしも含まれるのかしら?」

 ルーシーンが口を尖らす。


「きみがいちばん厄介だろう? さっきの発言は、王への謀反とも取れるよ。ぼくは要らないと言われたが、やはりここを離れることはできないな。いつ、きみに暗殺者が差し向けられるとも分からないし」


「あの子はそんな姑息なことはしないわ。ハイクが本気になったら、わたしはもう斬り伏せられているでしょうね」

「おばあさま、恐ろしいことを言わないでください。親殺しなど」


「本当はもう少し穏便に済ませるつもりだったけど、おおよそ予定通りにはなるわ。アレブ、この国を救うのはあなたよ」

 ルーシーンが嬉しそうに言った。


「僕は、正しい事がしたいだけだ。王位を継ぐのが目的じゃない。いくさに明け暮れる父は愚かだとは思うが、これでは……」

 うつむくアレブ。


「そうだよね。アレブの家族が戦争だ……」

 娘が少年の肩に手を掛ける。


「やってしまったものはしょうがないわ。許してね。でも、家がどうあろうとも、いずれ巣立ちの日は来る。

 あなたはハイクの息子で、わたしの孫。でも王子であり、じきにこの国のあるじになる身。他の雛鳥はあなたをしるべに飛ばねばならないのよ」


「分かってます……」

 少年の表情は暗い。



 ……。


 さて、王が立ち去るよりもわずかに早く、超常のお披露目会場から去った者がひとり居た。


「大変だ大変だ!」

 王子の教育係、国の面倒の押し付けられ役、行き遅れの女、マブである。

 彼女は城内を駆ける。たったひとりの頼れる者にすがる為に。


「お母さま! 大変です!」

 葡萄酒の香りの中に飛び込む女。


「なんだい。騒々しいねえ」

 老婆がげっぷと共に迎える。倦怠な声とは裏腹に不敵な表情。マブの母メイヴ。


 マブは離れで起こったことをすっかり話して聞かせた。

 見知らぬ娘が離れに住み着いたこと、伝説の実在、先王の腹、王位継承の足音、ついでに王子の乱れた行い。


「へえ。タラニスが帰って来たんだねえ」

 盃をあけながら呟くメイヴ。

「お母さま、驚かれないのですね」

「そりゃそうだよ。見たことも、口を利いたこともあるよ。私が嫁いできたときには、あの鳥は既にこの城で昼寝三昧だったしねえ」

 懐かしそうに言う酔っ払い。


「どうして今まで教えてくれなかったんですか? 神鳥の事はおとぎ話だと思っていたのに!」

 声を荒げるマブ。


「世間様でもおとぎ話だろうね。たった数十年前の事も忘れてしまう。おまえも、ほんのがきんちょだった頃にあの鳥を見ているはずなんだが」

「さっぱり覚えが」

 目を丸くし、首を傾げるマブ。その様子を楽しそうに眺める母。


「心の底ではみんな、必要無いと思ってるのさ。だから忘れちまう。あきつの神なんて独裁者と大して違いがないよ。信仰対象は死んでいてこそだ。復活を願っているうちがありがたいものなのさ」

 胸で十字を画くメイヴ。


「それ、母上の国の教えですっけ」


「そうだよ。正確には私の国の、同盟国が発祥だが。まあ、私もそれほど熱心に信じてるわけじゃあないが。

 ルーシーンは神を復活させた。おとぎ話を現実に戻して、もう一度伝説を繰り返すつもりだろう。

 やっぱりあの子はとんだじゃじゃ馬だ。あの歳じゃ、のちの事の責任も取れないだろうに。

 今になって若い頃のやり直しをやろうとするとはね」


 メイヴは盃に酒を継ぎ足さずに言った。


「若い頃のやり直し?」


「そう。ルーはタラニスが去ったあと、ずいぶんと荒れてたからね。悪手を多く打ったんだ。

 よそから戦争を吹っ掛けられるのは、鳥が去ったのが認知されるまで続いた。

 ルーは頭は切れるが、それほどいくさ上手ではない。

 神鳥の力と、多くの部族を取りまとめていたあの子の義父の力によるものだったんだ。

 義父はそののちの戦いでくたばっちまった。国が小さくなったのも、周辺部族との仲がこじれ始めたのもそのあたりさ」


「それをやり直すのなら、みんなと仲良くしようという話なんですか?」

 マブが言った。


「おまえはばかだねえ。もっと大きな流れで世の中を見なくてはだめだよ。あきつの神なんて立ててしまったら、国がまとまっても、ほかの教えを持つ大国が滅ぼしに来るよ」

「じゃ、じゃあルーシーン様を止めないと」


「……今、この国がその周りから放っておかれてるのは、森が険しい上に土地が痩せていて、無理してまで襲う旨味がないからだ。だが、手軽に取って喰えるなら話は別。国が内輪揉めで弱ろうが、森を焼き切ろうが、腹を晒した時点でおしまいさ」

 メイヴが鼻で笑う。


「そんな、私、まだお嫁にも行ってないのに」

 マブが青ざめる。


「おまえ、四十もとうに過ぎてるだろうに、まだそんなこと考えてるのかい……」

「うう……私たちも身の振りかたを考えないといけないのですね。お母さま、死ぬときは一緒ですよ」

 愁眉を固く閉ざすマブ。

 母は行き遅れの娘の頭を撫でると、盃を満たす。


「諦めるのはまだ早いよ」

 メイヴの顔を映す盃は、時化た赤波を立てていた。


***

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